お元気ですか

Toshiro Abe

2010年01月12日 08:30

みなさんのコメントで、レスしたいものがたくさんあります。

実は、ここはネット環境が決して良いとは言えず、持参したパソコンの不具合も生じたりと、日本にいるときのようなテンポで対応することができません。

しかも僕自身の意識が、まだ半分違う世界にいるときています。


何度もフリーズしてしまう画面に向かいつつ、今日もできるだけのことをしてみます。



SSさんのコメント

目覚めを望むことで、目覚めが逃げないか?
というのが、「目覚めを求めなさい」と聞いたときによぎる、私の思考による不安です。
このような質問、おそらく過去にも幾度となくされていると思いますが、いかがでしょう?
でも、求めることで、どんどん近づいている感覚もあるんです。



これは道を歩むうえで必ずと言っていいほどぶち当たるジレンマです。

おっしゃるように、悟ろうと思えば悟れません。

なぜなら、悟りとは「いまここ」のあるがままの自分に目覚めることなのに、悟りたいという思いは、いまとは違う別の自分になろうとすることだからです。

いまここにあるものを、将来に求めているのです。


さらには、悟りたいと言っている自分は誰かという問題も残ります。

それが、いつもお馴染みの、表面的に捉えている自己の欲求だとしたら、不可能です。

と言うのも、悟り(目覚め)とは、その自己が消滅した時に残るものであり、自己の欲求が叶った結果ではないからです。


今日の僕は、ほぼ思考停止状態で、うまく言えている自信がないのですが、何となくわかってくれますか。


以上のような理由から、「目覚めを望むことで、目覚めが逃げる」というのは事実です。

しかし一方で、そのことを強く望むことが、目覚めへの道を開いていきます。

あきらかに矛盾していますね。

営さんが言うように、「強く求めて執着しない」ということが、わかりやすい態度かもしれません。



言葉というのは、本当に不完全なものですね。

その時の意図に従って何かを書けば、他のタイミングで伝えた内容とズレが生じてしまうことがあります。

頭が冴えわたっている時ならば、思考を縦横無尽に駆使して、このようなことも難なく説明できるのですが、どうやら今日はこれが限界のようです。

意識は冴えているのですが、頭がどうも・・・


ま、こんな日もあるということで、これに懲りずにまたここにいらして下さい。



先ほど、満天の星空を見上げていたら、その不思議さに圧倒されてしまいました。

僕たちがここで生きていることは、奇跡の中の奇跡ですね。

人間は実際には何一つ知らないのに、わかったような気になって日々の生活を送っています。

ところが、何一つ知らないということを認めたとき、すべてを知っている存在とひとつになります。

それは、いつもは隠れている本当の自分です。



あはは、やっぱり思考停止しているみたいです。

いま、現地時間で深夜の3時、日本時間の明け方5時になります。

ここまで書くのに2時間以上もかかってしまいました。

これから記事をアップすると、読者登録している人の携帯が鳴ってしまうので、日本時間の8時半にセットしておきます。



今日はもう寝ます。


読んでくれてありがとうございました。