2017年01月30日

輪廻転生の意味

前世など無いと言い切ってしまうより、それがあるということを前提にした方が、生きる意味が深まってきますね。

苦難によって魂が磨かれ、より高く進化するために何度も生まれ変わっていると考えれば、いまの苦しみにも耐える力が湧いてきます。

結局のところ人生は、どんなストーリーを採用して生きているかなので、輪廻転生を認めて生きるのもありだと思います。



ただそれも使い方であって、身障者に対して前世の報いだとか、不運な出来事は過去の因縁だとか、そういう見方をする人が出てくるので、僕はこの考え方には慎重に臨むべきだと考えています。

なぜなら、どんな現象にも、真逆からの解釈が可能だから。


見方を変えれば、身障者はすでに高い魂であり、だからこその苦難を選んで生まれてきたかもしれず、不運が続く人生も、そのことに立ち向かえるだけの進化がすでになされているから、それを試すために生まれてきたとも考えられます。

乗り越えられない苦難は与えられないという言葉がありますが、そのように考えれば、難易度が高いゲームのステージには、それなりの熟練度が求められるというわけです。


どう考えるかによって現象の見え方が変わってきますね。


やっぱりこうして書いていると、人生というストーリーから抜けた時、初めて安らぎが待っていることを伝えたくなります。

それを解脱と呼びますが、このことを見抜くために、輪廻転生という何本もの映画を、うんざりするほど見続けているのかもしれないですね。

そして、まだ飽きていないのでしょう(笑)



解脱と言うととても難しいことみたいに考えてしまいますが、ただ足を止めるだけの話です。

ストップ瞑想は、それをしている最中に解脱しています。


たまに思い出してやってみてください。

これが個から全体へのアプローチになります。




あれ?

個に徹したメッセージを書こうとしても、ついいままでと同じになってしまうのは、これも僕の業(カルマ)かもしれないですね。


誰もの人生が、何かの方向性によって突き動かされている。

これって何でしょうか。


ただの習慣かなァ。

それとも大いなる計画?


大いなる計画だと思ったほうが気が楽だね。

全部、計画者のせいにできるから(笑)




輪廻転生の意味


幸せな出来事は、ただ嬉しい。

不幸な出来事は、魂を磨くため。


そう考えると、なんでもどんと来いだ。






あなたがこれをクリックするように計画されていたらいいなァ。


輪廻転生の意味   



Posted by Toshiro Abe at 11:00│Comments(36)
この記事へのコメント
陰があれば陽があります。

陽があれば陰があります。


苦しみがあれば喜びがあります。

喜びがあれば苦しみがあります。


試練があれば支援があります。

支援があれば試練があります。


相対する体験を続けながら

成長し続けるのが宇宙の流れ・魂の流れです。


すべてが循環し続けながら

すべてが成長し続けています。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年01月30日 11:14
今日も計画通りにクリックしました

多くの人に届きますように

今日もブログ更新ありがとうございました  ^ ^
Posted by 洲鎌直喜 at 2017年01月30日 11:44
バラモン教における輪廻転生とそんなものは無いと異を唱えたお釈迦様。

これが日本においては、魂が生まれ変わり前世のカルマが今世に現出するとするというのが仏教思想だとごちゃ混ぜに信じている人が結構いらっしゃることが面白いです。

魂やカルマを信じても勿論良いのですが、それが負担となって苦しみを生んでいることに気がついたならば、バラモン教における輪廻転生思想の目的と効果を知ってても良いかもしれませんね。
Posted by 模察模察 at 2017年01月30日 11:53
十数年前、知人がこんな話をしていました。

