2020年02月01日

目覚め

いま夜中の3時半です。

めずらしくこんな時間に目が覚めてしまいました。


覚えているのは、夢の中でスリムな黒服を着た男たちの仲間に入ったこと。

彼らが何者なのか分かりませんが、上等な仕立てのスーツに身を固め、エリートを自認し、なぜか僕に接近してきます。

そして好きな地位と、潤沢な資金を提供するから、アメリカにわたってほしいと言います。


その中の一人が言いました

「みんな、幸せになりたいんですよね?」


僕は答えました

「そうだと思いますよ」


そして自分の気持ちに気づきます。

僕はこの人たちが苦手だ。


どうして出会ってしまったんだろう。

こういう気取った人たちは一番嫌いなタイプであり、彼らに合わせて生きるなんて疲れるだけだ。


どうやったら抜けられるのか。


するとその中の一人がマシンガンを持っていることを見てしまいます。


「ヤバっ!」


どうしよう、どうやって逃げようか。

動揺が大きくなって急に息苦しくなり、そこで目が覚めます。


やれやれ(笑)


さて、こうして書いている間に、あんなにリアルだった夢の内容が霞んでいきます。

いまからもう一度思い出して書こうとしても無理。

もうほとんど消えてしまいました。


完全に夢から覚めたようです。

なんであんな夢を見たんだろう。


実際の人生にも、これと同じことが起きます。

目覚めと共に、それまでリアルだと思っていた人生(ストーリー)が霧のように消えてしまうのです。


だからと言って、家や、家具や、周囲の人間や、自分の身体が物理的に消えてしまうわけではありません。

それらに投影していた「夢」が消えるのです。


そしてあるがままが残ります。

それを「いまここ」と呼んできました。



夢から覚めた後にどう生きるのかは、その個性によって違います。


人里離れて、自給自足の生活を始める者もいます。


いままでと同じ仕事をする者もいます。


法を説きだす者もいます。



共通しているものがあるとしたら、深刻さが消えて気楽になっているということです。

そして自分の心に正直に生き始めます。


今日伝えたかったのは、睡眠中に見る夢から覚めるのと、人生の中で起きる目覚めは、ほとんど同じだということ。

そして両方とも目覚める前は、夢を夢だと自覚できていないということ。


いまあなたが人生と呼んでいるもの、そこに登場する家族やその他の人々、やっている仕事、それらがうまくいっていようといまいと、目覚めてみれば何の違いもありません。


いい夢も、悪夢も、夢は夢だから。


人生がうまくいっていると感じている人は、まだ当分夢を見続けることでしょう。

その夢が終わってほしくないはずです。


もちろんいい夢の中でも、日々の心理的ストレスや、問題や悩みは尽きないはずです。

夢とはそういうものです。


でも自分が得たと思っているものに酔っているので、その夢を手放したくありません。

しかも皮肉なことに、この世の富を手に入れてからは、次元を超えた富を得たいと願うので、目覚めを追求し始めます。

あれもこれも全部欲しいと言うわけです。


でも無理な話です。

目覚める夢を見ることはできても、それは目覚めではないからです。



一方、人生がうまくいっていないと感じている人はどうでしょう。

悪夢を見ている人です。


その悪夢が耐えられない所まで来た時、違う言い方をすれば完全に絶望した時、突然にして夢から覚めることがあります。


そのような意味から言えば

「苦しむ者は幸いなり。天の王国は彼らのものだ」

となります。




あるいは死期を悟った時、夢を夢として見抜くこともあるようです。


豊臣秀吉の辞世の句

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」


目覚め



とことん辛い時は、これも夢だと思えば少し救いがありますね。

そしてそれは気休めではなく真実なのです。


上手くいっている人は、そのまま夢を見続ければよろしい。

いずれにせよ永遠には続かないのだから。


どっちだっていい。

しょせんは神の手のひらの中。



だから全部、お・ま・か・せ



南無阿弥陀仏






Posted by Toshiro Abe at 09:20│Comments(40)
この記事へのコメント
昨日の記事、自分にとって、救いになりました。
さぁ、新しい人生を生きよう
Posted by T.T at 2020年02月01日 09:48
阿部さん、有り難う。
Posted by 近藤博文 at 2020年02月01日 09:58
悟り体験しなくとも、御年寄は皆んな穏やかになりますよね。
欲も次第になくなって、ただ住む場所があり、食うものは食べれればいい、たまには贅沢と言いながらご近所のファミリーレストランで食するとか。
最近思うのは、顔立ちもみんな似てくるもんだなあなどとも、ま、晩年の父と比べてですが、そもそも父から人生怒られたという記憶は1、2回ほどで、ずーっと穏やかな人ではありましたけど。
そう、あの上皇様ですら、そう似てるなあ思います。
恐れ多いですが。

