2018年12月12日

12月12日の記事

人は皆オギャーと生まれて、周囲の加護のもとで育っていきます。

生きるために必要なことは、すべて親が面倒みてくれました。

完全に依存した状態から人生が始まりました。



少しずつ成長して物心つくようになると、今度は自分を律することを教えられます。

自律です。


さらには、周囲に頼るのではなく自力で生きていくことを求められます。

自立です。


こうして大人になるための準備をし、社会の中で一人の人間として生きることを目指すわけです。


もちろんこの時点では、自律や自立を可能にする「自分」が実際には存在せず、想像の産物などとは夢にも思っていません。

これらを教える大人たちも、そんなことは荒唐無稽な思想であり、自分を確立し、よりよい自分として生きることが何より大切な生き方だと信じて疑いません。


それはそれでいいのです。


人間は一人で生きることはできず、直接間接的に他者との関わりの中で生きるように定められているので、まずは自分を確立することは必要なことです。


でもそれが全てではありません。


もしそんな生き方に終始していれば、怒りや不安やストレスが蓄積されて、やがては心や体を壊してしまうことでしょう。

これが極めて多くの人に起きている現実です。


先行きが見えない中で、何度も決断を迫られ、その結果の責任を一身に背負うというのですから、苦悩にさいなまれるのは当然です。

しかもどこまでいってもこれでいいということがありません。

いつだって道半ば。

多くの満たされない欲求を抱えながら、そして死んでいくのです。



そんな中で一部の人の心に、人生はこれ以上の何かがあるはずだという想いが芽生えます。


そして救済を求め、スピリチュアルやら宗教やらに関心を持ち、それを自分のものにしようとします。


これは次の段階に移行する入り口になるので、とても重要なステップです。



しかし人は、自立している「自分」という幻想にすっかり馴染んでしまっているので、それら精神世界の教えを自分のものにし、自分をさらに成長させようとします。


この態度は、お金や名誉を求めていたそれまでの生き方と何も変わらず、ただ中身が物質世界から精神世界に変わっただけです。



次の段階は自立して求めていたもの全てに満たされるのですが、そこに入るためには自分を手放さなければなりません。


でもそんなことはできるはずがない。


自分が自分をどうやって手放すというのでしょう。


続く



Posted by Toshiro Abe at 13:45│Comments(48)
この記事へのコメント
動けない理由や、事情を作りすぎた自分が、身動きとれずに萎縮しちゃっています。

何十年も積み重ねられた自分の思いぐせを
手放したいですが、
同時に怖さもあります。

周りに遠慮して、自分のやりたいこと出来てません。出来ないように自分に言い聞かせすぎちゃって(^-^;
Posted by くるりんぱ at 2018年12月12日 13:58
綱渡りの綱は、地面と同じ高さにある


本来に気づいた人が、大笑いするわけですね



阿部さんに いまここから

   ついに 寒くなった東京から

             ありがとう
Posted by CHUYOSPACE at 2018年12月12日 14:00
ありがとうございます。
Posted by りゅうじ at 2018年12月12日 14:05
今日もありがとうございます
もの凄くもがき苦しみましたが
今は相当楽ちんに生きています

苦しんでいる人に
こっちだよと言いたいのですが
言葉では無理!

だからこのブログを教えました
見たと言ってくれたので嬉しいです

だからほんとに阿部さんには感謝です
Posted by yaboi at 2018年12月12日 14:13
すごくよくわかります。
身に覚えが。笑
自我の生き残りたいエネルギーは巧妙だと実感しています。
それだけ飢えをかかえている。(基本、足りてないから。笑)
すごく普通の顔をして、どこにでも起きていることです。

それ自体が苦しさの原因とは気がつかないことがほとんどで、わけもわからず、どこか苦しいです。
Posted by 薄茶色 at 2018年12月12日 14:44
12月10日の記事・・・?

