2013年06月30日

カルマについて

今日も来てくれてありがとうございました。

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happaさんの質問

悟りの境地では、自分は全てと一つ、完璧だったとわかることなら、魂に汚れも罪も無いはずですよね。

では、カルマは存在しないのでは無いですか?

カルマを解消するために生まれてきている。

何か起こったら、カルマの解消のチャンスと捉えるようにと、よく見聞きするので、カルマの解消が大切なのだと思っていたら疲れてきました。

いつも質問ばかりでごめんなさい。



とてもいい質問だと思いました。

そしてあなたが指摘するように、実際にはカルマは存在していません。

「カルマ」の「カの字」は、時間を意味しています。

そして時間も実際には存在していないのです。


カルマとは、時間という錯覚がもたらす副産物のようなものです。

ですから時間の非在を見抜いたとき、カルマもその瞬間に消え去ります。

しかしまた時間感覚が戻ってきて、それと共にカルマも戻ってきます。


僕たちは、束の間の至高体験や書籍からの知識によって「時間が存在しない」ことを知っています。

しかし、まさにいま、時間の中に暮らしているのもまた事実です。

知っているからと言って、そこを生きているわけではないのです。

ですから生身の僕たちにとってカルマは存在しています。


>カルマを解消するために生まれてきている。

ある意味、そう言えます。

人生は時間の中に住む低次の身体から、時間を超越した高次の身体へ移行するための試練という見方もできます。


>何か起こったらカルマの解消のチャンスと捉えるようにと、よく見聞きするので、カルマの解消が大切なのだと思っていたら疲れてきました


カルマは自力で解消することはできません。

その自力の中に、すでにたくさんのカルマが存在しているからです。

カルマを解消するのは、癒しを通してです。

癒しとは、自己が消えたとき、いつもいま存在している高次のエネルギー帯のことです。

それを愛と呼ぶ人もいます。

愛は自力の結果ではなく、彼方から訪れる作用です。

それを迎え入れる習慣を持てば、カルマは自然と解消されていきます。


僕自身カルマの塊りでしたし、いまもなお多くのカルマを抱えています。

でもずいぶん楽になりましたよ。

楽になったからこそ、それまでいかにカルマの拘束の中で暮らしていたのかが判るのです。


いちいち、これはカルマだ、あれはカルマだ、と言っていたら疲れるので、生活の中では忘れてしまいましょう。

そして自己流でもいいから瞑想を始めることです。

静寂の中で思考の干渉から離れたとき、カルマの解消が自動的に起きています。


ま、気楽にいきましょう。



そうそう新刊の「すべての『思い込み』から自由になる生き方」が、僕の予想に反して好調です。

愛ある金持ちになって人生を楽しもうという、まことに下世話な本です(笑)

CDがついていて、カスタマレビューによりますと、すでにCDにあるレッスンを始めて、新しい人生を生き始めた人もいるそうです。

本屋さんで見かけたら手に取ってみてください。





面倒くさい気持ちはわかりますが、そこをよろしくお願いします。

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Posted by Toshiro Abe at 10:53│Comments(65)
この記事へのコメント
新刊書のCDで瞑想してますが、楽しいですね\(^o^)/
Posted by 馨 at 2013年06月30日 10:58
新刊のCDを聴いて瞑想をしています♪2日前にこんな人と付き合えたらいいなぁ~という人をイメージしたり、お金の瞑想をやりました♪そしたらお金に関しては瞑想をやった日の夜にお金が入ってくる当てができ、次の日にはこんな人と付き合えたらいいなぁ~という人がバイト先に現れました!その人はお客さんとしてきて、プライベートなことをお互いに話しただけで次に繋がるものはありませんでしたが、お客さんと業務のこと以外を話したということは今までなかったので、そのことと、イメージしてた感じの人が現れたということに瞑想の効果(?)を感じました♪それからというもの普通に生きてるだけでいろんな出会いや感動があり嬉しいです♪同じ瞑想をしている仲間がいるというのも何だか嬉しいです♪♪
Posted by Satomi at 2013年06月30日 11:19
人も自分も裁かずに過ごしてみました。
なんと、気持ちの楽なことでしょう!
裁くことの方が(無意識に)なぜか正しいと思って生きてきたようです。
何も裁かずにいることは、空を飛んでいるかのように自由です。

>愛は自力の結果ではなく、彼方から訪れる作用です。
それを迎え入れる習慣を持てば、カルマは自然と解消されていきます。

彼方から訪れる作用?迎え入れる習慣?
それは「瞑想」をするということですか?
Posted by りんご at 2013年06月30日 11:24
今日も、 ありがとうございます。
Posted by too at 2013年06月30日 11:26
新刊も人気があるようですね♪
昨日 2件フラれてしまいました〜
ふらふら本屋さんを巡るのも好きなのですが、
今日出会えなかったら 注文します(^-^)
Posted by ik at 2013年06月30日 11:27
今日もありがとうございます (^ー^)b

わたしは
Posted by TOMOKO at 2013年06月30日 11:35
何から何まで何てすてきなんでしょう。
カルマをあんなに見事に言い表せるなんて。
癒しをあんなに素敵に表現できるなんて。
ご自身の本をあんなに可愛らしく語れるなんて。
読んでいるこちらは、こういう方と知り合えるステージに行きたいっ、と目を輝かせてしまします。。。☆
Posted by るる at 2013年06月30日 11:36
わたしは
Posted by TOMOKO X 2 at 2013年06月30日 11:38
初めまして!ひっそりとブログを読ませて頂いていました。
NLPを学ぶ主婦です。

こちらの本を読みたくて本屋さんに行きました。
蔵書検索では置いてあるはずなのに棚にまだ並んでいなくて、
いつもだったら諦めて帰るところ、ど~しても欲しくて店員さんに聞いたら必死になって探して下さいました。
5分後やっと見つけて手元に…。とっても嬉しくて店員さんに感謝をして帰ってきました。

