2021年01月31日

神様について

キイロイトリさん

>神社に神様はいるとおもいますか? 天河はどうですか?伊勢神宮はどうですか?近所の神社はどうかしら?


まずは神様とは何かですよね。

きっと答えは無数にあると思います。


神様はいると言う人にはいるし、いないという人にはいない。


これは神様に限ったことではなく、あらゆる現実はその人の思いによって作られています。

人は自分の信念に沿った現実を作り出しているのです。



だからどんな権威を持った人でも、全人類を納得させる答えなど出せるわけがありません。

その結果、質問は永遠に繰り返されることになります。

「神様ってなに?

いるの?いないの?」



それではアベッチはどう考えているのか。


そもそも「神様」などという呼び名が誤解を生んでいると思います。

なぜかと言うと、ひとたび名前を付けるとそれが単独の対象として認識されてしまうから。

人は何にでも名前を付けて固定化してしまいます。


本来はすべて動きであって、止まっているものなど一つもありません。

強固な岩も、その中では僅かな変化が起きていて、少しずつその形態を変えています。

山だって海だって、何千万年もの間にすっかり変わってしまう。

ということはいまだって少しずつ変化しているわけです。


聞いた話ですが、中央アジアのとある地方の言葉には名詞がないとか。


山は・・・「山している」

河は・・・「川している」


確かにその通りですね。

あなただって固定された実体ではなく「あなたしている」わけです。


神も「神している」のであって、分離した実体としての神など存在しないことになります。


神様について


したがって「神とは何か」と問われれば、

「神とは存在を有らしめている力のことであり、神とはすべての存在そのものだ」

となります。


もちろんあなたも神の作品であり、あなたは神そのものです。

この世には神でないものなど何もないというわけです。



しかしこれでは、いかにも気のきいた答えになってしまいます。


だって僕もあなたも、こうして自己として生きているのだから、同じように神もいるかもしれないのです。


じゃ、どこにいるのか。

神社の祠の中で窮屈な思いをしているわけがないと願います。

もしそうなら、あまりにも気の毒だから。


あんな小さな小屋にいないでほしい。


にもかかわらず、祠の前では手を合わせて拝みたくなります。

それもそのはず。

人は思いで作った現実を生きているのだから。



神様について




天河について言えば、正直、何かがいるような気がします。

そう感じてしまうのだから仕方がない(^^;)


でも何がいるのかと問われても答えようがないし、神がこんなところにじっとしているわけがないとも思います。



したがって今日の質問に対する答えは


「わからない」




( ̄д ̄;)  だったら書くなよ!




失礼しました。



・・・・・・・


今夜の瞑想会のアドレスは

https://youtu.be/SDQcqqcMlas


天河に暮らして感じる話でもしようか。









Posted by Toshiro Abe at 09:40│Comments(18)
この記事へのコメント
神とは何でしょうか?

神とは宇宙全体を満たしている永遠の愛の光です◎

仏とは何でしょうか?

仏とは宇宙全体を満たしている永遠の愛の光です◎

私とは何でしょうか?

私とは宇宙全体を満たしている永遠の愛の光です◎

いまハートに集中して
いまハートを輝かせて
いまハートから宇宙全体に光を広げるほど
いま宇宙全体を満たしている永遠の愛の光である神・仏・私を
いまハートで感じることができます◎

宇宙全体は光として永遠にひとつです◎

すべてはひとつです◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年01月31日 10:13
>そもそも「神様」などという呼び名が誤解を生んでいると思います。
>なぜかと言うと、ひとたび名前を付けるとそれが単独の対象として認識されてしまうから。
>人は何にでも名前を付けて固定化してしまいます。
と言うか、『名前』と言うか、『言葉』って、
元々そのように頑なでガチガチなものなのでしょうか?

>聞いた話ですが、中央アジアのとある地方の言葉には名詞がないとか。

>山は・・・「山している」
>河は・・・「川している」

本当は『言葉』って、こんな↑感じで、もっと柔軟なものだったのではないかと思うんですよね。

>本来はすべて動きであって、止まっているものなど一つもありません。
>強固な岩も、その中では僅かな変化が起きていて、少しずつその形態を変えています。
>山だって海だって、何千万年もの間にすっかり変わってしまう。
>ということはいまだって少しずつ変化しているわけです。

『神様』も、たぶんこのように『神している』訳ですよね。

人は、そのように移り変わり続ける様々な物事について、時々ふと、
『偶然』と思い込んでいた『必然さ』とか、『その完璧さ』などに気付いたりして、
そのように『存在を有らしめている力』に驚き、感動し、畏怖するものなのだろうと思います。
その『思い』が、