(~。~;)?
Posted by poco at 2018年12月12日 15:24
過去からのあらゆる環境の中での経験が自分の表現(マインド/マインドをはっきりさせ)となり、

また新たな環境と経験をする中で切磋琢磨されたり、淘汰されたりし、

ただ今この時のマインド(自分の表現)の反応や・働き・意思表示と成っているように窺えます。

これは、「マインドのセンター」ができたともみえますし、

マインドを見つめることができる「意識のセンター」ができたようにもみえまして、

ようするにこれは、ただ自動で(私たちが/エネルギーが)流れ込んで、出くわすものを知ったり、反応するのではなく、

注意・気づくエネルギー・意識としての「自立」が行われているのではないかと?

感得したりもします。
Posted by y-be at 2018年12月12日 16:14
見上げた空の

雲の切れ間から青空がのぞいていて、今日の記事のようだと思う。


どういうことを書いてるのか分かる。歩んできた道。


ただひとりの人、ひとつの愛に出会うことで、人生の色合いが全く変わることがある。


忘れたくないし、たぶん、一番に大切にしたいこと(^_^)
Posted by ようこ at 2018年12月12日 16:20
rakuni...さん

>もちろんこの時点では、自律や自立を可能にする「自分」が実際には存在せず、想像の産物などとは夢にも思っていません。

私の「どっちでもよくなさ」は 例えば↑この
自分が存在する事を実際に「確認できない」事。
想像の産物が「確信に基づいて存在しているに過ぎない」事。
これは自分に限らず「全て」においてそうで(無常無我で同じ事だけど)。
私は「あれ?確認できない?確証がない」が「疑いと解かなきゃならない謎」の始まりだったので「どっちでもいい」とは思えずに必死ですみません♪
アクアさん そっち寒そーお大事にね♪ こちらもけっこー寒いっ。

阿部さん 続きが楽しみすぎるので 時間を置かずによろぴくです♪
Posted by まるまる at 2018年12月12日 17:15
え! つづくですか? (/ω\)

つづき 読みたーーーーい!!! 
Posted by ひとみ at 2018年12月12日 17:15
続きが楽しみです。
Posted by 風 at 2018年12月12日 17:18
私も無我 好きすぎて…笑
居心地悪かったんでしょうね、あれやこや(笑)✨

無我を手にする者はいない。

今日のブログで話している内容がいちばん重要だと感じています。
これも概念にして握らなきゃならないの?って方向に行ってしまうと苦しくなっちゃうんで、概念ではないよ、そうしなきゃいけないってことではないよ、とは注釈挟みたいですけど。そういうことじゃないけど、本当の気楽さを味わうならここが重要という仕組みは変えられない。

自分いないってほんとウケるんですよ。
ウケるとこだと思う。
こんな私だって、私がやってないんだもん。笑
誰がこんなこと信じるのか?
Posted by 薄茶色 at 2018年12月12日 18:05
阿部さんのそういうお話しが聞きたかった。
わくわくして続きをお待ちしております。
Posted by neo at 2018年12月12日 18:06
ここらで一発!でっかい花火を打ち上げたろうかい!
(一攫千金)

などと、およそ釈尊とは関係のないことばかり考えている人も
いるわけです

段階☆段階☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月12日 18:38
自分自身を軸として、
自由になれば、
地球からも独立出来て、
ゼログラビティ。

例えば、
髪の毛や、
肌に刺激を与えれば、
そこが軸になり、
全てにおいて、
軸なりよ、

バイ、コロ助、^_^
Posted by 前田ワタル at 2018年12月12日 18:52
今のところ。

「『「そんな苦しむ必要無いよぉ~」とか『苦しみ』に向かって言っている当の自分自身』 
 が、『その苦しみ』の根本だったでござる」

みたいに完全に気付いて

「もぉぉおええわあああぁぁぁぁああああっっっっ!!!!」

とこれ以上も無いくらいの自分ツッコミした時・・・・・なるのかなぁ?
ちょこちょことは気付いてますけどね・・・「あ。また『夢』にハマってた」みたいに。
夢の中で夢を見ていることに気付きながらもしばしば居眠りこいて夢にハマるみたいな(笑)
そんな『自分たち』、割と好きです(笑)←だめだこりゃ
Posted by ただの「自分」 at 2018年12月12日 20:43
いつもありがとうございます。
続きが楽しみです。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2018年12月12日 20:44
いつも気づきをありがとうございます。

まさに私のことです。
次回の配信は心に刻みます。
Posted by 鈴 at 2018年12月12日 21:40
人は、毎晩、簡単に、自己が無くなっていますよね?
しかも、ごくごく自然に、何の抵抗もなく、自分を手放しているのではないでしょうか?