内容は本当に今私が欲しいメッセージがギッシリ詰まっていて、本は赤ペンだらけになってしまいました。この世のからくりにあっという間に読み入ってしまった感じです。CDもとても心地よく、聞いていると両手がピリピリとしびれます。

数日後本屋さんに行ったらたくさん陳列されておりました。
阿部さん、素敵なメッセージをありがとうございます。
Posted by なっちん at 2013年06月30日 11:38
阿部さん、すみません。

前のコメント消していただければ幸いです。

わたしは
Posted by TOMOKO at 2013年06月30日 11:44
みなさんのコメントをよんでいたらCDが聴きたくなりました。
 
伝授を受けた人間が聴きながら瞑想してもいいのでしょうか?
Posted by kurowassann at 2013年06月30日 11:46
>知っているからと言って、そこを生きているわけではないのです。
凄く大事な真実だと思います。
自我のない人生など無い。
でも自我が何処から来たのか?を知る事は出来る。
「あの人は自我があるから悟ってない」という誤解が人を悟りから遠ざけている様に思います。
追伸。今日も押しました。
Posted by ぱいなっぷる at 2013年06月30日 11:48
新刊、今注文しました!
本屋に行かずとも、座ってポチ☆で
注文できるなんて、なんて素敵!

届くのが楽しみだなぁ~♪

あ。敏郎さんポチ☆も、モチのロンのロンの助。^^

実は小6の娘が、学校に行くといって行ってない時があり
不登校に陥りそうです。 

人とのコミュニケーションがとても苦痛だと話します。

そんな娘は

「命って何?」
「生きるって何?」   と、聞いてきます。

「読むといいよ」と、敏郎さんの「いまここ」の本を渡しました。

瞑想も、始めたようです。
(やったりやらなかったりらしいですが)

「いろんなことが頭に浮かんできて、上手くいかないんだよ」

と、嘆いていましたが
この歳から瞑想を始めれば、人生無敵なんじゃないかと
思えてきましたよ。

なんか、いろんなことを考えるとどうしていいか分からず
いっぱいいっぱいになり泣きそうな私ですが
せめて今だけは笑っていよう!

まだまだ修行は続くのかな・・なんか疲れちゃったな。
このアップダウンの激しさよ。


◇弓崎由未さんへ♪

お久しぶりです~☆
お元気そうで、なにより、なによりです~☆^^☆
Posted by Luna at 2013年06月30日 12:04
なるほど!そうですね。
カルマは時間と共にあった・・・!

時間が存在しなければ、カルマも存在しない。
すべては、人間の思考の中だけの世界だったんですね。

過去のことなんか、とっとと忘れるのがいいですね。
わるいことも、よいことも。


新刊の内容をチラミしました。
結婚は、まさしく不幸のはじまりです(苦笑)

若い人を結婚させようとして、
年寄りは、うまいことばっかりいいます(笑)

離婚しても、再婚しても、
それは、その人の人生だと思うけれど、
気になるのはお子さんがいるとき。
子どもにとっては、やっぱり本当のお父さん、お母さんは大事なんです。
どんなにわるいやつだって。
いなくなったら、さびしいんですよね。

暴力とかあったら、むずかしいけれどね。

本当なら、選んだのは自分なんだから、
用心深ければ、結婚前に気づいてたはずなのです。

私も今は、ぜんぶ自分のせいだったなと思います。
気づいていたんです、相手の悪いところは。
わかってて結婚したんです(苦笑)

みんなそうじゃないのかなあ。
Posted by Pika at 2013年06月30日 12:07
すみません。確認なんですがカルマ=自我でいいのでしょうか。

ヨガをする人でカルマの解消の為にポーズの練習をする人がいますが、そういうやり方も一つなのでしょうか。

ポーズの練習をしながら瞑想状態になる、という人がいますが、その辺の説明を教えて頂きたいです。
Posted by サクタロウ at 2013年06月30日 12:43
楽に生きていくヒントがようやく解って来た様な気がします。
嫌な感情は、自我からなので、味わって、もういいやって思ったら瞑想でリセット。
わずらわしく沸いてきたら、その都度瞑想でリセットします。
将来の沸いて来る不安も、瞑想でリセット。
いつも有るのは、いまここだと、目の前の事に心を込めます。
いつも新しい自分で再スタート。
全てはお任せで、シンプルにあるがままで・・・
ワクワクする事、ドンと来い!
心はいつもワクワク待機状態で行きま~す。
これは、愛からの言葉だと受け止めています。
阿部さんや皆さんのお陰なので、5%のお返しは、お金ではないので・・・
講演会の時に、笑顔でお返しいたします。
変にニヤニヤしている人を気持ち悪がらないで下さいね。
きっと、その方も、5%のお返しをしているのだと思います。
私も、やっと再スタートが出来そうです。
自我さんと仲良くやって行けそうです。
気付きは、これからもずっと続くので
阿部さん、皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。
いつもありがとうございます。
カルマ解消とか、難しい事は良く解らないのですが
阿部さん、皆さん、瞑想に出会って、いま気持ち良いです。
ワクワクします。
皆さんが、幸せで在ります様に
世界が平和で在ります様に、愛を込めて。
Posted by ジンライム at 2013年06月30日 13:23
わたしも魂にカルマは存在しないと認識しました

魂には成長もない、学びもない、
また人間が認識できるような判断もない、

カルマを見つめているのが自分で
カルマ自身が否定や我慢を手放すさまを観察している
この見つめている自分が魂だと認識しました

そういう意味では魂も仮の自分で
真我とは魂も含めた存在するモノすべての中核をなす≪核≫だと
認識するようになりました

肉体があるこの世界で取り組むことは
自分と設定されている個性の部分=カルマが
否定や我慢を手放せるように
自分と設定されている個性の部分に愛を干渉させる
ここにあると見ています

