たまには究極論

Toshiro Abe

2011年02月17日 08:46

今日の話は極めて難解かもしれません。

でも真実なので書きます。

真実は、理解の段階によって変化します。

今日の話は、最も深いレベルからの話です。



実は、いままで何も起きてこなかったし、これからも何一つ起きません。

現象という夢が、様々な姿をして、現れては消えていくだけです。



朝目が覚めたとき、夢の中でどんなに壮大なドラマを生きていたとしても、単に夢だと分かった瞬間、実際には何も起きていなかったことを知ります。

それと同じで、最も深い意識レベルに目覚めたとき、それまでの人生が霧のように消え失せ、実際には何も起きていなかったことを覚ります。


いつも「いまここ」に、純粋な意識が在りつづけているだけです。

それだけが真実です。


このことは、いつの日かあなたも知る日が来ることでしょう。

それまでは頭の片隅にでも置いておいてください。


そしてどうしても苦しくなったときや、不安に圧倒されそうなときに、このことを思い出してください。

実際には何一つ起きていないということを。



このようなメッセージを、通常の意識状態で理解しようとしても無理があります。

せいぜい自分本位に解釈して、ナンセンスだと言って片づけるか、歪曲して分かったつもりになるかだと思います。

したがってこのようなメッセージは、何の力も持ちません。


ちょうど般若心経のようなものです。

「照見五蘊皆空」を体験的に理解した者には楽しめる経文ですが、その体験が無ければただのナンセンス文です。

理解した者には般若心経はいらないし、理解していない者は般若心経が何を言っているか解らないので役に立ちません。

どの道いらないんです。


慢心の極致にいる人は、「般若心経は間違いだ」とまで言い出しますが、まったくお粗末な話です。

そういうことではありません。

究極の真実だと言っておきます。



「いままでも何も起きてこなかったし、これからも何一つ起きない」

これも般若心経と同じ次元からのメッセージです。




通常の僕たちは、実際には何もわかっていません。

森羅万象を、その時代の科学や知識で分析し、わかったつもりになっているだけです。


自分は何も知らないということを知ることが、真実への第一歩です。

その時、想像を超えた超リアリティーの次元の扉の前に立ちます。



このことを踏まえたうえで、現象界を生き抜く知恵を分かち合いましょう。



人生は単なるゲームです。


深刻さは要りません。

それほど生真面目に生きる必要もありません。


過度の生真面目さは、余裕をなくし、批判的になり、優しさを無くす傾向にあります。



なんだっていいじゃないか。


ええじゃないか、ええじゃないか、



ね(^o^)

自分を責めちゃいけませんよ。



ま、気楽に生きましょう。