2016年10月23日

全体意識

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ただの「自分」さんからのコメントです。


>『私は居る』に対する『私は居ない』は、

>『天動説』に対する『地動説』のように、置き換えられるのでしょうか?

>なんか、よく表現できませんが、『ステージ』みたいなのが違う気がします。




たしかに、ステージが違いますね。

地動説のような、外側の現象に対する逆転的な発見に対して、「私」という存在への逆転(私から全体へのシフト)は、それぞれの内側で起こります。


客観的事実の場合は、ひとたび証明されれば全員の認識に違いを及ぼしますが、内側で起こる逆転は、個々の中で起きるしかありません。

それまでは、たとえ仏陀が何を言おうが仮説にすぎないのです。


科学的発見は、一人が発見すれば瞬時に人類で共有できるので、テクノロジーの発達は日進月歩です。

その一方で霊的真実は、一人が発見しても他の人にとっての真実とはならないので、その歩みは極めて鈍くなります。


人間の意識の成長度合いが昔のままなのに、科学技術の発展は目を見張るものがあり、それが軍事力に応用されることから、いまのような危険極まりない状態になっています。



そこでファンタジーめいた話の登場です。


それは、いまこの危機的状況を地球自体が認識して、人類全体の意識成長を地球自らが促し始めたというものです。


全員が共有する地球意識に変化が訪れ、それによって個々の目覚めが急速に広まっていく。

実はこれは、僕自身が初めて地球意識の次元に触れた時に直感したことでもあります。


世界に蔓延する無知と暴力を一気に解決するには、それぞれが個別意識から全体意識にシフトすることだ。


「私」という幻想に固執した状態から解放されることだ。



遠からず、この気付きは万人のものになる。

目覚めの連鎖が一気に起こりだす。


ちょうどそのころ(80年代の半ば)は、世紀末に向けての終末論や、人類の量子的飛翔が実現するなどの説が出ていて、僕もそこに微かな期待をしたものです。

このブログも、そんなことに少しでも役に立てばという気持ちで書き続けてきました。



全体意識


この十年間で僕の周りでも何人かの人が目覚めを経験しましたが、思っていたようなウェーブが起きているとは思えません。


もしかしたら人類規模の目覚めというのは、ただのファンタジーなのかもしれません。



だからと言って、失望しているわけでもありません。

全体のことは全体に任そうという、心の底からの信頼があるからです。

だっていま、あなたがこの記事を読んでいることも全体の流れなのだから。



霊的真実は、個々それぞれの責任において実現していきます。

そのことに対して、誰一人、他者に対して何もできません。


せいぜい、真実への方向指示器になること。


しかし、この日本だけでも方向指示器はたくさんあります。

中には全く違う方向を指し示しているものもあって、しかもそういう教えのほうが人の心を掴むので一般受けします。



それも含めて、思召すままに。



今日もグタグタと、勝手なことを書いてみました。




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全体意識



Posted by Toshiro Abe at 09:30│Comments(46)
この記事へのコメント
「心が暗くなる」

「心が明るくなる」

という表現があります。


「心が小さくなる」

「心が大きくなる」

という表現があります。


これは人が

「心は光だ。

 だから、心は暗くなったり、明るくなったりする」

「心は肉体・脳のように一定の大きさを持たない。

 だから、心は小さくなったり、大きくなったりする」

と心で感じているからです。


心をハートの一点に集中し続けて

心をハートの一点から大きく広げ続けるほど

心が明るく輝き、心が大きく広がっていきます。


そして、有限な肉体・脳を超えて

無限に明るく輝き大きく広がっている心が

本当の自分だと実感できるようになります。

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年10月23日 09:47
阿部さん。おはようございます。この阿部さんに教えてもらった「思召すままに」は、今の僕の生活の指針になっています。ありがとうございます。
Posted by 永井新吾 at 2016年10月23日 10:59
私がいると思っている間は…私と世界に分離しているが
私が消えたら…その分離も消えて世界だけが残るわけですよね