>にもかかわらず、祠の前では手を合わせて拝みたくなります。

のように『形』として残し、伝えたくなったりするのだろうと思います。

・・・・・・その結果、その『残し伝えた』『形』に
意味も分からず縛られることが多くなるというのは、なんとも皮肉なことですね・・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2021年01月31日 10:46
はじめまして。
初めてコメントさせて頂きます。
今日のお話、すごーーーくしっくり来ました!!私、すごく気が弱いんですが、最近は何か起きても『何もない』って心で言ってます。正直、それで目の前で起こっていることがすんなり去っていっているわけではないんですが、今までのように『なんとかしないと!』って思うことがなくなりました。無責任感って思われてるんだろうなーとか思っちゃうんですけどね笑
9歳からパニック障害で30年になりますが、そこにもこれをあてはめれるようになりたいと思う毎日です。
ありがとうございます。
Posted by everything at 2021年01月31日 11:45
あっははは〜、ナイスな答えですね^ ^

わからないものはわからない。

神様の定義は人それぞれだから。

ただ一人一人がみんなそれ。
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2021年01月31日 12:28
人間の思考は、信念に基づいていることが多いですし、人間の行動のほとんどは、その思考に基づいています。
そして、その人間の信念は、生まれ持ったものと後天的に備わったものによって、形作られていると言えます。
イスラム教の国に生まれれば、1日5回の礼拝は国民の義務なので、アッラー(という名の神)がいるのは、疑う余地のないことでしょう。
その反対に、日本のような宗教の自由がある国では、神を信奉する、しないは自由ですし、信奉する神様も自由なので、神の信念は、個人に委ねられています。
神はいるか?いないか?という問いは、神を信じている人には起こりませんし、信じていない人にも起こりません。
そのどちらとも言えない、信じたいけど、信じられないというような、迷いの心の反映なのでしょう。
その答えは、自分で見つけるしかありません。
宗教の自由の中にある限りは、神はいる、と誰かが断言しても、それはその人の信念であって、自分がそう断言できるようになるまでは、多少の差はあれども、疑いの気持ちは消えないので、同じ問いが繰り返されることでしょう。
そして、その反対もまた同じです。
しかし、神はいないと信じているのは、まだ神を知らないからかもしれません。
人間は、自分が経験していないことに対しては、認めない傾向があるからです。
大抵の場合、信念は、自分の生き方全般に影響を与えるので、変化を好まないエゴは、そう簡単に変化を受け入れないことでしょう。
神の存在を疑うことのない人々の中で生きる場合と、そうではない場合とでは、自ずと答えは違ってきますし、阿部さんのような、何らかの神の体験(神秘体験)がある人と、それがない人とは、神に対する信念は、同じではないでしょう。
今日の記事の「わからない」という言葉は、万人に共通の信念はないという立場からすれば当然の言葉でもありますが、今の阿部さんの正直な気持ちなのでしょう。
一人一宇宙。
個人の信念は、それぞれであるのは自然ですし、誰も他人に神を見せることはできませんので、神の存在は、自分で確かめるしかありません。
もちろん、その方法は、既に人間に開示されていますが、それを実践する人は、まだまだ少ないのが現状なので、多くの人が疑問を抱いたまま、答えを得ずに終わってしまうのは、仕方ありません。
自分が答えを得るまで、疑問は湧き続けることでしょう。
すべてを否定し、否定し。。それでも否定し切れないナニカ。
疑問を超えたところに在るナニカ。
そのナニカを発見するまで、一人一宇宙の旅は続くことでしょう。
Posted by 一人一宇宙の旅 from M-online at 2021年01月31日 12:31
わからない。正直な回答ありがとうございます。それでも天河に通うのは理屈でなく本能のようなものですね。天河に弁財天がいるのなら近所の神社はどうなのかという素朴な疑問でした。
Posted by キイロイトリ at 2021年01月31日 14:02
こんにちわ、以前阿部さんから伺った、ご神体が鏡であることについて、激しく納得したまま、それいらい神について何かを問うこともなく過ごさせていただいております。有難うございます。
Posted by makotoazuma at 2021年01月31日 14:03
神は、万処に遍在していて、神でないものは無いという視点からすると、どんな神社にも、神殿にも、神はいらっしゃることになります。
神の御力が及ばない処は、この世にはないので、すべての存在に神の御力が働いています。
もちろん、人間にも働いていますが、通常は、私たちは、このことに殆ど気づいていません。
心が透明で波一つない水面のような状態でないと、神の姿を心という鏡に映し出すことができないので、そうならない限りは、神の実在は明らかにはならないでしょう。
神社のような静かな環境は、心を鎮めますし、社や宮司様たちの存在は、目には見えない神を、まるでそこにいらっしゃるかのように、身近に感じさせてくれることでしょう。
そういう環境の中に身を置くことは、神に近づく近道と言えるかもしれません。
人間の霊性は、霊的なインスピレーションの中で目覚めて行きますので、周りの環境は大切と言えます。
仏教でも、修行は、俗世間から離れた場所で行われます。
俗世間には、心を迷わせるものが多いからでしょう。
心を覆うものが何も無くなると、無想無相の神は、霊的なインスピレーションという形をとって、現れます。
それは、言葉で言えば、瞬間的な霊的な力の現れであり、神の御力によって、神という真実が明らかになる瞬間です。
これは、誰にでも起こる可能性はあり、また、何処にいても起こり得ますが、心の準備が完全になされた時にのみ起こると言えます。

