2016年12月04日

時間を超える

いつもありがとう。

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昨日まで沖縄瞑想リトリートでした。

初めて我が家の施設を会場にしましたが、とても静かな日々でした。



集中瞑想に入るたびに思うのは、人間は朝から晩まで、いったいどれくらいの思考を使っているのかということ。

いつも、よりよい状態を目指さんとばかり、身近なところから遠い将来に至るまで、無数の夢が、思考という形で現れては消えています。


この傾向は今日始まったものではなく、子供のころからずっとです。

だから当たり前な状態になっていて、自分が思考まみれだという自覚もありません。


物心ついてから最初に教えられたのが


「思慮深くあれ」

考えることを通して物事を解決していくという姿勢です。


しかし、その思慮が消えた時、すでに与えられているもっとも大切な宝が現れることは見失われてしまいました。

思慮を通して達成するはずの最終真理が、思慮の消えた地平にすでに備わっていることを忘れてしまったのです。



瞑想とは、思慮の背後にある静寂との出会いです。

それは立ち止まることを通してのみ達成されます。

そしてその静寂の中に全ての答えがあります。


時間上に描いていた夢と希望を追求する人生が終わり、いまここにある充足を享受すること。

そのシフトが、すべての人達が内心求めているものです。


ところがその「いまここ」さえ、いつか将来に待ち構えているという感覚が消えません。

そうやってまた絶え間なく考え、漠然とした幸福地に向かおうというのです。

残された人生には、それに対する十分な時間があるような気もしています。


いままでの全てのやり方を変えるのは並大抵のことではないでしょう。

この旅の延長線上にきっとゴールが待ち構えているという信念は、そう容易く消え去るものではありません。

ある種の突然変異のような気づきが必要なのかもしれません。


このようなメッセージも、どれくらいの重要度で読まれるのかわかりません。

世界全体で夢を見ていて、あふれる情報の全てがその夢を強化するためにあるので、気づくチャンスは皆無です。


瞑想はそんな夢に対する、最初の一太刀。

ほんの小さなメスによる、頑固な夢への一太刀です。



時間を超える


これからもたっぷりあると感じる「時間」が、夢の存在を可能にしています。


本当は「時間」などありません。

時間は人間の発明品です。


あえて言えば時間とは、何かを達成するためのものではなく、時間とは時間を超えていくためのものです。




今日の日曜日。

時間がある人は、その時間を、時間を超えるために使ってみましょう。

一見役に立ちそうもない静寂のなかに、無上の役が待っています。



いまを、この先への通過点として見るのではなく、

いまを、いままでのすべての結果だというように感じてみるのです。


そしてこれからも、ただ、いまが続いていくだけです。









また新しい人に届くかもしれない。

今日もご協力よろしくお願いします。


時間を超える



Posted by Toshiro Abe at 09:21│Comments(47)
この記事へのコメント
瞑想ずっと続けてます。阿部さん、智子さん、大好きです!
Posted by Candle at 2016年12月04日 09:29
長く生きてきた祖父が何気なく放った言葉が印象的でした。

「(人生)あっという間だったな」
「何(成して)してきたかな」

私から見れば 祖父は、ストーリー的にいろんな事を成した人なのですが、それでも そんな感覚なんだと、 ちょっとびっくりしました。

やっぱり、存在の根源はみな同じで、人生と思われるものだって、どこにも行き着く場所などなく、ただ、いつも 今だけがあり続けるのだろうなぁと、あらためて感じた瞬間でした。

いま、生姜紅茶を飲みながら静かにリーラを読んでいました。
この ひとときが幸せです。

今日も よい 一日でありますように ☺︎
Posted by 薄茶色 at 2016年12月04日 09:36
言って!
Posted by 具体的に at 2016年12月04日 09:44
阿部様

おはようございます。

今日の記事 
沁みました。

す~~と入ってきました。


>時間とは 時間を超えていくためのものです。

この部分が
分かり難いですが・・・・・


>思慮を通して達成するはずの最終真理が、思慮の消えた地平にすでに備わっていることを忘れてしまったのです。


実に 解かり易い表現です。

今日もありがとうございました。
Posted by じゅんちゃん at 2016年12月04日 09:49
おひさしぶりです。
今朝、久しぶりに訪問いたしました。胸に染み入る記事!ありがとうございました。
今、を大事に生きたい!と思いました。進化している魂を見せられました。
Posted by ちよこ at 2016年12月04日 09:56
「思考の世界にいってきまーす!」

