真理は一つでも、娑婆(シャバ)への意見は人の数だけある。
今日は自我のアベッチがうるさいので、発言の機会を与えてあげよう。
もちろん、正しいかどうかは分からない。
でもアベッチはこう思っているそうだ。
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少し前まで、オリンピックの開催は無理だと思っていたし、やるべきではないと思っていた。
でもドタバタ劇の後に、満身創痍で実現に向け努力しようという人たちを見て、最後まで応援したくなった。
背景には多くの企業や団体の利害が見え隠れするが、それはなんでも同じこと。
経済で世の中が動いているのだから、そんなことを言っても始まらない。
開催にはプラスの面もあるし、決まったことならばみんなで一つになればいいと思う。
その結果、開催できなければ仕方ない。
起きることしか起きないのだからそれでいいじゃないか。
全体から見れば絶対他力だが、個から見れば自由意志がある。
その両方が同時に起きている。
どちらか一つにしがみ付くのは単なる愚かさだ。
アスリート出身の新しい会長は、凡人の我々には想像もできない訓練をしてきたであろう胆力が見える。
火中の栗を拾う決心をしてくれた女性に感謝の欠片も見せない姿に社会の病を見る。
前任者が無給でやっていた会長職なので、いまさらギャラをもらうわけにもいかないのに、政治からの公平性という大義名分で大臣をやめ、議員までやめろと言う。
そんなものは単に形であって、その前に人の心があるのではないか。
信頼して一つになるのは、そんなに危険なことなのだろうか。
ふんぞり返った与党議員も醜悪だが、なんでも揚げ足を取ろうとする野党やメディアはもっと醜い。
このレベルの集団に国のかじ取りを任せなければいけないのは、ひとえに国民のレベルが低いからだ。
この程度の国民だからこの程度の政治しか持つことができない。
たぶん遠い将来、政治という概念自体が消えていくことだろう。
政治力学で社会が動くのではなく、人々の知性がバランスある社会を運営していく。
「アミ小さな宇宙人」に出てくる社会はそんな感じだと思うし、あの読み物は多くの人の心にある「未来の記憶」を上手く表現していると思う。
有史以来、良い世の中など一度もなかったし、それはいまも同じこと。
でも全体意識が発動すれば、すべてが根底から変わると思う。
しかも全体意識は、すべての個の中に内在している。
チャンスはある。
その変革の時が「いま」だ。
とりとめのない文章になってしまったが、アベッチの気持ちも収まったみたいだからこのくらいにしておく(笑)
みなさん、よい週末を。