手放そうと意図しなくても、誰でも眠っている間は、主体なる"わたし"は消滅しています。

あまりに当たり前過ぎて、気が付きにくいですが、熟睡中は、体の感覚も感情も記憶も判断も思考も"わたし"という感覚(意識)を生み出しているすべてが、消えています。

この場合、手放すというより、消えているだけと言えますが、一時的ではありますが、無我と言えば無我でしょう。
手放すというと手放す主体がいることになりますが、熟睡は、主体なる"わたし"がやっていることではなく、その間は、"わたし"は完全に消えています。
(眠りは、自律神経により自動で起こることなので、"わたし"の意志でやっていることではありません)

今日の阿部さんの記事の内容とズレてしまったかもしれませんが、記事の続きで、阿部さんのお考えをお聞きしたいです(^^)
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月12日 21:45
あべさんのブログ 本当ひさしぶりに読ませてもらって 何年も変わらないメッセージに感動です。ありがとうございます✨
Posted by みーちゃ at 2018年12月12日 22:56
・・・続くんですよね!

確かにいつも、いつでも、つづく気がしていて、それは、

成長とか、進歩とか、発展とかにつづくべきだという思いでいました。

でもそれらは、

「自分」ありきのベクトルな訳です。

つづくのは、永遠という意味で、

自分というエゴは、この世での幻想にしか過ぎないのでしょう。

でも、この体がある限り、(死を迎えない限り)自分というエゴは

手放せないのではないでしょうか?

・・・自分のボキャブラリーの無さを悔やみながら、

言い足りなさを感じてのきょうの精一杯です。
Posted by hiro-k at 2018年12月12日 23:03
OSHOも内観をとても重要視していますね。
内観の話し、しっかり伝わってきますw
間断なき修行というか、瞑想以上に役に立つ感覚が自分にはあるんですよね。
阿部さんの自分を手放すって、内観で自然に切り離されるって話しかな?
Posted by neo at 2018年12月12日 23:29
"わたし"が消える時さん
「無我」は 固定されない我の事で 無常と同じ特徴があります。
坐禅は「坐るが起きている=無我」で 睡眠なら「眠るが起きている=無我」なので 無我は睡眠時 消滅しませんし 消えてもいないし 寝てもいません♪
Posted by まるまる at 2018年12月12日 23:40
まるまるさん

丁寧な解説ありがとうございます。
こだわるところ、ひとそれぞれでいいと思います。

ただ、

「見性体験により阿部さんが語られたことを自分自身で確認する。」

「見性体験により阿部さんが語られたことを自分自身で確信する。」

と並べてみたとき、日本語としては前者が自然な気がします。

まあ、AQU@さん(12/10記事のコメント)の

>自分でしか確認が成されないという実際そのものを言いたかったのだと思います。

で伝えようとしたことは、もう十分に伝わってるので
どっちでもいいと思います。
Posted by rakuni... at 2018年12月12日 23:40
人の精神的な歩みのプロセスとは、そのように決まったモノなのでしょうか?

これまで、自分のプロセスをそのように考えたことは無かったので、意外でした。

人生、本当に、人それぞれですね。

自分のことは自分ですればいいので、
これまで、スピリチュアルに、自分についての何かを求めたことがありません。。。

ですが、大方の一番の関心事は、自分なんですね。

人間としては当たり前のことなので、それが悪いとは思いませんが、それでは、自分を手放すのは不可能でしょうね。
Posted by 素直な感想 at 2018年12月13日 00:50
・・・超薄い水割りを飲んで、なんとなくお酒を舐めたかな?みたいで・・目の前の美しい女性達を退屈させるには充分な青少年健全育成向けの立派な道徳信仰の話しよりましですね~
Posted by 神半分 at 2018年12月13日 05:12
エ?ビックリしました!