祓い給え、清め給え。
心を整えることは、人間の仕事なので、この仕事が完全になされた時、神はその姿を現して下さり、神の実在が明らかになることでしょう。
Posted by 一人一宇宙の旅 from M-online at 2021年01月31日 16:12
>神様はいると言う人にはいるし、いないという人にはいない。

幻が消えて、真実が現れる。。

自我の自分だけは残して、世界は幻であると言うなら
自我の自分は宇宙大に肥大化して、相手の立場を何も考えないことが特徴の言いたい放題、やりたい放題の暴君になる。

(これは悟りとは違いますよね)

幻であるこの世界と自我の自分が消滅した時に

God is…神だけが在る…

(自我の自分がいなければ、
自分が死ぬ~ということは無く絶対的な平安があるだけ…)



まずは、オレはここにいるぜ!と思っていることを認める。
まずは、目の前に広がる世界が現実にしか見えないことを認める。

そして

(自我の自分ひとりきりの力でやろうとせずに…)

神の子であることを完全に思い出しているイエスと共に
その思いをただ眺めてみる。

(その幻の思いが消えるかどうかはイエスにお任せ~)

光☆光☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2021年01月31日 18:44
模察と申します。

結論は「わからない」でよろしいのではないでしょうか?
神様とは、「分からないもの」や「分からないこと」、「無」や「何も無い」ことを指し表しているのでしょうね。

何かを掴んでそれだけを神様と信じると、それ以外は神様ではないこととなり、分離します。
全体を神様とするなら、言葉の上でも矛盾します。

つまり「何も持ち物を持たない(何も分からない)」と「全てを持っている(全て分かる)」とは同じことなのです。

人たらしめている思いを全て手放す瞬間、全てである神様が同時に出現します。
Posted by 模察模察 at 2021年01月31日 18:47
人類にはエッチが、いやいや叡智が流れている
Posted by かまちゃんぺ at 2021年01月31日 19:34
なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

って歌めっちゃ好きです。
Posted by コンドウノリカズ at 2021年01月31日 21:18
それぞれ違うのに、同じ名で表すから、ややこしくなる…と思っています。

阿部さんが、思われる(定義する)神とは何かを明確にしていただき、ありがとうございます。

阿部さんが仰る、
「神とは存在を有らしめている力のことであり、神とはすべての存在そのもの…
この世には神でないものなど何もない」は、

私が思う宇宙・世界の法則そのものであり、仕組みです。全てなので、光でもあり闇でもあり、光でもなく闇でもない。
(ところで、神の光という言葉は聞きますが、神の闇とはあまり聞きませんね。
なので、その全ての存在や仕組みを神とするのは、何かしっくり来ないです(^^;
私にとっては、ですけど。)

ちなみに神社の神様は…

そこに鎮座されているとしても、人間が考えるような在り方?とはまた違うと思います。

そこにいらっしゃるというより、そこを拠点とされているのではないかと思います。

阿部さんが、このブログの中だけにいらっしゃる訳ではないのと同じように…(^^)

(このブログを通しての交流?は、あっても…。)

もちろん、神社によっても違うとは思いますが、

周波数という点で考えてみたら、また、見方も違ってくるかもしれません。
Posted by ロータス at 2021年01月31日 23:54
阿部さん、今夜も瞑想会、ありがとうございます♪

最近の阿部さん担当の日曜日の瞑想会で、瞑想の初めに阿部さんの声で導入を促して下さっていますが、とてもわかりやすくて良いですね♪

智子さん担当の水曜日の瞑想会は、智子さんのガヤトリーマントラで導入を促されますが、日曜日の阿部さんの言葉による導入瞑想も、趣きが違っているのが、面白いですし、阿部さんの導入ナレーションは、特に瞑想初心者には、ヒントになるように感じています。

