諸法無我
こんにちは。
このブログのアクセス難を、年明けには改善して下さるとのことでしたが、運営サイトのスタッフのご尽力で、今日はすでに繋がりやすくなっている模様です。
迅速な対応に感謝申し上げます。
このブログが続いてきたのも、見て下さる方たちがいてのことですが、同時に多くの見えないサポートがあってこそということを、今回改めて感じました。
考えてみれば、今着ている服も、今朝食べた食事も、こうやって操作しているパソコンも、生活周りのありとあらゆるものは、人の手によって作られたものであり、まさに生かされているということを実感します。
いつもあるものは、あたりまえになってしまう、そういう傲慢さがまだ自分の中にはあると気づかされました。
おかげさま
なんていい言葉なんでしょう。
戦後、西洋の自由主義が尊ばれ、自分がどう生きようと自分の勝手だというような風潮が蔓延してきました。
精神的な過度の束縛を外すのは大切なことですし、自らを縛り上げている観念に気づくのは、自分の人生を生きる上で欠かせないポイントです。
と同時に、人間は一人で生きているのではなく、多くの見えない力によって生かされているということも忘れてはいけません。
自由という言葉の意味は、自分勝手に生きることではないのです。
自由とは、自分の想念からの自由であり、何をしても自由ということではありません。
そのあたりの矛盾は、精神性が向上することで難なく統合されますが、最初のうちは言葉に惑わされてしまうことも起こりがちです。
この世には、単独で存在しているものは何一つありません。
あらゆる存在は、それぞれの関係性の中で、支え合って存在しています。
そのことを仏陀は「諸法無我」と説きました。
昨日は解釈を挟まずにあるがままを見ることの大切さを書きましたが、今日は真逆のことを書いてみます。
もしあなたのお子さんが、朝帰りを繰り返し、家族に心配や迷惑をかけていたら、注意してあげましょう。
「お母さんも心配しているのよ」
その時、もし子供が
「何言ってんだ、オレの勝手だろ!!」
なんてほざいたら、胸ぐらをつかんでこう言うのです。
「諸法無我よ!!!」
今日もいい日でありますように(^o^)