目覚め

Toshiro Abe

2012年06月07日 10:49

「はい、これで終了です。ご苦労様でした」

という神の言葉を、死の宣告だと思った人もいたみたいですね。

これは肉体の死ではなく、「人生」という名の夢の終焉、目覚めのことです。


でもある意味、目覚めは、肉体の死よりももっと完全な「死」とも言えます。

なぜなら、肉体が死んでも夢は続いていきますが、目覚めれば夢は終わってしまうからです。

それは個別意識という夢の終焉、人生という名の夢の終焉、無数の繰り返し(輪廻)の終焉です。


夢の中にいるときは、この現実が夢に過ぎないなんてことは認められないし、認めたくありません。

ところが目覚めてみれば、なんであんな苦しみの世界に固執していたのか不思議になります。



以前、実際にこんな夢を見たことがあります。


僕が遠方にいる友人宛に大切なメッセージを預かっていて、彼の居所を探しているんです。

山を越え、谷を越え、町から町へと訪ね歩いて、やっと見つけたと思うと、寸でのところで行き違いになってしまいます。


義務感とあせりの気持ちで、少しうなされ気味だったかと思いますが、そんな時、天上から声がしました。

「これは夢だ。覚めてしまえばすべては終わる。抱えた責任も消えてしまうから、もうそろそろ起きなさい」

その瞬間、僕も心のどこかで、これらすべてが夢であることを直感しました。


でも同時に、

「だからと言って責任を放棄するわけにはいかない。まずは彼を探し出すことだ。そうしたら夢から覚めるとしよう」

と思い、また果てしない探索の旅に出かけました。


それからどのくらい時間が経ったのかわかりませんが、再び真実を思い出しました。

「そうだ、これは夢だ。本当に必要なのは夢から覚めることだけだ」


しかし、まだ彼を探し出していません。

彼を見つけなければという思いは消えませんでした。

ここまで探すのにどれだけ大変な思いをしたか、せっかくここまできたのだから、きちんと結果をつかみたいという思いが、真実を消し去っていました。


何度かそんなことを繰り返して、フラストレーションが溜りにたまり、

「もういやだ、もうたくさんだ。そうだこれは夢だ。だったら覚めてしまえ」

とばかりに、夢からさめようとしました。

でも抵抗する気持ちも相当に強く、何度か引っ張り合いを繰り返したのですが、あるタイミングで「えい」とばかり無理やり目を開けると、あら不思議、


「な~んだ、夢か」

やれやれ大変だった。

まったく、何していたんだろう。



これは夜の睡眠中に見た夢ですが、僕たちが現実だと思っているこの人生にも、まったく同じことが言えます。

どこかで夢だと感じ始めたのに、やめるわけにはいかないのです。

だって責任があるから。

それに目覚めた後、どんな悪いことが待っているかわかったもんじゃありません。


いまの人生は大変だけど、たまに楽しいこともある。

この大変さには慣れてきたし、なんとか耐えられそうだ。


もう少し、そっとしておいてほしい。

いつかそのうち目覚めるから。



そんな人が目覚めたとき、きっとこう言うことでしょう。


「な~んだ、夢か」

やれやれ大変だった。

まったく、何していたんだろう。



僕たちには、好きなだけ夢を見る自由が与えられています。

いいも悪いもなく、全部自分が決めています。

たまにこのような目覚めのメセージに出会うのですが、そのメッセージさえも夢の中で消化して、これからも夢の続きを見ていくのでしょう。



「もう少し、そっとしておいてほしい。

いつかそのうち目覚めるから」



はいはい、わかりました。



それとも、いっそいま目覚めてみますか?



そうそう、大切なことを忘れていました。


夢から覚めても、まだ夢は続いていきます。

個の夢が終わっても、人類という集合意識が見ている夢があるからです。


でも今度の夢は、圧倒的に楽チンです。

だって、夢を夢だと知っているし、強度な義務感もなく、ただ楽しむだけだからです。




先日、別れ際にボブさんが言った言葉。

「この世はマーヤ(幻想)だ。だからマーヤをエンジョイしている。see you my friend.」