様々な問題があるように見えてしまうだけで
カルマは「自己を否定してしまう」この根っこから枝分かれしているだけで
現在は同じ問題と見えています

日本的に表現すると「我慢することは正しい」
これが先祖伝来の因縁だと見えています
この根っこから様々な様相に変化しているだけで
解消ポイントは同じだと見えます

我慢する=自分を大切にしていない
自分=相手
自分を大切にできないから、誰かを大切にしたいのにできない

我慢したいわけじゃない
ここぞというときに根性を見せられる自分でありたいんだ

自分を大切にできているので、誰かを大切にしたいときに大切にできる

エネルギーの形として見ると
我慢は横に停滞、根性は縦に伸びている、

時間軸として見れば
横は繰り返し、縦は変化(目覚め=記憶の再生)ですから
我慢と根性がいかに違う働きかが見えてきます

わたしは我慢を選びません、自分を大切にしたからです
自分を大切にしていないと、いざというときに誰かを大切にできないからです

この意識はカルマの解消「否定や我慢を手放せましたね」
になると見ています

肉体が無くなると(別の時間軸に意識が移ると)
否定のない世界に存在することになるので、否定を手放せなくなるそうです

だから否定を手放せるのは、
嫌がおうなしに否定を手にする「いまここ」だけなので
「いまここ」がカルマの成仏できる場所のようです
Posted by よしのさん at 2013年06月30日 13:30
カルマの正体は「思考」です。
思考が無ければ、カルマも無し。

でも社会生活で思考は必要です。
思考は使うべきものであり、振り回されたり(使われる?)、執着したり、自分を責めたりするのは、使用方法の間違いです!^^
Posted by 近藤 at 2013年06月30日 13:44
面倒臭くないですよ(*'▽'*)
ポチ!
Posted by トマス@熊本 at 2013年06月30日 13:54
理論や観念に
囚われ過ぎないで
自ら瞑想、気付きを
深めて洞察していく…

どんな見事な説明も
良くできた比喩
でしかないのでしょうし…

言うは易しですが(ToT)
Posted by 風 at 2013年06月30日 14:01
新刊の本読んでいる途中です!
わかりやすいし、とっても楽になりました。何か剥がれ落ちたカンジ!
今までの私はスピ系な生き方に頑張り過ぎてたようです。結局それも執着ですよね?
今は日々ひとつひとつ執着がなくなっていってる気がします。
気持ちいいですね♡

付属のCD毎日聴いてます!
いつもマントラを聴くと寝てしまうのです…これって何が起こっているのでしょうか??
なのでまだ最後まで聴けてません…
Posted by KAORI☆ at 2013年06月30日 14:33
結局のところ私は何もわかっちゃなくて、ただ、今を一生懸命に生きるということが大切、という至極当たり前のことが実践を通して理解出来たのかなと思います。いろいろあるけどそれもまた楽しくいい感じ〜。ありがとうございます。
Posted by ゆらゆら at 2013年06月30日 15:06
老子に出てくるタオとは、
空‥を指しているのでしょうか。

昔はちんぷんかんぷんだった老子が、最近は分かるような気がしております。
関係無い内容ですみません。
Posted by 老子を読んでます at 2013年06月30日 15:20
人生は時間の中に住む低次の身体から、
時間を超越した高次の身体へ移行するための試練…

この言葉を何度も自分に染み込ませたい今です^^
Posted by ラベンダー at 2013年06月30日 15:36
阿部さんの本とDVDは、いつもAmazonか講演会にて購入しています。
ですが、ただいま、私は入院中。
なので、昨年の今ごろ、コラボ講演会に同行してもらった家族に、購入をお願いしました。

紀伊國屋書店・仙台店にて探してもらったら、精神世界スピリチュアル部門には見当たらないと。
お店の方が検索したところ、「男性作家部門」に置いてありまして、無事ゲット!
うん、うん、今までの本とちょっぴり違うかな。ブルーの文字も読みやすく、楽しくて素敵な本でしたぁ(*´∀`*)
ますます、阿部さんと智子さんが好きになりました。
CDは退院したら聞きますね。楽しみぃヽ(´▽`)/

今日も、もちろん、ポチっ。
Posted by 今日は名無し at 2013年06月30日 15:37
いつもありがとうございます。

今日も解りやすい説明ありがとうございます。

カルマは時間とともに存在するのですね。

時間がないところではカルマは存在しないのですね。

いまここにいるときは、カルマは存在しないのですね。
Posted by 万福亀鶴 at 2013年06月30日 15:57
あー、素敵(^^)
阿部さんのブログも新刊本も、私を深く本当の意味でほっと安心させてくれますね。

ありがとうございます(^o^)
幸せです。

なんにもなくただポチッとおすことに喜びを感じます。

ありがとうございます。
Posted by ヨッチェル at 2013年06月30日 16:31
はじめまして。
いつも楽しみに読ませていただいています。

新刊を購入したいのですが、Amazonで中身を立ち読みすると、著者紹介のページに「付属のCDはCDプレーヤーでお聞きください」とあるのですが、PCでは聞けないのでしょうか?変な質問ですいません。うちに再生機器がないので・・・。
Posted by クローバー at 2013年06月30日 16:40
こんな自分は全く当てはまらないずっと感じてきましたが彼方からの愛を受け入れようかなと思いました。そのうちできるといいな~。いつもありがとうございます
Posted by lieca at 2013年06月30日 16:52
今日も、 阿部さんの 言葉を ノートに 書き止める。そうして、また あとで 読み返し 読み返し、頭 と 魂 に、染みこませるのだ。 本を 買うぞー。 阿部さんは、いつも、サワ サワと 風に 舞う、大樹の 木の葉の ように 暑苦しいくも なく、過剰な表現も なく、それでいて その 価値 と 意味 は・・・宇宙は・・と 。小さい頃、見た オモチャ の 万華鏡の中の様子 を 思い出した。 素晴らしいー。
Posted by よろしく at 2013年06月30日 17:02
病気や仕事、悩み・不安がありすぎてついそちらに思考が傾いてしまい、なかなか思考を鎮める事が出来ません。瞑想も、30分は集中出来なくて15分位で、スッキリ感までいきません。無意識に気付いて思考を鎮めたいですが、なかなか上手くいきません。阿呆になりたい。笑
Posted by イルカ at 2013年06月30日 17:09
もう、こんばんは ですかね^^

