日々のレッスン

Toshiro Abe

2008年08月21日 07:19




先日のコメント欄に、こんな質問がありました。

もしこの世の全ての物質や生命体がひとつであるということが心から理解できたとして、今度はどのような心がけでどのように人生を生きて行けば宜しいのでしょうか?



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全ての存在は「同じ一つの命」ということを理解したからといって、日常生活の中で、常にそのように感じているかと言えば、そうではありません。

人と比較したり、人を批判したり、人を恨んだりする傾向が、いまだに顔を出すことがあります。


人間はどこまでいっても、そのような傾向が全てなくなるということはないと思います



この世には自分の想像も及ばないくらい成熟した魂がいて、人間の弱点をすべて克服して、聖なる人として生きているという考えは、ただの想像ではないでしょうか。

人間というものは、特別な存在にあこがれ、全てを超越した特別な存在がどこかにいてほしいと願うものですが、それこそが幻想の産物だと思います。

そのような幻想を抱くことで、あいかわらず欠点だらけの自分や人を批判しているのです。



「あるがままの自分でOK」というのは、まさに「あるがままの自分でOK」であって、それは神聖な直感から、動物的な情欲や攻撃性まで、全部含んだあるがままの自分です。


美しい気持ちもあれば、醜い考えもあり、前向きな気持ちもあれば、ネガティブな傾向もあります。

それが人間なのですから、おかしな幻想に惑わされて、あるがままの自分を否定してはいけません。


僕たちは誰一人例外なく、プラスもマイナスも両方抱えた、矛盾に満ちた存在なのです。




ただし、そのどちらの面を発揮して生きるのか、それによって人間の価値が決まってくると思います。


僕らは存在の質そのものを変えようとしますが、それは変えられません。

いつもあるがままにあるだけです。


変えていけるのは行動です。


たとえば、自分の中に思いやりが足りないと思う人は、振りでもいいから思いやりを持った行動をしていけばいいですし、自分は臆病だと言う人は勇気を持って冒険してみたらいいのです。

もし僕たちが最初から思いやりにあふれていたら、思いやりを学ぶことはできませんし、もし臆病でなければ、勇気が何なのかもわかりません。


それらが足りないというのは、それらを学んでいくために必要なのです。


だからすぐにでも、その質を表現しようとしてみましょう。


自分が思いやりにあふれた人間になったあかつきには思いやりを発揮しようとか、自分が勇気ある人になったら冒険しようとか、そうやっていつまでも時間延ばしをしてしまいます。




簡単なやり方としては、心の中に理想の自分を描いてみて、その自分ならどうするだろうという基準から、行動を選択してみるのも一つだと思います。


人生の面白いところは、起きることは決して、同じことは繰り返されないということです。

常に新しい今が生まれ続けています。


今日起こる全てのことは、今までに一度もなかったことばかりであり、それは新鮮で驚きに満ちたことばかりなのです。


そんな気がしないのは、自分自身が昨日とおなじ考えを持ち、同じ態度で生きているからです。


しかし実際には僕たちも、昨日と同じ人ではなく、厳密に言えば肉体も新しい細胞と入れ替わっていますし、心だって変わり続けています。


ところが人間は、生きるスタイルのようなものを持ち運んで、古いパターンを毎日繰り返してしまう傾向にあるのです。




そこで提案です。


今までどんな自分だったかはいったん脇に置いて、まさに今から、瞬間瞬間新しい自分で生きてみませんか。

新しい自分というのは、古い自分を持ち運ばないということです。


今までの自分なら、こういう時はこうしたというパターンをやめて、つねに新しい今を、考えられる限り最高の自分で生きてみるのです。


人生というのは、この瞬間の自分をいかに創造するかということの繰り返しなのです。



先のことを心配するのではなく、まさに今どのような自分で生きるのか、その選択が最も大切なことだと思います。


そういう僕も、すぐに古いパターンに巻き込まれてしまうのですが、気づきという鞭を手に、新しい今を新しい自分で生きていこうと思っています。






今日もここに来てくれてありがとうございました。






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PS

明後日の土曜日、ムジカで引き語りライブをします。

遊びに来てください。

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