痛みと不幸を小脇に抱えて
数年前に似たようなことを書いたときは、ブログが荒れて大変でした。
今回そのようなコメントがなかったことと、コメントの内容が濃かったことが印象的でした。
わずか数年の間に、我々の意識は、我々の想像以上に変化しているのかもしれません。
「内なる痛みは消えることはない」
「人生は苦しみであり、幸せにはなれない」
このような言葉を理解できるようになるには、多くの経験と洞察が必要だったと思います。
もし我々が、常に去来する苦しみや胸の痛みを、自分の一部として認めてしまえば、完全に受け入れてしまえば・・・
あゝ、なんて爽やかな気持ちなんだろう。
いったい、何になろうとしていたんだろう。
私は私であり、これが私の人生です。
以上!!!
自分を認めるという感覚が、初めてわかってきた人もいましたね。
その調子です。
自分を認めるというのは、内なる混乱や、持続する痛みを、それが自分の一部だと認めることです。
あるがままを認めるとは、そういうことです。
「これではいけない。もっとほかの自分になるべきだ」と思ってしまう自分を休ませてあげましょう。
その上で、あなたが必要だと思うことをやっていけばいいのです。
その時その時、一番いいと思ったことをやっていくのは、いままでと同じです。
でも何かが違います。
それは一番いいと思ったことを選ぶ基準が、他人の目や正しさという基準から、自分の思いに変わっているということ。
結果がどうであれ、その結果とともに生きているということ。
そうなれば、余計な混乱はなくなります。
不幸が前提になっているから、不幸はもはや不幸ではなくなるのです。
生きる力が消耗してしまった人、
自信をなくした人、
もう生きるのが嫌だと思っている人、
そんなあなたが感じていることや、考えていることは、たいていは経験済みです。
これからも不幸と痛みを小脇に抱えて、一緒に生きていきましょう(^^)/