2020年05月23日

エッセイ

僕は何も持たずに生まれた。

誰もがそのようにして生まれてきた。


それなのにいまの僕には、大切な人たちや、いくばくかの資産や、やりがいのある活動など、いろんなものが目の前にある。

でも考えてみれば

大切な人とは、いつか別れが来るだろうし、

資産なんてちょっとしたことで消えてしまうだろうし、

いまの活動だってこの先どう変わっていくかわからない。


確かなものは何一つないんだよな。


そりゃそうだ。

自分が手に入れたと思っているだけで、所有なんかできないのだから。

いまだって自分のもののような「つもり」になっているだけだ。


その証拠に、死ぬときは全部置いていかなければならない。



そう。

すべては一時的な、天からの預かりものだ。


何一つ手に入れたものもなく、

したがって失くすものも何もない。



このことに気づいたことが、いまの生き方に繋がっていると思う。

何も失くさないとしたら心のままに生きない手はないし、勇気をもって自分の人生を生きられる。


しかも自分の人生を生きていると病気にならないみたいだ。

不摂生でおバカなアベッチを見ていて、そこだけはいつも感心している。



汝、怖れることなかれ

あなたがあなたを生きなくて、誰があなたを生きるというのか。


エッセイ







Posted by Toshiro Abe at 13:08│Comments(24)
この記事へのコメント
今日もありがとうございます
人生ってそういうものなんですね。
何も持ってはいけない。
ホントそうですね。
自分の人生、頑張れそうです!
Posted by yumi at 2020年05月23日 13:16
サンガでのレッスンの気づきを書かせてください。
ここ数日の内容がどうしても違和感がありました。
全ての人が友人である、愛は不平不満を抱きません、さらに特定の誰か(友人と思うがのが難しい)を思い浮かべてするレッスンなどは拒否感があってしんどかったです。

それができない、そうは思えない自分はまだまだではないのかと、またレッスンを通してどこかに向かって(登って)行こうとしてしまったり、
誰かを友人であると”思おう”とするとか、不平不満を抱かない=我慢をする、反省をするみたいな感じになってしまい、余計に思考がぐるぐるしてしまって、阿部さんがよく話して来れている、嫌なことが思い出されたら「以上!」だけじゃダメなのかなとか。。。^^;

どうしたらいいかわからないけど、今感じているのが自分が感じたいものではない(幸せではない)ことだけはわかっていたので、一旦レッスンのことは忘れて全体に預けようと思いました。(確か、無理にしなくてもいいって過去のレッスンであったので)

そしたらなんとなく自分を取り巻く空気が柔らかくなってきたんです。
そして今日のレッスンの阿部さんの説明がとてもすんなりと自分の中に入ってきました。
”不平不満を感じている時に何が起こっているか。幸せではないということ”これに100%同意します(笑)

”自分中心”なんだと思いました。この自分とは登場人物としての自分というより世界を作っている自分。本当に誰か、何かが問題じゃないんだってこと。
自分の幸せに自分が100%の権利を持っていること、そしてそれ(完璧な幸せ)が神の望んでいること。そしてそれを妨げているものは何もないということ。
またこの感覚に 中心に 自分=世界という位置に戻ってくることができました。

香咲さんが(不平不満を言いたくて)、問題を作り出しているんだって講演会で言っていたのを思い出しました。本当ですね。^^

ありがとうございます。
Posted by サンガmike at 2020年05月23日 13:32
あべさんこんにちわ~^^
北海道は涼しくってさわやかですよ☆
小鳥の声がにぎやかしいお庭は、これから新緑です。
最近はお庭でご飯&お茶してます、プチ幸せ。

>自分の人生を生きていると病気にならない?
そうなんですね??何となくわかるような。
いいなそれ、そうなりたいなあ。
今は新しいハードなパートで日々右往左往していますが、でもノンストレスで
健康になりたし。なれるかなあ。

プチ瞑想をして、給付金の書類をだし、気になっていたハガキもかいて
これからお庭で遅いおひるごはんとお茶です。
将来や健康の心配事をさがすと~もうきりがなくて><なんとも不安になりますが・・(これもまた幻想?映像??)
今現在の目の前の時間は平和で幸せです。

