縁起
薬師寺の壁に描かれていた釈迦の一生の中で、彼が悟りを開いた時、最初に伝えた真実の一つに
「すべては縁によって生じている」
という言葉がありました。
いろんな翻訳を経て、このような言葉になったのだろうけれど、これはまさに、深い啓発の瞬間に感じる、
「何一つ偶然は無く、すべての出来事は予め決められていた」
という感覚と同じだと思いました。
あらゆるものとの関係性が交差する「いまここ」で、僕たちは大いなる気づきを得るように計画されています。
摩訶不思議な宇宙の計画は、津々浦々にまで作用していて、それは、いまこの瞬間のあなたの行為にも及んでいるのです。
もう、お手上げ。
お任せするしかありません。
すべては縁起によって生じているわけで、縁起を創りだしているのは人間を超えた大いなる計らいです。
昨夜、理由なき幸福感が体を貫きました。
そんな僕も、絶望にも似た時間を過ごした時期が何度もあります。
いま、当時の僕のように心理的に追い詰められている人がいたとしても、そんなあなたに伝えたいのは、
「大丈夫だよ」
という言葉です。
それは、
「この先きっと上手くいくよ」
というような楽観主義的な意味ではなく、何がどうなろうと大丈夫だという根本的な救済です。
大いなる計画であるところの縁起を信じてください。
誰か一人でも、その計画から外れてしまったら、全体の計画が成り立ちません。
いまはそのような部分を請け負っているだけの話で、いいとか悪いとかいう人間の判断を超えたことが起きていて、それぞれにそれぞれのパーツを担っているだけの話です。
このまま野たれ死のうが、宮殿で息を引き取ろうが同じこと。
お互い、いま目の前の現実に対して、一番いいと思ったことをやっていきましょう。
正解なんてありません。
心のままに生きること、それが神の思召しなのだから。
心のままに生きられないとしても、それも神の思し召しなのだと思えば、何てことありません。
気楽に行きましょう。
責任は神(全体)が取ってくれます。