結局、悟りとは欲を捨てることだと思います。


などと。
Posted by 心ジョージ at 2020年02月01日 10:17
良い夢は生じて滅します。
悪い夢も生じて滅します。

そして
生じて滅する無常の良い夢と悪い夢を見ている自分は
生じも滅しもせず常に存在しています。

頭の中で展開されている
良い夢と悪い夢に向かうほど
良い夢と悪い夢の存在感が大きくなっていきます。

胸の中で光り輝きながら
常に存在している自分に向かうほど
常に存在している自分の存在感が大きくなっていきます◎

常に存在している自分が光り輝きながら大きくなっていきます◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年02月01日 10:17
今日も阿部さんの記事で、フッと楽になりました(*^^*)
Posted by ほし at 2020年02月01日 10:29
昨年の終わり頃くらいの最近、
物凄い勢いで下り続けるエスカレーターのようなものに巻き込まれる夢を見ました。
ただでさえ速いのに、どんどんその速度は上がっていきます。
一瞬、パニックになりかけた、正にその瞬間、

「あ、これ夢か」

と気付きました。
そしたらその瞬間、自分を巻き込んでいたエスカレーターのようなものが、
物凄い勢いで遠ざかっていきつつ、灰色に色褪せ、薄まりながら消えていきました。
後に残ったのは、真っ暗闇の視界だけです。

このように↑自分が見たこの時の夢は、かけらも残さず、全て消えてしまいました。

でも、

>実際の人生にも、これと同じことが起きます。

この↑『実際の人生』では、

>だからと言って、家や、家具や、周囲の人間や、自分の身体が物理的に消えてしまうわけではありません。

この↑ように『物理的な何か』が残るのでしょうか?
確かに「あ、はまってた」と気付けた後も、『物理的』には、
『周り』はなんら変わってないように見えますが。
『視界』が狭かった、『別の方向』に気付いた、とかはありますが。

自分の『エスカレーター』?を『夢』だと気付いた時も、
『真っ暗闇』と感じた『その景色』は、そう言えばまぶたの裏だったかも?
そういう意味で『物理的』には、確かに(『寝る前』と)全く変わってないんでしょうけど、
でもこっちでは『視界』は、まるっきり変わっています。

『実際の人生』という『夢』?から覚める時も、
『視界』はまるっきり変わっても、『物理的』?には、
確かに「『実際の人生』という夢」を見る前と全く変わってない、みたいな
『覚め方』をすることもあり得るのでしょうか?

要は、『物理的』というものも『夢』ではないのですか?という確認です。
自分の予測だと、全く完全に「『実際の人生』という夢」から覚めたなら、
なんと言うか・・・ただただ『透明』ではないのかなー?て気がするんですが。
ただただ、輝くくらいに澄みきった『透明さ』、です。
Posted by ただの「自分」 at 2020年02月01日 10:42
先のコメントを投稿してから、なんとなくメールを見てみると、
16日目を頂いてました。

そうなんですよね・・・『認識可能な全て』が『片寄って』ます。
なので、『物理的なあれこれ』も、当然『夢』だろうと思うのですが、
『夢』なのは『認識』だけで、『物理的なあれこれ』は『実在』してるのでしょうか?
『物理的なあれこれ』が『マインド』の『創造物』なのか、
『物理的なあれこれ』も『マインド』も等しく『夢』?として現れているだけなのか、
『物理的なあれこれ』は、『マインド』と違って、確かに『実在』として存在するのか?
という確認です。

自分は今のところ、二番目な気がしているんです。
Posted by ただの「自分」 at 2020年02月01日 10:56
♪♪おれ♪♪悪夢みてるぜ!♪♪

♪♪いえ~い♪♪

♪♪この夢マジ手強いぜ!

