2020年09月30日

寛ぐということ

僕には立派な教えなどありません。

ただゆったりと寛ぐこと。

これ以外に何があるというのでしょう。


すると質問者がやって来ます。

どうやったらそれができるのかと。


僕はただ、手を開こうと言っています。


もともと手は開いていました。

握りしめたのは誰でしょう。


握るという行為がなければ、手を握ることはできません。

開くとは握るのをやめることです。


どうやってやめるのかと聞かれても答えられません。

ただゆったりと寛ぐことだから。



執拗に質問を繰り返す人もいます。

答えを求めているのだそうです。


しかし質問を繰り返す人で、本当に答えを求めている人はまれです。

答えを求めるなら、自分が空っぽでなければなりません。


質問者の多くは、すでに自分の中に意見を持っています。

その意見と僕の答えが一致していれば、いい話を聞いたとなるし、

もし一致しなければ、僕が間違っていることになります。


寛ぐということ



ただゆったりと寛ぐこと。

問題を持つのは頭が良すぎるからです。


現代においてゆったりと寛ぐには、バカになることなのかもしれません。

バカになれば荷物が減ります。


荷物とは過去の記憶。

そしてそこから発生する問題や課題です。


頭のいい人はなんでも問題にしてしまい、さらには課題を克服しようとします。

ただこうしてあるがままにあるだけなのに、そこに問題や課題という新たな見方を投影するのです。


世の中全体が問題だと言う人もいます。

他人の考え方が問題だと言う人もいます。


そして自分が目覚めることが課題だと。

悪しき習慣を直すのが課題だと。

もっと立派な人になることが課題だと。


しかし、いくらそれらに取り組んでも行き着く先はありません。


そもそも問題や課題を持ってしまった第一歩目が間違っているのだから、そこからどんなに歩こうと間違いが強化されるだけです。


そうやって人生が終わっていきます。


その間にも、鳥はさえずり、夕焼けが空を覆っています。



ただゆったりと寛ぐこと。


時が来れば芽が出て、やがて花が咲いていきます。

あなたがそれをやっているのではありません。



ただゆったりと寛ぐこと。


それが生きる極意だと思う今日この頃です。



・・・・・・・・・・・



今夜21時の瞑想会

アドレスはコチラです。











Posted by Toshiro Abe at 09:20│Comments(44)
この記事へのコメント
ありがとうございます。
Posted by 麻 at 2020年09月30日 09:25
頭からハートに向かい
ハートに安らいでいると
ハートに光が集中していき
ハートから至福の光が広がっていきます◎

ハートに安らげば安らぐほど
ハートに光が集中していき
ハートから至福の光が広がっていきます◎

ハートに無限に安らぐほど
ハートに光が無限に集中していき
ハートから至福の光が無限に広がっていきます◎

安らぎに限りはありません◎

至福の光に限りはありません◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年09月30日 09:44
>そして自分が目覚めることが課題だと。
>悪しき習慣を直すのが課題だと。
>もっと立派な人になることが課題だと。
>しかし、いくらそれらに取り組んでも行き着く先はありません。

とか↑気付いても、勝手に湧いてくるんですよねぇ~。
とか↑気付いても、止めようとしても意味が無いのも知ってるので、
せめて『気付けて』いたいですね。
『気付けていない』こと、多いんですよね・・・
とか↑思ってることには気付けたので、
いちいち『気付けていないこと』を探そうとかしてません。

こんな↑感じで、『本当に空っぽになった』その時、『答え』は起こってきますね。
この瞬間↑は、確かに『寛げて』ますね。
「あ~っ、もうわからないっ!!」とか焦ってる時も、
「あれ、あれどこいったっけ?」とか探してる時も、

♪さがすことをやめたと~き~ みつかることもよくあるはなしで

>答えを求めるなら、自分が空っぽでなければなりません。

本当に、その通りですね・・・・・

とは↑思っても、勝手に湧いt(エンドレス
Posted by ただの「自分」 at 2020年09月30日 09:45
〉執拗に質問を繰り返す人もいます。答えを求めているのだそうです。しかし質問を繰り返す人で、本当に答えを求めている人はまれです。答えを求めるなら、自分が空っぽでなければなりません。質問者の多くは、すでに自分の中に意見を持っています。その意見と僕の答えが一致していれば、いい話を聞いたとなるし、もし一致しなければ、僕が間違っていることになります。


