需要と供給
今日も、感じるままを書いてみます。
「愛されたい」
「認められたい」
という想いを持つことはありませんか。
いちいち自覚していないだけで、こうして生活していることの根底に流れている欲求かもしれません。
それは誰かにあって、誰かにないというようなものではなく、僕達に共通している要素ではないでしょうか。
自分は人に与える為に生きているつもりでも、実際にはそんな自分を承認してほしいだけだったと気づき、愕然とすることもあります。
それくらい、その衝動は強く僕達の心を支配しています。
それは自我の渇望です。
誰もが自分の自我を満たすのに必死です。
他人の自我を満たす余裕などありません。
誰もが、まず自分を愛し認めてほしいのに、そんな人達の中で愛や承認を求めていることは馬鹿げています
供給者が極めて乏しい世界で、需要ばかりが高いときているのですから。
そんな世界で認められるために、ひとかどの人物になろうとして、頑張っている人もいます。
多くの競争相手を打ち負かし、一番になれば、その時初めて満たされるだろうというわけです。
でも本当は、最初の最初から満たされているんです。
誰に承認されなくても、誰からも愛されなくても、すでに僕たちは全員、存在全体から受け入れられ、存在全体から愛されています。
でなければ、一瞬たりとも生きてはいられません。
すでに自分は十分だという気づきが、ほんの少しでもあれば、あらゆる比較や競争から自由になります。
物乞いの人生から、祝福の人生に変わるのです。
それは何かを得たり、何かを達成したりして起こることではありません。
自分の絶え間ない欲求の馬鹿馬鹿しさを見抜いた瞬間に訪れる祝福です。
「なーんだ、最初から自分はOKだったんだ」
そうなれば、こうして生きていること自体が喜びになります。
歌い、踊り、感謝し、瞑想することが、人生の目的になるのです。
何かになろうとするのではなく、いまの自分が結果になります。
その時、初めて本当に人を愛せるようになります。
その時、初めて本当に人を認めることができます。
それがいまを生きるということです。
それは、いま自分が満たされていることに気づいているということです。
こうして何かを書くことで、僕自身が大切なことを思い出させてもらっています。
このような機会に感謝します。
今日もここに来てくれて、ありがとうございました。
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