♪いえ~い♪

そんな夢ばかりだぜ♪♪

♪♪いえ~い♪♪

♪チェキラ♪チェキラ♪

♪俺、なんでいい夢みれねーんだ!♪

♪なんでなんもねーんだ!♪

♪なんでなんてねーんた!♪

答えなんてねーんだ!♪

♪もう、なんもかんもねーんだ!♪

♪お任せするしかねーんだ!♪

♪だって、アベッチがそう言うねーんだ!♪


〉共通しているものがあるとしたら、深刻さが消えて気楽になっているということです。

〉そして自分の心に正直に生き始めます。


ほんまやなあ(^^)
Posted by トンビくるる at 2020年02月01日 11:08
〉夢から覚めた後にどう生きるのかは、その個性によって違います。

三食昼寝つき。ごろ寝。

すみません。
Posted by すみません。 at 2020年02月01日 11:16
阿部さん、ダークサイドからお呼びかかってるんちゃう?
ダークサイドの方達も阿部さんの講演会に参加したり、ZENサンガやNIKE瞑想に参加してみたいと思ってるんちゃうか?
いま、必死になってて阿部さんに頼み込んでるんちゃうか?

仲間になって内側から助けてあげれば良かったのに。

って、夢描いて、ウホウホ、笑ってます。
Posted by ス at 2020年02月01日 11:25
阿部さん みなさん こんにちは。

阿部さんは今テレビにもよく出てくるホスト会の帝王と呼ばれるローランドさんという方をご存知でしょうか?

その方のツイッターでこんなファンとの質疑応答がありました。

質問「なんでローランドさんは人のこと悪く言ったり下げたりしないの?」
回答「俺にとって人を嫌いになるには、人生は少々幸せ過ぎるんだ。」

自分のことも大好きだし、ハッピーなら、その方向にエネルギーが向かないのかもしれないですね。

これも私の彼のイメージを見ているのでしょうが、阿部さんが動画で「一人一人が幸せなら戦争も起きない」とおっしゃっていたのを思い出しました。

世界が自分そのものであるなら、本当にそれだけですね。

 今日もありがとうございます。
行って来ます。^^
Posted by mike at 2020年02月01日 12:26
うまくまとめられないけど、
就寝中の夢って、つじつまがあわない夢ってあるよね。
どう考えても、こんなのありえんだろみたいな不思議な夢もあるし。


そんな風に考えたら、目を開けて見える夢と思われるものも
意識次第でチャンネル設定、気軽にできるのかしら。

この夢がなんか嫌と思ったら、逃げてもかまへんのやろか。
だって、夢なんだもん。

帰ってきたくなったら、また戻ったりどうとでも変更可能なのしら。

そんな気楽な感じでええのかしら?

いつでも純粋意識にチャンネル設定モードになりたい今日この頃です。

でもそこにやさしさはわすれないようにしたい。
Posted by とん at 2020年02月01日 12:58
辛いことも楽しいことも経験してきたけれど、どうせ夢なら楽しい事が多いほうが笑って過ごせるからいいな!嫌な事が起こっても笑えればいいのだけど。
過去、未来ではなく、いまここを生きて命を輝かせたい✨

阿弥陀如来にお委せいたします✨
阿弥陀如来に帰依します✨

南無阿弥陀仏
Posted by 分陀利華 at 2020年02月01日 13:06
今日の阿部さんの目覚めとは関係のない話かもしれません。

今日のことです。

子供がふとんの中でバタンバタンとふとんを叩きつけてる?みたいな?

