罪悪感という名の幻想

Toshiro Abe

2007年09月23日 10:03



おはよう。


今日はちょっとマジな話をするね。

硬い文章になってしまうかもしれないけれど、正直に自分を見れば誰ものなかにある質だと思うので、じっくり読んでみてね。



こんな日曜日、たまには自分自身を見つめてみるのもいいかも。



よっしゃと思ってくれた人は続きを読んでください。






僕は今までに、セミナートレーナーという役割を通して、数千人の人たちと直に接してきた。

社会生活に埋没し、人生が形式化してしまった人たちに、その人の心の奥にある本来のピュアな感覚を思い出してもらうことがセミナーの目的だった。


参加者によって社会的な立場や老若男女の違いはあるものの、そこに共通していたのは、誰もが心の底に「罪悪感」を抱えていたことだ。


罪悪感というのは、自分がしでかしたことで人を傷つけたとか、人の期待に応えられなかったとか、そのような表面的なものだけでなく、さらにその奥に眠る普遍的な自己否定の感覚だ。


僕たち人間は、意識的にせよ無意識的にせよ、心の底で自分の存在そのものを否定している部分があるということを発見した。


欲望や欲求、そして様々な目的に駆り立てる動機は、実にこの自己否定から発している場合がほとんどだ。


ほとんどという言い方をしたのは例外もあるからだよ。

それは「愛」からの衝動。

でもそれは本当に稀な例で、僕たちの大部分は(もちろん僕も含めて)、自己否定の感覚から生きている。


したがって「愛の反対語は何ですか?」と問われれば、「罪悪感です」と答える。


ほんのわずかな罪悪感で、自分を否定し、自分ではない人になろうとしてしまう。


そして、あらゆる心の苦しみ、痛み、疲労感は、自分じゃない人間になろうとするところから生まれているんだよ。



罪悪感を手放そう。

だってそれは幻想だから。


すぐに手放せなくても、これだけは覚えていて欲しい。


たとえいま、あなたが自分をどのように感じていようが、そのありのままのあなたでOKだということ。


わかるまで自分に言い聞かせてあげよう。

それができたら、人生が一変する。


初めて自分自身を生きる事ができる。

初めて愛が何なのか知る事ができる。


愛とはあなたの本質のこと。

それ以外は全部幻想だ。


この世には愛しか存在していない。

しかしそのリアリティーを生きている人は、ごくごくわずかだ。



これからも一緒に「愛」を学んでいきましょう。

それは自分自身を学んでいくということです。



やっぱりちょっと硬い表現になってしまったけれど、最後まで読んでくれてありがとう。



もう一度言うよ。



あなたはOK!