「いってらっしゃーい(^o^)丿」


「ただいま静寂に帰ってきましたー!」

「おかえりなさーい(^o^)丿」


人生この繰り返しですね(笑)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年12月04日 10:02
いつもありがとうございます。

人間がつくりだした最大の概念が神と時間ではないでしょうか。

人間以外の動物や植物、鉱物などには神も時間もないように思われます。

それらは、ただ今に在るだけ。
Posted by All that is. at 2016年12月04日 10:47
ここは静寂そのものですね。。。

阿部さん
ありがとうございます。

また 帰ってこれました。阿部さんのおかげです。

しみじみ思います。
頑固だったなぁ・・・
だから苦しかったんだなぁ・・・と。

ピタっと止まれば いつもこの静寂が在るのにです。

私で在ること ではなく
私がやること にばかり捕らわれて捕らわれていた。
だから苦しかった。地獄的苦しみでした。
でも、皮肉なことに、この苦しみのおかげで
今ここに帰ってこれました。

ありがとうございます。阿部さん、智子さん。

感謝
Posted by ひ at 2016年12月04日 11:12
師走は何かとせわしいので瞑想で「静寂」の時間を持ちたいと思ってます。
Posted by トモコ at 2016年12月04日 11:59
いつもありがとうございます。
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年12月04日 12:07
すごく素敵なメッセージだと
思いました◝(⁰▿⁰)◜✧˖

  ☆ . ∧_∧ ∩ * ☆
ニャ━━━( ・∀・)/ . ━━━ン!!
   . ⊂   ノ* ☆
  ☆ * (つ ノ .☆
     (ノ
Posted by あべさーん at 2016年12月04日 12:09
時間とは、変化を表す言葉、または、物質の変化を意味する言葉だと、聞いて、なるほどーと最近思いました。

「なるほどー」ということが起こるのも、感じるのも、時間という言葉の意味する現象であると想うと・・

本当は、瞑想したときではなく、日常の煩わしさや、不快感を感じさせられているときに、「今」に居たいのに・・・

それが、その状態が、「状態」でない状態が、叶えられないと、またしても、“時間”を使って・・

嘆きが起こり、感じさせられます。

今日も、配信♡ありがとうございます。
Posted by y-be at 2016年12月04日 12:15
うーん… 今日の内容はまったく入って来なかった。体調が悪いせいかな?
Posted by ひよどり at 2016年12月04日 12:22
SNSの発達で「自分」を強化
「いいこと」や「楽しい」ことを見せて強化
自分も、自分も、とさらに強化

強化月間、強化人生ですよね~。
ほんとに、ほんとに、ごくろーさんだと思う。
(あ、強化が楽しい人は続けてください)
へとへとボロボロになる前にさようなら~。

平坦で平淡、意外と退屈、これでいいじゃないか!
Posted by くじら at 2016年12月04日 12:48
関係ない質問ですみませんが

面食いを直したいです

見た目で恋人を選んで苦しいおもいを繰り返します

優しく愛に溢れた人でも、見た目がいまひとつだっから恋愛対象になりません

だけどそういう見た目で恋愛してしまう自分が嫌です

乗り越える方法や
乗り越えた方いますか?
Posted by 面食い at 2016年12月04日 12:58
皆 そのままで十分なのに(⌒‐⌒)

得意な事とやりたい事は違うのに。

曲がった木を真っ直ぐに観ないとね。

17楽しみです(⌒‐⌒)
Posted by みちばた at 2016年12月04日 13:02
「いまここにある充足を享受する」

いいですね♪

これは真理探求とは関係ありませんが、
移り変わり行く現象に囚われない状態は、
人生を安らいだものにしてくれると思います。

めぐるましく変化する現象にその都度反応して、それに翻弄されっぱなしでは、
心は疲弊してしまい、生命エネルギーも浪費されてしまいます。

忙しい現代人には、何も考えない状態を作り出すことでさえ、
時間的余裕のない生活の中では、難しく感じるのでしょう。

マインドフルネスは、瞑想の原点であり目的とは思いませんが、
心身ともにリフレッシュし、本来の自分に戻るためには、
瞑想で何も考えない状態を作り出すことは、とても有効な方法だと思います。
Posted by マインドフルネスと知足***** at 2016年12月04日 13:37
>ところがその「いまここ」さえ、いつか将来に待ち構えているという感覚が消えません。