後でその理由を聞いたら、遅く起きしまった事が悔しくて、時間を無駄にしてしまったと言ってました。

「そうなの?あたしは最近はいつもいまだけどなあ~、、。時間なんて本当はないみないだよ。まあ、人それぞれだよね~」

て、

そんな、夢をみました。

今朝あった本当の話です。

ちょっと呑気過ぎの親ですみません。
Posted by すみません。 at 2020年02月01日 13:08
純粋意識を感じながらだと、、色んな夢(良い悪い関係なく)を見せられても、そんなに深刻にもならなくなれてるし、ハイにもなれなくなりました。
わたし個人的にはそれが助かってます。
阿部さんの毎日のブログとたまの瞑想の御陰です。ありがとうございます。
幸せな夢を見られる人はこれからも魂の望む夢をどんどん観ていってほしいです。
応援してます。
Posted by すみません。 at 2020年02月01日 13:23
いつもありがとうございます。

ちょうど今日の話は「夢」でしたが、今朝と言うか昨晩悪夢を見て午前3時頃目を開き、そのあと6時頃まで眠れませんでした。
まぁもうあまり詳細には覚えていませんが、仕事絡みで無駄なことをさせられ、そしてそのことで無能と罵られ、自分の存在意義を疑ってしまう夢でした。
最近仕事に対して感じている非現実感を考え合わせると笑い飛ばすことも、もう一回寝ようとも思えない夢だったことだけははっきり覚えています。
今日のお話で少し気が楽になりました。

ではこれからも書きたいことを書き、したいことをなさってください。
Posted by TSY at 2020年02月01日 14:01
〉豊臣秀吉の辞世の句

〉「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」




いつもごろ寝して楽してるわたしには味わえない境地だと思う。

この句の様に感じられる人って、人生を精一杯謳歌して駆け抜けた人だからこそ感じられる境地の歌なんじゃね?と思った。
Posted by ス at 2020年02月01日 14:29
阿部さん、こんにちは。
いつもありがとうございます。。
この人生が夢だとは夢にも思っていませんでした。
阿部さんの書かれているメッセージが何のことかチンプンカンプンでした。
メッセージを知る以前と瞑想を知らない前は、
イライラの気分やで、感情的で面倒くさがり屋で、うまくいかないと怒りをぶつける内弁慶でした。
起こっていることと、感情とが同一化していて苦しかったです。
阿部さんがブログの中で招待してくれる、たまのweb瞑想会に参加するようになってから、あんなにイライラして大変だった怒りの感情が落ち着いてきて助かってます。
瞑想のお陰とメッセージの御陰かもしれません。

もし、怒りがまた湧くことがあっても、その日でクリア出来る気がしてます。
怒りが湧いたとき、その瞬間、これは夢だと気づけたらなと思ってます。
怒りが必要な場面もあるかもしれませんし。
許せない気持ちも次の日まで持ち越しの時もありますが、何とかなるでしょう。
それさえも、信頼します。
読めて良かったです。
ありがとうございました。
Posted by ネロ at 2020年02月01日 15:05
えー?

今日は

コメント、パスの日かあ。

それさえも、お任せ、おまかせ。

ちょっと、力いれすぎたかな?
Posted by すみません。 at 2020年02月01日 15:07
阿部さん、夜中の夢で起きたのですね!
ゆっくりおやすみくださいね!

いまここだけが真実

南無阿弥陀仏を唱えているときだけが真実

いまここ=南無阿弥陀仏
のことだったのですね!
Posted by 分陀利華 at 2020年02月01日 15:08
僕の人生に色々と変化が起きていて、
このままでは、この先どうなるんだ
という状況になっていて。

もうここまで来たら、気楽に1日過ごすことから
始めようと思い、阿部さんの「いまここ」の本を
読み返していました。

そしたら、夜突然、
「ああ、自分が一番この世界に貢献できること
なのに、自分自身が一番それを認めずに、
放置してきたことが、「音楽だ」!と気づいて、

自分が作った曲や、今まで自分自身が
それを認めずに、封印していたことに気づいて、
「ごめんな」という気持ちでいっぱいになり、
涙が止まらなくなって、」

これを何とか生かしたいと、ワクワクして、色々
考えていたんですが、

一晩寝てみると、「自我」が色々とうるさくなって、
昨日の、「もや」が晴れた感覚が何だったんだろう?

という感じで、「怖い」気持ちに戻ってしまいました。

これが、いつも「あるがまま」を曇らせてきたんだなと
実感しました。

でも、今回こそは、この「流れ」を信頼して、43歳ですが、
動いてみようと思っています。

「阿頼耶識瞑想」頑張ってみます!

