目覚め

Toshiro Abe

2008年05月14日 09:00

そうなんですよ。

あいかわらず感情に振り回されたり、低次元の波動を浴びたり与えたりしますが、それが本当の自分じゃないんです。

それは単に、目の前の映像を現実だと思ってしまって、巻き込まれてしまっているだけのこと。



実際に人生とは、自分の心が映し出した映像に、自分本位の反応をしているだけの、一人相撲みたいなもので、それは夢そのものです。


自分の人生が夢だったと気づくのは、大いなる祝福です。


あらゆる重荷(義務・役割・責任)から解放される、歓喜の瞬間です。






この人生が夢だとわかると、前世も前々世も全部夢だったってわかります。

だから前世はあるといえばあるし、ないと言えばない。

そんなものに大した意味はないわけです、夢は夢ですから。



しかも笑っちゃうのは、今回の人生で四苦八苦してやってきたことは、ほとんど前世でも同じようなことをやってきている。

僕たちは同じような夢を繰り返し見ているんです。



もう終わりにしませんか。



終わりにするには、夢から覚めることです。

目覚めるということ、すなわち悟るということです。



「悟る」というと、なんだか凄く偉大なことで、自分なんかとは無縁だと思う人がいますが、実はそうじゃなくて、あまりにも当たり前すぎて見過ごしているだけです。

本当は僕たちみんな悟っているのに、もうちょっと夢を見ていたいものだから、悟りを忘れた振りをして生きているんです。



でも、もうそろそろ終わりにしましょうよ。




さて、それじゃ、どうやって目覚めるかですが・・・



目覚めるという行為は、自分の意志じゃできないんです。


ちょうど眠るということが自分の意志でできないのと似ています。


夜眠るとき、「よし眠るぞ、3・・・2・・・1・・・グー、グー」って眠れるわけじゃなくて、眠りが訪れるのを待つしかないですよね。


自分が眠るという行為をするのではなくて、眠りが自分を乗っ取るわけです。



悟り(目覚め)も同じで、自分がそれを直接できるわけじゃなく、悟りが自分を乗っ取るんです。

いきなり向こうからやってくるんですよ。




僕らにできるのはただ待つだけ。


でも準備して待つことができます。


夜眠る時も、眠りに落ちやすいように準備するでしょ。

部屋を暗くして、居心地のいいベッドに入って、身体を横たえて、目を閉じて、力を抜いて・・・


それと同じです。




それじゃ、悟りが来るのを迎える準備って何があるんでしょう。





実は今日の記事は、昨日の「いまここ塾」でお話した内容の再現です。

来れなかった人のために書きましたが、来た人にとっても復習になったのではないでしょうか。




長くなってしまったので、この続きはまた明日書きますね。


来週の「いまここ塾」は150回記念です。




と言っても、いつもと同じですが(^o^)






今日もここに来てくれてありがとうございました。




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