すみません。もしもお気を悪くする方があったらごめんなさい。私は分かってもいないのに分かったふりをするのが嫌です。だから例えば‥〈今日の阿部さんの言っていることよくわかりました。ありがとう。‥〉などと書いたことはほとんどありません。そして執拗に質問を繰り返してしまうこともよくあります。自分では〈自分の中に既に答えがあって質問をしている‥〉などと言うつもりは全くないのですがどうしてもわかるまで質問したくなってしまうのです。しかし最近はそれが嫌われる原因なんだなあ‥と思って遠慮するようになりました。
Posted by ラブ☆教えてください(本物) at 2020年09月30日 10:07
本っ当に寛げた時には
もうなんにもしないし
ここにも居ないだろうな。

でも寛ぎ続けられないから
寛ぎをつい忘れるから
思い出すために
ここに来ます。
サンガや瞑想会に。
Posted by Hiroko at 2020年09月30日 10:18
人間って大変ですね……♡
Posted by ゆき at 2020年09月30日 10:40
もう、笑うしかありません


阿部さん
いつもありがとう✨
Posted by (^-^)サンガっぴぃ♡ at 2020年09月30日 10:50
荷物とは過去の記憶。

そしてそこから発生する問題や課題です。


頭のいい人はなんでも問題にしてしまい、さらには課題を克服しようとします。

ただこうしてあるがままにあるだけなのに、そこに問題や課題という新たな見方を投影するのです。

そうなんですねー。
つい平安から問題へとまたすぐに戻ってしまいがちです。
今日は龍雲がきれいで暖かい一日です。
午後からのパートの前にまずは瞑想します。
いつもありがとうございます。
Posted by さつき姫 at 2020年09月30日 11:14
阿部さんやノンデュアリティの「言葉」だけを真に受けて、自堕落になって太ったり自己中になってみたり瞑想をしたりやめたりしてますが、なんか違うと思いながら迷走しています。(そう、駄洒落です)
ただ愛の中で寛ぎたいけど、年齢が増すほどに人と関わることが怖くて心がどんどん閉じています。。
手を開いていきます。頑張らずに。
Posted by はるねこ at 2020年09月30日 11:14
ブラボー、見事です。

さすが、現代のアリストテレス。
Posted by p at 2020年09月30日 11:16
昨日、歯科検診に行ってきました。
口腔状態がすこぶる良くなっているとのこと(^^)v

診察後、歯科衛生士さんが歯間のお掃除をしてくれるのですが、あの独特のキーンというやつ、、、ほんと、いやです(*´ω`*)

身体のあちこちに力が入って、ハンカチ握りしめてるのに、大口開けてるというその様に、先生と衛生士さんと笑っちゃいました。
笑ったら、ゆるみました(*^▽^*)
Posted by 寿々 at 2020年09月30日 11:28
〈追伸〉ちなみに私は中学生の頃もよく先生に『よく考えてから質問しろ!』と叱られていました。
ʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
Posted by ラブ☆教えて下さい(本物) at 2020年09月30日 11:36
阿部さぁーん!本日もブログ更新してくださってありがとうございます。感謝です。

昨日の続きのようなタイトルに「おぉっ!!」となりました。笑

ブログを読んでさらに「おぉ〜〜〜っ!」ってなりました。笑

(╹◡╹)

全て了解です。

でもすぐに忘れると思うのでまたブログ読みにきますねん(^◇^;)
Posted by サンガきみこ at 2020年09月30日 11:44
今日も思考が沸き起こり、時間が経過し思考と一体化していた事に気づく。

