ゾルバ・ザ・ブッダ

Toshiro Abe

2011年01月08日 10:58

「いまここ流・金儲け講座」に関しては、書きたいことが山ほどありますが、あまり先に進みすぎても、単なる読み物に終わってしまうような気がします。

単に情報として読むだけではなく、実際に自分自身のこととして、ここで指摘したポイントを検証してもらえたら、少しは人生の役に立ててもらえると思っています。


たとえば数日前に書いた、お金や、お金儲け、お金持ちなどに対する自分の内なる会話。

これなども、あるがままに自分を見ることができたら、多くの発見があるかと思います。

自分の意識が現実を作っているのは紛れもない事実で、経済的な豊かさを求めながら、それに反する観念が内側にあれば、せっかくの思いも相殺してしまいます。

時間があるときに、何度でも心の内側を見つめ、役に立たない観念を手放していってください。


だからと言って、何がなんでも豊かさを追求することがいいとも思いません。

それ以上に、精神的な深みを達成することは遥かに大切です。



もう一度整理してみますが、ここで伝えたいことは、少なくとも一人の人間が、その人生を通して発見した事実です。

その中のうまくいっている事を分かち合いたいという思いから書いています。


いま僕は、あらゆる面において幸せを享受しています。

そしてそれは、誰でも可能だということを知っています。

だから分かち合いたいのです。




物心両面の豊かさと、さとりと呼ばれる大いなる気づきは密接な関係にあります。


言うまでもなく、お金を追求することがさとりに繋がるわけではありません。

でも気づきが深まれば、現実を自由に作り出し、幸せな人生を送ることは可能です。

その境地を阿羅漢(あらはん)と言います。


アセンションと呼ばれる意識変革の波は、多くの人を阿羅漢の境地に導くものだと感じています。

その基本的エネルギーは「愛」ですが、これなども文字にすると単なる概念になってしまいますね。



以前は精神的高みに達した人は、清く、貧しく、美しく生きると信じられていました。

清く、美しくはそのとおりですが、社会一般に言われているそれとは、ちょっとニュアンスが違います。


ましてや貧しさを選ぶかどうかは、人それぞれのセンスであり、豊かさに何も悪いことはありません。

自分が豊かになることで、誰かが貧しくなるわけではないからです。

豊かさは無限にあるのです。



僕自身は「愛ある遊び人」でいようと思っています。


「ゾルバ・ザ・ブッダ」そして「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」が、僕の人生の基本になっています。



聞きなれないこれらの言葉の背景にあるのが、大いなる気づきです。



あなた自身が、豊かに生きたいという願いを純化することで、それに必要なことを学び、実際に豊かさを手にしながら、気づきを深めてもらえたらというのが、このシリーズの目的です。


取り留めのない文章になってしまいましたが、心のままに書いてみました。

わかったような口調で、生意気な表現になってしまったことをお詫びします。





勝手な都合ですが、お付き合いを。