\(◎o◎)/

阿部さんはお昼の話をしているのだと思いますよ

熟睡☆熟睡☆

おはようございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月13日 06:10
昼間とか夜とか言う話ではなく、意識から見た私たちの状態の話です。

人間の意識は、通常、①起きている時、②夢を見ている時、③完全に熟睡している時という3つの状態を行ったり来たりしています。

"自分"という場合、この3つの意識の内、①の顕在意識を指しますが、②の潜在意識も③の無意識も、個人の意識と言えます。

阿部さんは"全体"と言う言葉を使いますが、この個人の意識は"全体意識"ではありません。

瞑想などで、個人の意識が全体意識に完全に溶け込んだ状態をサマディと言いますが、意識の状態からすると、③と同じです。
しかし、③はまだ己の本性を知らない無知の状態です。
真の自己である全体意識は、この3つの人間の意識状態とは別に存在しています。
この④の意識は、いつでもどこにでも存在しているのですが、通常は①から③の意識状態の個人にはわかりません。

阿部さんが、記事で伝えようとしているのは、この④の意識のことだと思いますが、この④の意識は経験によって知られる以外にはないので、言葉で伝えることは不可能でしょう。

しかし、"自己を手放す"ということに関しては、③の意識で簡単にできますよ、という話です。
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月13日 09:31
まるまるさんが言っているのは、前のコメントで書いた④の意識のことかと思われます。

④の意識は、サンスクリット語でトーリヤと言いますが、仏教では"無我"なのですね。

④の意識トーリヤは③の熟睡状態とほとんど同じですが、③は己の本性である真の自己を知らないので、無知とされている個人の意識です。

仏教とウパニシャッドは、多分、同じことを言っているのでしょう。
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月13日 09:44
素直な感想さん

>ですが、大方の一番の関心事は、自分なんですね。

>人間としては当たり前のことなので、それが悪いとは思いませんが、それでは、自分を手放すのは不可能でしょうね。

自分への関心をなくすことは、自分を手放すことに繋がるのでしょうか。

「汝自身を知れ」という言葉もありますし、他者は自分を写す鏡だという話もありますし、

自分への関心は持った方がよいと私は考えます。

自分に執着する(いかに他者を出し抜くかとか)のは違うと思いますが、

真理は自分の外ではなく、内にあるというか。。

とは言っても、素直な感想さんが

>自分のことは自分ですればいいので、
>これまで、スピリチュアルに、自分についての何かを求めたことがありません。

とか割り切った考え方ができるのは素直に羨ましいです。
苦しいと何かに縋(すが)りたくなりますから。
(縋ったところで救われはしないけども)
Posted by rakuni... at 2018年12月13日 10:20
究極の真実とは無のことでありまして…

全体意識や宇宙意識というのは実は、まだ夢を見ている状態なのですよ

無知というけれど…

ソレそのものの時には自分が消えているので
ソレそのものであることを知るということはありません

ですから、やっぱり、熟睡こそが真の悟り

祝福☆祝福☆

おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月13日 11:15
自分を手放す、、、わかるようでわからなない、、、
自然に任せています、、、
Posted by きゃさりん at 2018年12月13日 11:29
熟睡が真の悟り、とは書いた覚えはありません。

③と④は、同じように思えても、違います、と書きました。
個人の意識の中で、全体意識に近いのは③ですが、④そのものではありません。

それを言葉で説明するのは不可能なので、阿部さんもご苦労されているのだと思います。

熟睡が全体意識そのものなら、10年以上もブログで語る必要はありません。
熟睡状態が真の自己です、の一文で探求は終わります。
そうではないので、ジレンマの中で、みなさん探求しているのではないでしょうか?