思考してる事さえ気づいてない自分。でもそれでいいやと思える様になりました。

だって思考に気づいているとかめんどくさいし、思考に気づこうという意図そのものが不自然な気がして。

そしたら、何でもいいと思えて寛げる様になりました。
Posted by ムジャ at 2020年09月30日 12:06
こんにちは(笑)!今更言えない話。寛ぐを、、貢ぐって読んでた!!他者や目に見えない存在へ対することと思ってた←金もだけど想像力とかさ笑。まぁお仕事中でも心は寛いでても、『あ、鳥たちが鳴いてるわ〜少し寛がせて下さい〜(人*´∀`)。*゚+』←ハイ首です。バランスだね♪あ!!騙されて?貢いだ金はくれてやったと思おう。←バカ超え。まぁ天才と紙一重なら、バカで寛いでた方が楽天だね♪♪♪
Posted by ピエコ at 2020年09月30日 12:09
こんにちは(^^)
秋晴れのいい天気ですね。
今日の阿部さんのブログを読んでいたら、宮沢賢治さんの雨にも負けず・・・が浮かびました。
 日々色々起きますが、デクノボウでいいのかな(^^)
Posted by fu-sun at 2020年09月30日 12:27
>問題を持つのは、頭が良すぎるからです。

座布団一枚、いえ、何枚でも!と思いましたが、反対に、問題を持っていない人は、頭が良くない、との解釈も起こりかねないので、止めておきます(笑)

生理学的に、人間は、考える器官である大脳を、生まれながらに持ってしまっているので、問題を持つのは、仕方ないと言えば、仕方ありません。
他の臓器と同じく、脳は脳の働きをしているだけなので、何でそんな風に働くんだ!と責めるわけにもいきません。 
脳の働きの特性を知って、その働きによって、好ましくない(と思う)結果が起こるようでしたら、その働きを一時的に止めればいいのです。
脳の中では、顕在意識下では、常に思考がアイドリング状態のように湧いて来ますし、五感を使ってメタ認知した情報を瞬時に処理しています。 
つまり、脳は常に忙しいのです。
頭が良い人は、きっと、この処理能力が速いということなのでしょうが、処理能力が早い脳は、簡単な問題は直ぐに処理してしまうので、脳が時間を持て余すことになり、その結果、常に働くようにプログラミングされている脳は、もっと難しいなかなか解けないような難問の処理まで請け負ってしまうようにプログラミングされているのかもしれません。
何故なら、脳にとって、"退屈"が一番辛いことなのかもしれないからです。
この脳に起きる退屈感を紛らわすために、人間は多くのことをやって、脳の要求に応えています。
暇つぶしと言うと語弊があるので、余暇と言い、リクリエーションは、クリエーション(創造)のためにあるような位置付けなのは、人間社会では、多くのところで、生産性が求められているからで、この生産性というのは、実は、この人間の脳の働きの要求に、社会全体が応えているからなのかもしれません。
何事も、処理スペードは速い方がいい、という現代の人間社会独自の判断基準は、何の疑問や躊躇いもなく、広く共通のコンセンサスとなっているようで、特に仕事面では、ダントツ一位で求められています。
つまり、京よりも富岳ということなのでしょう。
しかし、人間の脳は、スパコンとは違い、有機体としての特性があるので、無制限に働くことはできませんから、時々は、休憩や息抜きをして、一時的に働きを止めて、脳を休めることが必要です。
阿部さんが仰っている「寛ぐ」とは、この脳の働きを一時的に止め、脳を休めることを仰っているのでしょう。
その最も効果的な方法が、脳からの情報の出力と体からの情報の入力を制限すること、つまり、何もしない、何も考えない、何も意識しない、ことになるので、その一つの方法として、睡眠が自然と誰にでも起きますが、瞑想にも同じ作用効果があることは、よく知られています。
ただ、瞑想中、何も考えてはいけない、と意識してしまうと、脳は休まりませんので、web瞑想会で、智子さんがよく仰っているように、湧いて来る思考は、そのまま放っておけば、やがて消えて行くので、気にしなくていいということなのでしょう。

問題(だと思っている現象)も、一つの思考であり、ある一つの現象に関連して発生する諸々の反応が脳内に起きていて、その現象を想起するだけで、脳内に、同じ反応が起きてしまうので、その印象が強くなり過ぎてしまい、そうなると、脳は、脳内で想起された印象から抜け出すことができなくなってしまいます。
そういう時の脳内では、同じ神経回路が繰り返し反応してしまうために、常にその回路が発火状態となり、それは脳神経が過敏な状態でもあるので、脳がそのような状態になってしまうと、常にその問題(現象)が意識上に現れて(脳内に浮かんで来て)、脳は片時もそのことを忘れることができなくなってしまうのです。