A「私、こんなぼろぼろで、なんで生きてるんだろうな」
B「それがハイヤーパワーの計画だ」って。

‥と、まぁそういうことなんでしょうね。
あの頃の皆は幸せにしてるのかな~。
俺はおかげ様で幸せだぞ~、って言ってやりたいです。(^_^)
Posted by M at 2017年01月30日 12:28
阿部さん、いつもありがとうございます
Posted by ゆりん at 2017年01月30日 12:41
身障者の方たちに対していつも感じることがあります。
障害をもって生まれることは、前世の報いなどではなく、周囲の人間に深い愛や優しさを教えるために、自ら選んで生まれてきたのではないかなと。
そして、自分自身も、例え障害を持っていたとしても、すべてを許容し、心から愛してくれる人がいる喜びをより強く感じるために敢えて身障者であることを選んでいるのではないかなって。
いずれにしても、とても純粋な魂の持ち主なのだと感じます。
Posted by mimi at 2017年01月30日 12:46
阿部さん。こんにちは。どうもクリックするように計画されてたみたいです。

今日の大空さんのコメント。解りやすくて素晴らしいです。

いつも更新ありがとうございます。
Posted by 永井新吾 at 2017年01月30日 12:54
いつもありがとうございます。

境界線。

身障者を特別扱いせず、日常生活に当たり前にいる世界。

こうなるには、いじめや差別を「ある」ものとして受け入れる覚悟が必要かもしれない。

苦しみから逃れる為に、ストーリーと分っていても詭弁だとわかっていても受け入れる姿勢も必要かもしれない。

その根底には、人間理解がある。「にんげんだもの」この裁かない為の逃げ道を作る。

この逃げ道こそ、全ての人間の中にある闇と向き合うことができる。

トランプが態度を明確にした。その相対としての日本。

決着がつくものはついていくだろう。つかないものは、破壊されるか、消滅するか。面白い。偽善とまでは言わないが、はっきりするものがでてきそう。

ワンネスのエネルギーの転換点。
Posted by まっす~ at 2017年01月30日 13:02
前世って、やっぱりあるんですか〜?ないと聞いていたので。

でも、私も、エジプトの記憶があります、その時は女性でした
阿部さんの真理を聞いていたのかもしれませんね〜
現在も、同じ!と、思うと、うれしいです
TVのエジプトの特集を観ていると、興奮します、壁画も好きです

前世も、考え方次第ですね
自分に都合良く考えると楽です
今日も自分に優しく、楽しく♫
Posted by Pink at 2017年01月30日 13:27
個から全体へのアプローチの意味が何となく掴めかけた気がする。

個から抜けた瞬間、全体の何かに作用するのかな。

絡まった糸がほどけるみたいな。

私の解釈なんで、低次元の発想だったら、はずいっす!

今日は掴めてもドラマよっては、見えなくなるひもあるけど、何とかなるべさ。

今日のメッセージは静かなる宇宙って感じだ。

ポチッとな温泉ざるがいつもよりくつろいでるようにみえる。

ウーン、ヨカヨカ(=^..^=)ミャー
Posted by ふこちゃん at 2017年01月30日 13:40
昔から 突然しばらくボーッとする癖があって、その時は ハタから見れば、目の焦点もおかしくなっており、人から目の前で 手をかざされたりすることもありました。

いま 思えば あれはストップ瞑想だったのかもしれません。笑

他にも そうなってる人 いました。

あれも ストップ瞑想だったのかもしれません。

ストップ瞑想中に 他人から手をかざされた私は、なんとなくその動作から馬鹿にされているかのような気持ちとなり、イラっとして、ストーリーに戻ってゆくのでした。
Posted by 薄茶色 at 2017年01月30日 15:07
2017年1月30日の日本

というタイトルの映画…

なんかリアルすぎですよね

(^_^)v


無料☆無料☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月30日 16:13
阿部さん、ありがとうございます。
そう書いてもらえると苦難も乗り越えられそうな気がします(^-^)
感謝ヽ(^o^)丿
Posted by 星 at 2017年01月30日 16:23
阿部さん
いつも ありがとうございます。
ある日 自分の中から「いた!」って声がでて、ビックリしたことがあります。
私 この人をさがしてたの?って。
生まれ変わるって思ってる方が楽しいです。
寝ぼけてたのかも知れませんけど(*^^*)
Posted by Rie at 2017年01月30日 16:28
自分や身近な人が身障者ではなく、障害を持つことが他人事の人は
「不運な出来事は過去の因縁だ」と解釈し、
一方、身障者の立場に立って考える人は
「高い魂であり、だからこその苦難を選んで生まれてきた」という解釈したり。

