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<title>阿部敏郎の　「いまここ塾」</title>
<link>http://abetoshiro.ti-da.net</link>
<description>本当は「時間」なんてなくて、本当は「今」があるだけで・・・</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Sat, 15 Jul 2006 17:03:18 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Tue, 11 Dec 2007 08:49:24 +0900</lastBuildDate>
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<title>勝縁</title>
<description>「勝縁」（しょうえん）という言葉がある。もともとは仏教語で、仏や悟りとの縁を言うんだけど、それが一般的には良い縁として使われるようになったらしい。縁というのは、事が起こるきっかけのことであり、その働きのこと。勝という言葉は、勝ち負けの「勝」ではなく、すぐれたという意味で、したがって勝縁とは、すぐれた縁ということになる。それじゃ、何がすぐれた縁かというと、事を起こした時、その関係者全員がプラスの経験をする縁ということ。そこにはマイナスの経験をする人や、被害者が一人もいない。この言葉、浜松にいたころに向和尚から教えてもらったんだけど、その時「僕と阿部ちゃんは勝縁だね」と言ってくれた。お互いに独自の経験や能力を与え合い、そのことで多くの人たちの役に立てたとしたら、それはまさしく勝縁ということになる。そういえば、kiroroという女の子２人組の歌手がいたよね。すごくいい歌をたくさん発表したけど、作詞作曲をした千春さんは楽器も演奏できないし、楽譜も書けないんだって。高校の頃、何気なく出てきた新曲をアカペラでテープに吹き込んで、それに友人の綾乃さんが和音をつけ、ピアノで演奏したらしい。メロディーは和音によってニュアンスがまるで変わってしまうから、その時二人の感性は一致していたのだろう。そんな出会いがCDのヒットにつながり、多くの人の心に潤いを与えた。以前、kiroroの二人に会った時、「君達のような出会いを勝縁というんだよ」と話したら、とても喜んでくれた。人生は縁によって生じているから、これから出会う全ての人と勝縁の関係を結べるように、そんな気持ちで出会っていきたいね。ぼくとあなたも勝縁。この出会いをきっかけに、お互いの人生をプラスに発展させていきましょう。今日もここに来てくれてありがとう。感謝勝縁確認ボタン　　　↓</description>
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<category>お勉強</category>
<pubDate>Sat, 22 Sep 2007 08:56:56 +0900</pubDate>

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<title>ご報告</title>
<description>沖宮（おきのぐう）への奉納演奏、無事に終了しました。あんなに多くの皆さんに見守っていただいて、とても素晴らしい時を過ごせました。気がつくといつも龍神さまのそばにいます。この龍宮の里に、家族ともども呼んで頂いたことをありがたく思っています。まずはご報告まで。</description>
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<category>お勉強</category>
<pubDate>Thu, 31 May 2007 15:39:34 +0900</pubDate>

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<title>自分って何？</title>
<description>自分とは何だろう？いきなりおかしな質問だけど、じっくり考えたことある？「あなたは誰ですか？」と訪ねると、多くの場合返ってくるのが「田中一郎です」とか「鈴木花子です」とか、名前で自分を紹介する。でも名前が自分じゃない。違う家に生まれれば違う名前だったし・・・そのほかに自分を表す要素としては、職業だったり、経歴だったり、出身地だったり、肩書きだったり、家系だったり・・・でもそんなものは全部、違う環境で生まれ育てば違うものになっていただろう。それでも「自分」という存在は残る。あらゆるアイデンティティ（自分を証明する要素）を取り払っても、そこに残るものがある。顔を整形しても、身体を改造しても、性を転換しても、変わらぬ何かがある。おそらくそれが「自分」なんだろう。このことを知るのが、今朝の荘子の話なんだ。また謎かけみたいになってしまった。夜まで考えてみてねよく探せば、ここにも答えがあるよそれはともかく、押してくれたらそれだけで嬉しい↓</description>
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<category>お勉強</category>
<pubDate>Thu, 22 Feb 2007 13:20:00 +0900</pubDate>