甘夏柑のケーキが焼けました。
Posted by さつき姫 at 2020年05月23日 14:21
 キーワード


東日本震災


皆で

乗り越えようという


  「絆」



武漢ウイルス


一時的な

天からの

預かりものという


  「気づき}



阿部さんに

 いまここから

  ありがとう
Posted by CHUYOSPACE at 2020年05月23日 14:27
0で始まって0で終わる人生ですよね。

踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら
踊らにゃ損損

てなもんで
Posted by 愛a無 at 2020年05月23日 14:56
「わたしの人生」という映画は始まり、続き、終わります。

始まり、続き、終わる「わたしの人生」という映画を観ているわたしは
宇宙全体を常に満たしている光として存在しています。

山あり谷ありの「わたしの人生」という映画にのめり込むほど
「わたしは山あり谷ありの人生を生きている」という感覚になります。

不安定な現象に巻き込まれて
不安になります。

宇宙全体を常に満たしている光であるわたしを深く感じるほど
「わたしは『わたしの人生』という映画を静かに観ている」という感覚になります。

不安定な現象に巻き込まれず
平安になります。

常に心を集中して
常に心を安定させるほど、一喜一憂しなくなり
とても楽になります。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年05月23日 15:53
さつき姫 さん

焼きあがった甘夏柑のケーキ、こちらにも香りが漂ってきました。^^
甘くて爽やかな。きっとちょっとのほろ苦さがアイスティーに合いそうです!

私も今日は給付金の書類を書いて、からの瞑想です。
こちらは四国ですが、梅雨入り前の気持ちの良い休日で、窓を開け放していると、やはり鳥たちの賑やかな声が聞こえています。
そしてその”空”は一つなんだなぁと思いました。

美味しいおすそ分けありがとうございます。^^
Posted by mike at 2020年05月23日 17:29
模察と申します。

> 僕は何も持たずに生まれた。

私達は皆、何も持たずに生まれたんですよね。
それなのにある時突然、「私の命」という幻想を信じ始めます。
そしてやがて、他者の命は奪えると考えはじめます。
自分の命は自分のものだから、自分はそれを奪っても良いと考え始めます。
なんと傲慢な考えなのでしょうか!

なぜこんなことを考えるようになるのか。
全て「私は実在する」という考えを信じたからです。
私は実在するのだから「私のもの」も本当であると信じたからです。
この大嘘を人類全体で信じ続けてきたから、世界から不幸や苦しみが消えないんです。

皆さんは、いつまで「私」や「自分」という言葉の中にしか存在しない夢を見続ければ気が済むのですか?
Posted by 模察模察 at 2020年05月23日 18:28
>しかも自分の人生を生きていると病気にならないみたいだ。

確かに、そうかもしれない。

しかし、自分の人生を生きていたら、病気になってしまった。。。というのが、正直な感想だ。
何故なら、生まれて直ぐ、人生を歩み始めたばかりの時に、病気になり、その後も何回か手術を受ける羽目になり、こんなに病院と縁のある人生になるとは思ってもみなかったから。(中には、苦しみの原因のほとんどは、病だったという人生もあるのだ)

でも、回り道をしたお陰で、人生の宝とも言える智慧を授かったのだから、何が回り道で、何が本道なのか?は、(多分)エゴにはわからないようになっているんだろうと思う。

これまでも、回り道をしたら、素敵なカフェに出会ったり、素晴らしい絶景に出会ったことが、何度もある。
それと同じで、病気をしたことで、身体は少々痛い目にあったけれども、病で苦しむ人の気持ちがわかるようになれたし、また、心と身体のつながりもよくわかったので、一人の人間として、自分を顧みる良い機会になったと感じる。

人間万事塞翁が馬、とも言うから、何がどう転んで、どうなって行くのか?個々のストーリー展開は、誰にもわからない。
誰もが、この形でこの地球上に在る間は、神の創造のストーリーを楽しみ(体験し)、そして、ストーリーの最後は、存在の源に還って行く。。

>すべては一時的な、天からの預かりものだ。

そう、この命でさえも、本当は、自分のモノではなく、天からの預かりモノなのだ。(その証拠に、死後、命を失わない人はいない)