國際さんもラジオで言われてましたが、我々は、嫌いな人はどこまでも良い人になって欲しくはないのかも知れません。
そうじゃないと、今までの自分の考え(思い込み)が間違ってたことになり、既に出来上がっている信念(強い思い込み)が消えるということは、自我(そのように思い込んでいる自己)としての基盤が崩れることであり、自我にとってはこれは絶対に避けねばならない一大事と言えるでしょうか。

これと同じで、我々には、自分は簡単に悟ってはならない存在なのかも知れません。
簡単にゲームだったと悟られて、今までの苦労が笑い飛ばされてしまうと、じゃあ今まで苦しんで来たのは何だったのかと。
相手に合わせて嫌々自分を抑え、そしてまた、欲望を満たすために必死に生きて来たのは一体なんだったのかと。
このように、自分の生きて来た証を無駄にしたくはないが為に、我々は間違っても簡単に悟ってはならず、今までの経験同等の苦労を経てこそ悟りに価値が有るのだと思ってるのかも知れません。

しかし、このような強い信念が心の奥底にあれば、おそらく何をやってでも同じゲームなんだと思う分けです。
真に目覚めたくはないゆえに、単に目覚めたいというゲームを味わってるだけかと。
ゆえにですね、どの様な方便を実践するにしても、自分は目覚めてないという思い込み(もはや確信と言えるかと)が有る限り、絵に描いた牡丹餅を食べてるバーチャル体験(ゲーム)をしてるだけでしょうか。

ここはやはり救世主ウオークマンによって、いま既に自分は目覚めてるんだとする新たなカルマ(思い込み)を植え付けて貰うのが得策かなと(呆爆)
それじゃ呆話を終わりたいと思います・・・・・・・・・・・(u_u;)ヒロシデシタ
Posted by It's a SONY ♪ at 2016年12月04日 14:19
面食いさん、理論上はそれ(相手)を否定すればするほどに意識がそれに向かってしまい、逆に重要度を与えてしまう分けでしょう。
ではそれを意識しなければ良いのですが、欲求が強ければそれは難しいかも知れません。
ところで、なんでそのような思い込みがあるのかですが、おそらくその顔に「快(言わば好き)」を感じるからだと思います(当たり前か)

そこでですね、ブチャイクな人の大きな顔写真を前にしてアレに勤しむことですよ(妄笑)
でも、それではなかなかその気になれない分けでして(笑)、まずは好みの顔写真を前にしてアレに勤しみ、そしてフィニッシュを迎える直前 おもむろにブチャイクな写真に挿げ替える分けです。
何度もこれを繰り返す内にブチャイクの顔に快(好き)を覚える、とまぁこういう算段なのです(呆爆)

それともですね、笑った歯の一本を黒く塗り潰し、歯の抜けた状態を創り出す分けです。
途端に「快」が「不快」へと変わり、今までの思い込みが薄れるかも知れません・・・たぶんですが。
Posted by It's a SONY ♪ at 2016年12月04日 14:58
朝から晩まで思考だらけ…

ですが

それは人間の脳が発達しているので 
すぐにありもしないストーリーを形成するんだなぁ

そんな感じでいいと思います



それはストーリーである!と気づくことで
そのストーリーから抜け出すことが出来る

気づくことは、そんな夢に対する最初の一太刀


目覚め☆目覚め☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年12月04日 15:13
毎日オジャマします。

一見役に立ちそうもない静寂の中…。

先日のコメント欄のまるまるさんが無駄に座る…と。
合理的で、損も少なく、将来を案じて、より良い方を選んで、
いつもそんな計算ばかり。
それを睡眠中以外ずーっとやっていますね。

恐いからですよね。
信頼していないからですよね。

計算と先読みで疲れています。
Posted by モルゲン at 2016年12月04日 16:41
it's a Sony さんありがとうございます

自分は最近、自分が目の見えない人になったつもりで、
自分の知り合いのどの人に好感を持つか?