いつも深く、深いことを分かりやすく伝えてくれて、
しかも


まぁ、気楽にやりましょう!


っていう感じ、大好きですぇ~。

ほんと、どんなに力んだって見えないんだからしょうがない、
自分に与えられてるミッションを信じましょう。ただただ信じましょう。

今日もいいメッセージをありがとうございます。阿部様。



ブログ書いてます。くだらないことばかりですが、良ければ訪れて見て下さいねん♪ http://mrkblog.seesaa.net/
Posted by 鈴 at 2013年06月30日 17:22
ホールハートのページ見てきました。
 「カルマに悪気はない」って。笑い笑い
「訳者」が悪い!
ボブはそんな事ひとつも言っとらん(書いてない、もしくは云おうと伝えようとしてない。それをそのことを意図してない)!!
"ボブ"は、
んなこと云いたいんじゃない!!!
 -rmaの音節は何を意味するのかを調べないとなんともいえませんが、
「カルマ」はとどこおり(滞り.停滞(ていたい)、障り(差(さ)し障(さわ)り)障{石疑}(しょうげ)、反動まちがいの修正(を告げる為の警告音。)。
近ちゃんだったかな「プ~!プ~!プ~!緊急事態はっせい!緊急事態はっせい!!ッ」ウルトラマンかっ!!!(笑)或(ある)いはビーコンですね。ソナーとか、探査。
あんたら(この場合、敏郎やホールハート)'ボブ'の'云'う'こ'と'「ホンマに理解してまっか」出来てるとおもえますか。
Posted by さき at 2013年06月30日 17:58
こんばんは


    億☆


長☆  愛   万☆


    者☆


愛ある金持ち


阿部さんの新刊のCD面白かったですよ(^o^)/

皆さんもぜひ~


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2013年06月30日 18:53
早とちりしてたらゴメンナサイ。
 kar_ma kam_ma kwer- kwem-
  'COME' PIE root gwa- gwem-
 means "to go, come"
monk →monkey www 中国で「-子」孔'子'とか、と同じ理屈でしょう笑)
"多分"、[釈迦牟尼]シャカ-ムニ munih (Old High German) も同じ事です。
"alone" "solitary" mono- にもつながります。
Posted by さき at 2013年06月30日 19:03
阿部さん初めてコメント書きます。よろしくお願いします。
すべての「思い込み」から自由になる生き方 読みました。
前半は退屈でした。私は、命は一つなので夫婦間、男女間の対立など意味はないと思ったのですが、そこは阿部さん流の方便だと解釈し読みました。
後半の引き寄せ系は楽しく読ませてもらいました。
多くの人にとっては、実生活の充実は大切だと思います。人生が充実し、満足してこそ「いまここ」が実感できるのではないでしょうか?はたまた、人生のどん底を味わったからこそ、心に染み渡るかも知れませんが。
CDのお金の瞑想はロングバージョンとその他のバージョンがあればそれだけでもCDとして売れると思います。
あと、引き寄せたら、5%かかるのでしょうか?阿部さんの「マジだぜ」という波動が伝わってきて、真面目な性格なので、戸惑っています(笑)
いろいろ書いてすみません。
今度、阿部さんの講演会に行きたいと思います。
Posted by タロー at 2013年06月30日 19:25
クローバーさん、PCでも聞けます。

私はPCで聞いています。
Posted by wtagumo at 2013年06月30日 19:32
「愛ある金持ちになって人生を楽しもう」

楽しみます!
Posted by よしのり at 2013年06月30日 20:01
精神世界では、「あらゆる過去生、未来生も、今ここに同時に存在している」といいます。
であるから私もカルマなど存在しないのでは?と思います。
そこで更に混乱してしまうのです。カルマが存在しないのならば、
世界中には多くの宿命的な苦痛のある人生が存在しますが
そこに今の自分の魂が割り当てられる「基準」や「必然性」はどこにあるのでしょうか?
そういうと必ず「あなたが自分を選んだ」という話が出てくるのですが
ハイアーセルフの時の拡大した自分の選択は果たして「自分」なのでしょうか?
以前は精神世界の教えによって「人生はクジ引きで決まるのではないのだ」
と思って心が救われましたが、
カルマがないとなると結局、振り出しに戻ってしまうのです。
私自身が「この学びの人生」を選んだ必然性の理由というか、
源の理由がサッパリわからなくなるのです。
Posted by aiai at 2013年06月30日 20:41
カルマ=厄介&自分ではどうにもならないもの・・
と思い、あきらめて?いましたが

瞑想することにより、それが自然に溶けてなくなる
というお話を聞いて、ついサボりがちな瞑想を
やはりしよう^^と思う私です。

めんどくさがりなので、ついPC見たり本を読んだりしてしまうんです。
じっとしていることができない。これもカルマかな。

デモでもカルマがナンボのもんでも
私もやはり(愛ある)お金持ちになりたい!
ので片田舎ですが新刊を購入します。

CD聞くのが楽しみです。
Posted by ひろみ at 2013年06月30日 21:19
「思考」は様々な形をとって現れます。
ある時は・・・カルマ・・・理由・・・基準・・・必然性・・・説明・・・等々。

