前後を断ち切る

Toshiro Abe

2019年06月03日 09:15

来てくれてありがとう。







昨日、向禅師が天河神社の講話の中で話していたこと。


「人生の全ては、この一呼吸にあり」


まさにいま呼吸をしている、これだけが真実。


次の呼吸のことは分からない。


いまのこの呼吸だけがリアルな人生であり、これ以外はすべて思考が作りだした仮の世界の話だ。


前後裁断


昨日と明日を断ち切って、今日一日を生きる。

一瞬前と一瞬後を断ち切って、いまこの瞬間を生きる。


あーじゃ、こーじゃの考えにハマることなく、いまこの一呼吸を生きたとしたら、その時、問題はどこにあるだろう。


いまを生きよう。


いまを強烈に生きよう。


強烈に生きられないのは、性格でも年齢でも環境でもない。

単に、いつもエネルギーがダダ漏れしているから余力が残されていないだけ。


あーじゃ、こーじゃの思考こそが、エネルギーを漏らしている張本人だ。


このような生き方を

有漏路(うろじ)と言う。


一方、この一呼吸を生きる生き方を

無漏路(むろじ)と言う。


この一呼吸に全身全霊が投入されているのでエネルギーの漏れがない。






だからいざという瞬間が来たときは、いつだって対応するだけの力を温存している。

それを知っているから、先のことをいたずらに心配したり不安がることもない。


不安や心配は、あーじゃこーじゃの思いの中にしかないのだから、有漏路から無漏路にシフトした時、「何でも来い」の心境になれるのだ。



一休禅師はこのことをそのまま歌に残している。


そしてこの歌が、一休という名前の由来だと言われている。



有漏路より無漏路に帰る

一休み

雨降らば降れ 風吹かば吹け




今日一日、考えの世界に暮らすのは止めよう。


無漏路の世界で一休みだ。



「人生の全ては、この一呼吸にあり」


これによって、後悔(過去)も心配(未来)も一瞬にして消えてしまう。



理屈はいらない。


まさに、この一呼吸を生きるのみ。



知識としてでなく実践が大切だ。


このような生き方に馴染んでくれば、生きることは容易くなってくる。


何ごとも習慣から。


その習慣を修業と呼ぶ。


こういう修業は楽しいし、人生がスムーズになってくるからやりがいがある。



今日一日、このことを何回思い出せるだろうか。


「人生の全ては、この一呼吸にあり」