しかし、熟睡こそが真の悟りと思うのは、個人の自由なので、お好きにされたらいいと思いますよ(^^)

いつでもどこにでも存在している真の自己を悟れば、無知は消滅します。

無知が消滅すれば、探求は終わります。

探求が終わっているなら、人の言葉に左右されることはありませんし、人の承認を得る必要もありません。

不動の智慧が、その人に流れ込み、外へと溢れ出てきます。
それを智慧の光と言うこともあるようです。
④の意識を知ったかどうかは、この智慧の光によって見分けることができます。

阿部さんの言葉に、智慧の光を感じているからこそ、このブログには多くの探求者が集まるのでしょうね。
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月13日 12:00
スピリチュアルって、霊性のことだとばかり思っていました。
ですから、このブログは、己の霊性について考える場だと(笑)

この世的な自分の悩みは自分で解決する以外にはないと思っているので、スピリチュアルに自己の救済を求めたことはありません。
何故なら、この世を生きているのは自分なので、この世の中で、自分に関することは自分でするしかないでしょうから。

しかし、考え方が変わると、それが救済につながっていくので、楽に生きるには、心の修養は有効だと思います。

自分を不幸にしている原因を突き止め、それが取り払われると、生きるのが楽になると思います。
それは、この世を経験しているのは、心だからです。
自分を苦しめている原因を突き止めるには、自分の心の奥深くを探る必要があるかと思います。
その原因がわかったら、次はその原因を取り除くために何をしたらいいか?と考え、考えついた方法を実行することです。
その力は誰にでも備わっているのですが、気づかないまま、使わないでいる場合が多いように感じます。

それが、阿部さんが仰っている"自立"です。
自立がなされて初めて次の段階に移行するということなので、先ずは自立することを目指し、次の段階のことは、その時になって考えればいいのではないでしょうか?
Posted by 素直な感想 at 2018年12月13日 12:25
私が消える時さんの、①②③④のお話
非常に分かりやすくて
心底納得!
Posted by まみっち at 2018年12月13日 13:18
>探求が終わっているなら、人の言葉に左右されることはありませんし、人の承認を得る必要もありません

まさに、熟睡中のこと(笑)
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月13日 16:56
ようこさん

>ただひとりの人、ひとつの愛に出会うことで、人生の色合いが全く変わることがある。

>忘れたくないし、たぶん、一番に大切にしたいこと


分かるような気がします。

私も昔、そんな人に巡り会いました。

名前も同じ、、、
Posted by ひろし at 2018年12月13日 18:57
流れを信頼する、let it be

素敵ですね。

何処にも行きはしない、いまここ

何が起きようと、いまここ

いまここ

いまここ
Posted by ひろし at 2018年12月13日 19:02
”わたし”が消えるさんへ、

>>手放そうと意図しなくても、”誰でも”眠っている間は、主体なる"わたし"は消滅しています。

誰でもでは?ありません。ものを知らなさ過ぎます。それは身体が睡眠と言われる状態の時に意識の活動ができない人の話です。

寝ている状態でも夢の中で自我意識を保てたり、身体から意識を分離して、他の感覚や、知覚行為を行える人たちは世界中にいると思います。

私もホントかどうかと自分で確認する上で、何人かの人と交流して、その人たちの日常をうかがったり、言うことに嘘がないか、いつも確認したりしています。

個人が居ないという捉え方が完成されてしまえば、こんな話は無用でしょうけど、

こちらのブログでも以前ランキング入りをしていましたところに【七色クリスタルと金星アフロ】というブログがランキング入りをしていますが、

そちらの過去の色々な記事でも色々と確認できるはずです。

♡気が向かれましたら、ご覧ください。

♥また、食わず嫌いして、批評されないようにお願いします。
Posted by y-be at 2018年12月13日 19:29
全然関係ないがまた瞑想をやり始めまし
た!やはり瞑想はやった方がいいのかな
自分は瞑想をしていて何か霊的な体験を
したことは1回もありませんが、何故か
寝起きには霊的体験をします。
今まで数十回はしています。
Posted by シキ at 2018年12月13日 21:58
>全体意識や宇宙意識というのは実は、まだ夢を見ている状態なのですよ


阿部さんは、こう書かれていますね。


>宇宙がなければあなたは存在しませんが、

>あなたがいなければ宇宙は存在できないのです。


>この言葉の意味が分かりますか?

