感情の選択

Toshiro Abe

2013年06月07日 09:20

チェンマイは時間が止まっています。

とても静かです。

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感情を選ぶということに関して、ここは重要だからまた書いてみると言いましたね。

今日はそこから入ってみます。


まず「選ぶ」ということから見ていきましょう。


人生は、自分の選択の結果でしょうか。

それともすべて決まっているのでしょうか。


僕は、ある時には「人生は選択だ」と言い、ある時は「人生はすべて決められている」と言います。


その気になれば、どちらの立場も取れます。

どちら側からでも説明可能ですし、どちらも真実です。

それは見る次元によって変わってくるのです。


いまは、どちらが正しいのかを決めるのではなく、どちらの立場で生きたほうが自分にはいいかという観点から話を進めていきましょう。


人生を生きるということから言えば、「人生は選択だ」という立場のほうが大切だと思います。

自己や人生そのものを超えて、目覚めに至るというのであれば、また話は変わってきますが、いまはそのことはいったん横に置いておきましょう。


地上目線から見れば、僕たちは、毎瞬の選択によって人生を作り出してきました。

いまそれぞれが抱えている人生は、これまでの自分自身の選択の結果です。


そして選択には大きな特徴があります。

それは、「選択とは、自分にとって、よりマシなほうを選ぶ」ということです。

例外はありません。


よりマシなほうを選んできた結果が、いま生きている現実を創り出したのです。


えっ?全然マシじゃないって?

おかしいですね、マシなほうを選んだのにマシじゃないなんて。

いったい何が起きているのでしょう。


それは、よりマシな方を選ぶとき、何を基準にして選んだかが、自分の思いとズレているからです。


たとえば、家を出て一人立ちしたかったけれど、家族のためにそれをしなかったと言うのであれば、家を出るという思いよりも、家族に心配をかけたくないという思いが勝(まさ)ったということです。

選択の基準が、自分の思いではなく、家族にあったのです。


やりたいことがあるのに、人からどう思われるかが心配でやっていないとしたら、やりたいという思いよりも、人の目のほうが重要になっているのです。

自分にとっての選択の基準が、自分の思いではなく、変な人に見られたくないという思いになっています。


あるいは、画家になりたかったけれど、将来が不安だったから就職したと言うのであれば、なりたいという思いよりも、安全無難という価値のほうが大切だったのです。


選択とは、何を基準にして選ぶかによって、結果が180度変わってしまうものなのです。


自分の思いを優先して生きていれば、成功しているかどうかは別としても、思い通りの人生を生きています。


でも、安全や、無難や、人の目や、周囲の気持ちを優先して生きていれば、自分の思いとは違う人生を選んでいます。


でもどちらにせよ、「よりマシ」なほうを選んできたことに変わりありません。

これが選択の特徴です。



ここまで理解してやっと、「感情を選ぶ」というテーマに入れます。


先日も述べたように、感情も自分の選択の結果です。

ほとんどは無意識に選んでいますが、無意識だとしても選ぶ限りは、よりマシなほうを選んできています。


あれ?また変な話になってきました。


怒りなどの嫌な感情を、何が嬉しくて選んでいるというのでしょう。

人間の心理は複雑ですね。


また明日書きますが、ここまでをしっかり復習しておいてください。

どこにいても、こうして繋がっていられることに感謝しています。




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