間接的人生
タンスの角に足の指ぶつけて、「痛っ!」
本来起きているのはこれだけなんだよね。
もちろんその後に続く思考も起きていることではあるけれど性質はまるで違う。
思考はすべて間接体験だから。
思考は言う。
「こんなところにタンスを置くなと言ったはずだ。だいたいこのタンスは大きすぎる。だから買うとき反対したんだ。」
そうやって一日中不機嫌が続いていく。
もう痛みは消えたのに。
そういう意味から言えば、人生のほとんどは間接体験の産物であり、それが現実以上に現実味を持っていく。
どこまでが現実で、どこからが間接体験の代物か、わからなくなっている人も少なくないと思う。
それくらい思考には現実味がある。
不快な気分の99%は間接体験が作っているけれど、当人からすれば頭の中の全部が現実になっているから、そのことに気づかない。
人生は極めて単純なのにね。
なんてことを明日(それは今日のこと)のブログに書こうと思ってPCの前に来て、そういえば禅ってこのことしか言ってないよななんて思って向老師を思い出した瞬間、向さんから電話が入った。
そしたら電話口で向さんがそんなようなことを喋りだした。
こういうのをシンクロって言うのかな。
それにしても向さんと喋ったあとは頭がスカっとして気持ちがいい。
菜穂さんにも同じようなところがあって、ちょっと話すだけで気分が爽快になる。
二人に共通しているのは、いまを生きていることだ。
シンプルにいまを生きれば心の重荷を持ち運ばなくてすむのに、何かにこだわってこねくり回すから人生が複雑になってくるんだと思う。
僕の若い頃はこの典型だったからよくわかる。
今日湧いてくる思考の95%は昨日も考えたことだから、ちょっと観察してみると面白い。
そうすると自分がどんな世界に暮らしているのかが見えてくるよ。
そしたら無理やり笑ってみよう。
これがけっこう強力。
死ぬ気で嘘笑いするだけでも気分は変わってくるよ。
気分が少し変わると、世界も少し変わる。
もし役に立つと思ったら、それも習慣にするといい。
そうやって間接的人生からおさらばするんだ。