引き寄せって、何かを引き寄せることじゃない

Toshiro Abe

2017年07月24日 13:40

昨日の「阿雲&奥平亜美衣」のトークライブは大成功でした。

大成功というのは、盛況だったということだけではなく、内容がとてもバランスにあふれていて、充実していたということです。


たとえばいままで僕が伝えてきたことを書きだせば


「いまここ」しか存在しない

起きることしか起きない

ことは起きているのであって、誰かがやっているわけではない

そもそも状況をコントロールしている主体としての自己は存在しない

すべては一つなるエネルギーの表れであり、分離はどこにも存在していない


となります。

このような声明と、引き寄せの法則のイメージは真逆であり、両者は矛盾していると考えるのが普通です。

そういう疑問をすべて表に出しながらの3人のやり取りだったので、たいへん味わい深いものがありました。


「引き寄せ」という言葉はすでに、ある種の印象を含んでいるので誤解しやすいですが、奥平さん自身の経験によると、誰かが何かを自分に引き寄せるのではなく、自らが発している波動が、それに見合った現実をいまも創造しているということです。

ずっと言われ続けてきたことですし、実感している人もいると思います。


ところが我々は、源の波動を調整することよりも、乱れた波動が映し出す問題を解決することに多くの時間を割きます。

スクリーンの映像がぼけたら、ぼけた映像と取り組むのではなく、映写機のフォーカスを変えればいいという話です。


僕は自身の気づきのレッスンの中に、昨日学んだことを取り入れて、実際に試してみたいと思います。

なんでもやってみないと分からないし、奥平さんの話はシンプルで納得できました。



さて昨日思ったもう一つのこと。


非二元は真実ですが、それは非二元のメッセージを生活の中に取り入れるのとは違います。

「すべてはひとつ」だとか

「私は幻想だ」だとか

自分に言い聞かせながら生きることでもありません。


このような態度は、非二元のメッセージに触れた人に起きやすいことで、他のメッセージを見たとき、その言葉の中に二元を連想させるものが出てくると、それだけで否定してしまうことさえ起きます。

そして多くの人は、非二元という真理以外を見下す傾向にあります。


二元を後にして非二元に至ろうとするのですが、実はそれこそが二元の態度です。

何故かといえば、想像上で分裂させたものの片側だけを採用しようとしているから。

このような罠にはまらない注意が必要です。


非二元の世界は、相対的な現実も含んでいます。

非二元の世界は、個として人生を歩む「私」の経験も含んでいるのです。




興味のあることにはどんどん顔を突っ込んで、新しい習慣を身につけ、新しい可能性を見つけ、より豊かに生きようとすることに、何も悪いことはありません。

何事にも理屈をつけて、気難しい顔をしていても同じことです。

なんでもいいのですが、僕は楽に楽しく色彩的に生きたいので、そのような生き方を選択しています。

たとえその選択さえも彼方から起きたことで、起きることが起きているとしても、そのような生き方が好きで、そのように生きています。

たとえ生きているいまこの現実が、すべて夢だったとしても、このような生き方が好きで、このように生きてます。

そして瞑想の中で、究極的には何も起きていないことを思い出す、そんな時間も大好きです。



昨日のイベントは、より豊かでスムーズな流れに乗る生き方を学ぶだけでも価値があると思いました。

黒斎くん、亜美衣さん、そしてご来場の皆さん、お手伝いしてくれた皆さん、ありがとうございました。



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