さっきまで他の記事を書いていたのですが、つい先ほどもらっらたコメントを読んで、急遽新しく書いてみます。
いただいたのは長いコメントなのでここに掲載するのはやめますが、パリでのテロが起きたことを受けての質問であり、昨日の記事のコメント欄の下の方にあります。
Kazupooさんへ
あなたの気持ちはよくわかります。
この質問は仏陀の時代から繰り返し問われてきたことです。
いまも大きな事件や災害が起きるたびにこのような疑問が湧きますし、「遺族に向かってそんなことが言えるのか」という思いが後に続きます。
仏教でも「一切空」という最も基本的なメッセージが、一般的にならないまままになっているのは、このような要因もあると思います。
いまこの時間帯は多くの人がこのニュースに触れ、様々な思いが湧いているので、このようなメッセージを受け取るのはさらに困難でしょう。
個人は個人感覚が絶対であり、起きていることも絶対に現実だからです。
我々は空を学んだとしても、結局は色の世界からだけものを見ているのです。
それではもし、「一切空」は間違いでしたと宣言すれば、それで解決するのでしょうか。
僕にはそうは思えません。
これからも様々な忌まわしい出来事が繰り返されていくことでしょう。
話が少しそれますが、10年ほど前に僕が初めてマドリッドに行ったとき、宿泊したホテルのすぐ近くで爆弾テロが起こり、それはスペイン史上最も凄惨な事件として報道されました。
日本でも大きく報道されましたが、いまはほとんどの人が忘れています。
不吉なことを言いますが、この先も世界各地で信じられないような出来事が起きるでしょうし、そのたびに我々の意識は起きたことに集中し、そして繰り返されてきた幾多の陰惨な事件を記憶の隅に押しやっていくことでしょう。
いいとか悪いとかではなく、人間のマインドにはそのような性質があります。
いまもマインドは活発に活動し、様々な判断を下し続けています。
しかし同時にこの人間という存在には、マインドを超えた「空」という次元が備わっていて、そこでは何も起きていません。
誰ひとり生まれもしていないし死んでいないのです。
ここまで書いてきて思いましたが、このようなメッセージは決して一般向けではありませんね。
ブログは自らの意思で読みにくる場なので書かせてもらいました。
読み手によってさまざまな感想があるでしょうが、これが僕の考えです。
最後に大和田さんのことですが、彼女は何かを説明したいのではなく、個人という幻想が消えて全体が出現するための場を作っています。
動画もくり返し見ることで新たな気づきが生じますが、実際のサットサンの現場は時空間を共有することで、普段は決して触れることがない新しい次元への扉が刺激されていきます。
興味がおありのようなので、いつか機会があったら参加してみてください。
人生にはさまざまな出来事が起こり続けていて、止まることはありません。
まるで車輪が回っているかのようです。
しかしその車輪が回るためには、決して動くことのない中心が必要です。
輪の外周に身を置くのではなく、不動なる中心を携えていることも忘れないで生きていきましょう。
そして、その中心こそが本当の僕たちなのです。
今日は土曜日ですね。
休日の方も多いと思います。
どうぞ心安らかにお過ごし下さい。