2017年01月17日

愛の中の夢

全部が夢だと言われてもピンときません。

だって、この肉体の感覚は確かにあるし、感情も生々しい。


しかしすでに科学においても、我々が現実と呼んでいるものがいかに不確かなものなのかが報告されています。

これが完全に証明されて、この事実を受けいらざるを得ないことになったとしたら、人はどのように生きていくのでしょう。


この事実を知ったからと言って、何がどうなるわけでもありません。

結局はいままでと同じようにして、よりよい明日を願いながら生きていくのでしょう。


夢なら夢でいいけれど、それならこの夢を思い切り生きようと思うわけです。



起きることに一喜一憂し、ある時は大騒ぎし、いろんなことを自分に言い聞かせながら生きていく。

なぜそうやって生きなければいけないのか理由も分からず、とにかくこうして生きているわけです。



救いはないのか。




いや、救いはあります。


というのは、夢は必ず覚める時が来るということ。

真実は永遠ですが、夢には終わりがあるのです。



愛の中の夢


そして目覚めた時、ありとあらゆるものが「愛」によって生かされていることを知ります。


これは救いと言うよりは、とてつもない祝福です。


こんな自分が、こんな愛に生かされていたなんて。


夢にうなされている間も、ずっと愛の中にいたなんて。


あー、存在は、何て素晴らしいんだろう。


私は何て素晴らしいんだ。



あえて言うとしたら、この素晴らしさに帰るために、こうして夢を見ているのかも。

このような説明は、完全に正確ではないにせよ、あながち間違いでもありません。


所詮は摩訶不思議な中で起きていることです。


解らないことを無理に解ろうとする必要もない。

だって人間には解らないのだから。



解らなくていいから、今日もこの夢をそれなりに生きるとしよう。


頑張るもよし。


頑張らないもよし。



でもせめて愛を信じて生きよう。


それは確かにある。

いまも僕たちは、愛の中にいる。



すでに昔から、多くの人達がこのことを証言しています。


僕たちが次の証言者かもしれないね。









今日もよろしくお願いします。

所要時間は約10秒間です。


まずは左のお猿の温泉をポチっとして、行った先にある「リーラ」をクリックして戻ります。

次に右のボタンをクリックして、同じくそこにある「リーラ」をクリックして戻ります。

それで完了です(^^)


愛の中の夢    



Posted by Toshiro Abe at 10:15│Comments(40)
この記事へのコメント
素晴らしい!

今日もありがとうございます。
Posted by 竹内章記 at 2017年01月17日 10:26
三日ぐらい前にディーンフジオカさんにハグしてもらった夢をみました。
特にファンではなかったけどその日から何か気になる存在に… 温かさとか妙にリアルな感覚が残ってて 変な感じです。
どこからともなく思考が湧いてくるとか、夢とか何となく「そうなんだろうな〜」と感じるこの頃です。

すみません 瞑想についてなんですが、自分の呼吸に意識を向けて座ってみるだけでやってみてますが、普通の自分の呼吸でいいのか、深呼吸がいいのか、またある本で死に近い状態に持っていった方がいいから呼吸を意識してしない方向に息を吐かないようにするというのがありましたがどうなんでしょうか?

瞑想伝授を受ければ分かることかもですが貯金の途中です でも何かやってみたいのです 
Posted by 村山 at 2017年01月17日 10:50
これも愛 あれも愛

たぶん愛 きっと愛


そして

わたしも愛 あなたも愛

みんな愛  すべて愛


頭の「これは愛だけど、あれは愛じゃない」という分離の世界から

ハートの「すべては愛」という統合の世界にシフトするほど

平安で満たされた世界が現れてきます。

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年01月17日 10:52
阿部さん。おはようございます。今日もステキな記事をありがとうございます。

>解らないことを無理に解ろうとする必要もない。

だって人間には解らないのだから。僕もホントにそう思います。

>それは確かにある。

いまも僕たちは、愛の中にいる。

愛が何かは、解りませんが(いや解っているのかな)なぜか、最高のものだ、という認識はあります。やはり「愛」に行き着くんですね。「愛」かー。
Posted by 永井新吾 at 2017年01月17日 11:04
私は「愛」がなにか解らないから、

「愛」を知りたくて生きていると思う。



究極的には、すべてが「愛」?