阿部さん、「いまここ」という本をありがとうございます。
Posted by トモヒト at 2020年02月01日 15:31
そうか、、、私はごろ寝ノ夢を手放したくないのだ。。。。。。
ふざけてなんかいないのに。
誰もわかっちゃくれないのゆめみてます。
Posted by い at 2020年02月01日 15:50
今日の朝方阿部さんの夢を見ました。 

阿部さんと阿部さんのお父様と私で
車てどこかの海の近くをドライブしている夢を見ました。 

私は、少し緊張しながらも、
阿部さんにお近づきになれた事がとてもうれしくて楽しくて、
阿部さんのお父様に質問したりしているうちに、
自分の住んでいるらしい所に着き、そこで1人になりました。 

そこには、見たこともない、きれいな水田があって背の低いきれいな食物が植えてあり、
そこをじーっと見ると、
水田の中に大蛇がいっばいいるのです。 
私は恐ろしくなってこんな所には住めない、どうしよう。  
恐ろしくて とりあえず竹馬で歩いてどこかへ行こうとか考えていると。。。

目が覚めました。 
あー大蛇は夢だった。。。

今の肉体をもった毎日も恐怖や不安でいっばいです。 
そんな中でも楽しい事もあります。 

本当に夢なんですね。

そうはなかなか思えなくて、まだまだ あたふたしてしまいます。 

でも、格段に前とは違います。 

今年から禅サンガに入会して本当に良かったです。 

奇跡のコースのワーク 辛くなってくる時もありますが、少しずつやっています。 

今後ともよろしくお願いします。 
Posted by イラ at 2020年02月01日 15:57
寝所の一コマ

秀)ワシは本当に秀吉なのかのう?

【鼻パンチ一閃の後】

忍)良き「面の皮」であった(笑)

睡眠に入る寸前のマドロミ
 視界の隅みに写る
映像は「他のストーリー」
時と場所と人に見覚えないから。
瞑って見る映像は肉眼で見ていないが「見るクセがあるので」
かろうじて映る映像をの方に
 「意識を向けてしまう」すると
起床時に運用してる意識が有意になり映像も消える( ̄▽ ̄)
*真正面に映像を持って来たい
なら真正面に来る様に告げるだけで
「特等席」で鑑賞できます世♪
Posted by Ciel at 2020年02月01日 16:12
就寝中に見る現実と
 物理的現実はどちらも夢
物理現実の知覚は五感に依存する
目を閉じている睡眠中の
知覚も同じか?
感覚器官を経由して知覚し
認識してるか?←要検証ですw
睡眠中(幽体離脱中)は
「心理的な距離を用いて知覚」
していませんか( ̄▽ ̄)ネ?

想いが直ちに場面に反映される
睡眠中の夢と
想いが促場面に反映されない
物理的な日常の夢
つまり
物理的な身体が無いと促反映
物理的な身体が有るとラグあり
大方は反映されるまで待てないの念

つづく
 
Posted by Ciel at 2020年02月01日 16:25
ただの「自分」さん

>「『実際の人生』という夢」を見る前と全く変わってない、みたいな『覚め方』をすることもあり得るのでしょうか?

目覚めた先とは「夢の終わり」。夢(=認識)が終わっているので認識が無い(できない)。
だから「目覚めている間」を認識するすべはなくて、再び夢の「続き」が始まった所を認識する事で「目覚め」は理解に至る。
理解に至る場所は「先ほどまでの夢の続きの中」なので、同じだけどそこに「夢なんだ」という理解だけが付け加えられている。
「夢から脱出した人がいる」みたいな事が誤解で「夢の中って知っている人」と「夢の中だって知らない人」が「内側(夢の中)にいる」だけ。夢の理解で変わるのは「大切な事(価値観)」。


>ただただ『透明』ではないのかなー?て気がするんですが。

私達の世界で「認識できない色」といえば「無色透明」なので そう思える。
でも もっと はっきり言えば その概念は「夢の中の事」なので「透明」が正解という訳でもない。

>『夢』なのは『認識』だけで、『物理的なあれこれ』は『実在』してるのでしょうか?

