まずは今日お話しする三位一体の定義について説明しておきます。
西洋では父(全体神)と子(キリスト)と精霊(ホーリースピリット)を三位一体としますが、これは神の三つの側面を表しています。
今日お話ししたいのは我々人間のことで、これを魂と肉体とマインド(思考)に別けてみました。
そもそもこの三つは別けられるものではなく、本来は一つの全体として機能しています。
でもこれらを別けて考えることで見えてくるものがあるので、今日はそんな話。
人間が三位一体として動いているときはバランスが取れています。
しかしこの中のどれかが主導権を持ち、一つだけが突出して他の二つが従属するとき、そこには不自然な状態が生まれます。
これが我々が陥ってしまった状態です。
マインドが完全に主導権を握ってしまったのです。
こともあろうに、三つの中で一番愚かな部分が主導権を握ってしまいました。
魂に内在する根源知性は、真理へのダイレクトな直観を携えています。
我々が気づかないだけで、何度もこの直感に助けられて生きてきました。
新しいアイデアや芸術もここから生じています。
肉体に内在する知性は、奇跡としか呼びようのないものです。
いまこの瞬間にもあなたの肉体は、無数の複雑な活動をバランスよく行っています。
食べ物の消化も、血液の流れも、極めて微細で複雑な働きです。
これらを司っている肉体の知性は神業以外の何物でもありません。
一方のマインドはどうでしょう。
最も知的な振りをしていますが、言うまでもなく最も愚かです。
その証拠に少し観察してみれば、完全に分裂し、支離滅裂なのが分かります。
ところが我々はマインド(思考)を信頼し、それに振り回されながら生きてきました。
最も愚かで、もっとも卑小なマインドが、人間という存在の主導権をとってしまったのです。
だから幸福など訪れようがありません。
幸福とは三位一体である全体が、バランスよく健全に機能している状態なのだから。
またかと思うかもしれませんが、だからこそ瞑想が必要なのです。
瞑想とは全体性に戻ることであり、マインドの支配を弱め、霊的直観と肉体機能を向上させていきます。
そうやってバランスが取れたとき、人は瞬間から瞬間へとフレッシュに移行しながら、人生を実りあるものにしていくのです。
これが真に豊かな人生への道です。
今日はマインドに一休みしてもらいましょう。
マインドを消すことを目指す人がいますが、それも極端な話です。
生きるにはマインドも必要だからです。
大切なのはバランスをとること。
我々は三位一体と呼ばれる全体なのです。
今日は一日、マインドを静めることを意識して生きてみませんか。
それだけでも人生の風味が変わってきますよ。
天河は今日も快晴です。
大銀杏の葉も少し色づきはじめました。
これから本格的な秋ですね。