「愛」とは、

ただ在る、「エネルギー」と思ってもいいでしょうか。
Posted by ようこ at 2017年01月17日 11:21
ヨシ、今日一日、全てにイエスで生きて見よう   ^ ^
Posted by 洲鎌直喜 at 2017年01月17日 11:42
あべさん

ありがとうございます!⋆。˚✩

愛を しんじます。
Posted by めい at 2017年01月17日 11:55
まぁ、だから淡々と楽しく生きれば
充分なんですね(´-ω-`)

…といいつつ、
どーでもいいことに、イラっと
したりしちゃう(笑)

かれこれ3年以上、
メッセージを受け取ってきましたけど、
どこまでいっても僕等は人間だな、と
つくづく実感しておりまする(。-∀-)

でも、いつもフワッと拡がった
愛や歓びと呼ばれる感覚も
実感しています。

ホント、
生きてるってなんだろ〜、
です。
Posted by ポン太の助 at 2017年01月17日 12:00
愛がぐるぐるとアレになったりコレになったり、そう見える。

夜見る夢は自分の思い通りに見れないでしょ。

この現実という名の夢も同じ。

勝手に起きている。

私という個の視点からは、なかなかそうは思えないし、なんでも自分でやっているように感じるけど。

起きている。

人生は愛の循環だったとは。
Posted by 雪光 at 2017年01月17日 12:11
いつも美味しい記事ですが、今日も味わい深かったです。ご馳走さまでした!
Posted by オトナコナン at 2017年01月17日 12:21
足立郁朗さんが書かれた「波動の法則」には全てのものは陽子=意志=愛と中性子=意識=意志で出来ていると書かれていて、更に足立さんは陽子と中性子は細菌でできているとおっしゃっていました。
最新の科学は量子力学ではなく細菌学だとも。
てことは、愛も細菌で出来ている?
Posted by ジャム at 2017年01月17日 12:24
今朝方、阿部さんと電話で話をする夢をみました。

電話の内容は、私が阿部さんに、朝の瞑想したけど、昨夜の瞑想をサボりました。。と報告する内容でした。
電話の向こうの阿部さんは優しかったです。

確かに昨夜の瞑想はスルーしちゃったんだよなぁ。

寝てる間の夢ってほんとにリアルで、申し訳なさそうな感情の細部までリアルに言ってた夢の中の自分に、起きたら笑っちゃいました。

夢の中で阿部さんに名前呼んでもらえたのが嬉しかったですけど☆

ちなみに今朝は瞑想しましたよ~(^^)
あ、今夜ももちろんします!(笑)
Posted by あみやん at 2017年01月17日 12:24
本当にそうですね~
不思議な愛の中♡


子どもって気に入った絵本を何度も何度も毎日毎日“読んで!読んで!もう一回!!”が続いて

飽きずにずっと聞いてたりする。

わたしは立て続けに同じ本を何度も読んだら飽きるのに!

きっと子どもは概念がはっきり出来上がってないから、何度も立て続けに聞いても

きっと毎回、新鮮なんだろうなぁ☆


わたしも好きな本だったら、たまに読み返すと、前回より面白みが増したり違う世界がひろがるけど‥


でも子どものその鮮度はすごい!(笑)
いまここなのね~
愛の中に溶けてるみたい♡


いないいないばぁを全く同じように何度繰り返しても

必ず笑ってくれる!

そしてまた期待の眼差しで、いないいないばぁを待ってる

そしてまた笑ってる!!