最後が、病死だろうと、事故死だろうと、安楽死だろうと。。。死に方の違いはあれど、誰一人例外なく、存在の源に還って行くのだから、心底安心して、自らの生命エネルギーを燃やし尽そう。
ローソクの炎が燃焼し切るまで、その灯の光が周りを煌々と照らすように、命(生命エネルギー)の灯は、これからも、絶えることなく、この世を照らし続ける。
地球がある限り、何らかの形で、生命の大河、生命エネルギーの流れは、これからも続いていく。。
Posted by 生命の大河 from M-online at 2020年05月23日 19:16
安心感につつまれながら…

涙があふれきました。

失うものはなにもなかったのだと…

なにひとつ…

また涙があふれてきました。
Posted by ベンテン at 2020年05月23日 19:49
『何も失くさないとしたら心のままに生きない手はないし、勇気をもって自分の人生を生きられる。』


そうきたか♪(^^)


『しかも自分の人生を生きていると病気にならないみたいだ。』



だれに吹き込まれたんですか~(笑)




今日の一曲はこれ☆(^^)

https://youtu.be/HBSC0RDuUlQ
Posted by おいも at 2020年05月23日 20:18
“自分の人生を生きてると
病気にならない”

さらっと言ってますが

それって
物凄い言葉ですよ。

自分は心当たりがあります。

なんかほんと、
ありがとうございます。
Posted by 瞑想初心者 at 2020年05月23日 21:20
>mikeさま

おおお~^^(プチ)瞑想と給付金書類と小鳥さんの声が、偶然シンクロ?しましたね。感謝・感謝。

四国!まだ、行ったことないですがきっと美しいところでしょうね。

そうなんですね、ふと気がつけば(幻影から覚めれば)こちらとそちらは
(天河さんも)たぶん、つながっていますね。
気がつくか?つかないかで。。

そうなんです☆甘夏柑のケーキはややほろ苦く、めっさおいしかったです。
まさに初夏の味です。
これはもう紅茶しかないでしょう、ということでお庭で紅茶といただきました。

ハッピーなシンクロで心うれしかったです。
Posted by さつき姫 at 2020年05月23日 21:24
禅サンガに再入会し、時間のあるこの時期に一気に過去の阿部さんのweb動画など楽しく拝見させていただいています。
阿部さんのビジョンにワクワクしています。
光が見えた気がします。
是非参加したいです。
これからもよろしくお願いします。
Posted by すまいる at 2020年05月23日 21:24
サンガmikeさん

mikeさんのコメント読ませていただきました。
冒頭、私のここ数日と全く同じで、「以上!」ができず(*_*)不平不満の雲が晴れないまま、今日mikeさんのコメントを読み、あべさんのレッスン69回を行いすとんっともとの場所に落ち着きました
mikeさん、あべさん、ありがとうございます^^
Posted by サンガ市橋智子 at 2020年05月23日 21:33
>僕は何も持たずに生まれた。

>誰もがそのようにして生まれてきた。

自分は、気が付いたら、
『この体になろう』ともしていないのに、何故か『この体になって』いて、
『こう感じよう』ともしていないのに、何故か『こう感じて』いて、
『こう思おう』ともしていないのに、何故か『こう思って』います。

そうと『自覚する』のは、必ず『これら↑が起こった後』で、
『これら↑が起こる前』に、『こうしよう、こうなろう』とか『思えたこと』が無いんです。

>あなたがあなたを生きなくて、誰があなたを生きるというのか。

この↑『あなた』って、なんでしょう?
上に書いた『全ての起こること』が、『全ての起こるままに起こっているというそれ自身』ですかね?
『起こったこと』に対してあーだこーだ思ってる『これ』じゃなさそう・・・ですかね?
Posted by ただの「自分」 at 2020年05月23日 21:40
>そう。
>すべては一時的な、天からの預かりものだ。
>何一つ手に入れたものもなく、
>したがって失くすものも何もない。

>何も失くさないとしたら心のままに生きない手はないし、勇気をもって自分の人生を生きられる

今私がしているお仕事は自分じゃない気がしてます。私はもっと別な世界で羽ばたきたいと思っています。なんか、そちらに移行したいという気持ちが日に日に大きくなってきています。