>何度も何度もこの言葉に深く入っていってください。


>この道程で、自己と全体が一つだという洞察が生まれます。

>親友どころか、全体(神)とは、あなたそのものだったと知る瞬間です。


宇宙意識、全体意識、神とは、実在であって、夢の世界とは無縁の存在です。
夢を見ているのは、人間で、実在はただ在るだけです。
しかし、人間の熟睡状態とは違い、何も無いという訳ではないのです。
この夢の世界と同じくらい実在として在るのです。

③と④の違いは、言葉では説明できないので、詳細は省きます。
(エネルギーの領域の話になってしまうので、わからない人には、ますます理解できないと思うので)


>>全体意識や宇宙意識というのは実は、まだ夢を見ている状態なのですよ


誰が夢を見ている状態なのですか?

人間が、全体意識や宇宙意識の夢を見ているのですか?

それでは、阿部さんもまた、まだ夢を見ている状態だということになりませんか?

だとしたら、わたしではなく、阿部さんにそうコメントされたらどうでしょうか?
どういうお返事(反応)があるか?わかりませんが(笑)

これ以上書くことが無いので、コメントはこれまでとさせて頂きますね。
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月14日 00:45
"わたし"が消える時さんへ、

(_ _) 前言を撤回致します。失礼な物言いを致しました。

>>「誰でも眠っている間は、主体なる"わたし"は消滅しています。」という・・

12月12日 21:45に投稿されました中の文言だけを見て、コメントをしてしまいました。

他のコメントや、とても簡潔に分かり易くシェアして下さった”個人としての意識”の状態~①②③④~を拝見していませんでした。

”ものを知らない”のは私個人の方でした。すみません。<(_ _)>
Posted by y-be at 2018年12月14日 01:22
熟睡状態が真の悟りだと主張する根拠ですが、もしかすると、「心の静止状態」(マノラヤ)を最終ゴールだと思っているのかもしれませんね。

熟睡中は、心は完全に停止していますから。
しかし、それは一時的な心の停止であって、目覚めと共に心はまた活動を始めます。
思考がない状態→熟睡状態→真の悟りと考えたのかもしれませんね。
何かの体験があって、又は、深い瞑想によってもたらされた洞察であるにせよ、それは最終ゴールではありません。
ノン·デュアルティの誰かが、「何も無い」と言っているようですが、確かに、人間的なモノは何も無いとは言え、真の実在の存在自体については何も言及していないのは片手落ちです。
ソレを体験していない個人に、誤解を招きかねません。
"何も無い"と、"この世は幻、夢"と言うのは違います。
この世が夢、幻として在るように、永遠の実在も、在るのです。
ですから、熟睡中は、人間の意識は無くても、この"ただ在る"は在るのです。
この"ただ在る"については、阿部さんも大変ご苦労されて説明されていますが、ソレそのものを言葉で伝えることはできないので、正しく理解するには、それなりの体験が必要となってきます。

永遠の実在は、実在します。
頭の中の想像の産物ではありません。
永遠の実在が実在しなければ、私たちも夢や幻であっても、存在することはできません。
私たちが存在することが、永遠の実在が実在する証拠でもあるのです。
ですから、阿部さんは、"相互依存"だと言っているのでしょう。
個がなければ、全体もない、ということです。
この全体、永遠の実在を知ることで、人間としての探求は終わります。
ソレを知ってしまったら、人間として知るべきことは何も無い、ですから。
「一時的な心の静止」(=深い眠り)は、ソレではないので、まだまだ道は続くと思います。

(シュリ·ラマナ·マハルシが「あるがままに」の中で、「一時的な心の静止」(=深い眠り)について語っています。(111頁〜)
熟睡状態の意識と真我である永遠の実在との違いが詳しく説明されていますので、このコメントでわからない部分がありましたら、参考にして下さい。
長くなりましたので、コメント欄はここまでとさせて頂きます。)
Posted by "わたし"が消える時 at 2018年12月14日 10:19
"わたし"が消える時さん(その他永遠の道さん等)は元永遠のリーラさん(その他色々)ですか?

