絶対他力
何かの拍子に、特定の人を好きになるのは何故でしょう。
好きだと思った理由は後からいくらでも出てくるけれど、理詰めで好きになるわけじゃない。
一目会ったとき、ビビビときたって話があるけれど、ビビビはどこから湧いてきたのか。
あるいは、何かしたくなったり、急にどこかに行きたくなったり、何故そうしたいと思ったのだろう。
自分が決めていると言うかもしれないけれど、あらゆる衝動は自分が選択する前に出ているのではないだろうか。
何気ない日々の行動も同じで、いちいち自分が決めて行動しているわけじゃなく、よくよく観察してみれば、その衝動や思考も含めて、ほとんどは無意識に起きていることが分かる。
じゃ、誰がやっているのか。
何ごとも自分の選択の結果だという教えにすっかり馴染んできたから、こういう話はばかばかしく見えるかもしれないけれど、もし納得できたら人生観は逆転してしまう。
人生をコントロールしている「主体的な自己」は存在しないという説は、ある一面で危険ではあるけれど、根本的な救いに繋がる話でもあります。
いま「説」と書いたけれど、これは僕の根底にいつも流れている真実です。
違う生き方をしたいと思ってもできない人がいるでしょ?
そういうのって、本人の意志が弱いからとかいう話になるけれど、もし意志によって生き方が変わり、理想の自分になれるなら、すでに多くの人はそれを実現していると思う。
でもそうはならない場合のほうが多いよね。
だって起きることしか起きないんだから。
このことを受け入れると、あなたに対して辛辣な言葉を投げた人のことも、理不尽な扱いをした人のことも、違う見方ができるようになる。
だって、その人がやっているわけじゃないんだから。
そのことを知っていたからこそ、イエスは
「罪を憎んで人を憎まず」
と言ったんじゃないだろうか。
人のことはともかく、自分に対しても同じこと。
あの時、なんであんなことをしてしまったのか。
なんであんな考え方しかできなかったのか。
なぜ私はいつもこうなのか
それはね、そのように事が起きているからだよ。
投げやりで言うのではなく、事実として、「起きることだけが起きている」
そもそもやっているのは、あなたじゃない。
そう思えば、人のことだけでなく、自分にも優しくしてあげられるでしょ?
今日もいい日でありますように。
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