知識と認識

Toshiro Abe

2014年06月16日 09:04

もし僕のブログや書籍が入口になって、OSHOの言葉に触れてくれたら本望です。

そうやって触れた言葉が、いつか血となり肉となり、あなたの一部になったとしたら、もうOSHOも必要ありません。


僕にもそれが起きました。

突然の一瞥が起きた日に、彼の言葉が僕の魂と同調したのです。


これらの言葉はすべて、僕の魂の調べになりました。

いまもシンクロして波打っています。


今日は、最新刊のTAO3の冒頭を紹介します。


ここにいま僕が伝えたいことのエッセンスが詰まっています。


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宗教は知識ではない

それは〈認識〉だ

知識はマインド のもの

〈認識〉は実存のものだ

そして、その違いと距離は途方もなく大きい


その違いは量的なものであるばかりじゃない

それは質的なものでもある

知識と認識─ その二つの間には天国と地獄 大地と大空ほどの違いがある


だからして、理解すべき第一のことは

知識(knowledge)



認識(knowing)

の違いだ


知識というのはけっして現在のものではない

それはいつも過去のものだ

自分は知っていると言ったその瞬間 それはすでに死んだものになる

もうすでにその痕跡を記憶の上に残している

それはあなたにこびりついた垢のようなものだ

あなたはすでにそこから立ち去っている


認識はつねに即時だ

認識は「いまここ」だ

それについては何も言えない


あなたは「それ」であることができるだけだ

「それ」についてしゃべった瞬間、認識でさえも知識になってしまう

知った人たちが全員、口をそろえて「それは語られ得ない」と言うのはそのためだ

そのことをしゃべったが最後 まさにその本質自体が変わってしまう それは知識になってしまっているのだ

それはもう認識というビューティフルな生きた現象ではない



認識に過去はない

それには何の未来もない

あるのは現在だけだ

しかも忘れてはならないのは

現在というのは時の一部ではないということだ


人々は普通 時間は過去と未来と現在に分かれていると思っている

それは完全な誤りだ

時間は過去と未来に分かれているのであって 現在というのはまったく時の一部ではない

それは時間の中ではつかまえられないのだ

追いかけてごらん

あなたはそれを見失うに違いない

それをつかもうとしてごらん

現在の中には認識があり 過去の中には知識があり

そして知識が未来をつくり出す

過去が未来を生む

未来というのは過去の副産物なのだ


何かを知ると必ず、あなたは計画し始める

より多くを知れば知るほど計画も増える

知るということは過去を意味するし

計画というのは未来を意味する

そうしたら、あなたは未来に自由を許さないことになる

あなたはそれを過去の整理箱に押し込めようとする

あなたはそれが単なる過去のくり返しであってほしい

いかに修正され、装飾されていようと ただの過去のくり返しだ


知識の人というのは計画の人だ

しかし生というのは、計画されざる流れなのだ

生というのは自由なのだ

それを整理箱に押し込めることはできない

それは分類できない

知識の人が生を取り逃がすのはそのためだ

彼は多くを知っていて

しかも実は何も知らない 彼は知りすぎている


それはいつも手の届かないところにあるだろう

なぜならば それは〈永遠〉の一部であって、時の一部ではないからだ


現在というのは時を横切る永遠にほかならない

それは永遠と束の間なるものが出会う交差点なのだ


しかも実はまるで空っぽで虚ろなのだ

知識の人よりも浅薄な人間など見つかるものじゃない

彼はただの表面ばかり

何の深みもない

というのも、深みは永遠を通してやって来るものだからだ



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