そうなんですよ。
あいかわらず感情に振り回されたり、低次元の波動を浴びたり与えたりしますが、それが本当の自分じゃないんです。
それは単に、目の前の映像を現実だと思ってしまって、巻き込まれてしまっているだけのこと。
実際に人生とは、自分の心が映し出した映像に、自分本位の反応をしているだけの、一人相撲みたいなもので、それは夢そのものです。
自分の人生が夢だったと気づくのは、大いなる祝福です。
あらゆる重荷(義務・役割・責任)から解放される、歓喜の瞬間です。
この人生が夢だとわかると、前世も前々世も全部夢だったってわかります。
だから前世はあるといえばあるし、ないと言えばない。
そんなものに大した意味はないわけです、夢は夢ですから。
しかも笑っちゃうのは、今回の人生で四苦八苦してやってきたことは、ほとんど前世でも同じようなことをやってきている。
僕たちは同じような夢を繰り返し見ているんです。
もう終わりにしませんか。
終わりにするには、夢から覚めることです。
目覚めるということ、すなわち悟るということです。
「悟る」というと、なんだか凄く偉大なことで、自分なんかとは無縁だと思う人がいますが、実はそうじゃなくて、あまりにも当たり前すぎて見過ごしているだけです。
本当は僕たちみんな悟っているのに、もうちょっと夢を見ていたいものだから、悟りを忘れた振りをして生きているんです。
でも、もうそろそろ終わりにしましょうよ。
さて、それじゃ、どうやって目覚めるかですが・・・
目覚めるという行為は、自分の意志じゃできないんです。
ちょうど眠るということが自分の意志でできないのと似ています。
夜眠るとき、「よし眠るぞ、3・・・2・・・1・・・グー、グー」って眠れるわけじゃなくて、眠りが訪れるのを待つしかないですよね。
自分が眠るという行為をするのではなくて、眠りが自分を乗っ取るわけです。
悟り(目覚め)も同じで、自分がそれを直接できるわけじゃなく、悟りが自分を乗っ取るんです。
いきなり向こうからやってくるんですよ。
僕らにできるのはただ待つだけ。
でも準備して待つことができます。
夜眠る時も、眠りに落ちやすいように準備するでしょ。
部屋を暗くして、居心地のいいベッドに入って、身体を横たえて、目を閉じて、力を抜いて・・・
それと同じです。
それじゃ、悟りが来るのを迎える準備って何があるんでしょう。
実は今日の記事は、昨日の「いまここ塾」でお話した内容の再現です。
来れなかった人のために書きましたが、来た人にとっても復習になったのではないでしょうか。
長くなってしまったので、この続きはまた明日書きますね。
来週の
「いまここ塾」は150回記念です。
と言っても、いつもと同じですが(^o^)
今日もここに来てくれてありがとうございました。
このブログを支持してくれる人は2つのボタンを押して応援して下さい。