個の立場の話は、やっぱり善し悪しをジャッジせざるを得なくなって、
息苦しいな、と感じたことが逆に興味深いです。
Posted by パッカラン at 2017年01月30日 17:16
阿部さんこんばんは

物事は何でも見る立場によって
全く違うように見えるんだなぁと
最近実感できるようになってきたところです

だから
絶対ってことはないのかなぁと思い始めた
今日この頃です

考え方次第でどんなことも
楽しいことに思えてくる…

そんな毎日を過ごしたいです
Posted by 夜明けのみゅー at 2017年01月30日 17:54
ストップ瞑想の記事、拝見しました。(^_^)


『もしこの30秒間を、毎日6回以上思い出すことができたら、たったそれだけであなたの中にエネルギーがプールされ、あなたは輝き、人を惹きつける磁力を持っていく。

早い話が、異性からも同性からもモテだすだろう。』


とありまして、阿部さんの迫力の秘密は、ここにあるのかな?と思いました。

だとして、エネルギーのプールって、どこにされているのでしょう?

いつか、見えない体、7層の体についてお話しがでましたが、そこのどこかにプールされるのでしょうか?



また、


前世の記憶も、7層の体のどこかに記憶されているのでは?と思っております。
(こちらは瞑想を通して興味をもち、そんな情報を見ました)


そして、生まれ変わっているのはこの見えない体であり、見えない体を癒していくことが、人生の最重要課題なのではないかと、推測しております。(^_^)
Posted by ようこ at 2017年01月30日 18:54
前世のカリはありません。
(現在も進行しているからです)
人は身体ではありません。
個人を脇に置き、
意識体として読んでみてください。

言葉(文字)
は一列に並べないと用をなしません。
直線的な時間の存在を前提としているからです。
言葉(表現された思考)の用い方、
文章や事象の理解の仕方は、
特定の様式に添う必要があるワケです。
その様な性質を持つ言葉(思考)を用いて、時間が存在せず、あらゆる事象が、
一斉同時に展開してはいるのだけれど、
制限した能力上、
情報の全てを扱い切れないので、
特定の現実だけにフォーカスします。
つまり、
注意を向けた周波数帯だけに絞り、
それ以外にシャッターを降ろします。
(特定の番組だけを視聴します)
すると第六感は知覚しているのだけれど、
説得力を持つ五感が
「無かった事にします」。
これが「マトモな大人」の知覚〜認識に
至るパターンです。

実際に展開している様子を記します。

け し あ ま お で う て め と
(リアリティの実際です)

あ け ま し て お め で と う

(個の視点による思考パターンです)

直前の生を終えて次にコノ現世を生き、
今生を終えて来世に生まれ変わる…
のではなく、
あらゆる人生は同時に展開しています。
(トンデモない数です)

地球時間・現地時間・時差・時刻補正…

人類共通認識=お約束=本質的に幻想

昨日と今日を分けているのは
日付変更線…ではなく、
思考です。
昼夜の移り変わり、季節の移り変わり、
物質の様相、自他容姿の変化、
*見かけ上の推移は「演出です」。

個々の転生(履歴)ですね。
例えば現世も無数に並行しているのです。
(トンデモない数です)
その源が「存る」=本当の私です。
(不生不滅です)

在る(結局アナタですが)は
時系列を無視して、
時間軸でいう遥か昔の過去を
「来世として」選んでもいるのです。
この記事(この人生)から出たなら、
随神ブログのどの記事でも、
アップされた時系列を無視して、
最も古い記事(過去世)を
最新(現世)として
経験する事ができるのと同じです。

