沖縄と日本 2

Toshiro Abe

2007年10月05日 10:21




関連記事をどれくらい書いたかな。

ワープロで30枚以上は書いた。


この2日間、ほとんど寝ていない。



でもその文章は結局ここには載せられない。

読み直してみると載せられなくなってしまうんだ。



ごらんのようにたくさんの心あるコメントをもらった。

それ以外にも多くのメールも頂いた。



それらを読んでの感想は、沖縄に横たわる問題は、現象的な出来事(米軍基地など)と同じだけ、心の底に渦巻く精神的なものも大きいということだ。

それはどこかで知ってはいたが、僕の想像をはるかに上回るように思えてきた。


でもそれは通常表に出てこない。

それは沖縄の人たちの優しさの奥に隠れていたり、どうせナイチャーに言ってもわからないというあきらめがあったり、言葉を超えた積年の恨みだ。


まずは、普通の人達がそこまでの気持ちを持つに至った様々な出来事を知らなければならない。


それは戦争であり、差別であり、裏切りであり、無関心であり・・・


こうやって書いているだけで泣けてくる。


僕が知る素朴で温かい人たちが、どんな気持ちでそれを生きてきたかと思うからだ。




僕自身も引っ越してくるまでは、沖縄問題への関心は薄かった。


数年前、60代の沖縄男性が車で僕を家まで送ってくれる道すがら、戦争中に沖縄の人たちがどのような目にあったのか詳しく話してくれた。

僕はずいぶんお酒も入っていたが、その内容があまりにも惨たらしく、それを聞きながら、助手席のガラス窓に頭をつけてずっと泣いていた。

人間の愚かさと、生きることの悲しさが、涙となってとめどなく流れた。


内地の人間が沖縄で暮らすということの意味を、初めて知った夜だった。





さて、ここから僕が話すことは、もしかしたら触れてはいけないことなのかもしれない。

お前もか!と言われるかもしれない。


でもこれだけはわかって欲しい。

僕はあなたの敵じゃない。




今回の県民大会があったとき、最初に不思議に思った事があった。

それは集団自決に関することで、大江健三郎氏の有名な「沖縄ノート」の訴訟問題。

曽野綾子さんが渡嘉敷島の集団自決を取材した「ある神話の風景」

また、産経新聞の取材に応じた、旧琉球政府で戦争遺族の方々の救援業務に携わっていた照屋昇雄さんの証言


この人たちが語っているのは、当初渡嘉敷の集団自決を軍令だったと証言したのは、軍令にしないと遺族に年金や救済金が渡らないから、彼らを救済するために軍関係者に嘘の証言を依頼したというものだ。


僕はこれらのことを頭から信じていたので、今回の県民大会に違和感を持ってしまったのだ。


僕は本当の事が知りたくて、県民大会を盛り上げる立場だった人に、メールで事の真偽を尋ねてみた。


返ってきた答えは「真実を追究する必要はない。日本兵は酷い事をした。以上」だった。


この記事を読んだ人で、僕の言っている事が浅い知識に過ぎないという反論があったら、ぜひ教えて欲しい。

僕は本当の事が知りたい。


もし政府関係者や知識人たちが、今の僕と同じような結論を持っていたとしたら、今回のこの県民大会が、「また沖縄が騒いで真実を歪曲しようとしている」と取られかねない。

そういう気持ちを持ったまま、黙らせるために、表面的には教科書記述を書き換えたとしても、それはさらなる沖縄への侮辱だと思う。

それはとても残念な結果だ。



ネット上で検索してみると、今回の県民大会に対する様々な意見がある事が分かる。

朝日新聞と産経新聞のいつもながらの対決は、それを浮き彫りにしている。

大会への参加人数も実際には主催者側発表の半分以下だというのだ。



またある人は、左派勢力による政治的先導の結果だと言い切る。

でもそれはあまりにも短絡的な意見だ。


そこに集まった人たちは知性のある人たちで、なぜそこまで足を運んだのか、その背景には言葉を超えた沖縄の悲痛な叫びがあるからだ。


沖縄の実体を知ろうともしないで、匿名の無責任な発言が横行しているのもまたネット社会だ。



県が一丸となって大きな大会を開いた背景には、ここまで声を大にしないと、政府も国民も、沖縄に対して関心を持ってくれないという現実があると思う。


負担と苦痛だけを強いてきた当事者達が、いつも無関心でいることへのやり場のない無念さが底辺に流れているように思う。


琉球王国の歴史から、戦争に巻き込まれた経緯、さらには地上戦での人々の想像を絶する苦しみ、戦争は絶対にいけないとそれだけを主張し続けるお年寄り達。

実際に起きた戦争の残酷さは、僕らの想像が到底及ぶことのないものだろう。



それを考えた時には、集団自決の真相など、誤差のようなものに見えてくる。


同じ日本人として、沖縄の人の心の底に流れる、日本への恨みや不信感を全部聞かせてもらうべきではないか。

そして沖縄がいまだに抱える問題を、自分のこととして真剣に取り組んだとき、初めて癒されるものがあるのではないか。





僕ごときが立ち入る問題ではなかったことは重々承知しています。

ここに書けなかった事もあって、全体として取りとめのない文章になってしまいましたが、僕の真意を少しでも汲み取ってもらえたら幸いです。


また多くの沖縄の仲間たちが僕を心配して、これ以上の発言を控えるようにアドバイスしてくれたことを、心から感謝します。