5w1h…いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのか

思考が創作しているストーリーにはまり込んでいる間
個人が存在していると言えます

それがストーリーであると気づくことでそのストーリーから
抜け出し、今ここに帰って来たときに全体が姿を顕す



昔、あそこで、あいつが、わたしを、これこれで、こんな風にした
というのはストーリー

本当に存在しているのは目の前に在る
分離のない全体だけ…愛そのものの全体だけ…

昔、あそこで、あいつが、わたしを、これこれで、こんな風にした
というストーリーは本当は幻想であって
起きているようで起きていない



人間の脳は発達しているのですぐにストーリーを形成して
私達はそのストーリーの中にはまり込みやすいのですが

それがストーリーであると気づくことで、
そのストーリーから抜け出すことが出来る…

そして

風を感じて…聞こえてくる音に耳を済まして…


すでに愛の中に在る


目覚め☆目覚め☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年10月23日 11:15
>いまこの危機的状況を地球自体が認識して、人類全体の意識成長を地球自らが促し始める。


>地球意識に変化が訪れ、個々の目覚めが急速に広まっていく。


>ひとりひとりが個別意識から全体意識にシフトして、

「私」という幻想状態から解放される。


いいですね!!
このプロセス、すごくいいです。 実現を切望します。
Posted by あん at 2016年10月23日 11:22
あべさん、こんにちは。
今日の記事は、ものすごく腑に落ちました。
最近、他人の行動や言動にひっかかって、悶々としても
「あ、思考にはまってる。起きることが起きてるだけ。」と
思考の中でつぶやいて、
すうっとそこから離れられるようになりました。
「すべて、うまくいってる。完璧。宇宙におまかせ。」ということが
行動のベースになりつつあります。実感もするし。
ただ、少し変わってきたのが
他人に(人だけじゃないかな)正直に、そして親切でありたい
そう思って行動していることです。

明日の記事も、楽しみにしています。
いつも、ありがとう!
Posted by 真理の子 at 2016年10月23日 11:27
阿部さん。いつもありがとうございます。
私は”それ”であるなら、私は人間ではない。
私はただ、それである、と感じています。

それならば、人類の行方を案じる必要があるのかな?と思っています。私は人間ではないのだから。人間という概念も、マインドが作り出したものだから。
人類を救うのも、滅亡させるのも神の考え次第かなと。
人類はなんとしても生き残らなければならない、と考えるのは、人間の勝手なんじゃないかな?
そもそも私は人間じゃないんだから、どうなろうとも変わらないと思います。

こんなことを書き込んでる暇があるなら瞑想して、そう思っているマインドを消せという話なんですが。。。
ちょっと書いてみたくなりました。
Posted by that at 2016年10月23日 11:44
>人類規模の目覚めというのは、ただのファンタジーなのかもしれません。

・・・同意です(笑)

目覚めという現象があるとした方が 人は 喜びますが、目覚めという現象自体が ひとの観る錯覚ですよね。或いは 夢ですよね。
目覚めを体験する個人が いますからねw(我ながら深いな、(笑))

人類全体の目覚めっていうのは おおがかりな冗談ですよ。
Posted by AQU@ at 2016年10月23日 11:58
本当の「わたし」を探すための人生ではなく

最初から「わたし」と「私」が離れることなく一緒に人生を創造するために生まれてきたんじゃないかなって思います。

子供の頃は「わたし」と「私」はいつも一緒だった。
ただ知識がないだけ。

大人になって「わたし」の存在を知識で知っても「私」はいつも一緒にいる「わたし」の感覚を忘れてるだけ。

「わたし」のことを知識として知る機会もなく、大人になっても「わたし」の感覚のまま生きている人は大勢いると思います。


私の夢は
学校の「道徳」の時間の代わりに「空意識とハート」の時間が世界中の学校で当たり前になること。
まだ「わたし」のことを身体が忘れてないうちに知識として身につけておければ、出来事に対して誰もがもっと楽に人生を楽しむことができるんじゃないかな。。。