瞑想は、この無制限のアイドリング状態の脳を一時的に止めることで、脳の過剰反応、過剰発火を沈静化する方向に導く最も効果的な方法と言えますね。

忙しい現代人が、心身共に健やかさを保つには、脳の休息は必要不可欠と言えますし、心身共に健やかであることは、自分の中の肯定感や幸せ感にリンクしているので、自己肯定感や幸せ感を持って生きるためには、外せないポイントだと感じています。
そのためには、心身共に寛ぐこと、リラックスすること、大切ですね♪
Posted by いつもありがとうございます♪ from M-online at 2020年09月30日 12:51
くつろぐことがどういう状態かだったか本当に忘れていました!
今朝瞑想していて、自分が緊張していたことにやっと気づいて。同時に「だれかに認められたい!」っていう強固な自分がいてビックリ。自分のことなのに気づいていないことがいっぱいあるなぁ、と感慨深く。卵の殻をむいていく感じで、これからもむいていきたいです。いつもありがとうございます。
Posted by にゃん吉 at 2020年09月30日 13:00
The Rebirthワークショップに参加させていただきました。
遅くなりましたが、阿部さん 智子さん本当にありがとうございました!!
私はコロナの影響で、ライブ配信してくださるようになってから、毎日瞑想する習慣がつき、今回初めてマントラの伝授を受けました。
マントラなしの瞑想であっても、かなり自分の中の変化に気づくようになってきていましたが、伝授を受けてからは浄化が激しいですが、瞑想後の気持ちよさやからだの脱力感、心の静まりが顕著です。
今後も期待せずただ淡々と瞑想を楽しみたいと思います。
マントラ瞑想 一生の宝物をいただきました!!
それを思うだけでほっこり嬉しくなります♪

それから、すべて起こることは良きこと なかなかすぐにそう思えないときも多々ありますが、
いつも阿部さんのメッセージを思い出します。

いつもありがとうございます!!
Posted by NANAE at 2020年09月30日 13:43
以前、阿部さんの講演会に行ったとき、阿部さんが笑いながら「ぼくはイヤなことがあると、すぐに死にたくなっちゃう」って仰ってました(笑)
受け入れるとかそういうことじゃなくて、掴んでいたものをポイって放り投げる、手放すとか、そういうニュアンスのことじゃないかなと思うのですが、きょうたまたま面倒なことがあって、途中までやきもきしていたのですが、さきほどの阿部さんの言葉を思い出したら、フッと力が抜けて笑えました。

もう何でもいいわって思って、遠くの景色を眺めてボォーッとしていたら、心地良くなって本当にどうでもよくなりましたw 
重荷を下ろすってこういうことかもしれませんね。
日中すぐに瞑想などできないときは、遠くの景色を見るってとてもいいですね。瞑想の感覚に似ています。
「ただゆったりと寛ぐこと。」ちょっとはできたかもしれません。
寛ぐこと以上に大事なことはないですよね。
Posted by 美佳 at 2020年09月30日 13:53
模察と申します。

(真理を)知りたい
(真実を)分かりたい
(正しさを)確かめたい
(間違いを)証明したい

こうした欲求はなぜ起こるのでしょう?
無意識の内に「知った人」に成りたいからでしょうか?
知っておかないと人生で損をするとか、生きていく上で障害になると感じるからでしょうか?
いずれにしろ『私(自分)のために答えを得たい』という思いが根っこにあるのではないでしょうか?