一つ前のコメ欄(前世)閲覧中のアナタは、次の記事コメ欄が来世だと、
「見なす事を選んでいる」だけです。
その様に考えるように、
教育されたからです。

現世をサンプルにしましょう。

国と時代を決め、
(舞台設定)
性別、容姿と性格を決めた。
(キャラクター設定)
家族をはじめとする登場人物を設定し、
経験すると決めた台本を設定します。
(基本的に内容を忘れて演じます)
で、イキナリ本番スタートです。

*好ましくない出来事、
苦難や生まれつきのハンディは、
前世の「報い」ではありません。

ただ、理由もなく蔑ろにしたり、
理不尽に扱うなら、
便宜上の次回の生において、
同じ境遇を
「自分で選ぶ」事はあります。
自分がした事の逆の立場になり、
その感情を経験する為です。
では一律に括れるのか?
括れません。
「設定の理由は個々で異なる」からです。
更には、
今生の設定を決めた前世の振る舞いは、
「イマを変えると変化します」
決まり切った特定の過去はないからです。

いずれにしても、
法則原理に強いられた物語ではく、
自らがライター兼メインキャストです。

*在る(魂)は地球用の身体を創造し、
入ります。
(構成要素、動力源は同一です)
些細な状況すら見逃しません。
(アナタ以上にニーズを熟知しています)

現在が変わると過去(前世)が変わり、
未来(来世)も同時に変わります。
今生の問題が前世(特定の)の影響だと
しても、
そうした過去(の経験)が変わるので、
現在の私に対する波及効果が変わります。
前世を知らなくても、
イマを生きれば変わるのです。
Posted by 無料案内所 at 2017年01月30日 19:08
こんばんは、パッカランさん、“興味深い”です。

“それ”に気がついてしまうあなたの「マインド」は、、

もう?どんな立場?にも、何?にも依存しない!見方が出来ないと、、

「満足」できないかも知れませんね。

優しいのに、率直で、でも、懐の広い、公平で、心のこもった、プラス熱い!ハートの持ち主の、あべさんのブログには、

相当量のうんちくを始め、貴重な気づきや、発想の転換をされた内容の記事や、他では有り得ない正直な思いの内容も、たくさんあると思います。

きっとあなたのマインドが共感する記事や、コメントも、多くあるはずです。
Posted by y-be at 2017年01月30日 19:45
確かに意味不明な親近感だったりなつかしさ、
記憶だったり、、、ありますね。
何なんだろう、、
進化や成長って何なんだろう。
何がその成長をみるのだろう、、分からないことばかりです。
Posted by AYAKO at 2017年01月30日 20:01
いつもありがとうございます。
今日も善き一日に成りますように
Posted by ほったん at 2017年01月30日 20:58
まだ「照れ」がありますね?

こんな僕でも愛されるかなぁ、、でしょw

しかし愛されたいのはエゴです残念ながら

そして「こんな僕」の「こんな」は

かつてこの世界を心底愛せなくて死んでしまおうとまでおもった「こんな」じゃない?
Posted by あなた at 2017年01月30日 21:00
バラモン教

シルクロード

ユダヤ教 キリスト教

始皇帝

文化大革命

どれもが真実

そおっ~と(⌒‐⌒)覗いて観てごらん、仏教がキリスト教がになっている、そおっ~と覗いて観てごらん、キリスト教がユダヤ教になっている(⌒‐⌒)

そお~っと逆になると完了。
Posted by みちばた at 2017年01月30日 21:24
私はポジティブな意味付けするのが楽しいです\(^o^)/♪
Posted by じゅーじゅ。 at 2017年01月30日 21:26
>バラモン教における輪廻転生とそんなものは無いと異を唱えたお釈迦様。

そうなんですね。

お釈迦様は、そう悟られたのに、
ちょっと調べてみたら、Wikipediaにこんな記載があり、
現代の仏教では、こういう風に考えられているとしたら、
全く違った教えが仏教として広まっているということなのでしょうか?

それとも、これは、Wikipediaのこの記事を書かれた方の主観なのでしょうか?
Wikipediaに書かれていることが、必ずしも正しいとは思いませんが、
あまりの違いに唖然としてしまいます。

それとも、仏教が一般的に、輪廻転生をもじって、六道輪廻を説いているのは、日本の仏教界だけなのでしょうか?

