我々が一つのものであり、すべてはワンネスの中で起きていることは疑いようがありません。
いまさら声を大にして訴えなくても、最近は非二元の真実が多くの人に浸透してきました。
この理解を前提として、今日の話をしましょう。
自分が全体そのものを生きるというのは、みなと同じように生きることではありません。
この宇宙の真実は、あなたは私であり全ては一つであると同時に、あなたと私は全く違う個性を持った個人だということ。
数学的に見れば、全体は個人の総計ということになりますが、宇宙の真実はそうではありません。
「個人=全体」なのです。
あなたの宇宙は唯一無二のものであり、かけがえのないものです。
その宇宙を生きることがあなたの天命と言っていいかもしれません。
ところがこの社会は、あなたを社会用に矯正し、あなたではないものとして生きることを求めます。
これは人間の宿命であり、あるところまでは致し方ありません。
しかしこのような話を理解できるところまで成長したら、正直に自分を生きる勇気が何より大切なものとなります。
あなたが全体そのものであることが分かったら、もう怖いものはないはずです。
誰に遠慮することなく、あなたを生きればいいのです。
それができないのは、まだ知識だけで、自分が全体だという理解には至っていないのかもしれません。
それでは、真に自分を生きている人と、そうでない人との違いはどこにあるのでしょう。
自分を生きていれば、そこには寛ぎと至福が付いてきます。
そうでなければ、緊張と惨めさを心の底に持ち運ぶことになります。
これが見分ける基準であり、自分にしかわかりませんが自分ならわかります。
人のことなどどうでもいい。
人のことは人に任せておいて自分を見てください。
あなたが決められるのは自分だけです。
これが自灯明を生きるということであり、その人はいかなる宗教にも属しません。
自分こそが宗教だからです。
あなたは誰に従う必要もなく、すでに作られた道を歩くこともありません。
あなたに道などないのです。
あなたが歩いた後に道はできますが、その道は他の誰も歩くことはできません。
この覚悟が本来の出家です。
そのとき初めて人は存在の喜びを生きるようになります。
出家とは得度することではなく、山にこもることでもなく、ましてや教団に所属することでもありません。
それらはすべて社会の一部です。
僕が言っていることが分かりますか。
やっとこのような情報を発信できる時代になったと感じています。
まずは、全ては一つであり、生きているのは全体だということを理解することです。
皮肉なことに、そのとき初めて自分を生きることができます。
全体から分離した個人など存在しないということが分かって初めて、個人を徹底して生きられるのです。
言葉にすればナンセンスになってしまいますが、なんとなくでも掴めましたか。
恐れることはありません。
あなたが宇宙の主なのだから。
今日はこのあたりにしておきますね。
28日の瞑想会アドレスです。
https://youtu.be/1E6Jzt8YbVo