何から書いたらいいんでしょうか。
とにかく不思議なことが起きたのですが、文字にしてみるとどれくらい不思議が伝わるか自信がありません。
昨日は何度も猫の名前を呼びながら、自転車で街中を探しましたが結局見つからず、僕は夜9時にラジオの生放送に出かけました。
番組の中でも猫がいなくなった話をして、10時過ぎに家に帰って来るなりまた自転車に乗って、沖縄にしては冷え切った夜の住宅街を探し回りました。
昨夜は寒風が吹き荒れるような天気で、その中を智子さんも歩き回っていました。
もう気力も体力も使い切り、憔悴した状態の彼女と、街角で何度も出会いました。
彼女は散々歩き回っていったん家に帰ったのですが、僕がずっと自転車でねばっていたので、再び車に乗って探しに出かけたようでした。
彼女は昼間から、「こーちゃんが小学校にいる気がする」と言っていました。
中学校は近いのですが、小学校は家から700mくらいの所にあり、決して近所ではなく、あんなところまで行っていたとしたらもう見つからないと思えるような場所でした。
しかも猫がいなくなった方向とは違う場所です。
ところが彼女は車に乗って、最後の望みとばかりに小学校に向かったのでした。
そして暗闇の校庭から工事現場に逃げ去ろうとするこーちゃん(我が家の猫)を見つけたのです。
挙動不審で、すっかり怯えきっていた様子だったそうです。
「こーちゃん!」と叫ぶと、一瞬驚いたように立ち止り、「ミャー、ミャー、ミャー」と何度も鳴きながら一目散に走り寄ってきたと言います。
あんなに広い校庭を、たまたまヘッドライトを照らした場所に猫がいて、そのタイミングも1秒ずれていたら見つからなかったそうです。
まさに彼女の執念と直感が見つけ出した奇跡だったと思います。
強い愛の力だったと思います。
彼女は猫を連れて帰ってくるなり、
「神様が会わせてくれた」
と言いました。
一昨日も一睡もしていなかったのですが、おそらくこの風の音では昨夜も心配で眠れなかったことでしょう。
それが昨夜は幸せそうな顔をして、猫と一緒に暖かい部屋で熟睡できたようでした。
箱入り息子でしたし、獣医さんに行っても他の猫や犬を異常に怖がってパニックになる神経質なところがあり、しかもあんな遠くで迷っていたら、おそらく自力では帰って来れなかったと思います。
このことから学んだことがあります。
人生では起きることが起きるのですが、だからと言って諦めたり、黙って静観していてはいけません。
自分がこうしたいと思ったことを、情熱的にとことんやることです。
その結果どうなろうとも、それを受け入れるのが「思し召すままに」という言葉の意味だと思います。
何もせずに「思し召すままに」ではないのです。
欲しい状態があるのなら
「すぐやる」
「何でもやる」
「とことんやる」
「できるまでやる」
という意識で行動すれば、たいていのことは叶うのだと思います。
昨日は僕も何でもやりました。
大声で猫の名前「こーちゃん」と叫びながら、人目も気にせずに「とことん」やりました。
そして智子さんも「できるまで」やったのです。
そんな情熱に神が味方するのではないかと思いました。
ここに何を書いても、彼女自身が経験した直観と奇跡を書き表すことはできないと思います。
心配してくれてありがとうございました。
おかげで勇気づけられ頑張れました。
この経験をこれからの人生に活かしていきたいと思います。
今朝の愛猫は、いつも以上に甘えてきます。
多くの人に届きますように。
今夜もいまここ塾やっています。
ご機嫌な気分でお話しさせてもらいます