いろいろなお寺に、堂々と、六道輪廻の図が飾られているのを、この眼で見ているので、
日本人が知っている輪廻転生の概念は、仏教によるところが大きいと思っています。

『仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、
および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。
部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。
生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、
悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。

仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方にすえている。

生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じるとする業論があり、
果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。
また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち輪廻転生を論じ、
世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。

輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学に普遍的にみられる要素だが、
輪廻や解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴である。

人の世は苦しみに満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦しみにも原因が存在する。
したがって、苦しみの原因を取り除けば人は苦しみから抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。

また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、
輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。』

ゾロアスター教に影響を受けたアブラハムの子孫による宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は、
死後は、生きていた間の罪過により、天国あるいは地獄に生まれる、という一回限りの転生の死生観を唱えているようです。

また、バラモン教に影響を受けた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教などは、
上に紹介したような何度も何度も繰り返される輪廻転生が死生観となっているようです。

調べてみると、いろいろな死生観があって、興味深いです。

それらの死生観の背後には、
肉体が滅びた後も、何らかの形で存在し続けたいという人間の願望が、あるのかもしれませんね。

生への執着、”わたし”という存在への執着。

それが、輪廻転生という死生観を生んでいるのかもしれませんね。

いずれにしろ、人間の死生観は、時代により、土地や環境により、類似性があったり、違いがあったりするので、面白いなと思います^^
Posted by 死生観の違い* at 2017年01月30日 21:39
山に生まれ変わりたいと以前思ったことがありました。
いま、亡くなったら
団地にされたり、壊されそうで
日々心の成長ができて。

少々のことでは、壊されない大きな山になるように
おおらかな、なんでも受け入れて、心の大きな人間
に成長したい
と思ってました。
Posted by 唯 at 2017年01月30日 21:51
いつも阿部さんはお優しい。
Posted by むぃ at 2017年01月30日 22:12
「無料案内所」さん、

あらら、ばらしちゃったみたいな「感」が湧きましたが・・(私はそこまで、知っていませんよ)

しかし、疑問?に想いますのは、そこまで、分かってしまって、

ユーモア?な、ジョーク・アピールでしょうが、ハンドルネームを「”無料”案内所」とし、一般的な人たちの価値観のように、

お金への依存の洗脳(教育)を受けたままの、執着心が、まだ?あるように、私は、勘ぐってしまうのですが・・気のせいでしょうか?

もちろん、非難しているわけではなく、そのようなことを知ってしまった後でも、地位や権力、お金や物を欲してしまうのかどうか、気になるのです。(心配になる)

この世的な認識を使えば、何か・・自分の未来を観るようなので。。
Posted by y-be+ at 2017年01月30日 22:41
☆y-be+さん安心してください。
★演技ですから(-.-)y-., o O
自覚の有無だけがあり、
「皆その人を演じている」
事に変わりありませんから。

物質的見地から見て、
自分なら拒むであろう役柄ですね。
割に合わない配役を演じている人は、
所謂「高い」場合が多いのです。
(同一ではあるのですが)
その様な役割を担当する人がいる…
からこそ、
「私達が知っている様な人生」
が展開するのではないでしょうか。

記した一連の通りだとして、
(それを知ったからといって)
受け入れ難いモノ、
許し難いモノを容易に許せる様になる…
事もありません。
*理性で感情は納得しないからです。
(担当部署が違うからです)
その様な感情を経験する為でもあります。

★オマケ
前世を簡単に知る(大まかに)

つけられた「アダ名」ですとか、
恋人(夫婦)同士なのに、
兄妹?
と言われたり、
親子なのに、
夫婦みたいね〜と言われたり。
「他人が何気なく言う言葉」の中には、
「前世のヒント」があったりします。YO
Posted by ゆらゆら帝国 at 2017年01月31日 01:31
>個に徹したメッセージを書こうとしても、ついいままでと同じになってしまうのは、これも僕の業(カルマ)かもしれないですね。
>誰もの人生が、何かの方向性によって突き動かされている。
>これって何でしょうか。