>そもそも問題や課題を持ってしまった第一歩目が間違っているのだから、
>そこからどんなに歩こうと間違いが強化されるだけです。

第一歩目の間違いが、『私(自分)のために答えを得たい』という思いを無意識の内に抱えていることです。
人(自分)は、何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいきます。それが定め(真理)です。
人生において『何かを得た』と思ってもそれは錯覚で、真実は私(自分)は何も得ることが出来ません。
一瞥や悟りも得ることは出来ません。
そして、何かを得る肝心の私(自分)がそもそも実在しません。
よって私(自分)の不在が見抜かれると、全ての問いや疑問は消え去ります。

問いや疑問を持つことがいけないことであると言っているわけではありません。
問いや疑問は、過去の記憶や経験をもとに、根源(ムコウ)からただ起こっているだけで、執着しなければ勝手に消え去ります。
ところが、答えを得ることに執着すると、それが苦として感じられます。
答えを得る私も、答えを得たという感覚も幻想であるにもかかわらず。

答えを知った、分かった、確かめた、証明したところで、それは新たな記憶や経験となるに過ぎません。
その新たな記憶や経験をもとに、根源(ムコウ)から別の問いや疑問が起こるだけです。

(このコメントは『真理』に関するもので、学習やビジネスにおいて必ずしも適用できる話ではありませんのであしからず)
Posted by 模察模察 at 2020年09月30日 14:05
起こるすべての出来事に Welcome!

あぁ、いま嫌な気分だな… Welcome!

あっ、いま何か良い気分だ♪ Welcome!

なんだかモヤモヤする… Welcome!

やばっ、めっちゃ楽しい♪ Welcome!

何でわたしだけいつもこんな…悲しい想いに Welcome!

Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪

その時感じるすべての想いを見つめて Welcome!

Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪

普段は気づいていない、自分の想いに気づき肯定していく。

Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪

すべてを肯定すると心が軽くなり全体に溶けていく。

Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪ Welcome ♪

阿部さん、いつもありがとう!という想いに Welcome!(*´ω`*)♪
Posted by いつも心に太陽と微笑みを at 2020年09月30日 14:30
天才バカボンのパパですね〜♪

これでいいのだ!

最高の智慧の言葉♡
Posted by いつもありがとうございます♪ from M-online at 2020年09月30日 14:53
>執拗に質問を繰り返す人もいます。

>答えを求めているのだそうです。

これ、27日私のコメントがキッカケかなぁ…。
だとしたら、気に留めて頂き、ありがとうございます。(勘違いでしたら、お恥ずかしい。^^;)

本当に知りたいなら、答えはムコウからやって来ると思います。

私は、そのことを信頼しているので、阿部さんに質問することも、あまりないのです。(流れで質問することもありますが、それも、その流れだからと思っています。汗)

(結果、答えとして外側で受け取ったり。本当は内も外もないんですけどね。汗

答えが知りたいのであって、質問したい訳ではないので、質問しなくても、よかったりしますね。)

なのでマントラの反応について、お伺いしたいこともあるのですが、今だに質問をしていません(笑)(流れに任せています。)

こちらのブログは、阿部さんを先生のように慕って信頼して、質問される方もいると思われます。

私も何かを習っている時は、先生の立場の人には、いろいろと質問しましたし、職場でも(始めの頃は)そうでした。結構、必死でした(笑)

また、日常でも、未知のもの・わからない時は質問しますし、確認もします。場合によっては、質問攻めをしてしまうこともあります(笑)

なので、こちらのブログのコメント欄で、質問する方々を見ると、何とも言えない気持ちになるというか、そうなってしまうことも理解できるのです(^^;
(昔の私が、そうでしたので。私の場合、別に頭良くありません。汗)

なので、つい書いてしまいました。(27日・28日のコメント)

(本当は、質問する人もいなくて、質問が起こってるだけですよね…。)
Posted by ロータス at 2020年09月30日 15:05
今の私はゆったりとくつろいでいますが
津波で家が流された・・・土砂くずれで家族が犠牲になった・・・
この時にゆったりとくつろげる人っているのでしょうか。
いつもそれだけが疑問になってしまいます。
くつろげる前提は「衣食足りて」なのではと。