個人的には、今夜、阿部さんがお話して下さったように、瞑想中は、いつも、呼吸に意識を向けているので、スンナリ違和感なく、頭が空っぽになります^^v

マントラのバイブレーションも強力で、30分後には、全身に汗が!
クンダリニー・シャクティとまでは行きませんが、生気プラーナが身体全体を活性化するので、末端冷え性は返上、冬でも、薄着で過ごせるようになりました^^v

阿部さん、智子さんが、毎日の瞑想を習慣化すると、必ず、変化が訪れると仰っていましたが、瞑想で新陳代謝が促され、免疫力がUPするなら、この時期、こんなに有り難いことはありませんね。(肉体面には、精神面より早くに、変化が訪れるのかもしれませんね)

瞑想の習慣化で、体力、気力、精神力、認知力、理解力、など、いろいろな力がUPしてくれるなら、本当に有り難いことですね。
(瞑想は、その気さえあれば、お金も体力も必要ありませんし、本当に有り難いです^^)

今日も、汗が沢山出たので、余計なモノも排出され(解毒されて汗と一緒に体外へ)、それに、ミトコンドリアも(生気プラーナからエネルギーを受けて)、元気になったことでしょう(笑)
大量の汗なので、本当に、宇宙スーパー銭湯、宇宙スーパー温泉、宇宙スーパーサウナに浸かったような感覚、気分です^^
(最近、温泉、行っていないので、嬉しいです^^)

今夜も、瞑想会、ありがとうございました♪
二週間後も、ミニ講演と瞑想会、楽しみにしています^^
Posted by 宇宙スーパー温泉♪ from M-online at 2021年02月01日 00:14
以前こちらに間違えてしまった覚醒?な話をかいてしまいました
ほとんど実はこちらのブログは読んでおらず、又今も読むひまなく申し訳ありません

あれは自我だらけの魔境でした
思考もはっきり変わる
そして申し訳なさに涙がとまりません

くんだりーに の上昇はみごと伊勢○山道さんのおっしゃる通り
本当の悟りとは何度も何度も、、その状態になります

日本人ならば誰でも 選ばれていました
それば分かりました
これを書いたら、かわいそう 職を失う人達が、、と思っておりましたが 
カウンセラー職が良いのかもしれません
ハローワークでもたしかコミュニケーション能力検定などありましたから、、


スピリチュアルに携わる方は優しい方が多い
。猫をかわいがる


宇宙万しょう5かん
心が救われると思います
お金があれば多くの方に配ってさしあげたいのですが、、申し訳ないです
いっぱい いっぱい

もし その状態になられたら、
こちらを どうぞ!
あとは任せた!で 良いとおもいます。
私は リーマンさんに、あとは任せた(匙投げ
ですから、、

一度読んでいだだきたいです
ご無礼をお許しくださいませ
類は友を呼ぶ
真実は、誰もがすでに、創造神と一体です


鬼はうち ふくはうち
地震になりませんように
生かしていただいてありがとうございます
もう黙るしかない
りょうしん、を大切にしたい
Posted by なんだったか忘れてしまいました at 2021年02月01日 08:50
こんにちは(*´ω`*)

特定の神社に惹かれるということは
その神社と御先祖様の関係が
深いのでしょうか。

その神社との御縁。
Posted by hana at 2021年02月01日 09:19
「わからない」という阿部さんは信用できます。

科学者でも「この説も覆る可能性はある」というスタンスの科学者でなければ信用できない。
Posted by 瞑想者 at 2021年02月01日 10:31
ほんとに無礼なコメントを書いてしまっているのだな、、と読み返して我ながらビックリしてます。愛がなかったかも、ゴメンなさい。

特に職業について、私のような者が人様の事をとやかく言う資格などは一切ございませんでした。申し訳ありません、、

ちなみに私は悟りは全く興味ないです(?_?)
正直よく分かりません。
一人、一人が神様を抱えて生きてらっしゃる。
イキイキ生きてるのが一番なのかなとも思えますし。生きてるだけで合格なのかも
何をもって、絶対!?などと言える事もありませんし、、ただ全ては繋がっている。ような?!

今は日本に住まわせて頂き生かされている事、ちゃんとご飯が食べれていること、心底有難いと思い感謝です。
あたり前は何もなかった、、と反省

今は自分の事でいっぱい、いっぱいで。
けど時にリラックスも必要かも。笑

自分を信じて(遺伝子=先祖)生かして頂いて、有り難うございます、で自身、自信なのか~
なんだか どうだかσ(^_^;)?


今度こそ、ほんとに失礼します。度々スミマセンでした。私のような凡人が一体何を語っているのやら、、お恥ずかしいです。
きっとアベ様は優しすぎる人に違いない
(図々しくてスミマセン)
Posted by なんだったか忘れてしまいました at 2021年02月14日 10:40
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