続・輪廻転生

Toshiro Abe

2017年08月29日 13:30

昨日は輪廻転生という記事を書きましたが、人の記憶というのは曖昧なもので、このようなテーマは、このブログではほとんど扱ってこなかったと思いながら、輪廻転生という単語でブログ内検索をしてみたら、出てくる出てくる(笑)


昨日書いた、「宇宙は一つだが、人の数だけある」という発想も、すでに6年前に書かせてもらっていたんですね。

この視点は先日の講演中に初めて自分の中に湧いたインスピレーションだと思っていたので、これも意外でした。


この過去記事にもそのことが分かりやすく書かれているので、時間があったら読んでみてください。

輪廻転生



それじゃ、今日は何を書こうかな。

同じことの繰り返しじゃつまらないし・・・


今日はいままでごく一部の人にしか言ってこなかった、僕の前世(?)について書いてみることにします。

たわいもないストーリーですが、真面目に書いてみます。

もしかしたら、あなたにも思い当たることがあるかもしれないから。



前世の記憶といっても、具体的なエピソードを思い出したわけではありません。

ただ幼少のころから、生まれ落ちた環境に大きな違和感を持っていて、自分はここに生まれてくるはずではなかったのに、なぜこの人生を選んだのだろうかという、子供らしからぬ疑問を持っていました。

人は新しい学びを得るために、自分の人生の条件を選んで生まれてくるという話をする人がいますが、確かにそんな感じがしていました。


これも子供の頃からなのですが、僕の場合は、この世に生きる人たちの苦しみや悲しみを理解し、どの魂も特別なものではなく、みな等しく同じものだということを、身をもって知るために生まれてきたのではないかと感じていました。

そしてなぜか、前世での自分のイメージも持っていて、それは誰にも話せない自分だけの秘密でした。

そのイメージの人は、立場上なのか高慢なところがあり、自分は特別だという思いが強くあったのです。


そんな特別さという心の歪みは、僕の半生で事あるごとに顔を出すのですが、そのたびに、またやっているという思いがしたものです。



それがあるとき、30歳の時でしたが、発売されて間もない一冊の本に出合います。

その本に出てくる、作者の父親の肖像写真を見た時、

「この人だ」

と確信めいた気持ちが湧きました。


目元も、全体的な雰囲気も僕によく似ています。

それもそのはず、その人は僕の血統上の祖父でもあるのですから。


事情があってこれ以上詳しくは書けませんが、その写真を見た瞬間に長年持ち運んできた思いがひとつの円として完了しました。

そしてその数か月後に目覚め体験が起き、すべての魂は同じものから生じていて、上も下もなく、貴賤もなく、すべての人は尊く偉大な存在だという理解が生じ、それまでの半生が終わったのです。


このストーリーが単なる思い込みなのか、それともそうでないのかは分かりません。

すくなくとも僕の宇宙の中では事実として起きたことであり、実はいまも僕はその人の生まれ変わりだと思っている面があります。




この世での最も大切な気づきは、全体から分離した自己は存在していないということ。

私たちは「ひとつなるもの」の現れなのです。


ところが同時にそこには、各々に備わった何らかの個性もあり、それは生死を超えてあり続けている。

その各々は、それぞれに宇宙を携えていて、宇宙は一つであるのと同時に、無数の様相を示しているのではないか。

そして人は死後、それぞれの宇宙に帰り(実際はひとつのもの)、また現象界に新たな冒険として出てくるのではないかと思うのです。


これがいまの僕が感じる輪廻転生です。


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「笑えるスピリチュアル」



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