車輪の真ん中 2
来てくれてありがとう。
今日も、中心にまつわる話をしましょう。
この世にはいくつかのタイプの人たちがいます。
政治家タイプや、彼らの支持者、あるいは何かの運動家など、彼らは社会や世界を変えることに生きがいを感じます。
いまのままではいけない。
国も政治も構造も、とにかく変えなければならないというわけです。
しかし全ては自ずと変わっています。
変わらないものは何もありません。
もう一つのタイプは、変えようとせず、変わることに抵抗もせず、ただ変化と共に生きていきます。
このタイプはさらに二種類に分かれます。
一つは自分と関わるタイプ。
社会や世界を変えようとする必要はないけれど、自分自身のことは改善していく必要がある。
人は己の成長にこそ責任を持たなければならない。
世界や周辺のことに関わる者たちは、そうやって自分から逃げているだけだと言います。
まさしくその通り。
社会問題に関わる人は、それによって自分の問題から逃げられることを知っています。
しかしここに、もう一つのタイプがいます。
それは世界も自分も両方共に変えようとせず、ただあるがままの変化に寛ぐ生き方です。
世界を変える必要も、自分を変える必要もありません。
変化は刻一刻と起きています。
関わる必要はないし、ただ変化を認めてその変化に身を任せていればいい。
このような心境に至ったとき、人は初めて寛ぎます。
そして、そうやって手放しになった時に見えてくるのが中心です。
あなたが変化と一つになることで、変化していない不動の一点が見えてくるのです。
自分や世界を変えようとしているうちは決して見えてきません。
自分自身が動いてしまっているので、中心を見つけることなど不可能です。
そうやって彼らは本質的でないところに人生を懸け、やがては消耗していくのです。
一方で存在の中心を見出した者は、その中心と共に安らぎを得るようになります。
そして不死の何たるかを知るのです。
それが永遠という言葉の意味することです。
今日はこんなところで。
いつもありがとう。