どうしたらいいんだろう。

目の前に差し出される現実はそんな私の思いを汲み取ることなく動いていて、それは一時的な天からの預かりものだと思えばそれでいいのだけれど、、、

なんか、考えてしまう。

あなたは心のままに生きられていますか?と聞かれて、間髪入れずに「YES」と答えたいな。

でも、今は何が起きてもお任せ。
大丈夫。を繰り返そう。
Posted by サンガまいまろ at 2020年05月24日 00:13
サンガ市橋智子さん

本当に。思考がグルグルしてる時点で幸せじゃないし、そのこと自体が幸せでいられなくしてたんですね^^;

一緒にレッスンをやってるっていいですね!
ありがとうございます。^^


さつき姫さん

やはり甘夏柑のケーキは間違いない美味しさ&紅茶との相性でしたか!
ごちそうさまです^^
Posted by サンガ mike at 2020年05月24日 00:29
おはようございます(*˘︶˘*).。*♡模索さんは私も自分もなく、どうやって生きてんの??謎。その決めつけがエゴなんだよ。つかよ、命がけで生んでくれた親に感謝とかねーの?輪廻しちゃったんだから仕方ないじゃん、この世は修行。喜怒哀楽を味わって自分が考えることじゃね?それしかないよ私は今を生きるだけ。
Posted by ピエコ at 2020年05月24日 08:33
あ、生まれてなきゃ病気にはなってないし気づきもねーな(笑)ただの自己満輪廻転生間違いなし。苦しみがあるから知るんじゃね?楽に天界は行けないよ。楽天には行くけど(笑)
Posted by ピエコ at 2020年05月24日 08:49
20年前のことです。
「わたしが所有できるものはない。」ことを知っていたので、トランク一つで家出したことがあります。このことについてはなんの後悔も湧いてきたことはありません。

その後何も所有出来ない、する必要もないというのにいつしか「幸せになりたい」という夢を抱くようになってしまいました。
なんとまぁ馬鹿げた夢でしょう。
こうなって来るとあらゆる不幸が押し寄せて来るようになりました。
そりゃそうだ!笑

以上です!
Posted by サンガ・きみこ at 2020年05月24日 10:25
心救われるエッセイです。いつも有難うございます。
Posted by hide at 2020年05月24日 14:29
所有出来ないんですよ。
欲しくて欲しくて独り占めしたくて、でもままならなくて、もがいて苦しんで手に入れる為なら誰も彼もを押しのけて、
鬼の形相で走り回るんです。

そんな自分の姿を他者を通して見せられた事があるんです。
他者の姿として反映されている己の姿を目の当たりにした時に、執着の鬼となっている自分にやっと気づいたんです。

精神的にかなりきつかったですよ、その姿を見せられた(見た)時。
でもその反面、憑きものが落ちたように一気に楽になりました。
本当に。取り憑かれたように様々の事に執着していましたので。
そんな取り乱したような自分の姿だけがその場に取り残されていって、周りは何事もなく淡々と流れて行っている景色が見えたので、ああ、これは私一人で大騒ぎしているだけじゃないか、敢えて苦しみの自作自演劇場を展開していたのか、と。

同じ自作自演なら、もっと楽しく脚本書き換えるわ、と(笑)
いま、そのようになっていってます(^^)
♪何にも無いってこと♪それはなんでも有るってこと♪行きたい場所へ何処でも行ける♪♪
Posted by ハミングバード at 2020年05月24日 18:43
勇気、覚悟、生き直し。本当のところで。信頼。
阿部さんの言葉が今また内側で響いてる。
少しづつほんとに少しづつ本来の自分を生き始めていると感じてます。
完璧じゃなくても、人前に出られるようになった。情けなくて恥ずかしい自分に気づいて、辛くなったり自分を責めることを何時間も何日間もしていたけど、短くなった気がする。 など、、小さいことだけど大きな変化。
今まで当たり前に捉えてきた'自分'は幻想 というのは、本当なんだな、、
とぼんやりであり、確かにも思えます。
どんな苦しい思いも、きっと瞑想や阿部さんの話や共有体験のお陰で、割合受けとめられるようになりました。
受け止める、というより自分のほんとうの声を聞けるようになったというか。
で、去る
これでいい って思う。
Posted by サンガshiro at 2020年05月27日 17:13
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。