阿部さんなら、くつろげるのでしょうか・・・。
Posted by ミミー at 2020年09月30日 15:10
この世は、言葉でできていると哲学者は言います。ですから、言葉であくまでも理解しようとします。それはそれとして、学問として極めていただければと思っています。
 ただ現実の生活において、言葉という道具で理解を得、言葉でわかったつもりになって、自我を満たそうとしている自分がいるのです。
 言葉はいらないとは言いませんが、よくよく自分を客観的に観る練習を繰り返し行うことの必要性を痛感しています。
Posted by z at 2020年09月30日 15:14
〉全く同意見です。私達は頭が良すぎるんです。一緒にバカになりませんか。


近藤博文様
 共感していただきありがとうございます。嬉しいです。^ ^
そうなんです。私達、あまりにも頭が良すぎるのですね。今度は『馬鹿になるにはどうしたらいいか⁈』ってもうさっそく考えてます。_(┐「ε:)_
Posted by ラブ☆教えて下さい(本物) at 2020年09月30日 15:23
ロータスさん

特定の誰かを意識したコメントではありません。

この数十年にわたる経験から感じていることです。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2020年09月30日 15:26
ほとんどの人は四つ葉のクローバーを探すために三つ葉のクローバーを踏みつけてますよね。
大事なことをすっかり忘れちゃってます
Posted by 権兵衛 at 2020年09月30日 15:51
なんか今日の記事もスゴい。雨の日も風の日も欠かさずこのブログを訪れます。
阿部さんいつもありがとう
Posted by サンガ福神漬 at 2020年09月30日 16:35
>あなたがそれをやっているのではありません。
>ただゆったりと寛ぐこと。

この二行で、阿部さんが示そうとする完全なる「受容」の空域が明らかになります。いつもそれは、明らかに存在する空域ですが、私がそれをやっている限りにおいては、気がつけないだけです。

阿部さんがどうやって「そこ」に気がついたかはわかりませんが、私は自分ではどうすることもできない心身の苦痛苦悩によって、自らを手放す以外の道が閉じたからです。「信頼」して委ねる以外にはありませんでした。

誤解されないように書いておきますが、目覚めでも覚醒でも悟りでもありません。ただ、何も問題が起きようがない空域に、ほぼ入れるだけです。
今の私には、唯一の救いが「そこ」です。
Posted by 一読者 at 2020年09月30日 16:50
「有難うございます」を独り言のように言ってしまいます。
ふと気になったことが、思いのほか有難い方向に、タイミングから何からスムーズにことが運ぶというか…。それが日常になっている気がします。見えない何かにも「有難うございます」と言わずにいられない感じです。
阿部さんがずっと仰ってることを実感してます。
全体の流れを信頼して寛いで、瞑想して…。
今までと違うことはそれだけです。
感謝m(_ _)m
Posted by hero at 2020年09月30日 17:19
阿部さん

そうなんですね(>_<) 勘違いで恥ずかしいです(^^;
失礼致しましたm(_ _)m

答えて頂き、ありがとうございます。
Posted by ロータス at 2020年09月30日 18:03
ナイス!
Posted by miyabi at 2020年09月30日 18:46
>ただこうしてあるがままにあるだけなのに。。

他のことはそうは思えても、こと自分に関することは、そうは思えないというのが、多くの人に起きていることでしょう。
それは、自分の意思で、それをしているという感覚や想いが、その人の中に湧いているからです。
それさえも、あるがまま、ただ起きているだけ、となれば、自我は全く出番がなくなり、自分という存在に対する確固たる想いや感覚(自分は存在している、生きているという想い、感覚)が揺らいでしまうので、自分や自分との関わりの中で起きていることを、あるがままとは、なかなか思えないことでしょう。
特に、自分にとって起きて欲しくないことが起きた時は、それがあるがままであり、そのことに対して自分の中に起きた反応(問題意識や苦悩)も、自分が考えている、感じているという意識(認識)があるので、あるがままとは、とても思えないでしょう。

自分の中の空性を識ると、目にするすべての存在の中に、空性を見ることができるようになり、この宇宙は空そのものであるとの理解がやって来ます。
その時、すべての存在、すべての現象は、あるがままにあるだけであり、すべての現象は、空からの顕れとして、自然に起きている(顕れている)、という理解が訪れ、人は宇宙の実相を識ります。
自分という存在に対する空性への理解は、言葉や知識を通しては、やって来ません。
この世を体験している観照者(認識者)としての自分が消えた時、初めて宇宙の実相が顕になるからです。
ひとたび、この世を体験する自分がいないこと(空性)が、明らかになると、問題や疑問を抱えて、悩んだり、苦しんだりしていたのは誰だったのか?となり、それからは、起きることに翻弄されなくなります。