人間は、なぜ思考を求めるのでしょうか?
類は類を呼ぶと言います。
つまり、自我(思考)は思考を求めるということでしょうね。

理解不能は幸いなり!
わからない事をわからない(あるが)ままに受け入れる時・・・・それは思考に執着しない、ということですね。^^
Posted by 近藤 at 2013年06月30日 21:20
阿部さん 皆さんこんばんは

>>僕自身カルマの塊りでしたし、いまもなお多くのカルマを抱えています。

でもずいぶん楽になりましたよ。

楽になったからこそ、それまでいかにカルマの拘束の中で暮らしていたのかが判るのです。<<

“カルマの拘束の中で”って思いこみのことでいいのでしょうか?

私は理解できる言葉の数が少ないってことが最近わかりました。

だから人に(つまらない)質問が多いって言われています。

でも自分の理解できる言葉でOKをもらうと進むんです。
めんどくさいやつという事も最近分かってきました。
Posted by toshi_ko at 2013年06月30日 21:37
阿部さん、私の質問にお答えくださってありがとうございます。

束の間の至高体験の直後、素晴らしく晴々とした気持ちでした。
あの時、カルマが消滅していたのですね。

それ以後、あの時のような感覚で生きたいという思いがあり、
それには、カルマを減らせば良いのかと思い、
起こる出来事から気付きを得ると、カルマが解消されると見聞きしましたので、躍起になって、起きたことをあれこれ考えるようになっていました。

やはり、カルマは存在しないのですね。
とても安心しました。

「静寂の中で思考の干渉から離れたとき、カルマの解消が自動的に起きています。」

瞑想が大切ということですね。

瞑想は上手く出来なくて、三日坊主になってばかりでしたが、
これからは、意識して瞑想の時間を作ります。

新刊も注文したので、届くのが楽しみです。

いつも気付きを下さいまして、
ありがとうございます。

読んで下さった皆様、ありがとうございます。
Posted by happa(はっぱ) at 2013年06月30日 22:05
>カルマは自力で解消することはできません。
>その自力の中に、すでにたくさんのカルマが存在しているからです。
>カルマを解消するのは、癒しを通してです。
>癒しとは、自己が消えたとき、いつもいま存在している高次のエネルギー帯のことです。
>それを愛と呼ぶ人もいます。

今日の阿部さんの記事、少し、難しくありませんか~?(笑)
エ?カルマって、そうなの?って、思っちゃいました^^;

ボブさんは、講演会で、「摩擦」っておっしゃっていたので、てっきり、
自分の行為や思考が、ダルマ(宇宙の秩序、宇宙の法則)と相容れない時に、
生じる摩擦が、カルマだと、解釈していました><;

それで、よく考えてみたのですが、
行為や思考の主体は、「わたし」ではないと思えば、(自己の不在性)
ダルマとの間に摩擦(カルマ)が生じる、と思う「わたし」もいない訳ですから、
カルマはない、ということになりますね。
(思考が、カルマを生じさせている、と言うことが出来る、と思います)

行為の主体は、個別意識である自我意識が、「わたし」である、とする限りは、
この行為の結果は、行為者である「わたし」が取らなくてはなりませんが(因果律)、
その行為をするのは、「わたし」ではない、とするなら、
(なぜなら、「わたし」という存在は幻想であり、「わたし」というものは、存在しないから)
その行為の結果を受けるのも、「わたし」ではなく、
行為の主体も、行為の結果を受けるのも、全て、真我(アートマン)ということになりますね。

ここに個別意識の自我意識が入り込まなければ、
行為とその結果から生じる(と自我意識が思ってしまう)苦しみや悲しみを、感じる主体がいないので、何も感じることはありませんね。
(よって、摩擦(カルマ)はない、と言えると思います)

となると、人間特有の感情、思考、意識が、カルマを生んでいる、
ということになりませんか?

自我意識は、行為の主体であり、その行為の結果を受ける、
という因果関係の中で、いろいろな解釈や感情や想いを経験し、
それを、全て、自分のせいだと思っています。(普通は)
肉体は、いまここにありますから、その行為の結果は、その行為をした肉体に、もたらされます。
肉体と「わたし」を同一視していなければ、
肉体が結果を負うことになっても、「わたし」が結果を負う訳ではない、と、
肉体に起こることを、離れて観ることができるのかもしれませんが、
なかなか、そこまで、達観している人は、少ないのが現実でしょう^^;
(この場合の「わたし」は幻の存在なので、行為をすることも、その結果を受けることも出来ません。
肉体は、「わたし」のものではないので(何故なら、肉体は、「わたしの肉体」ではないから。この「わたしの」という考え方そのものが、幻想であり、
自我特有のものである、と言えます)

カルマを生んでいるのは、自我意識(思考、マインド)であり、
この世界(UNIVERSE)全体(WHOLE)には、真我(アートマン)しか存在しない、
ことを体現(梵我一如)している存在には、確かにカルマはない、と言えると思います。

>知っているからと言って、そこを生きているわけではないのです。
>ですから生身の僕たちにとってカルマは存在しています。

そうですね。
自己を消滅させなくては、真我が表に出てこない訳ですから、
自我意識を失くせない限りは、カルマは存在し、(消えない)自己に影響を与えると思います。

とは言え、「わたし」は、行為者ではなく、(何故なら「わたし」は、幻想であり、存在しないから)、
よって、その結果を受けるのも、「わたし」ではない、という深い認識さえあれば、
この三次元世界に起きる様々な出来事の結果を受けるのも、「わたし」ではなく
それは、真我(アートマン)である、という認識を持って生きることが出来、
そうなれば、少しは、人生が楽になるように感じます^^;

