被害者の立場

Toshiro Abe

2011年04月24日 09:06

「今日一日は、自分のことも人のことも非難しない」

って、やってみてどうでしたか。


最初のうちはうまくいっていたのに、何かが原因で不機嫌になると、とたんに周りを非難しだすという傾向はありませんでしたか。

僕らは、合理的、論理的に行動しているつもりでいますが、ところがどっこい、気分しだいでどうにでもなってしまいます。


だから非難がましい人(態度に出さなくても、内側でそういう傾向がある人)は、間違いなく不幸な気持ちで生きています。

不幸な気持ちの人に、受け入れろなんて言っても無理な話です。



不幸な気持ちの人の多くは、何かの被害者になっています。

こうこうこうだから自分は不幸なんだという理由をしっかり持っているのです。


被害者の心理はこうです。

私は正しい。間違っているのは周りだ。


あるいは、

この不幸な現実を作り出したのは自分ではなく、周りだ。


あるいは、

自分にはどうすることもできなかった。全部周りの責任だ。


というわけです。



被害者の立場をとっていると、自分は正しいという気分になれて居心地はいいのですが、その代わり不幸な気分になってしまいます。

代償は大きいんです。



それでは、被害者の立場の反対は何でしょう。


あえて言えば、責任の立場です。

どんな出来事に対しても、それを作り出したのは自分だというところから現実を見ています。


自分にはああすることも、こうすることもできたし、ああしないことも、こうしないこともできた。

自分には被害を最小限に抑える、他の選択をする可能性があったという立場です。

だから人のせいにしません。



いつもこの立場からものを見ることが出来れば、うまくいかなかったことからも学ぶことが出来ます。

「次からはこうしていこう」となるのです。


7年前に始めた沖縄でのいまここ塾で、当初言い続けていたのはこの一点でした。


「自分の不幸を人のせいにしない」



人のせいにしていると学びません。

学ばないから繰り返します。

○○運が悪いなんてボヤいている人は、たいていはこのタイプです。




「今日一日は、自分のことも人のことも非難しない」


この姿勢を保つことができれば、いろんな気づきが訪れます。

人間というものが、どれだけ他者や自分を非難しながら生きているかも気づけます。



気づいたらチャンスです。

違う選択をすればいいのですから。


たいていの場合は、自分が何をやっているのか気づくこともなく、同じパターンを繰り返しがちです。


だからたった一日でも、

「今日一日は、自分のことも人のことも非難しない」

という自覚を持って生きるのは、大いに意義あることです。




さて、あなたはこのレッスンを実践してみて、どんなことを感じましたか。

よかったら気づきを教えてください。




また今日もやってみましょう。


「今日一日は、自分のことも人のことも非難しない」




ねっ(^o^)