空性についての詳細は、仏教の中心的な教えとして、既に私たちにもたらされていますが、表面的な知識ではなく、経験を通して確かめることで、教えは真の智慧となって、私たちの内側にしっかりと定着することでしょう。
この智慧は、その人の人生や世界の在り方に、自然と変化をもたらすので、それにより、生きていくことが楽になったり、あるがままに寛ぐことが、容易になって行くことでしょう。
Posted by 空である宇宙 from M-online at 2020年09月30日 19:47
目の前のことを丁寧に(^^)
おやすみなさい。
Posted by さち at 2020年09月30日 20:43
禅で 一対一の師弟関係を組むと 質問するのは師匠で、弟子はひたすら答えるばかりだ。
これを「公案」っていうんだけど、答えに正解がある訳ではないので「これであってますか?」という答え合わせもない。
「公案」をテストの様に捉えている人も多いけど、そういうものではない。
そういうものではないけど「公文式」に様相は似ている。
「自分が解けるようになるまで 終わらない質問攻め」という意味でそっくり。
で、ア・コース(奇跡のコース)も同じ構造。

そもそも「わからない人が質問をする」場合、わからないのだから見当はずれの質問が多くなる。
わかっている師匠が質問をすれば的確に「何がわかっていて 何がわかっていないか」を早く見極められる。
「悟れない弟子」を早く解放してあげるのが慈悲なので 見当はずれの質問を受けている暇など無い。
しかしこれは 仏道に「仏心」という指針があるから出来る。
ア・コースも「神」という指針があるから成り立つ。

寛ぐには手を開く事だと阿部さんは言う。
握られているのは「自分の答え(我)」で、開いた手は 自分の答えがない(無我)状態である。
自分に答えが無いと何をするのも困ってしまうので 私達は答え(知識)を蓄える。
しかし「無我」は 答えを持っている。
自らの心の中に「仏」がいるので仏の答え(最善)を行うのだ。
仏を見つけ出せた人は 仏が答えを持っていて 神を見つけ出せた人は 神自体が答えを持っている。
これで「自ら」は すっかり寛げる。
仏や神を持たない人は「自分の答え」が必要で 誰彼かまわず答えを聞かなければならないので 寛ぐ事が出来ないのだ。

おまけの話。
私が師匠に感じたのは「なんて頭がいい人なんだろう」だった。
それは 全く見当はずれで ヤツの言動の全ては「仏答」のカンニングだったんだから論破されて当然だ。
ソクラテスだって神答のカンニングだから人間は誰一人 勝てない。

でね。弟子は いつ卒業?といえば この「仏答カンニング技術」を取得した時だ。
師匠の答えは仏が出して 弟子の答えも仏から出るから もう習う事がない、完全な同格。
これを「伝承」って言います。
Posted by まるまる at 2020年09月30日 20:45
いつもありがとうございます。
このブログに出会って9年目。何度助けていただいたかわかりません。
すぐに悩んでしまう癖からだいぶ立ち直ったと思っています。

でもいまも私を悩ませるのはオフィスにいる後輩。
肌が合わないのか同じ空間にいるだけで拒否反応が起きてしまいます。
阿部さんのようになりたい。
誰でも受け入れられるようになるには何かレッスンすべきことがありますか。

毎日のことなので相手を嫌がったりそんな自分を責めたりする繰り返しに疲れています。
でもこうして書かせてもらっただけでも少し気が晴れました。
ありがとうございます。
Posted by 今日も生きています at 2020年09月30日 21:49
受け入れるとか、降参するとか、諦めるとか、そんなニュアンスのときはだめでしたが(自分の体を自分で持ち上げるような感覚w)、阿部さんの「一切から手を引く」という表現でピンときました。掴んでいたものをパッと放す、大の字になって後ろにバタンキューする、その時あぁー!ふぅーっとできました。何も無いんですが、安らぎというかただ満たされた感覚だけがありました。日常の有象無象の事象に振り回されたしても、戻れる所があれば大丈夫ですね。
Posted by 美佳 at 2020年09月30日 22:48
今日も生きてますさん