という想像?実験をしたりしています

私が恋愛対象にした人はこの実験をした時、特に全然ひきつけられませんでした
目が見えていたとき、見た目ではじめなら興味持たなかった、沢山の人の良さに気づきました


目が見えなくても好きになるような人を好きになれればいいんですが、、

大切なものは目に見えない、、
とはよく言ったものです

面食いは煩悩ですかね、、

この煩悩に
ほとほとうウンザリしているんです
自己嫌悪、、
Posted by 面食い at 2016年12月04日 17:08
かんながら
本買って読んでみました

今起こっていること
なぜか信じていいのか迷うとこ

今までの自分の道のり

今、ここ
受け入れれる…今

やっと
時期が来た気がしています

すべての意味が
本読みながら腑に落ちる
感覚でした

ありがとうございました
Posted by ハテナハテナ…(u_u)✨ at 2016年12月04日 17:11
面食いさん、初めまして

好奇心を刺激されました。(^_^)

★顔や姿がよくて、いっぱい優しい人っていません?

世間に、様々な宗教団体がありますが、

そういうところには、結構、心や、精神性を大事にしたい人たちが所属しているので、

顔や姿が良くて、優しい人なんか居たりしますよ。

特に、親や、祖父の代からの信者で、子供の頃から心の在り方などを刷り込まれて、

人を疑うことをあまりしない、二世、三世なんかいいんじゃないですか?

僕が昔いた創価学会なんかも、心がきれいで、優しいのに、顔もよくて、カッコイい人たちも、

結構見かけましたね。


でも、こういうコメントもしたいです。

★、どうして、愛は選択し、好き嫌いがあるのでしょう?

☆、愛は選択しない。

☆、欲望が選択するのだ。

☆、愛のなかに、好き嫌いや、他者はいない。

とある有名人の人との対話を、ちょっと私なりにアレンジしたのですが、

出会って来た、男性陣たちや、あなたの想っている「愛」とのイメージは、

好き嫌いのことであり、こうしたい!こうして欲しいという、「欲望」のことですかー?

世間では、例えば、夫婦や、異性間でのやり取りのことなどで、

自分の欲望の主張や、好き嫌いの有る無しのことを、“尊い”意味での「愛」と混同して、思い込んでも、いますから、

余計な、お節介でもありますが、

ちょっと、イタズラ的に、聞いてみたくなりました。(^_^)

面食いさん、意表を突く、コメントありがとうございます。♡
Posted by y-be~ at 2016年12月04日 17:15
もし想念があるとしましょう

ふつう

私という想いがあれば苦しみます

私という想いを独立したものだと思い込むからです

そうすると苦しみになります

これに対処する癒しは3つの方法(ほかにもあるかもしれませんが、)があります。

1つめ

パーサの思考プロセスの実例(奇跡のコース関連の書籍である「神の使者」の太字)

聖霊へこれはなにかと尋ねることです

あるいは
ラマナマハルシの
私は誰かという問いかけです

2つめは

静かにすることです
そうすることで想いが静まります
(ただし、♪静かになったら、※その状態から、私は実現していない、という衝動から、静かにしているにもかかわらず、静かにしようと努力することもやめるということです)

3つめ


いつもある精神統一に気づくことです

不思議なもので気づきは磁力のようなもので

気づきはもともといちなるものなので

磁力のように想いを統一し静めることになります

気づきは分割できないからです

そしてこの3番目の方法はきわめて日常生活や仕事にむいています

オートマチックになるからです

それだけでなく

会社の仕事の活動で想いを活用しても問題がなくなるのです

パパジも、想いを活用しても問題がないとのべています
それは
ラマナマハルシがいうように、
心が活動的であろうと、真我(いつもある精神統一)をとらえていなさい、ということなのです。
しかもそのことにおいても
コントロールは私ではなくいつもある精神統一がオートマチックにすることになるので何の苦労もないのです。

以上です



補足

ちなみに

静かにしようとすることは

真我実現にいたらない

と他のコメントに述べていますが、

静かにしようと努力することを指しています

ただ静かにしていること(いつもある精神統一に気づいていること)をそこでは指していませんのでご注意してください。
Posted by なう at 2016年12月04日 19:47
面食いは直せない。
Posted by rakuni... at 2016年12月04日 20:14
ありがとうございますした。(´ー`)
Posted by あきこ at 2016年12月04日 20:47
いつもありがとうございます。

