じゅげむじゅげむ 五劫のすりきれ
今日も分かりようのないことをここに書いて、分からなくても何かを感じてくれる少数の人たちにメッセージを送ります。
分からないのは難しいからではありません。
これまで信じてきたことが根底からひっくり返ってしまうから、実際には分かりたくないのです。
これまでの人生に費やしてきた汗や努力が無駄だったことを認めることになってしまうし、それではあんまりだからです。
いままでにもどこにも行き着かなかったから、この先もどこにも行き着かないことは心のどこかで知っているけれど、それでも歩き続けるしか、これまでの苦労に報いる道はありません。
さて、そもそもなぜ苦労してきたのでしょう。
それは自分自身で人生を切り開こうとしたからです。
自分を取り巻く世界を操ることで、より良い人生を歩もうと思ったのです。
自分を取り巻く全体に対しては油断できませんでした。
気を抜くと淘汰されてしまうかもしれないからです。
信じられるのは自分だけ。
頼れるのも自分だけ。
ここで伝えているのは、そんな個別の自分は存在していませんよということ。
用心していた全体は敵ではなく、敵どころか自分自身だったということです。
「自分対全体」という構図は間違いで、全体だけが存在していたのです。
それなのに卑小な自分と同一化し、その自分が少しでも多くを得ようとしてきました。
卑小な自分が得られるようなものはたかが知れています。
いますぐに宇宙全体が手に入るというのに、なぜ人はわずかな幸せをかき集めようとするのでしょう。
その姿はまるで
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
です。
人は帝王の子として生まれ、物乞いになって死んでいきます。
これがいままで地上に存在した人たちの姿でした。
でもいま私たちは、帝王としての本当の自分の姿に気づこうとしています。
それは
無上甚深微妙法(むじょうじんじん みみょうほう)
と呼ばれる真理そのものです。
これは
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごう なんそうぐう)
無限の時間を生きたとしても出会うことが難しい教えです。
このように言うと、なんだかとてつもなく偉大な教えみたいに感じますが、実際には最初からそうだった真の自分の姿に気づくだけであり、誰もがすでに手にしていることです。
だから誰もが生まれながらの帝王なのです。
百千万劫という気の遠くなるような時を経て、やっと真実に巡り合ったのだから、今度こそ取り逃してはなりません。
まさにいまここに、目の前にあります。
実際にはすでにそうであることを宣言するだけです。
「
この身すなわち仏なり!」
あなたのことですよ。
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今夜の瞑想会のアドレスはこちらです。
https://youtu.be/8_dmwyAhI0c