大枠の『流れ』は、変わらないのかもしれないですね。
その『流れ』の中で、『見る方向』は、クルクル変えられると思ってます。

輪廻転生って、『水』の『天』から『地』(雨)、『地』から『天』(蒸発)への
流れのサイクルみたいなもんだと思ってます。黒斎さんも仰ってましたね。
『日本海』から蒸発した水が『南極』のブリザードに『生まれ変わったり』する、みたいな。
『六甲のおいしい水』の『前世』が『シャスタ水源』なんて事もあるんだろうと思いますし、
『シャスタ水源』が『前世』な『水』が『一滴』だけであるはずはありません。

自分の場合、「ストップ!」すると、体の外側より、内側に意識が向きやすくなります。
『思考』、『感情』、『感覚』は、その『根っこ』に『エネルギー』が湧いています。
体のどこかから湧いています。
それを見つけ、その『エネルギー』を感じ続けるだけで、
それぞれの『エネルギー』に必要な事を行い、癒やしやすくなります。
呼吸とか、ストレッチとか、げっぷとか、センタリングとか、体内を回すとか・・・・・
『気』を感じやすい人は、わかりやすいだろうと思ってます。

こういう事を普段からやってますが、
時々「ただ感情を感じるだけ」と見聞きするの、
自分にとっては、
「ただ思考や感情とかの根っこの、エネルギーを感じるだけ」
これだなー、と思いました。

今のところ、自分にとっては、一番シンプルで効果的な方法です。
Posted by ただの「自分」 at 2017年01月31日 01:37
>なぜなら、どんな現象にも、真逆からの解釈が可能だから。

>どう考えるかによって現象の見え方が変わってきますね。

すべては、心の作用によるものです。

善悪、優劣、損得、美醜、高低、。。。。といった相対の区別、
そして、その区別から生じる差別。

区別や差別は、外側の世界ではなく、心の中、内側にあるのです。

内側の世界は、認識に支えられています。

身障者という言葉の中には、すでに、心に与えるあるイメージを持っています。
人は、その言葉を聞くと、その言葉が潜在的に持つイメージをキャッチして、心に投影します。

言葉は、すでにある特定のイメージを含んでいるので、
その言葉を聞くと、そのイメージに心が反応して、あたかもそのような人がいるかのように錯覚してしまいます。

身障者という人間を造り出しているのは、人間の心なのです。

心の中以外には、この世にそのような人はいません。

認識がなければ、相対の世界はありません。

認識がなければ、どんな世界も存在することはできません。

心がなければ、カルマも時間も空間も因果律もあり得ません。

そして、心が、人間が抱えるすべての問題を生じさせているので、
どんな問題も、心がなくては存在しません。

が、この心を正すことができるのも、また心なのです。

心がする選択は、心が決めることができます。

この心を制することを、ヨーガと言います。
Posted by 心の作用* at 2017年01月31日 02:32
あべさん

きのうのよる 瞑想していたら
自分を憎む気持ちが 破壊したいような気持ちが
わいてきて
18のとき おなじような気持ちで自分を傷つけた記憶が
つながって よみがえってきて
起きてもまだ かわらず あります。

きっと あれから ずっと あったけれど
ずっと 向き合えなかったものに
向き合えるように なった から 気づいた だけ かな と
いま 書いていて ふと おもいました。

きのうのよる そうして ねむりにおちる直前
”自灯明”ということばが ふっとうかんできたのも
いま おもいだしました。



どちらにも よりそえるといいです。


⋆。˚✩
Posted by めい at 2017年01月31日 06:30
勘違いかもしれない

僕宛で 解釈してよければ

いいとこついてる

グサッときます

小さいときから

恥や恐れにまみれた人生のストーリーで

自分自身を

恥や 恐れ に あけ渡してしまってきた

悪循環で 本当の自分から遠くかけ離れた

1番 何よりも 欲してるものかな 自分

くだらんなあ

それにくらべりゃ

誰かからの 愛だの 評価だの

馬鹿にされたり 虐げられたり


くだらん 小せーー

んなもんに まだ 囚われて 恐れてる


でも まあ 大丈夫

俺の人生はこれでいい

後悔や 恨む気持ち なんてのは 全然なく

心の底から 死にたいと

思ったことはなかった



なんか

何が言いたいかわからなくなったので

いや面倒くさくなったかな?

