来てくれてありがとう。
土曜の朝は清々しく目覚めることが多いです。
隔週の金曜日の夜、禅サンガでWeb講演をしている影響だと思います。
深く瞑想してる時も完全にくつろいでいますが、この阿部の傾向として、真実に関する話をしている時も、完全なリラクゼーション状態が訪れています。
おそらくこのことが朝の爽快な目覚めにつながっているのでしょう。
昨夜に何を話したのかはあまり覚えていません。
話を組み立てて話しているのではなく、まさにその瞬間の感応で言葉を紡いでいるので、記憶に残らないのでしょう。
ひとつ覚えているのは、いつもいま「何が起きているのか」という話。
いま何が起きているのか。
実はいつも同じことが起きていて、それはとてもシンプルです。
起きていることへの「気づき」と、
気づきの中で展開している「内容」、
この二つだけです。
「気づき」というのは、存在を存在として認識している力のこと。
例えばいまあなたはモニターを見ていますが、このモニターの存在に気づいているからモニターが存在しています。
もしここに気づきがなければ、何も存在しませんし何も見えていませんね。
聞こえてる音もそうです。
肌の感覚も、
そして湧き続ける思考も。
これらはすべて、気づいているあなたがいるから存在できています。
くどいようですが、もしあなたが自分の思考に気づかなければ、思考も存在できていません。
森羅万象を森羅万象として在らしめているもの、それが「気づき」です。
そしてもう一つが、気づいている「内容」です。
見えているもの、聞こえてる音、それらに対する解釈、その解釈をつなぎ合わせたストーリー、楽しいとか悲しいとかの感情。
これら全てが、我々が現実と呼んでいる「内容」です。
気づきと、気づきの中に現れている内容、この二つが、いまここに絶え間なく起き続けているのです。
人が陥ってしまった問題は、
「気づき」と「気づきの内容」の二つがあるにもかかわらず、
気づきの方を忘れて、内容に埋没してしまったところにあります。
現実と呼んでいる内容は、自己本位の捉え方で解釈されていて、リアリティーとは程遠いのですが、人はそれだけが現実だと信じて生きています。
それらのストーリーに埋没していると、ストーリーに登場する「私」というものが確かなものとして感じるようになります。
「私」との同一化です。
これが全体との分離という幻想を生んでいます。
大切なのは起きている内容以前に、それらの内容に気づいている存在があると言うこと。
そして、その気づきの存在こそが本当のあなただということです。
今日もうまく言葉にできたかどうか分かりませんが、これが伝えたい基本です。
このような話を繰り返し聴くことによって、人の幻想(現実だと思っている内容)は揺らぎ始めます。
そして心の奥ですでに知っている真理が浮上するのです。
早い話が、本当のあなたは全ての存在に気づいている純粋な気づき意識だということです。
この意識は肉体を超えていて、起きている内容とも関係なく、いつもいまここに、罪も穢れも無く在り続けています。
思えば1985年3月から、このことを伝える以外にやることがなくなってしまいました。
同じことを繰り返しながら、飽きもせず今日も生きています(^^)
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