「いま」について

Toshiro Abe

2008年07月08日 08:14




ここには何でも思ったことが書けるから嬉しい。


そしてそれを理解しようとしてくれる人がいる。

お体裁ではなく、お付き合いではなく、本当に理解しようとしてくれる人たち。



今日もそんな人たちから勇気をもらいながら、思っていることを書いてみます。





年齢とともに自分がどれだけ変化しても、自分の最奥で何も変わらずあり続ける「自己感覚」の話をしましたよね。

そのことで、「神=自分」とか、「すべてはひとつ」といった言葉の意味がわかったという人もいたでしょう。


たったひとつの感覚に気づくことで、それ以外の真実がまるで霧が晴れるかのように見えてくることがあります。


今日もそうなるといいのですが・・・




またちょっと新しい感覚を働かせて、僕の言うことを捉えてみてください。


それは時間についてです。



「いま」という言葉はすべての真実のキーワードですが、いままでもこれからもずっと「いま」だということはわかりますね。

「いま」以外の時間はないし、僕たちは「いま」以外に存在することはできません。



それでは、あなたの印象的な思い出のシーンを呼び出してください。


それが起きたのも「いま」だったんです。

その時の「いま」と、いまの「いま」では、なにか変わりがあるように思いますか。


たしかにあなたの年齢や周りの環境や出来事自体は違うでしょう。


でもその時の「いま」と、いまの「いま」は、まったく同じものなのです。



記憶という現象のせいで、あの時の「いま」がいまとは別のところにある「かつてのいま」のような気がして、それを分離独立させてしまいますが、この世にそんなものはありません。


ただ「いま」があるだけです。



それは深い瞑想の中ではっきりとわかります。


心の奥底に沈んでいって、表面のざわめきがまったく消えた深い境地の中で、はっきりと時間の真実を自覚できます。


「いま」しか存在していない。


全ての過去も、全ての未来も、今まで生きた全ての人も、これから生まれてくる全ての人も、いままで起きた全てのことも、これから起きるであろう全てのことも、全部「いま」の中で同時に存在しているのです。



それがわかると人生観が大きく変わります。

「過去から未来へ」という水平の生き方から、「いまここ」という垂直な生き方に変わるのです。




僕たちはいつだって平等のチャンスを与えられています。

いまどのような自分で生きるのかという、あらゆる可能性が与えられているのです。



いままでがどうだったかなんて、大した問題じゃありません。

「いま」新しく生き直せばいいのです。




人生とは、どこかに向かう果てしない旅ではなくて、「いま」というゴールの中で、最高の自分を創造するための機会です。







今日もここに来てくれてありがとうございました。








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