「私」はいなくなる必要がなく、「わたし」と一緒に人生を楽しむための「地球」だと思います。
Posted by ARIA at 2016年10月23日 12:05
人類規模の目覚め 

それは 気が付かないと思います

その流れのなかで気づくのは

お釈迦様でも わからない

意識する方向性は 変化を感じていますよね

もう 迷わない

 ” これでいいのだ ”
Posted by 無有 at 2016年10月23日 12:17
昨日、世界一受けたい授業、観ました。


マインドフルネス(瞑想)を紹介していたのも良かったですし、そのあとの、動植物の再野生化に取り組んだお話しも良かった!


人間の力によって破壊されてしまった自然界を、人間の力によって再生する。


地球上に生きている生物は、人間だけではないですものね。



再野生化されたことで、絶妙なバランスで生態系が維持されていることが伝えられ、そこに神の力を見る思いでした。


私達の計り知れない力が、地球を運営しているように感じ、


今日の阿部さんの記事に、通じる気がします。(^_^)
Posted by ようこ at 2016年10月23日 12:37
ARIAさん

「私の夢は
 学校の「道徳」の時間の代わりに「空意識とハート」の時間が世界中の学校で当たり前になること。」

本当にそうですね(*´▽`*)

あとフォークダンスや盆踊りや「わの舞」といったみんなで輪になって踊ることも

もっと広まっていくといいですね。

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年10月23日 12:58
「則天去私」という言葉も「私はいない」と言う意味かもしれませんね。

私はいない→私はいる→私はいない→私はいる…

と、繰り返しているうちに人生が終わっていきそう。

だから、「いま」が大事。

また、この世界は、自分が望むように考えているだけなので、

「全体意識」というものが特定の「個人意識」へ、
干渉出来ることは少ないと思います。

あくまで、意識無意識に関わらず、業や因縁も踏まえたうえで、

「望めば与えられる」という法則に則っていると思います。

私たち個人は、いつでも出来る事をするだけです。
Posted by ブレスグレイスのり at 2016年10月23日 12:59
それに触れた直感まだありますよね?

小出しは面白くないです(⌒‐⌒)

どっかり載せて下さいね(⌒‐⌒)

蜂がいなくなりますよ~(⌒‐⌒)

土管、鈍感、夜間、触感、原始林かな(⌒‐⌒)
Posted by みちばた at 2016年10月23日 13:04
いつもありがとうございます。

話は全然違うが、ボケ老人の行動が依存症の克服の過程とちょっと似てることに気がついた。

ボケ老人は、「私」を支配している自我が薄まっていくと仮定する。すると暴力や徘徊などの問題行動が現れてきたりする。

しかしそれはもともと抑圧していたものが表面化するのかもしれない。その人が持っていた恐れや怒り、不安・・・それを出し尽くした老人はお釈迦様になった。

僕が依存症を克服したときによく似ている。

だから、問題行動とはやり尽くすと消えて無くなるエネルギーなのかもしれない。

アイデンティティーを消失すると、人は無意識に拠所を探そうとするんだろうか?

人生とは何か?・・結局何に依存するかなのか、、選択した依存があるだけ?

もとに戻ったw
Posted by まっす~ at 2016年10月23日 13:18
自分でやってる感が無くなる

のに、

ある人から見たら その人がやっているように見える


( ˙-˙ )


自分でやってる感がバリバリある


のに、

ある人から見たら その人がやっているように 見えない


( ˙-˙ )


動物たちは 事は 起きている感覚 なんだろな
と 思う。(自分でやってる感ないほう)

そう思いながら 彼らを ジッと見つめて 探ってみるのは
おもしろい。

内なる経験を もたらしてくれる 可能性を秘めた ポジションの存在であると つねづね 感じている


こちらも 自分を 手放して 見てみるんだ 〜〜 !