なんでそんなに飽きずに笑えるの???(≧∇≦)


不思議~
Posted by えんじぇる at 2017年01月17日 12:29
神の夢

「解らない?」

「解らなかったことが解る?」

解らないという感覚を

けっして体験できない



彼の夢は

我々が

叶えていますね。

神からしたら

夢の様な体験をしてるのが

私たちなのでしょう。

少なくとも私は

そう信じてみることにしています。
Posted by 神生粋流 at 2017年01月17日 12:45
不思議ですよね。すべてが分子や原子や素粒子だって分かってるのに、肉体としてあると信じて疑わない。一瞬一瞬、無から生じては消えているのに。それでなければ存在できえない事も分かってるのに、何かが延々と続いているみたいです。摩訶不思議なこの世界を奇跡と呼びたい今日この頃ですよ。なんか普通に生きるって凄いことじゃ!ね。
Posted by ラブ×3 at 2017年01月17日 12:59
夜見る夢は自分の思い通りに見れないでしょ。

この現実という名の夢も同じ。

勝手に起きている。

そう、そうなんだなぁって思う今日この頃

だけど、、、「人を殺してみたかった」
これも彼女のせいではなく、勝手にそんな考えが
起こり、殺してしまった。
という事が、ただ起きているだけ
荒れ狂う雲の上には、変わらぬ晴天があり続けている

だから、、、殺すことに意味もなく、いいも悪いもない

なにかの役に立つのだろうか
という考えが勝手に起きてる今日この頃
Posted by 久しぶり ハンドル失念 at 2017年01月17日 13:54
阿部さんがブログでよくおっしゃてる「あまりにも当たり前すぎて見逃してしまう」という表現がありますが、

1.何が当たり前なのか

2.どう当たり前なのか

3.見逃すとは、ドラマを見逃すといったような表現とはどのような違いなのか


次にこれもブログでよく見かける表現で「あまりにも近すぎて見えない」

1.近いとは、100m 10cmとか、物理的な距離ではないと思いますが、阿部さんは近いとはいったい何を指して、あるいはどのような意味でおっしゃっているのでしょうか。

2.見えないとは、目では見ているけど心の目では見えていない的なことなのでしょうか。

ブログで、何も書くことが思い浮かばないときにでも教えてください。
Posted by ミッキー・もも at 2017年01月17日 14:17
なんかわからないけど
ありがたい (ᵔᴥᵔ)
Posted by 薄茶色 at 2017年01月17日 14:34
呼吸や瞬き

摂取に排泄

手足の動き

血液は巡り

思考や感情が現れては消える

会話に沈黙


それら全てが主体者無しであるのなら、



なんという事でしょう


誰もコントロールしなくても、
ただ太陽は東から昇り西へと沈む


もしかしたらこれと同じようなカラクリのように全てが在るのかもしれない


あーなんという奇跡の中
あーなんという美しさか


ありがとう
ありがとう
Posted by あさ at 2017年01月17日 14:53
はい\(^o^)/信じて生きます♪
Posted by ともこ at 2017年01月17日 15:17
昨日は、仕事のことですが、相手にすっぽかされ、OSHOの禅タロットをひいて解説を読むと「間違ったことが起きてもいいのです…」。

ああ、世の中ただしくないこと?が起きてもいいんだ!なんて自分はこうあるべきに取り憑かれていたんだろう。

久しぶりに大きな開放感に包まれた1日になりました。

まさに神(存在)によって、私たちは愛され、自由へと手をとって導いてもらっているんですね。
Posted by PONONANDA at 2017年01月17日 16:10
阿部さん
昨年秋からずっと
課題、試練が
絶え間なく続々とやってきます。
倒れない内に早く気付きたいって思います。
Posted by モルゲン at 2017年01月17日 17:50
「僕たちが次の証言者かもしれないね。」
このフレーズぐっとくる人が多いのではないでしょうか(^^?
Posted by しん at 2017年01月17日 18:27
もしも、彼女自身だったら
もしも、彼女の親だったら

どうする阿部さん

批判されただけで、どっぷりと思考に振り回されて
いた阿部さんなら どうなる?
Posted by 久しぶり ハンドル失念 at 2017年01月17日 18:38
これだけリアルですと、夢であると言われてもピンと来ない
ですよね

僕の場合ですと

瞑想をして、想念が静まりかえり、無念無想になると
この現象界も消えて行く

ということは…

この現象界は想念が創り出しているに違いない!
想念が創り出しているから夢ということになるなぁ

そして

夢だから幻なんだけれども
本当に存在していると信じるなら、その間は
本当のこととして、現実として経験することが出来るんだ!