「物理的なあれこれ」は認識してないと「実在しているか」わからない。←認識してる、ので夢。
「物理的なあれこれ」を認識していない時「実在しているか、してないか」わからない←これが「無(真実・目覚めた先)」。
Posted by まるまる at 2020年02月01日 17:11
>就寝中の夢って、つじつまがあわない夢ってあるよね。
どう考えても、こんなのありえんだろみたいな不思議な夢もあるし。

起床時の価値観(尺度)である、自前の信念の枠内に収まる様に歪めて解釈する←普段やってる事です。
どうにか枠内に収まる解釈が出来た場合は、支離滅裂、摩訶不思議な夢として憶えています。起床時使用の意識が有意になるにつれ喪失していきます。←この夢に専念する為。
枠内に収まらない場合は?
「記憶が消されます」( ̄▽ ̄)
並行世界の自分(達)や故人、
物理的に会う予定のある人達との
邂逅を覚えていない理由です。
ある人やシーンに出会った瞬間、一部を思い出すのがデジャブです。

睡眠中は複数の現実(夢)を同時に見ている(生きている)のですが、
(起床時も同じ事ですけど)
「ステップを踏む特定の様式」では対応し切れないのです( ̄▽ ̄)
自分の世界観とマッチしない考えや、自分の記憶ではない記憶が入り込むのは、マドロミ時の様に境界線が曖昧(ブロックが弱い)であり、異なる体系の異なる自分から来たものです。
これは有効活用が可能です。
病弱なら健康な自分「も」可能性の中には居るのですから( ̄▽ ̄)yes
呼び出して治癒を依頼すれば良いのですが、洗脳された知性が弾くでしょう( ̄▽ ̄)
目覚めた後も見ていた夢はずっと継続しています。
夢の続きを見るケースがあれば確認できるでしょう( ̄▽ ̄)

つづく





かも
Posted by Ciel at 2020年02月01日 18:06
なんですかこの絵!


かわゆい(*^^*)


真剣に読んでるのにさあ、この脱力感満載の絵☆



今日は~

報告したいと思ったことがあります。


こんなに恵まれた世の中でも、苦悩に見えることがありまして、体もあちこち痛くなりますし、こんなんでどうなっちゃうんだろうって思うときもあるのだけど、

ふと、ひで~夢だなあと、そのひどさを笑ってしまう私がおりました。


で、瞑想中に思ったのが、そんなひどい夢の中でも、与え合っているということ。

助けを必要とする人が居て、助けようとする人が居て、助けられる機会や助ける機会があって、、役割を代えながら体験し合っている?


いかに愛し合えるか


人生とは、毎日どれだけ愛し合えるかだ

そう思いました。


すでに「愛」の表れではあるけれど、さまざまに形を変えて表れているけれど、

私たち人が思う、普通の愛。相手を思いやって大切にする心。それを持ってどれだけ与え合うかって、言葉にするとそんな感じに思いました。


この世の夢は、愛のやりとり。「愛」のやりとり。
Posted by おいも at 2020年02月01日 22:27
先程家に帰ってから、財布の中身が、かなりの額、合わないことに気が付きました。どこかでスラれたか、ロッカーに入れておいた時に誰かが開けて盗ったのか、お店でお釣りを貰い忘れたか。
ロッカーを開けたのは誰か…私がお釣りを貰わない素振りを見せたためにわざと渡さなかったのか…あいつかアイツかと疑心暗鬼
帰って来ちゃったし、場所が特定出来ないだけに騒ぐことも出来ず、後の祭り
お金を失った悲しみと、自分への情けなさと、疑心暗鬼とで、虚しく、心細く、モヤモヤ
こういう時、目覚めた人はどんな心境になれるんだろう…
Posted by そら at 2020年02月01日 23:13
>それらに投影していた「夢」が消えるのです。

>そしてあるがままが残ります。

>それを「いまここ」と呼んできました。

リアル・ワールドの中で、クンダリニー・シャクティが目覚める体験が起こったのは、かれこれ40年も前で、その後、それまでの世界は一変し、みんなと同じ世界にいるにも拘わらず、違う世界(次元)をリアル体験するということが起きています。