「カルマ」のカは、時間という意味だそうですね。
人間にとって時間と言うと、過去を思い浮かべますが、
過去とは、記憶(データ)に中にしか存在しませんから、
カルマは、記憶データと関係がある、と言うことが出来るかもしれませんね。

前世からの記憶、生まれた時からの記憶、
特に悪いことをしたという記憶は、そのまま、記憶データとして残り、
心の中で(潜在意識の中で)、しこりとなります。
そのしこりを取り除くことが出来るのは、その記憶を持っている「自分」しかいません。

その行為をしたのは、「自分」ではない。
その行為の責任は、「自分」が取る必要はない。
(何故なら、「自分」は幻であり、存在しないから。
「自分」が存在しているというのは、自我意識の思い込みであるから)

この自覚は、全てのカルマ、しこりを消滅させる、と思います。

但し、この自覚を、自我意識が都合のよいように解釈すると、
真我と自我意識の間にズレがある場合には、(真我実現していない場合)、
自我意識は、それに見合った摩擦(カルマ)を生じさせることになると思いますので、
それなりに深く理解する必要があると思います。

要は、カルマだと思えばカルマで、
カルマではない、と思えばカルマではない、のかも?
と思ったりしていますが・・・(笑)

あるがまま、を受け入れ、
あるがまま、に在る。

これが出来れば、カルマあってもなくても、どっちでもいいです~(笑)
Posted by 真理世 at 2013年06月30日 22:28
いつもありがとうございます。
Posted by ほったん at 2013年06月30日 22:34
wtagumo さんへ

PCでも聞けるんですね(^o^)
教えていただいてありがとうございました。

早速ぽちっとしてきます♪
Posted by クローバー at 2013年06月30日 23:14
手放す事と

手放した状態になろうとする事とは

言葉じゃ似てる感じだけど、じぇんじぇん違うんだなーって思ったじぇじぇじぇ。


①ウンコをただ手放す事と

②握ってるクセに
  「オレ、ウンコ握ってない。握ってない握ってない・・・」
  って自分に言い聞かせて、握ってる事をただ自覚しないように
  ただそれを忘れさせようとする行為
  握ってる手に、意識を行かせないようにするんだな~。

②は、手放してないもんね(^^ゞ

更に始末に負えないのは
②に陥ると
「オレ握ってなって!ほら!握ってないってばよ!」意識を強固にしようと
自分の奥底の何かが、援護射撃を開始しちゃう。忘れたフリ大作戦!
手放さずに、手放した感を得ようとする、なんともメンドクサイ事をする(^^ゞ

手放し=真っ裸状態 としますとね(失礼)

「私、ほら、真っ裸なのよ~!」って言いながら
手なり葉っぱ?なりで、アソコをとっても上手に隠してる訳ですよ。
「ほら、何も隠してないわよ?」って自分じゃ思ってるかもしれないけど
隠してるんですよ!
だって、実際、見えてないんだもん。
だから、隠さずに見せなさい!ほら!手をどけなさい!見えないって!

・・・って、わたしは何を言ってるんでしょう・・・(ハマカーン風)
Posted by ジョン・檸檬 at 2013年06月30日 23:19
今日初めて、新刊のCD・マントラ音楽を聴いたら涙が止まりませんでした。そしてボブさんの声は初めて聴いたのにとても懐かしく感じました。
Posted by ともん at 2013年06月30日 23:23
以前、瞑想中に瞑想をしようとしてる自我に気づいてしっくりこないということで書き込みをしたものです。
おかげさまであれから落ちついて自然になってきました。
瞑想をはじめて、一年たったころ、突然、自分のなかにすべてがあって、すべてはひとつだった!という体験が訪れ、
つい数週間くらい前にも、いまここしかないということを強く感じました。
でもその後もささいなことでトラウマやネガティブな感情がたくさんでてきて、
あの体験は勘違いだったのかなと思っていたのですが、今日の記事を読んで、なるほどと思いました。
阿部さんご夫妻をはじめ、不思議なご縁で出会った方々のサポートもあり、
ためこんだものをどんどん手放して軽くなってきているので、
これからも心のお掃除を続けたいと思います。ありがとうこざいます(^o^)/
Posted by くんちゃん at 2013年06月30日 23:30
今日、いまここ塾に初参加させてもらいました!

とても、スッキリした気持ちになりました!

そして、すぐに、高島屋の本屋さんで、新刊購入しました!

そしたら、お二人、会場で見かけた方が、購入されてましたよぉ!

そのすぐ後、店員さんが二冊持って、レジへ!


ん~素敵☆☆☆☆☆
Posted by ありがとうございます at 2013年06月30日 23:54
理屈っぽいコメントも多いので気になりました。生意気で、すみませんm(__)m

生きているなかで、嫌なこと理不尽なこと、到底受け入れたくないと 思った出来事に遭遇したら 感謝出来ないことにこそ 感謝して受け入れる= これカルマの解消!

だからこそ、いまここに心を込める! 良いと思うことをする!

悪因=カルマを 作らない
そうやって しあわせになっていくんですよね!?