僕は誰でも受け入れるわけではないですよ。

誰だって嫌なものは嫌です。

嫌がるのが悪いわけではないし、どこまで成長してもそれは起きます。

僕の場合は嫌というよりは、手に負えなくなったら自分の中から消してしまいます。

時間は有限なので、そうやってできた時間を好きな人たちに与えていきます。

あなたとの違いはそういう自分を責めないことでしょうか。

あなたのように毎日顔を合わせなければならない相手は難易度が高いですが、それでも表面だけで合わせて、内側を影響させないでいることは可能です。

相手も周囲も、あなたの外側しか求めていないのだからそれで充分です。

みんなを受け入れようとするのではなく、ましてやそんな自分になろうとせずに、まずは自分を大切にしてあげましょう。

嫌なものは嫌。

それでいいじゃない、ね(^_-)
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2020年09月30日 23:19
9/18の禅サンガのWEB講演会で、阿部さんは「地球上の人や命は全て違う、これまでもこれからも」「でも、それを生きている命は一つ。そしてそれが宇宙の神秘」って…僕には到底理解できません。
でも、そうかもって、想像してみたら、身体が暖かくなりました。身体はすでに知っているのかも知れません。ありがとうございました。
今日のブログと関係ないことを書き込んですいません。
Posted by akki at 2020年09月30日 23:19
智子さん、今夜もweb瞑想会の配信、ありがとうございました♪

智子さんには、これまでにマントラをいくつか伝授して頂き、感謝しておりますが、時間の関係で、その時にお聞きできなかった瞑想についての詳細なお話を、web瞑想会の時にお聞きできるのは、本当に有り難いです。

智子さんも仰っていましたが、瞑想中に、沢山のGiftがやって来ます。
最近は、瞑想していなくても、Giftがやって来るようになり、瞑想を習慣化していないのに、瞑想状態になってしまうことがあります。
これもまた、Giftだと思い、神には心から感謝して、楽しんでおりますが、特に、今年の2月に、直接伝授して頂いてから、心身に起こる変化が著しいです。
このエネルギー的な変化も、またGiftだと思い、神に心から感謝して、楽しんでおります♪
7年前に、智子さんが指導して下さるマントラ瞑想に出会い、瞑想に対して持っていた思い込みが外れ、フランクな気持ちで、瞑想を楽しむことができるようになったことは、大きいと感じています。
NIKE瞑想には、こうこうこうしなさい、というのがないので、瞑想初心者でも気楽に取り組めるのが、有り難いですし、智子さんのお陰で、今では、自由な感覚で瞑想を楽しむことができるようになって、人生がより豊かになった気がしています。

22日のRebirthマントラ伝授の時、智子さんのお顔が、プラチナ色の光で輝いていたので、生気プラーナが光輝状態にあることがわかりました。
この状態になっている方を見ることは滅多にないので、思わず、嬉しくなりました♪
智子さんが、あの状態で伝授して下さったので、Rebirthマントラ、素晴らしかったです。
私たちは、ラッキーでしたが、智子さんは、大変だったかもしれませんね。

夢のような楽しい時間は終わってしまいましたが、また阿部さんに、次のイベントのアイデアが、電光石火の如く降りて来るのを楽しみにしています♪

阿部さんも智子さんも、これからも、お元気で、楽しんで活動されて下さいね。
いつも、私たちのために、本当にありがとうございます♪
Posted by いつもありがとうございます♪ from M-online at 2020年10月01日 00:43
いつもありがとうございます。

私は、大宇宙大和神です。

私は、120億年前から奉仕しています。

この間いろいろなことがありました。

人生と一緒です。

今日はこれくらいにします。

ありがとうございます。

失礼致します。
Posted by 根源からの者改め大宇宙大和神 at 2020年10月01日 04:06
バカになりたい。
Posted by しえりおりば at 2020年10月02日 06:05
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