なので

この世界は幻想であるという視点
この世界は現実であるという視点

どちらも選択してみることが出来るんだなぁ

こんな感じです

ゴーグルを付けて、仮想現実を経験する機会が増えてくるにつれ
この現象界も実は、想念が創り出している立体映像、ホログラム
であると見抜く人も増えてくるのでしょうね



夢は必ず覚める時が来る

この言葉を読めて、すーっと、気が楽になりました…

今晩はリストの愛の夢を聴いてから眠ることにします


愛☆愛☆


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月17日 20:23
いつもありがとうございます。
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年01月17日 20:54
久しぶり ハンドル失念さん。

自分にもう一度質問してみましょう(爆)
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月17日 21:08
あべさん

さいきん
どんどん むかしの 感覚とか 感じてたことを
思い出してるみたいです。
18歳のころの わたしから
なんにも なんにも ふえてないし
すすんでいないし
かわっていない。

ふえたのは はらうのをなまけてつもらせた
ホコリばかりだったみたいです。

と そんな 夜です。


おやすみなさい⋆。˚✩
Posted by めい at 2017年01月17日 21:41
> というのは、夢は必ず覚める時が来るということ。

必ず死を迎えるということ?
Posted by rakuni... at 2017年01月17日 21:43
阿部さん 
今日もありがとうございました。

今日はタイトルのハートのイラスト、
パソコンの画面をスマホのカメラで写してみました♪
時々見て、忘れないようにしようと思います♡
Posted by Rie at 2017年01月17日 23:06
菜穂さんが、泥も愛 って言ってたので、
衆生本来仏なり って言葉を思い出しました。
そんな気分で、夜勤がんばりまぁす(^_^)☆
Posted by y.u. at 2017年01月18日 00:31
久しぶり ハンドル失念さん

> なにかの役に立つのだろうか

大和田さんは、ノンデュアリティのメッセージは、
描写だと仰っています。
参考までに以下の記事を読んでみてください。

真実は一見冷淡だけど 2015年04月26日
http://abetoshiro.ti-da.net/e7511378.html
Posted by rakuni... at 2017年01月18日 01:52
『思考』のレベルでも、『救い』を感じた事。

『この体』、『この思考』、『この感情』、『この感覚』という『この自分たち』が、
苦しんだり、疲れたり、また何とかやる気を出したりして、
必死に、生き続けようとしてくれた事。

『苦しい』と思ってる『根っこ』を感じようと している、そのまた『根っこ』を感じよう・・・
と、どんどんやってくと、何故か『幸せ感』に包まれて、
「あー、全ての源泉はこれと同じようなものかなぁ・・・」
と感じた事。
(たぶん、誰でもできると思います)

『痛み』も、よくよく感じてみると、重く鈍い『痛み』の質と同時に、
暖かく湧き出してくるエネルギーも感じて、
『痛み自身』が『痛み』を治そうとしている、と感じる事。

今日とかも、『ムカついた』事があったけど、ふと、
「あ、今は『ムカつきたい』のかもなぁ」
と感じて、センタリング通して、『誰に』という訳ではなく、ただただ、
『ムカつき』のエネルギーを思う存分流してみると、
それだけで気持ち良く、スッキリして、「ただ経験したいだけ」が、割と腑に落ちた事。

いろんな『起こる事』という『点』と『点』をつないだ『輪郭』、
『輪郭』と『輪郭』をつないだ『面』から、
確かに、その『中心』があるんだろうと思えます。
Posted by ただの「自分」 at 2017年01月18日 05:23
わたしはね、ただ純粋に聞いてみたかっただけ。

いざ、自分が彼女の親だったら
どんな風に考えるんだろうって。
対外的には色々言わなければならない事も
あるだろうけど、本音の部分では、この記事に
書いてあるみたいに思うのだろうかって。

