蚊の夢

Toshiro Abe

2019年08月20日 09:12

来てくれてありがとう。







昨日、蚊になった夢を見ました。

大きなパソコンモニターの周囲を飛んでいるのですが、近くに人間の気配がします。

このままここにいると潰されるという心配がある一方で、なぜか行動に出ない人間が優しい人なのか、それともまだこちらに気が付いていないのか、そんなことを考えました。


蚊をやっている時は何もかもがとてもリアルで、空気感や自分の羽の音や、簡単に上下できる飛行感覚、蚊が内側で何を感じているのかを知った思いでした。


あれは本当に夢だったんだろうか。


もしかしたら、こうして目覚めたと思っているこの現実のほうが、蚊である僕が見ている夢なのかもしれない。


さて、いったいどちらが本当なのだろう。


な~んてね、荘子の「胡蝶の夢」そのまんまだけど、それくらいリアルに感じました。





本家本元の「胡蝶の夢」の内容は、蝶になった夢を見た荘子が、


「私が蝶の夢を見たのか、蝶が荘子の夢を見ているのか、いったいどちらだろう」

と問うたという説話ですが、その答えは書かれていません。



僕があえて答えるとしたら、

「どちらも夢である」

となります。


そしてもう一つの答えは、どちらも「私」として感じていたということ。


この場合の「私」とは存在そのものであり、存在の全てを認識している「気づき」のようなもの。

生死を超えた永遠の宇宙意識、あるいは真我と呼ばれるものです。



昨日、自己イメージの話をしましたが、本来はどんな人でもない自分を、○○な人として決めてしまっていることを指摘しました。

しかしもう少し深く見ていくと、そもそも人間であるという前提も、形と同化している現れに過ぎず、我々の本質はどんなものにも同化しない広大な意識なのです。



言葉で言えば、

森羅万象の全てが自分。

宇宙全体が自分。

ということになります。


この感覚になったとき、すべてはこのままで完璧であり、誰一人例外なく「いまここ」に祝福された愛の化身だということが分かります。



蚊であるか人間であるかは、そんなに大きな違いではありません。

そこに、共通した「私」(真我)があることが重要な点です。

この「私」こそが宇宙で唯一の存在で、永遠不滅の純粋意識です。



いつもいま、目覚めるチャンスが目の前にあることを忘れてはいけません。

目覚めるのはいつも「いま」であり、時間は「いま」しか存在していません。


いま目覚めるか、永遠に夢を見続けるか。


もうそろそろ皆で起きてもいいと思う今日この頃です。


蚊でもなく、人間でもない自分にね。