魂は成長も学びもあります。だからこの現界に生まれさせられたのですよ。霊格の向上なくして 幸せはありません。


この世は 喜怒哀楽 魂の修行にきているのですよね

Posted by カルマ at 2013年06月30日 23:56
阿部さんは(今日の日記には)そう書かれてないと思いますよ
Posted by カルマさんへ at 2013年07月01日 00:23
ありがとうございますさん

その二人は、もしかして 私たちかも。
店員さんにお願いして、持ってきていただきました。
帰りの電車の中で読んでしまいましたが、
今日のお話とダブって、すいすい入ってきますね。
次はじっくり味わいながら読み返します。
CDも楽しみです。
Posted by そろばん塾の生徒 at 2013年07月01日 01:43
おはようございます

本日、7月1日は富士山の開山式です

早朝は、裾野は見えたものの、現在は曇りです

御来光とは、雲海に映った自分の影に後光がさして見えることで、身仏と一つと感じることであり、

頂上を無理に目指さず、ゆっくり登って行くのが良いそうです

私も高山病になりかかったことがあるので、無理は禁物ですよ

信仰の山『富士山』を今日も拝みながら、世界が平和でありますよう

223地区より愛と感謝をこめて
Posted by コネクター223 at 2013年07月01日 08:55
新刊を読みました。
CDは繰り返し聞いてます。

CDでマントラ伝授に興味のある方は本の巻末にあるHPを見れば詳細がわかります、と言われてます。
そこで巻末にあった中経出版のHPを見たのですが、マントラ伝授に関するコーナーはありませんでした。
もしかしたら、これから設定されるのでしょうか?

教えていただければ、幸いです。
Posted by サトユウ at 2013年07月01日 09:07
先ほどは、富士山開山の挨拶でブログの内容と合致していなくて、すみませんでしたm(__)m

カルマについて

富士山に登る人々は昔『六根清浄』と言って登ったそうです

山に登るうちに生まれ変わるのが山岳信仰にはありました。白装束で登るのは、その意味があると教えて頂きました

厄落としやカルマ落とし、でしょうか?

さて、もうじき浅間神社で山開き祭祀が始まりますので行ってきます
Posted by コネクター223 at 2013年07月01日 09:09
新刊を読みました。
CDは繰り返し聞いてます。

CDでマントラ伝授に興味のある方は本の巻末にあるHPを見れば詳細がわかります、と言われてます。
そこで巻末にあった中経出版のHPを見たのですが、マントラ伝授に関するコーナーはありませんでした。
もしかしたら、これから設定されるのでしょうか?

教えていただければ、幸いです。
Posted by サトユウ at 2013年07月01日 09:10
最近、私を押し込める言葉は、受け取らなくて良いのかも、
と思うようになりました。

たとえば、
そういうわけにいかないでしょ、とか
そんな簡単な問題じゃないよ、とか
考えないとダメだよ、脳が老化するよ、とか(笑)。

でも、時々、受け取ってしまうんだな、、、これが。
で、息苦しくなって、いまこことか言ってる場合じゃないぞ、と
自我くんが暴れる。

自我くんは、心配性で、寂しがりやさん^^
Posted by うおうさおう at 2013年07月01日 09:48
阿部さん

いつも、いろいろな話題を、いろいろな角度から、
でも、そのどれもが、高い視点から、解説(?)して下さるので、
そのシンプルさと明瞭さに、爽快感を感じています。

でも、カルマとなると、個人的な思い(自我意識)がからむのでしょうか?(笑)
覚者であっても、カルマに対するお考えは、
また、人それぞれなのだと感じました。

確かに、私達は、生身の人間ですが、
阿部さんは、存在に於けるからくりを見破って、
自己の不在性を、私達に伝え続けてきて下さいました。
(そのことに対しては、心から感謝しております)
どうぞ、これからも、その視点を離れず、
メッセージを伝え続けて下さいね。

生意気なことを書きましたが、
大好きな『バガヴァッド・ギーター第15章』から少し引用させて頂きます。

『正しい智慧を持ち、自尊心と幻想とを離れ、
執着という悪しき性質を克服し、
神との永遠の合一に達し、何をも渇望せず、
苦悩と快楽という二元性を前に超然としている者は、
かの至福にして不滅なる状態に達する。

その至高の状態は自ら輝きを放ち、太陽や月だけでなく、
火をもってしてもそれを照らすことはできない。
そこに到達した者は、二度とこの世に戻ってくることはない。
そしてそれこそが、私の至高の居処なのである。

各々の身体に宿る不滅の生命の力は、私の存在の微小なる一片である。
心と、根本原理の中に安らぐ五感とを自身の周囲に引き寄せるのは、
まさにこの生命の力である。

身体に内在し、それを操っている生命の力は、
一つの身体から他の身体へと移る時に、
心と五感とを携えて行く、まるで風が香りを運ぶように。

無知なる者には、身体を離れ、身体に宿り、
感覚の対象を楽しむ魂の姿は見えない。
それを見ることができるのは、叡智の目を持つ者だけである。

自己の探究に励むヨーギは、自らのハートの中に宿る真我を見る。
未だハートが純化されていない者は、
賢明に励んだとしても真我を知ることができない。

<中、略>

私は内なる制御者として、生とし生けるもののハートの内に在り続ける。
記憶、知識、思考力は、全て私に由来する。
私こそが、ヴェーダを通して知る価値のある唯一の対象である。
私はヴェーダであり、ヴェーダを知る者でもある。

この世には二種類の存在がある。
即ち、滅び行くものと不滅なるものである。
姿形あるものは全て滅び行くものであり、
そこに宿る魂は不滅なるものである。
しかし、至高者はこのいずれとも異なる。
三界(天国、地球、地獄)の全てに入ることで、
全てを支え、維持している。
彼は不滅なる神、至高の意識と呼ばれる。

私は、滅び行くものと不滅なるもののいずれをも超越している故に、
この世においても、ヴェーダにおいても、至高者として知られるのである。

アルジュナよ、このように私を至高者として知る者は、
全てを知り、自らの全存在をもって不断に私を礼拝する。

私は、最も深遠なる教えをここで語った。
この教えの真髄を悟る者は賢者となり、その生涯の使命を達成する。』
Posted by 真理世 at 2013年07月01日 10:26
おはようございます!

