いくつかの欲求

Toshiro Abe

2017年11月23日 09:41

精神的に成長するために「無欲」を奨励する人たちがいます。

確かに欲とは未来志向であり、その結果、唯一のリアリティである「いまここ」を見失ってしまいます。

また、自我の欲には行きつくところがなく、束の間の満足は得られても長続きしません。

永遠の至福とは程遠いものがあります。


それでは、欲はすべて捨てるべきでしょうか。

そんな必要はありませんし、捨てられるものでもありません。

肉体生存のための欲(睡眠・飲食・排泄等)は自然からの衝動であり、克服しようと闘っても勝ち目はありません。


性欲も同じです。

性への欲は、生きることの根幹に関わっていて、とても強力です。

年齢と共に衰えると思われていますが、たしかに体力や能力は衰退するものの、欲そのものはあり続けます。

実際には食欲が低下した後でも、性欲は残り続けるのです。


OSHOも、死の瞬間に見るビジョンは性に関することだと言ったことがあります。

それは、我々が性によって生まれてくるので、性によって終わるのだそうです。

まして近代文化は性をタブーとして扱うので、誰もが歪んだ性欲を持ち運ぶことになり、それは解決されずに最後まで残るのでしょう。


もし社会が、子供が思春期を迎え性への衝動を持ちだしたころから、その衝動を健全に消化する術を持っていたとしたら、社会の様相は大きく変わり始めることでしょう。

極度の権力志向や、金銭欲なども、解決されずに残ってしまった歪んだ性の現れだと指摘する人たちもいます。

たしかに性への扱いは、人間を不自然にしている元凶かもしれません。

だれもが内側で闘っているのですから。


性について言えば、一夫一婦制や、家族の在り方など、社会の根底にも関わることであり、同時に、社会全体が持ってしまった性への観念、あるいは恥として、あるいはタブーとしての性への扱いが、ことを複雑にしています。


だからと言ってフリーセックスのような形も、いまの人間の意識レベルならば多くの問題を引き起こすでしょうし、結局は一人一人の意識が向上し、物事に対する透明な目を持つようになるまでは、この問題はなおざりのまま捨て置かれるのでしょう。





確かに自我(マインド)からの欲はどこまでいってもキリがなく、ますます大きくなるばかりで、決して満足することはありません。

その理由はマインドの構造に起因しています。


マインドとは否定する機能であり、厳しく批判することで向上しようとする仕組みです。

そのマインドが満足することはありえないのです。


その一方で、マインドの欲ではない、「大いなる自分」からの欲求もあります。

それは心の源からの欲求、あるいは衝動のようなもの。

急にどこかに行きたくなったり、何かをしたくなったりする場合もあります。


この衝動の特徴は、すべてがスムーズに展開していくということ。

結果を心配していないということ。

さらには誰にとってもプラスであるということ。


プロセスもワクワクしたものになり、結果からも深い満足を得ることになります。

これは誰もの人生に起きていることですが、気づかない人もいます。


すべてが上手く行っているような感覚に満たされた時、あなたはそれを引き出すためにどんな行動をしましたか。

そのあたりを整理することは、次の流れがやってきたときに役立つかもしれません。



果報は寝て待て


あまりジタバタせずに、悠々と流れを信頼して生きていきましょう。



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【お知らせ】

今年のクリスマスイブは、素敵なゲストをお招きしたいと思います。

ゲストはインドネシア在住の奥平亜美衣さん。

いまや引き寄せの法則のオーソリティです。

前回は阿雲の二人との鼎談がありましたが、今回はサシでお話しさせて頂きます。


奥平さんが言おうとしていることも、大いなる流れに乗る秘訣のようなものだと感じています。

それは、自我の欲求とどう違うのか。

そのあたりを解明できたらと考えています。


会場は東京両国。

準備が整いましたらご案内します。