想念の波動は、宇宙を漂っていて
同じ波動をもっている人がキャッチしては
やがて消えていく。

だから、阿部さんが彼女の親だったらってのは
ありえないかもしれないけど、

少し前の記事に書いてたじゃない
もしも、この世にひとりしかいなかったらって。

そんなありえない話を書いてる阿部さんに
ありえない話ではあるこの質問の答えを
聞いてみたかったのよ。
Posted by 久しぶり ハンドル失念 at 2017年01月18日 07:31
記事の中の

"夢"という言葉を"冗談"に

"愛"を"神"に置き換えて読むと、

なるほど~!と思います(^o^)
Posted by この世は神の戯れ* at 2017年01月18日 08:53
"愛"と言えば、ひとつ思い出しました!(笑)

"神の愛"を、初めて人間に説いたのは、イエス・キリストですが、
そのイエスの教えを、弟子たちが後世に遺した新約聖書のラテン語版では、
"神の愛"には、アガペという言葉が使われています。

そして、それに対して、人間間の愛は、エロスと言い、違う単語を使っています。

エロスとアガペ

似ているけれども、非なるもの。

両者を観念的に捉えるなら、
ギブアンドテイクの愛とギブギブの愛、とでも言いましょうか?(笑)

神の愛は、ギブギブの愛。

それが、わたしたちを生かしている、
というより、

わたしたちは、ギブギブの愛そのものなんですよね♪

何故なら、
この世には、"神"しか存在しないので(^o^)
Posted by ギブギブの愛* at 2017年01月18日 10:23
好き、嫌いで、いいと思います。   シンプルでしょ(^_^)b 
Posted by てつ at 2017年01月18日 19:00
rakuni...さんが貼っていた過去のページに行ってきました。
その時の阿部さんの見解と大差ないのですが、少し掘り下げて分析させて頂きます。
あくまでひとり言なので、全員スルー願います(´-ω-`)ゞ

>悲しみの感情の中に自由があるのです。

この事について我々に成せることは・・・・・Oshoは演技者で在れと言っています。
Oshoの言葉を分析すると、もし今が深い悲しみに在るなら、その「悲しみに打ちひしがれている」自分を演じることだと思います。
そして、演技自体は「私」ではなくて単なる行為であり、ゆえにそれ自体は傷の付けられ様がない分けです。
しかし演技ではなく、“「私」が行為をしているのだ”という習慣的な観念によって、「私」が悲しんでるのだと思ってしまった場合、「私」は悲しみの感情を真面に受けて傷付いてしまいます。

けど、「私」が演技に熱が入り、やがて作業興奮によってマインドフルネス(没入)となり、そしして悲しみそのものと成ったなら、そこには悲しむ行為はあっても、演じている「私」は忘れ去られてしまってそこに居ません。
そこには悲しみ自体は依然として在れど、その悲しみを恐れる「私」は居ないので、恐れが無いなら悲しみを逆に味わう事さえ出来るかも知れません、そしてそれこそが演じることの意義かと思われます。
このとき演技者は我を忘れ、真の観照(エゴ行為からの自由)と化しているのではないかと。
(けど、プロとしてお金を取ってるなら、客に分かって貰えるよう演技せねば成らないので、話はまた別かもです)

この為に肝心なのは、我を忘れる程に悲しみそのものに成ろうとする勇気(恐れを受け入れる気持)があるのかどうかで、このようなエネルギーをチャージする方法は幾らでも有ると思うの省きます。(或る意味これは自力かと)
もっとも、悲しみに抵抗する気力さえも無いなら、悲しみに引き込まれる(サレンダーさせられる)というような事態が自然と湧き起こらないとも限りませんが・・・。(他力でしょうか)

以上、独り呆弁でした(´-ω-`)ゞピッ
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月18日 22:49
あべさん界の”愛”の定義がわからん 

わたしの愛は
わたしはわたしの家族をめっちゃ愛していて
かれらはわたしをめちゃくちゃ愛してるぅ!

わたしはわたしを裁いて非難し続けて嫌っている
だけども
とてもとて〜〜〜も愛してる♡
Posted by あべさーん at 2017年01月19日 02:26
初めて拝見させて頂きました
神様(全て)に会われたんですね
嬉しすぎてコメントしちゃいました。
周りにいないので
有難うございます。
Posted by じろう at 2017年03月08日 07:16
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