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<title>全ては夢？</title>
<description>おはよう。昨日はあんなにいい天気だったのに、今日もまた雨の一日になりそうだね。今朝がた夢を見た。・・・・夢って不思議だな。見ている間はあんなにリアルなのに、覚めてしまうと跡形もなく消えうせてしまう。人生も同じようなものかもしれない。前世でも家族がいて友人がいて、今と同じように彼らに愛着を持ち執着をし、日々の出来事に一喜一憂しながら、そして死んでいったんだろうな。あんなに愛したその人たちはどこに行った？泡にように消えてしまった。来世になれば今生の関係も同じく泡のように消えてしまうのだろう。そしてまた新しい関係を愛し執着し・・・・なんだか儚（はかな）い話になっちゃったから、ちょっと視点を変えよう。昔、荘子という人がこんな話をした。ワシは昨夜、夢を見たんじゃ。ワシは蝶々になって空を飛びまわっていた。それはとてもリアルな夢で、今こうしている現実以上の確かな実感があった。そして夜になると、蝶々の自分は夢さえも見ていたんだ。それはとてもリアルな夢だった。さてワシはいま、ある問題を抱えてしまった。それは、ワシが蝶々の夢を見たのか、それとも蝶々がワシの夢を見ているのか・・・さて・・・どっちじゃろう。この話は荘子が弟子達に語ったとされている。とても興味深い話だね。実際はどっちだと思う？午後にでも話の続きをしよう。それまで考えてみてね。いつも応援ありがとう↓</description>
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<category>お勉強</category>
<pubDate>Thu, 22 Feb 2007 09:07:00 +0900</pubDate>

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<title>経典について</title>
<description>仏教的なことやキリスト教的なことを書くと、余計な反応も引き出してしまって面倒くさいけど、一応始めたことだから書くね。お経に関しては少し誤解があるようだから整理しよう。本当は知識なんかどうだっていいんだけど、一応は正確にしておいたほうがいいものね。お経の原典は釈迦の死後１００年くらいして（紀元前4世紀あたり）弟子達が、言い伝えられてきた釈迦の言動を書きとめたもので、それはサンスクリット語ではなく西インドで使われていたパーリー語だった。日本に伝わったのは中国人がインドに出向いて、それを漢訳したもので、それは紀元2世紀くらいのこと。最初の原典からは５００年近くが過ぎた頃だ。その時の原典はサンスクリット語だったから、日本人にとっての経文はサンスクリット語からのものになるんだよ。実はね、中国も古くから文明が発達していて学問も深く、老子や荘子などの突出した宗教家も多く排出していたから、翻訳するときに原典に忠実に訳したのではなく、自分達の解釈をたくさん入れているんだ。だからサンスクリットの元の意味がわからなくなってしまっている部分も少なくない。だからといって法華経や大般若経などの大陸系の経典が劣っているわけじゃないよ。ただ釈迦の教えそのものというよりは、インドと中国という２大文明の叡智を結集させた傑作という感じだよ。一方でパーリー語の原典は、そのままインドから南アジアに伝わり、タイなどの国でほぼ原型を残したまま現代に伝わっている。これがいわゆる「南伝仏教」「南伝大蔵経」と呼ばれるものだよ。もうひとつの系列としてはサンスクリット語からチベット語に翻訳されたもの（チベット仏教）があって、個人的には一番興味がある。とくにカーギュ派の流れは、僕にとても多くの影響を与えた。その３つ（漢訳・南伝・チベット仏教）が仏教の3つの系統だよ。でね、お経はどれも「方便」なんだよ。真理は決して言葉で表すことはできないんだ。真理を指し示す指（ゆび）が経文。指はあくまでも指で、真理そのものじゃない。でも指のおかげで真理の方向がわかるし、大切なものではある。どの指が高度かなんてナンセンスな話で、そういうことを言い出すから僕は宗教が嫌いなんだ。大切なのは体感だよ。自分の中にある大いなるものとの繋がりを思い出すことだ。自分の偉大さを徹底的に知ること。釈迦だとかキリストだとかに惑わされちゃだめだよ。真実はズバリ「あなたの中にある」共感してくれた人は押してね↓</description>
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<category>お勉強</category>
<pubDate>Sun, 18 Feb 2007 11:20:00 +0900</pubDate>

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