寛ぐということ
僕には立派な教えなどありません。
ただゆったりと寛ぐこと。
これ以外に何があるというのでしょう。
すると質問者がやって来ます。
どうやったらそれができるのかと。
僕はただ、手を開こうと言っています。
もともと手は開いていました。
握りしめたのは誰でしょう。
握るという行為がなければ、手を握ることはできません。
開くとは握るのをやめることです。
どうやってやめるのかと聞かれても答えられません。
ただゆったりと寛ぐことだから。
執拗に質問を繰り返す人もいます。
答えを求めているのだそうです。
しかし質問を繰り返す人で、本当に答えを求めている人はまれです。
答えを求めるなら、自分が空っぽでなければなりません。
質問者の多くは、すでに自分の中に意見を持っています。
その意見と僕の答えが一致していれば、いい話を聞いたとなるし、
もし一致しなければ、僕が間違っていることになります。
ただゆったりと寛ぐこと。
問題を持つのは頭が良すぎるからです。
現代においてゆったりと寛ぐには、バカになることなのかもしれません。
バカになれば荷物が減ります。
荷物とは過去の記憶。
そしてそこから発生する問題や課題です。
頭のいい人はなんでも問題にしてしまい、さらには課題を克服しようとします。
ただこうしてあるがままにあるだけなのに、そこに問題や課題という新たな見方を投影するのです。
世の中全体が問題だと言う人もいます。
他人の考え方が問題だと言う人もいます。
そして自分が目覚めることが課題だと。
悪しき習慣を直すのが課題だと。
もっと立派な人になることが課題だと。
しかし、いくらそれらに取り組んでも行き着く先はありません。
そもそも問題や課題を持ってしまった第一歩目が間違っているのだから、そこからどんなに歩こうと間違いが強化されるだけです。
そうやって人生が終わっていきます。
その間にも、鳥はさえずり、夕焼けが空を覆っています。
ただゆったりと寛ぐこと。
時が来れば芽が出て、やがて花が咲いていきます。
あなたがそれをやっているのではありません。
ただゆったりと寛ぐこと。
それが生きる極意だと思う今日この頃です。
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