最初は、わたしの頭がおかしくなったからなのか?と疑いが起こり、自分が体験している世界を否定しようとしましたが、自分がやっていることではないので、今は、起きていることに逆らうことはせず(逆らうと、軋轢が生じるので)、この状態であっても、生きること自体に何か困るようなことは全く無いので、、流れるままに、この状態であることを楽しんでいます。(軋轢があった時もありますが、今はありません)
クンダリニー・シャクティの目覚めの後、所謂、体験者が消える「わたしはいない」も起こり、その時、自己の本質、この宇宙の唯一の実在が明らかになりました。
ソレは、何も無い「  」というより、強大なパワーそのものでした。
その時、これが、最初に体験したクンダリニー・シャクティの源だということが、何故か、ハッキリとしたのでした。
この宇宙を根底から支えている強大な力は、誰の中にもあり、その力が、わたしたちを生かしている原動力として働いているだなんて、体験が起こる前までは想像したこともありませんでした。
なので、「目覚め」と言うと、「この世という夢から覚める」という意味ではなくて、わたしの中では、「クンダリニー・シャクティが目覚める」という意味合いになることが多いです。
それと言うのも、この世という夢から「目覚める(わたし)」は、何処にもいないからです。
一瞥体験などで、自己が消滅しても、肉体がある限りは、一時的な消滅後、また、自己は戻ってきます。
戻った後は、現実世界のリアル感は色褪せ、「体験するわたし」のリアル感も薄らいでしまい、リアル世界は、夢のように感じるので、「夢から覚める」と表現しているのかもしれませんね。(この世を夢だと見抜くという意味で)
それは、エネルギー的な視点からすると、その人が発しているエネルギー(波動=振動)が少し高く(微細に)なったために、自然と起こる現象と言えます。
中には、あまりに高い波動(高周波数)のために、夢のように感じるリアル・ワールドでさえ、消滅してしまうケースもあるようです。(周波数=波動が高くなると、物質世界が幻のように感じます)
このようなケースは、今の地球のプロセスにおいては、まだまだ稀な現象なので、今の地球人には理解不可能ですが、もう少し時間が進んだら、そう不思議な現象でもなくなるような気がしています。
こういうことを書くと、非常にオカルトチックな話になってしまうので、普段は絶対にしませんが、今日の記事は、夢に関するお話だったので、こういう一風変わった夢もありますよ、という意味で書かせて頂きました。
クンダリニー・シャクティの目覚めは、通常の人間の常識や認識では、理解できない体験ですが、それが起こると、チャクラが全開になるので、ESPが目覚めることがあります。
それが起きた時は、信じられない気持ちでしたが、宇宙の強大なパワー(と言っても、ソレが、わたし達の本質なのですが)が目覚めるのですから、それほど不思議なことではないのでしょう。
多少の差はありますが、今の世の中で、そのパワーが目覚めている人たちがいることも知っています。
そう考えると、この世という夢の世界は、多種多様であり、何でもアリ~の本当に豊かで、人間の想像を遥かに超えた展開をしていて、「いまここ」では、何も起きていませんが、人間の脳が見ている「この世(リアル・ワールド)」という「錯覚の世界」では、、まだまだ人類には明らかになっていない未知なる神秘があるようなので、それらがひとつひとつ明らかになるまでは、これからも、人類は地球上に次々と現れて、今より神秘が明らかになった未来の地球を、目覚めた意識で生きていくことでしょうね。
これは、他愛もない空想ですが、全く根拠がない訳でもありません。
短時間ではありますが、神の創造の壮大なストーリーの極一部ですが、驚きと歓びをもって観賞できたことで、体験した悪夢も楽しい夢に変わりましたので、もう何も思い残すことはありません。
人生は、短い夢ですが、どんな夢であっても、必要だから起きている。
そのことを信じて、誰もが、楽しく夢見ることができるといいですね^^
(今日は、個人的に観ている夢について、書かせて頂きましたが、不適切な内容でしたら、未承認でお願いします)
Posted by 今回は匿名で at 2020年02月01日 23:56
ある時、病院のベットの上で女の子がお母さんに向かって
わたしたぁっくさんはしって、はしって、はしりつかれて
おひるねしたら、目が覚めて、( ̄▽ ̄;)。
夢だった。って残念そうに言ってました。
その時、夢じゃないよー。夢じゃないよー。本当だよー。って
言ってあげたかった。
Posted by 留魂 at 2020年02月02日 00:57
この世界現実が「夢」だと思い込んでも、やはり夢だと思う、「対象」がありますね。
そこではなくて、体感や内面探査を通して顕れてくる「静寂なるもの」の空間が、
思考・思念・思惟・想念といった頭脳(頭の中)での出来事を、夢だと実感させてくれるのが、目覚めであり、以後に思考の世界観にどっぷりと浸かることはなくなります。・・・人生は夢。だと思う対象は消え、彼方からの何かが自我と言う夢を見抜いてくれる。目覚める者がいないのです。「私」が何か違った世界を観て来ることではなくて、「私」が何かに見抜かれることが、一瞥と理解しています。