面食いさんへ

私は適当なことを言ってるので話し半分で聞いてくだはい。

たぶん、面食いが問題なんじゃない。ダミーですね。

恋愛する以前の問題、親離れができていないんじゃないでしょうか?失礼だなぁ(笑)でも心配することなかれ。ほとんどの人も出来てませんので(笑)
本当に恋愛がうまくいってしまったら、怖かったりして(笑)

頭で恋愛は、できない。

それを妨げてるのはストーリー。

無意識に抑圧された感情を解放するのもいいかもしれない。解放は、価値基準を根本から変えてくれる。

やっていけないのは、イケメンを好きにならないように抑圧すること。ならないようにすることが執着に繋がるからね。

最後に、そういう自分を楽しんじゃってください。いずれ飽きます(笑)でわでわ
Posted by まっす~ at 2016年12月04日 22:09
阿部さん、智子さん


web瞑想会ありがとうございました。

お二人とも、瞑想リトリートを楽しんでくださったご様子でとても嬉しいです♡


また、今後も楽しみな予定を組んでくださり、ありがとうございます。

ご一緒に瞑想できることを、楽しみにしてま~すo(^o^)o
Posted by ようこ at 2016年12月04日 22:50
面食いさん

あ、バシャールだ☆ダリルアンカ・USP著

という本を今日読んでいたのですが、その中に

あなたが今の容姿を選んで
この世界に生まれた深い理由

という項目があり、ヒントになることが書かれているように
思いました


ブッダ☆ブッダ☆


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2016年12月04日 23:12
rakuni... さん、面食いは直らないというより、それは人間としての正常な精神ではないでしょうかね!?

つまり、美を求めるのは人間としての本能なんだと思う分けです。

けど、アバタもエクボと云われる様に、蓼食う虫も好き好きかと。

もしかして不細工嫌いは直るのかも知れません・・・まぁ、あくまで推測ですが(*´з`)
Posted by It's a SONY ♪ at 2016年12月04日 23:30
言うまでもなく。。
Posted by rakuni... at 2016年12月05日 01:03
>本当は「時間」などありません。
>時間は人間の発明品です。

これ、ぜんぜん腑に落ちないんですよねぇ・・・・・
「時間は人間の発明品」というのはそうだと思うんですが、
それは飽くまで、元々『変化し続ける事象』を活用するために
発明したんだろうと思いこんでいて、
という事は、『時間』を発明してなくても『変化』はあるだろうと思い込んでいるからです。
『変化』が『誤解』と腑に落ちないと、ですかね?

『カラッポ』が本来の自分自身だと腑に落ちてきてからは、
その中をただいろんなものが流れていくだけ、のようには感じてますが、
結局、『流れていく』という『変化』を感じている訳ですからねぇ・・・
興味が尽きません。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月05日 03:21
要は、何が疑問かと言うと、

今のところ、変化し続ける流れをわざわざ掴もうと、維持しようと、止めようと
するから苦しいのであって、ただ流れに乗っとけば楽、という感覚がありまして、

という事は、「時間がある」とする方がわかりやすいんだけどなぁ、という訳なんです。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月05日 03:56
世界は、常に変化しています。
宇宙は、常に展開しています。

この変化、展開の原因理由を、人間は"時間"という概念を作り出し、
それを当てはめることで、理解しようとしました。

それにより、人間は、過去、現在、未来という概念で、自分を含めた世界を理解しています。

現象は、常に変化します。
車輪は、回り続けます、時計の針のように。

それは、自然の性質なのです。
宇宙は、回転し、変化することが、性質なので、
その中にいる人間もその性質の影響を受けています。

時間を越えるということは、この変化、展開を越えるということになりますが、
人間は、変化、展開の中にいるので、それを越えていくことはできません。

しかし、人間を外側と内側の二層に分けて見ると、
外側の自己は、変化する宇宙の性質に影響を受けていますが、
内側の自己は、外側の世界の変化に全く影響されていません。