きっと 楽しい


とりあえず いやされる
Posted by 薄茶色 at 2016年10月23日 13:33
大空さん・・・いつもコメントを読んで感じるのですが、

>心が明るく輝き、心が大きく広がっていきます。

何か 変化していく階梯・段階・時間というものを感じます。

ピンポイントで「それ」では、ないのでしょうか?

一度 お聞きしたいと思ってました。率直な研究心からです。

他意はありません。・・・って書くとあるみたいですね(笑)
Posted by AQU@ at 2016年10月23日 14:56
やっぱり…

『わたしはいない』って言葉にすると違うのでしょうね。

やっぱりほんの少し指し示すことだけなんでしょう。

本当に本当にあたりまえすぎて、

言葉にするとなんでも全部ズレちゃうのかな。

ズレちゃうけど…

でも…


何かが、あっ!!!っと伝わる感じ☆

阿部さん、ありがとう。


赤ちゃんに触れると、なんともいえない根源に帰る感じになるから不思議~

大和田菜穂ちゃんを目の前にした時もそうだった。動画も。

瞑想の時も。

ぜ~んぶ包まれてる感じ~
Posted by えんじぇる at 2016年10月23日 15:16
阿部さん、こんにちは。

愚痴になるかもです。スルーするなら今、ここです。

「覚醒したい」と、思っているのは自我?

「自分には目覚めは訪れないんじゃないか」と、不安に思っているのも自我?

「今のままではダメだ。もっと瞑想をして、無我の境地にならなければ」と、ありもしないどこかに向かおうとしているのも自我?

非二元を必死に理解しようとしているのも、非二元から遠ざけようと画策するのも自我?

頭の悪い私でも思う事。「自我ってバカなんじゃないの?」

その自我も幻想で、本当はもとから存在すらしていなかった?。

最近心底思う事。「生きていくことより、死後の世界のほうが楽なんじゃね?」

マジでこの世界にはまり込んだ自分が腹立たしい。

皆さんごめんなさい。愚痴を吐き出してしまいました。

読んじゃった?も、スルーできませんね。本当ごめんなさい。
Posted by ミッキー・もも at 2016年10月23日 15:21
ARIAセンパイ なんか空海みたいっスね〜

しなくもていい 苦労はしない 同行二人

まっす〜さん の洞察力 (p_・)

たんなるボケで済ませてしまう 風潮

芽生え 成長し 薄まっていく 毛髪 …

…自我でした(๑˃̵ᴗ˂̵)サーセンw

自ずと変容していく意識ƪ(˘⌣˘)ʃ…変 よ

取り上げるべきではない

飽きれば 自ずから 手放す

遊び道具

オモチャのポテンシャル

生来の能力が落ちるのは、

既存リアリティに合わせたから。

使わない筋力が落ちるのと同じ(╹◡╹)
Posted by 紙兎ロペ (ヘリウムガス吸引音声) at 2016年10月23日 17:30
いつもブログを更新して下さってありがとうございます。

阿部さんは、宇宙の全存在の一体相(大円相)を見たんだと思います。

自分がすっぽりと抜け落ちた瞬間に、全ての存在が一つの生命によっ
て生かされているのを見る(見性・一瞥体験・非二元)。

人類や動物・鉱物までもが、実は一つの生命を共有している・・・ 地球
規模で、霊性の進化が起きているような気がします。

マインドフルネス瞑想の世界的発展は、その先駆けではないでしょうか?
Posted by さっかん at 2016年10月23日 17:40
人類の生物的な変化の歴史を見ると、
約400万年前に、猿人と称される二本足歩行の生物が現れ、
その後、原人、旧人、新人と形状的な違いにより、別名で呼ばれるような変化を遂げ、
系統的な分類では、今の私たちは、ホモ・サピエンス、新人類と自らを呼んでいます。

