楽しい想像 2

Toshiro Abe

2020年04月08日 11:20

訪問者さんからの質問

>先日のブログでアメリカや中国?他国を批判していたのは「裁く」とは違うんですか?? 本当に分からないので違いを教えて頂けると嬉しいです。


まず、昨日の記事に、天界の村の住民資格は「裁かないこと」と書いたのは、

住民同士のことであり、

社会で起きていることに対して一切合切を肯定して受け入れるということではありません。


その村(いまはまだ空想上ですが)は不特定多数の誰でも入れるわけではなく、

未来のコミュニティーの実験的モデルになるものなので、

最初はそれなりの理解と洞察を兼ね備えた人たちで作り出していきます。


そこではすでにベーシックインカムが整備されていて、それ以外にも自由になるお金があるので、誰一人経済的に悩む人はいません。

その資金についていま言えるのは、その村自体が潤沢な資金を生み出す企業体でもあるということ。


企業体と言っても、いまの社会に見る企業とはまったく性質が違います。

そこには上下もなく、あらゆる情報が開示されています。


村民の中には一日中寝ていて、まったく働かない人もいるかもしれません。


一方で朝から晩まで農作業をする人もいます。

少し考えれば、そのような人は、働かない人に対して

「不公平じゃないか。いつまで遊んでいるつもりだ」

となりがちですよね。


でもその村では、そのような裁きは一切ありません。

なぜなら、みんな心がつながっているからです。


そこに愛と理解があれば、

「あいつはそういう奴だから(笑)」

で終わりです。

心が繋がっていれば、対立はありません。


なんとなくイメージできますか。


いまの社会の延長で考えたら、分かりにくいと思います。

でもこの先、人類規模で意識の成長が起きていけば、社会全体がそのような関わりになっていくと思っています。

ポイントは優れた制度ではなく、一人一人の意識レベルです。


もちろん人間は多面体であり、あるときは邪まな思いや、怒りのようなものが出てくることでしょう。

でもそんな人間の特徴も含めて、村民の理解の範囲内にあるということです。




その村では、いまの社会に見られるほとんどの制度は姿を消しています。

そんなことより、一人一人が真に幸せで自由を生きているということです。


三人寄れば文殊の知恵で、来るべき社会に、そして地球にどう貢献していくかのプランを語り合うのは楽しいことです。


いま話していることは、一か月ほど前に一気に降りてきたインスピレーションを言語化しているのですが、言葉にすれば膨大な情報量になります。

このことはWeb講演で少しずつ話し始めていますが、すでに何人かの方たちから現実的な問い合わせを頂いています。



このことはおそらく実現していくことでしょう。

おそらく(笑)


このようなビジョンは僕だけでなく、その人の個性や活動に応じた形で、この先多くの人が受け取っていくことになると思います。

そうやって少しずつ人間社会が変わっていくのでしょう。


もう始まっています。



・・・・・・


毎日のように提供している瞑想会。

不安に苛まれている人も少なくないので、できるだけ開催していこうと思います。


今夜のリンク先はコチラです。


あいかわらずメディアは、恐れや不安や猜疑心を増長させるようなことばかり言っていますが、僕自身は楽観視しています。


いまこそ日本という国土と国民の特異性を、世界に向けて発信できる良い機会だとさえ思っています。


既存メディアを国民の手に取り戻せたら、ことはもっと早いんだけどね。