あるがままのいま

Toshiro Abe

2019年10月11日 09:54

来てくれてありがとう。







先日のサンガの講演の中で、

「真実はいつもあるがままのいまがあるだけだ」

という話をしたら

「あるがままを脚色せずに見ると、どんな風に見えるのか」

という質問がチャットで寄せられました。


この質問者は、自分があるがままを見ていないという自覚が生じたわけで、それだけで一歩進んでいることになります。

たいていの場合は自分が見ている脚色された現実を、あるがままの現実だと思い込んでいるからです。


過去も未来も持ち込まずに、ただあるがままのいまと共にいる。

すると、真実はいま目の前の「これ」しか存在していないことが分かります。


いまもそうです。


言っていること分かりますか?


するとあらゆる問題が消え、苦悩が入り込む余地もなく、人は心の底から寛ぐことができます。


それが蓮華国であり、涅槃と呼ばれるものです。

そのような天国が、どこかにあるのではないのです。



ずっと伝えてきましたが、いまここ以外は存在していません。


こんな単純な事実を見失ってしまうのは、いまここ以外は存在していないということが受け入れられないから。

多くの人は、いまここ以外のもっと良いいまがあると信じていて、そこを目指すのが人生になっているからです。


さてそれでは、あるがままのいまをあるがままに見るにはどうしたらいいのでしょう。

ここが最も重要なポイントですよね。


端的に言いましょう。

そのためには、あるがままの自分でいることです。


気が抜けるくらい簡単なことですね。

でも自分にそれができていると思わないこと。


人はあるがままの自分ではなく、あるべき自分や、ありたい自分を生きているからです。

生まれたばかりのころは自分の顔を持っていたのですが、いまやすっかり変わってしまいました。


というのも親も教師も、あなたにあるべき自分を教え続けたからです。

彼ら自身もそのように育ってきましたし、これは世界中で何千年にもわたって繰り返されてきたことです。


さらには社会自体が、あなたの本当の顔を求めていません。

社会にとって都合のいいあなたでいてくれたらそれでいいのです。



目覚めとは、あるがままの自分とあるがままのいまに目覚めること。


そこに探していた全てがあります。

このことを禅では「見性」と呼びます。


それはいまのあなたを超えて、凄いあなたになることではないのです。

あなたはすでに、それです。





さて話は変わりますが、いまを生きるというのは、未来を考えるなということではありません。

未来への備えが必要ならば、いまやることをやるのです。


そのようなことから言えば、明日上陸が予想される台風への備えは万全にしてください。

何が起きても、いまここを見失わないように落ち着いて対応することが大切です。


被害が最小限におさまりますように。