目覚めの連鎖

Toshiro Abe

2020年06月07日 09:12

いまは目覚めの時代だと言われています。

瞑想会のメンバーやサンガのメンバーからも、目覚めの報告が増えています。

そして彼ら自身が本を出版し、多くの人に影響を与え始めました。

これが連鎖と言われる現象です。


以前なら突出した人だけが誘われた目覚めの境地が、我々のような一般の人間に当たり前のように訪れているのです。


このような展開はずっと以前から予想していたことであり、非力ながらその一端のお役に立てるよう、この活動だけに人生をかけてきました


ずいぶんとバッシングも受けたけれど、そうしたくなる気持ちもよく解ります。

昔ならもっとひどい目に遭っていたかもしれず、それに比べれば平和なものです。



多くの人が一番聞きたいのは「どうやって目覚めるか」ということでしょう。

そしてその方法を提供している人もいます。


でも残念ながら、目覚めとは何かをした結果起きることではありません。

「自己」という幻想を見抜くのに、自己が何を試そうと、それは自己を強化するだけだからです。


そんな中にあって60年代にアメリカで生まれた「奇跡のコース」は、時間をかけて巧みに人を誘おうとする仕組みが見受けられます。

いま欧米で活躍する覚者の多くも、このコースを学んできています。


でも残念ながら、文化の違い、言葉の違い、翻訳の限界などが壁となり、本やサイトを読んでもチンプンカンプンです。

これが日本で広まらなかった要因だと感じるので、いまは僕なりの超訳で、毎日のレッスンを提供しています。

少しは分かりやすくなったのではと自負していますがいかがでしょう。



さらに的を射た道があります。

それは「何もしないこと」

自己を消すには、結局は何もしないことしかないのです。


しかし何もしないということさえも、自己はどうやってやろうかと考えてしてしまいます。

そうやってなんにでも関わってくるのが自己(エゴ)の狡猾なところです。


したがって、何もしないということさえもしないという、「無為の最奥を極める」という老子の教えに行きつくわけです。

この言葉は瞑想と坐禅を言い表しています。


瞑想は行為ではなく非行為です。

瞑想はこれからの高い文明を作り出す礎になるので、瞑想を正しく教えられる人を育成するのも大切なことだと考えています。



このようなことも、わずか5年ほど前までは阿部の戯言のように見られていましたが、ここにきて風向きが急に変わり始めました。

これも想定内のことです。

生意気に言わせてもらえば、世の中の流れは数十年前に予想したとおりに起きていて、これからどうなるかについても揺るぎない確信を持っています。


そのビジョンが完全に一致しているのが天河神社の柿坂神酒之祐宮司であり、まったく違うタイプではありますが、ある意味、一心同体のような気がします。

そんな仲間が増えていき、目覚めの連鎖を速めるお手伝いができることに、この上ない喜びを感じます。



これは生まれる前から計画されていたことで、こうして出会った多くの人たちも、実は同じ計画の中にあると言っておきます。


人生には何一つ偶然はなく、何一つ無駄もありません。

あなたの人生が、いまどんなシーンを迎えていたとしても、完全にうまくいっていることを忘れないでください。


そして、あなたの中に芽生え始めた目覚めへの関心を、大切に育んでいってください。

なぜなら、このこと以外に生きる理由はないからです。


悠久の時を経て、物質次元での最終進化を迎えようとしていることにワクワクしてください。


すでに目覚めた人たちもいるので、次回は目覚め後に起きやすいことや、目覚め後の生き方指南を書いてみたいと思います。



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