もしそうでしたら、お名前を変えて阿部さんに質問される真意とは何なのですか?

HNはむやみに変更されないようお願いします。混乱しますので。
Posted by tsubasa at 2018年12月14日 11:32
あたいらって、いったい何者か?

それを知る体験を阿部さんの表現で初めて知る事ができました。

ホオポノポノの中でもよく、いったいわたしとは何者か?

と言う言葉が出てはきてました。でも、いくらそう言われても、愛を選ぶか?孤独を選ぶか?

と言われてもピンと来ませんでした。

ただ、とにかく湧いた思考に対して、何かをしたり、終えたりするたび、思いだしたとき

ごめんなさい、

私を許して下さい、

ありがとう、

あいしてます。

と唱えるだけでした。
一体全体わたしとは何者かだけはどうやっても全くわかりませんでした。

阿部さんのブログを読んだり、禅サンガの録画、向さんの講話阿(おか)さんのお話しを聴いていたら、私とは何者かが、お話の内容から感覚的に知る事ができました。
それから、瞑想する事により、本当の現実は瞑想の静寂の方なのかとそれで、安心感が芽生え、お金がないときも周りで不本意な事が起こっても気楽に生きられる様になった。
今は以前に比べ豊かになっています。
自然と今の私にとってその時必要な分だけのお金が巡ってくる様になって感覚がある。

私とは何者かが、体感として馴染んでくると、
周りの現象で何が起こっていてもそれに対して一喜一憂で振り回される事はなくなってきています。

私とは何者かそれさえ体感出来れば後は勝手に起こる事が起きてく感じな様な気もする。

違うかもだけど、まだ、よく、わからん(笑)

でも、安心感が断然以前とちゃう!!
阿部さんのブログに出会えたお陰です。(笑)

ありがとう(^^)/

休憩おわるんで、読み直ししないで、このまま送信します。

ごめんなさい(^^;)
Posted by ダンボール at 2018年12月14日 12:54
全ては御心のまま…

大丈夫☆大丈夫☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月14日 13:37
リラックス♡リラックス♡

神々の遊び(永遠のリーラ)ですから〜☆(笑)

楽しかったで〜す♪

また、いつか遊びましょう(^^)/
Posted by (^o^) at 2018年12月14日 18:09
>先行きが見えない中で、何度も決断を迫られ、その結果の責任を一身に背負うというのですから、苦悩にさいなまれるのは当然です。

>しかもどこまでいってもこれでいいということがありません。

>いつだって道半ば。

>多くの満たされない欲求を抱えながら、そして死んでいくのです。


過去の時まさしく上に書いてある、こんな感じでした。


一昨日、落ち込む事があり、もうあのお仕事は来ないし、
もしかしたら、もう他のお仕事の紹介もこないかなと少し(だいぶ)不安な気持ちがよぎってました。

今は昨日と比べ落ち着きました。
自分から敢えてお仕事希望せず、来るままに待ってる状態にわざと今してます。

待ってる間の余力のお金は今、あります。

どうにかなるのも分かってます。
お金が尽きたらつきたなりの行動も起こせます。
今はほおっておいてます。
さあ、明日からのお仕事依頼のお電話が果たしてやってくるでしょうか?こないでしょうか?
どっちが来てもオッケーです。
ようやく、心、落ち着きました。

多分現金の余力が今あるから、
そう言えるのかもしれない。

全体さんのお陰です。
阿部さんや奥平さんの伝えたいことがだんだんに体感として入ってきてます。

周りをみわたせば感謝だらけだった!!


<m(__)m>

神様ごめんなさいいつもありがとう。
こんなわたしでもいいのなら、全体さんの為にお使い下さい!!
Posted by ダンボール at 2018年12月16日 11:28
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