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村の名前は天川村。
「川」の字を使います。
「天河」と表記する時は、天河神社を指すこともあれば、神社周辺の天川村坪内地区を指すこともあります。
天川村全体に神気が漂っていますが、天河と呼ばれる坪内地区はまさにご神域。
先日紹介した航空写真が坪内地区です。
天河は、吉野、熊野、高野という三大霊地を結ぶ三角形の重心に位置します。
標高は約600mで、気圧は母親の胎内と同じだと聞いたことがあります。
坪内全体が子宮のような形状をしていて、この地には火の鳥伝説があることから、たまたま見たNHKのEテレの番組で、天河は再誕の地として紹介されていました。
大昔から「呼ばれた人しか行けない場所」と言われてきたのは、険しい山の中に位置し、道なき道を歩まなければならないこともあったでしょうが、実際にそんな神の計らいがあるのではと思ったりもします。
いくら行きたくてもアクシデントに見舞われてしまう人がいる一方で、夢の中に天河が現れ、いてもたってもいられずにやってきたと言う人を何人も知っています。
天河を訪れる人には何らかの役目を持った人が多く、また天河で偶然出会った人との出会いにも意味があったりします。
そんな天河には昔から多くの宗教者や歴史的人物が参っています。
記録として残っているだけでも
空海、最澄、法然、親鸞、日蓮など各宗派の宗祖、さらには天神となった菅原道真。
なぜ彼らはそれぞれに、命がけで天河の地を目指したのか。
そこには単なる信仰心を超えた何かがあるのではないでしょうか。
それが何であるかは、これからも探っていきます。
太古の昔から天河は神域として崇められてきましたが、本殿を最初に建てたのは天武天皇で、南北朝時代は後醍醐天皇の南朝の御所が、本殿の東側にありました。
江戸時代までは神官100名、僧侶200名が常住する規模を誇っていましたが、明治の神仏分離令で解体され、近代になって天河が完全に忘れ去られていたころにも、松下幸之助を始めとする財界の大物たち、佐藤栄作など何人もの総理大臣が、何処で知ったのか訪れて祈りを捧げています。
当時は道も整備されていなかったので、いまの何倍もの時間がかかったはずです。
さて僕は、そもそも神が何なのかは知りません。
実はいまも不信心者で、正直言うとそれほど神道に関心があるわけではないのです。
ただ、あの場所は絶対に何かがあります。
言葉に表すことができないエネルギーが満ちていて、そういうことに鈍感な人も、何日か滞在すれば見えない何かを感じ始めます。
それは単なるエネルギーではなく、とてつもなく大きな存在で、しかも確かな意志を持っている。
やはり神としか呼びようのないものなのでしょう。
天河は長い歴史の中で、様々に姿を変えながらも、その霊力は衰えることなくいまに至っているのです。
僕がやりたいことは21世紀の天河を作ること。
訪れた人の意識変革をサポートする施設を作り、ゆくゆくは天河の地を、新しい人類による新しい文明のメッカにすることです。
それは祈りと瞑想の場になることでしょう。
その中心には天河神社がありますが、神社はそこのエネルギーと人を繋げるための完成されたひとつの仕掛けに過ぎません。
天河神社の神事には、ずば抜けた神秘性とインパクトがありますが、乱暴な言い方をすると、たとえ神社が無くても、あの地域自体が重要なのです。
宮司さんは言葉には出しませんが、心の底では僕と同じ考えだと思います。
柿坂神酒之祐さんは宗教を超えた宗教家だから、こんなに気が合うのだと思っています。
荒唐無稽な計画に思うかもしれませんが、どんな壮大なプロジェクトも最初は一人の人間の頭の中から生まれるのです。
まず初めに着手したいのは、いつまでもいたくなるようなリゾート風の一流ホテルの建設。
自然と一体となることがテーマで、プライバシーが守られ、居住性が高く美しいホテルです。
天河神社は一本一億円近い樹齢500年以上の吉野ヒノキを何十本も使って建てられました。
もう誰も建てられません。
そこまでの木が無いからです。
しかしホテルはホテルで、超一級の本殿にふさわしい建物にしたいと考えています。
これが僕の構想です。
もう少し宮司さんとも話を進めてから公表しようと思いましたが、何かに押されるようにして今日の記事に書かせてもらいました。
まだまだ話したいことがあるので、また書いてみます。
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