真の自己は、時間に、つまり、変化、展開に全く影響を受けておらず、
それが、私たちの本性であり、本質です。

人間は、変化し滅びていく一時的なものと、変化せず不滅である永遠のものとを識別し、
両方を知ることで、両方の価値をそれぞれに知ることができる、この宇宙で唯一の存在です。

それが、人間の特性であり、自然なのです。
Posted by 人間の性質***** at 2016年12月05日 09:19
逆もあると思う。。
未来永劫、今の状況は変わらない、と思い込むことで
苦しみが生まれる事もある。

> 、「時間がある」とする方がわかりやすいんだけどなぁ、という訳なんです。

人によるでしょう。
「時間がある」とすることは、結局、マインドで事象を捉えている。
事象そのものに寛ぐ人にとっては、時間という概念は不要。
こうゆう議論も不要といえば不要。
ただの「自分」さんのお気に召すままに。
Posted by rakuni... at 2016年12月05日 09:30
時間は
ないと同時にあり
あると同時にない
Posted by タイムレスエナジー at 2016年12月05日 11:22
時間が無いとは、

人間の性質***** さんの

>内側の自己は、外側の世界の変化に全く影響されていません。

こういう事(自分で言えば『カラッポ』なそこ)なのか、それとも、

rakuni... さんの

>事象そのものに寛ぐ人にとっては、時間という概念は不要。

という事、つまり『概念』の有無だけの問題なのか、

その辺りが、自覚としてはっきりしていないらしい・・・という事はわかってきました。

ありがとうございました。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月05日 12:33
あー・・・

>今のところ、変化し続ける流れをわざわざ掴もうと、維持しようと、止めようと
するから苦しいのであって、

と書きましたが、rakuni...さんから

>未来永劫、今の状況は変わらない、と思い込むことで
>苦しみが生まれる事もある。

とも頂いて、

どっちにしろ、『時間』の概念に縛られているんだなぁ・・・・・と、浮かんできました。

とりあえず、そこから突き詰めてみます。
改めて、ありがとうございました。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月05日 12:38
ただの「自分」さん

rakuni... さんがおっしゃる通り、時間があると時間がないを概念として掴めば、違和感が生じたり納得することが起こります

体験としての事実は、
「急がなきゃ!」とか「暇だなぁ...」という時間感覚を経験(気付いている)していることがあれば、
何かに集中したりして時間を忘れたり、寝ている時に時間を感じない といったこともある。

時間感覚は、恐怖や喜びの感情と同じように現れたり消えたりします。
この感覚を時間と錯覚されているのかもしれませんね。

時間感覚は、感情に比べて微細なのでなかなか気付かないと思いますが、注意深く自分に起こっていることを見つめると気付かれるかもしれませんよ。
Posted by 模察模察 at 2016年12月05日 14:11
ただの「自分」 さん

阿部さんの

> 本当は「時間」などありません。

は、

> どっちにしろ、『時間』の概念に縛られているんだなぁ

その『時間』の概念は幻想だよ、ということだろうと。

社会生活の上では、時間(時刻?)からは離れられませんし、
「時間はない」ということに着目するより
「時間を越える」の意味を理解する方がよいかもしれません。
Posted by rakuni... at 2016年12月05日 19:40
模察さん

フォローありがとうございます。
Posted by rakuni... at 2016年12月05日 19:48
模察さん

根深いと感じているのは

>何かに集中したりして時間を忘れたり、寝ている時に時間を感じない といったこともある。

けど、確実に、その前後が『変化』した形跡があるよね、だから、『時間』、過ぎてるよね
てことで、それの元になっている『思い込み』や『誤解』があるなら、気付いてみたいな、
て好奇心なんですね(笑)
小池住職の「坊主失格」でも、瞑想後に、枯れ葉や毛虫が手に乗っているという描写を読んで、
『時間』の流れを、しみじみ感じましたしね。

今の予感としては、たぶん*****さんのような感じで、どっちも内包してるよねと
いう感じに落ち着くだろうとは思ってますけどね。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月05日 22:14
「時間」に関するみなさんのご意見、とても興味深く読ませて頂きました。

「時間」は無い、という認識を持つ人であっても、
人間としては、誕生から今に至るまでの人生の記憶があるはずで、(記憶器官に障害が無い限り)
年齢と共に自分の肉体に起こる変化を否定することは、とても不自然と言えます。