見抜かれても、尚、思考を信じてしまうことが繰り返されます(苦悩ありきです)
それは、苦悩する「私」が本来には「いなかった」のだと気づき得るまで、続きます。ノンデ系はこのことに言及し、旧来の悟り系は一瞥に言及している。
そんな風に考えます。この思考は無意味だとわかりながらも、エゴは抵抗を試みますね(笑)朝から、めんどくさい話しを書いて、ごめんなさい。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年02月02日 08:14
おはようございます。
この記事の中に、知りたかったことがありました。
ありがとうございます。
もう少ししたら出勤時間です。いってきます。
今日も穏やかな良い一日をすごします。

皆様も良い一日でありますように。
Posted by あおい at 2020年02月02日 08:19
模察と申します。

夢とは、寝てる時でも起きている時でも、考えている時のことなんです。
私とは、その考えている時にだけ現れる者。
考えることが消え、身体が感じているだけの時は目覚めています。

言葉で書いても信じて貰えませんよね、考えてない時は目覚めているなんて言っても。
でも、瞑想や坐禅している時、考えが浮かんでくることを無視して五感を感じていると、悩みや苦しみを感じないことが事実だと確かめられるとは思うんです。

これが目覚めなんですけど、考えが浮かんできます。
「これが目覚めであるはずがない」って。
浮かんてきた考えの方を信じます。
心が求めているのは目覚めなのに、考えを信じます。

心が考えることの奴隷となることをやめて、心が考えることを召使として使えるようになるといいのですが…
Posted by 模察模察 at 2020年02月02日 10:59
あ、二大「巨頭」揃い文←オイw
レジェンド1.
単なる思い込みでも( ̄▽ ̄)揶
 実体験からでも( ̄▽ ̄)揄
  同じ事なのです( ̄▽ ̄)世
どちらも主観なので
 オレの体験だけは
  思い込みなんかでない
   って無いの余( ̄▽ ̄)念
(体験への疑念を言ってません)

レジェンド2.
そのロジックにテラスなら( ̄▽ ̄)
「寝言を言ってる」
事になりますワ( ̄▽ ̄)ネ
まさか眠りに落ちて(思考して)
 正当化されるのかしら?(:・∇・)
思考=夢には同意ですが、
その様にして、
「現実として対応」されてらっしゃる実際がありますから( ̄▽ ̄)ネ?
Posted by Ciel at 2020年02月02日 19:31
こんばんは。
昨日、身体を定期的に治療していただいている方から、「目覚めが近いかもしれない」と言われたところだったのでタイムリーでした。
阿部さんのブログはいつもわかりやすくて、本当に助かっています。

ありがとうございます。
Posted by あや at 2020年02月02日 23:30
Ciel さん・・・たまにいじってくれて、どうもありがとう(笑)

そう・・・そこよね~。わたしのばあい・・・全部が妄想なので、自分でも手をやいております(笑)

PS:だしへのじょうねつがわたしにある訳でなく、だしにじょうねつがあるのだとおもうwwwきょうこのごろですわ。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年02月03日 08:40
不平不満を言うより足るを知る。
自戒にて。




などと。
Posted by 心ジョージ at 2020年02月03日 09:21
二大巨頭

チコちゃんvs.コマワリくん
Posted by 宇宙銀河双璧の戦い at 2020年02月03日 10:55
だし?…「煮物」かと思いますたw
優勝を祈念しております(・人・)
*その先の【本願】は特に←え?

心ジョージさま
だしのつぎは「しる」ですかw
至る所ジョージです( ̄▽ ̄)←あ?
Posted by Ciel at 2020年02月03日 14:18
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