このへんでやめます

勘違いなら なにやってんやろ俺

ありがとうございました(_ _)
Posted by slow*boy at 2017年01月31日 07:08
ゆらゆら帝国さん、おはようございます。

♡ありがとうございます。やはり、そうでしたか、至福感に浸りっぱなしではなく、降りたり、合わせられたり、移動することが、可能なのですね。

たぶん、意識の在り方、感覚?としまてしも、無形・無色・無分別・無境などにも、居られるようになられたゆえ?

そのような隔ての無い情報がもたらされるのですね。または、気づかれることも可能なのですね。

私は以前、「魂」が本当にあるのか?と、

「魂」の実感とか、「質」だとか、「大きさ」だとか、「同魂」とは?だとか、「ソウルメイト」って?だとか、「一人の魂の数?」だとか、「一つの魂の枝分かれ」だとか、「一つの魂の共有」だとか、「魂の範囲」だとか、などなど、

結構?真面目に、探っていたときがありまして、皆さんにもシェアしていらっしゃる?“オマケ”のことも、少々ですが、察することができるかも知れません。

ゆらゆらと、つかみ所のない?真実を、ありがとうございます。
Posted by y-be at 2017年01月31日 08:01
輪廻。
私(まるまる)の人生を振り返ると 六道の輪廻があったな と思います。
気づきの始まりは 確かに地獄道だった。
何も知らずに 自分も他人も傷つける為に 生きていたようなものだった。

禅に出会い、天道(悟り)を求めて、飢餓に気づき、飢餓道を解脱し、 畜生に気づき、畜生道を解脱し、修羅に気づき、修羅道を解脱し、人間に気づいて、やっと人間らしく生きる道まで たどり着いた様に思う。
それでも 油断大敵で 畜生道に舞い戻らない様に 参禅(瞑想)は 必需品であって。一方通行なら 良かったのに。と思うけど。

まるまるは まるまるのまま 五道に気づき、その度に再誕を繰り返した。
そんな訳が在って、まるまるは、輪廻は 今生にある。という認識を持っています。
死んだらどうなる? 生まれる前はどうだった?
そういう事は やっぱり あんまり 意味に出来なかったな。
「いまどう在るか」人間道のまるまるが「余生」を暮せたら、それを「天道」と呼ぶんだと思っています。
Posted by まるまる at 2017年01月31日 08:07
とっくに、終わった話と、記事ですが。

間違えて、今日の記事かと思い、読んでました。(^_^;)

>>あれ?

個に徹したメッセージを書こうとしても、ついいままでと同じになってしまうのは、これも僕の業(カルマ)かもしれないですね

それは、自分(今の心持ち)が、自分の身体が、自分の心が嫌なことではないでしょうか?

当然、同類、共通認識があると思っている人間たちや、動物たち、他の生き物たちなどへも、

苦しんでいたり、困っていたり、痛がっていたり、不幸だ、不憫だとか、

あべさんというキャラも含めたご自分/「心持ち」が認めて、受け入れてる素直な思いや、感情、直感などではないのでしょうか? 

別の言い方を「慈悲」とも言えるかも知れませんが・・

いずれにしても、無・空・意識・現象世界も含めました理解(または、信頼が)が・・(頭だけのものではなく)

そのような?無意識的な衝動を起こさせるのでは、ないでしょうか。


ちなみに、この「気づき」を漏らされる(明かされる?)のは、

最近になって、何度かあられるのではないでしょうか?

今さらながら・・貴重な「魂的な」シェアをありがとうございました。<(_ _)>
Posted by y-be at 2017年02月03日 12:49
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。