時間は、人間が生活の便宜上、作り出した概念ですが、
物事の変化、展開を人間は、感覚器官を通して、認識しています。

脳は、物事の前と後の変化を、時間軸で捉えています。
そして、空間も捉えています。

この時間と空間によって作り出された時空を私たちは、三次元と呼んでいます。

この時空は、物質の世界であり、ダルマが働く"場"なのです。

科学的に言えば、量子場ということになりますが、
量子場では、すべての存在は、物理法則に従い、その通りに、すべては起こっています。

しかし、本来、私たちは、肉体という物質ではありませんから、
ダルマに縛られてはいませんし、
時間、空間にも縛られてはいない自由な存在なのです。

人間だけが、このことを理解することができます。

私たちは誰でも、時間に囚われている存在であると同時に、
時間を越えた存在だということを、心の底から理解し納得することで、
個人は、真の自由、真の解放へと導かれることでしょう。
Posted by 解放への道***** at 2016年12月06日 01:13
ただの「自分」 さん

>確実に、その前後が『変化』した形跡があるよね、だから、『時間』、過ぎてるよねてことで

まさに仰る通りで、私達は『変化』を『時間』として感じたり、『距離(空間)』として感じたり、時には両方を感じることが起こったり、時にはどちらも感じなかったりします。

時間感覚も空間(距離)感覚も起こったり起こらなかったりするもので、感情や思考と同じですよね?

『変化』とは、変化する前と変化した後の違い(差)で感じます。
私達は,いまここで変化した後の結果しか経験することができません。
変化する前は記憶としての残像であり、実際にいまここで起こっていることではありません。

例えるなら、毎瞬々々カメラで目の前を撮影しながら、同時に数コマ前を見て、いまこの瞬間に撮った写真と見比べて差を認識しています。
撮った写真がまったく同じなら変化を感じないので時間感覚や距離感覚は起こりません。
差があって、変化を感じた時に時間や距離感覚が起こります。
Posted by 模察模察 at 2016年12月06日 09:06
時間とは、それにたどり着くまでの距離を測るものなんだと思っています。
分離には「自分以外」までの距離があり「触れたい」から時間が必要で。
座禅中に 境内に居た筈の鳥が 耳の中で鳴いている経験をしました。
禅定に至る前の出来事だったので、多少なりとも思考が収まる程度で「距離感」を捉えられなくなるんだと 今なら わかりますが 当時は?でした。
星は 何万光年も先(前)に光っていて、この目に入ってきた光は「古い(遠い)」んだけど自分の中で光る星は どう考えても「いま光ってて」。
この「距離」の詰めるのが「時間の超え方」と 思います。
瞑想の中で それは距離を持てずに存在する。
Posted by まるまる at 2016年12月06日 10:18
>いまを、この先への通過点として見るのではなく、
>いまを、いままでのすべての結果だというように感じてみるのです。

>変化する前は記憶としての残像であり、実際にいまここで起こっていることではありません。
>私達は,いまここで変化した後の結果しか経験することができません。
(敢えて逆にしてます)

>座禅中に 境内に居た筈の鳥が 耳の中で鳴いている経験をしました。
>星は 何万光年も先(前)に光っていて、この目に入ってきた光は「古い(遠い)」んだけど自分の中で光る星は どう考えても「いま光ってて」。

あー・・・・・

突然ですが、テレビゲームが大好きでして・・・・・
その『世界』を収める、古くはROMカセット、今だとmicroSDカードを見て、
物凄い畏怖の念に打たれる訳なんですね。

「この『世界』の全てが、こんな小さなものに収まってしまうのかっ!!!!!」

て。

上に引用させて頂いた事、自分は、それとは比べ物にならないくらいの、
畏怖の念しか起こりません。
あらゆる意味での『距離』も、『時間』も、『無い』、なんて。
(これも表現でしかないですが)ただの『一点』だなんて。
『幻想』だとしても、とっっっっっっっっっんでもなく、ないですか?

・・・・・とりあえずは、以上とさせて頂きます・・・・・気が遠くなりそう(汗)
皆さん、ありがとうございました。物凄く感じるものがあったのは、間違いないです。
Posted by ただの「自分」 at 2016年12月06日 12:36
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