わたしは
Posted by TOMOKO at 2013年07月01日 10:59
阿部さん、昨日は名古屋講演会とても楽しませていただきました。
ありがとうございました^-^

素敵な出会いがあるといいなあ~と思っていたら、本当にとっても
素敵な女性と会場で出会うことができ、楽しさが倍増されました^-^
(Nさん、ありがとうございました~!)

全て起きることが起きているんだよ。
大丈夫だから。
みんな完璧に生きているんだよ。

の言葉になんだかウルっとしてしまいました。

心がすごく軽くなって、家に帰ったら、夫がすごく優しくして
くれました(すみません、ノロケではありません・・)

やっぱり、全て自分が引き寄せているんだなあ、と再確認しました。

最近、自分の在り方がそのまますぐ、その在り方の次元の現実を
私に見せてくるような気がします。
逆に言えば、ちょっとコワいですけどね。

でも、そういうシンクロを楽しんでいる自分になりました。

阿部さんの新刊本是非買って読んでみます!!
(すみません、高島屋さんでは前の日にTV放映していたお店の
天むすを買うことで頭がいっぱいになってました・汗)
CDもついているんですね。楽しみです。
”雲”のお話も好きですよ~。
だって、私達はこの肉体を持った現世に生きているんですから
思いっきり自分の好きな”雲”を生きていきたいですもんね。

阿部さん、Nさん、またお会いできるのを楽しみにしています^-^/
Posted by tomo at 2013年07月01日 11:07
近藤さんの感覚、共感します
ーーー
これから書く内容は
個人個人に生まれてきた意味があると理解することで
生きることをエンジョイできている人は
受け取らなくていいと思います
ーーー
今朝浮かんだ方程式です

 カルマ=人格

否定のない世界、天使の世界と通じてからは
私自身の人格(思考)はかなりクリアーになっています
これは自身に我慢を選ばせていない生き方として反映されています

この方程式は素晴らしい思考の流れを作ってくれました
人格がカルマそのものであれば、人格は魂ではありません

カルマを観察しているのが魂であれば
人格を観察しているものが魂となります

ボブさんは
マインドを観察しているものが意識だと表現していますが
まさに使う言葉の違いだけであって同じことを指しています
ーーー
意識(魂)に、人格はない
人格はマインドであり、マインドはカルマである

このマインド(カルマ=人格)を
観察し続けているのが魂(意識)である

この意識(魂)を真我と呼ぶ

真我(魂=意識)は
マインド(カルマ=人格)に愛を送り続けるのが仕事

思考するのはマインド(カルマ=人格)であり
真我(魂=意識)ではない

真我(魂=意識)は観察する

この真我の観察を意識できているマインド(カルマ=人格)は
その存在を迷走させなくなる

怒りに飲みこまれた時ですら
怒りに飲みこまれている自分を観察している
(こういうことは滅多にないだろうが^^)
(カルマが真に体験したときは放置するだろう)
(魂とカルマの放置プレーだ❤)

具体的な使命やミッションは
真我(魂=意識)を意識できるようになったマインド(カルマ=人格)が
見つけ出すもので
真我(魂=意識)に個別のミッションは存在しない

真我(魂=意識)は
観察しているカルマ(人格=マインド)を成仏させることのみを
担当している
(宇宙科学における研究は、この世界の研究とは視点が違いすぎる)

この表現も如何にもマインド的だが
表現そのものがマインドを通すしかないので
こう収めるしかない
ーーー
ボブさんの表現を使えば
海を忘れている波として存在するのか?
海を自身として波を楽しむのか?
こういうことになる

ぼくは「よしのさん」というカルマに
我慢を選ばせない、いざというときは根性を選ばせる
基本はいつも愛を選ばせる

カルマの先達たち「ご先祖さんたち」は
子孫である「よしのさん」というカルマが
我慢を選ぶことなく
いつか否定ある世界で否定を手放した

「成仏した者」

になれるかを心待ちにしている

こういう絵本の中で^^わたしは今を生きています
Posted by よしのさん at 2013年07月01日 11:48
>2013年07月01日 00:23
>カルマさんへ
>阿部さんは(今日の日記には)そう書かれてないと思いますよ


分かりにくくてすみませんm(__)m

もちろん、阿部さんのメッセージではありませんよ。

書き込みされてる方々です。

知識や学びで理解するのはストレスになる。

気付き 感性で気付けたら最高ですよね。

玉三郎さんのように!
これは駄目 とかあれは駄目とかー頭で 理屈でないから ストレスがないそうですよ。
眉間で判断できるそうです。

浄まってますね!

素晴らしい!

そう在りたいものですね!

瞑想はそこにいくまでの修行ですね!
Posted by カルマ at 2013年07月02日 01:04
>2013年07月01日 00:23
>カルマさんへ
>阿部さんは(今日の日記には)そう書かれてないと思いますよ


分かりにくくてすみませんm(__)m

もちろん、阿部さんのメッセージではありませんよ。

書き込みされてる方々です。

知識や学びで理解するのはストレスになる。

気付き 感性で気付けたら最高ですよね。

玉三郎さんのように!
これは駄目 とかあれは駄目とかー頭で 理屈でないから ストレスがないそうですよ。
眉間で判断できるそうです。

浄まってますね!

素晴らしい!

そう在りたいものですね!

瞑想はそこにいくまでの修行ですね!
Posted by カルマ at 2013年07月02日 01:06
有る職場の方の声に、ヘトヘトになり、耳栓をしました。気がついた事は、私は聴覚過敏だった。5メートル先の話が聞こえていたのだと、、、、、今耳栓をすると目の前の人だけに心を使えます。母、叔母は、皆が悪口を言うとの遺書でした。今日は役員会がありました。心から人との会話を楽しめました。

1つのカルマが軽くなりました
Posted by みっちー at 2018年03月04日 15:57
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