ここまでは、小学生でも知っていることですが、
よく忘れられがちなのは、人類におけるこの生物としての変化は、まだ終わっていない、ということです。

変化は、この世の常なので、
人類がこの先も変化していくことは、
十分に可能性のあることだと思います。

DNAは、絶えず変化しているので、
その変化は、環境に淘汰され、環境に適合したDNAが個体変化に止まらず、
子孫に継承される形で受け継がれていくなら、
人間は、突然変異的に、変化する可能性はあると思います。

そうでない限りは、目覚めも覚醒も個体変化で終わってしまい、
人類全体が目覚める時はやって来ないと思います。

瞑想ブームは、必要だから起きているのだとは思いますが、
現代のストレス社会が瞑想に求めている効果としてのマインドフルネスと、
瞑想本来の目的とは、ずれているので、
瞑想がより一般的になっても、爆発的に目覚めていく人が増えるとは思えません。

目覚めや覚醒は、個人の努力だけでは、起こり得ません。
そこには、何らかの人智を越えたパワーが必要です。

しかし、地球を含めた天体環境の大きな変化が、強力なエネルギーを人類のDNAに大きな影響を与えた場合には、
人類全体が、種として、更にパワフルな存在に変化していく可能性はあると思います。

いずれにしろ、全体としての変化には、何万年というスパンが必要であり、
一人の人間の一生分の時間では、その変化はわからないのが当たり前でしょう。

私たちは人類が、個人ではなく、全体として目覚めていくには、
この三次元の物質の世界では、そのくらいの時間が必要なのです。

しかし、時間が過ぎる速さは短くなっており、
私たちは、昔の人が400年かけて経験するような変化を、わずか50年ほどで経験しています。

流行もあっという間に過ぎ去り、一年はあっという間に過ぎます。
意識の上では、時間の速度は速くなっています。

もしかすると、予想よりも早く、
人類全体が、本格的な目覚めのプロセスに入る日が、やって来るかもしれませんね。

この世は、夢の世界なのですから、
人類が夢見れば、そうなる可能性もあると思います。

ひとつひとつの夢の主人公は、"わたし"なのですから、
その"わたし"が、そういう夢を見たいと、心から願うなら、
そういう現実が現れる、ということ。

そのために、この世という夢の世界で、
未来に芽生える種子を、今植えることは、 
とても意味のあることだと思いますし、
とても夢のある仕事だと思います(^o^)
Posted by 夢の世界リーラ***** at 2016年10月23日 18:07
阿部さん、今頃ちびまるこちゃん見てるかな?

いつも楽しんでますありがとう(^ ^)


夢の世界リーラ***** さん

いつも楽しんでますありがとう(^ ^)
Posted by ジョーティ☆ at 2016年10月23日 18:47
肝心なことを書き忘れました。

投稿したコメントでは、
目覚め、覚醒とは、真の自己を識る、という意味で使いました。

何が真の実在かを知ることで、
間接的に、経験している個人的な"わたし"はいない、
ということを悟ることになる、と思っているので。
Posted by 補足です***** at 2016年10月23日 19:10
ミッキー・ももさん

謝ることはなにもありません
むしろもっと吐きだしていいですよ 笑
まぁそうは言ってもここは阿部さんのブログなので、あからさまに「ここでどうぞ♪」とは言えませんが( ̄m ̄*)
自分の中にある本音、これは自分だけのわがままな言い分かもしれません
でもね、それをまるっと許して、まるっと全部受け入れてあげられるのは、なにを隠そうあなたしかいないんですよ
(この時の「あなた」とは、無条件の愛のような存在(全体)です。だから思う存分甘えてください)
だからその「自分の言い分」を、たとえば日記のように文字にして書き出すとか
1人になれたときに、思いっきり口から吐き出すとか、
そういうことは実は、自分に対する癒しに繋がります
なので、言ったあとになんの罪悪感も感じる必要はありません
むしろそういった後から湧いてくる頭の判断こそ必要ありません
人の目に触れたり、人の耳に触れることでどうしても罪悪感を感じてしまうのでしたら
それこそまったくの1人のときを作って、そこで自分のために思いっきり吐きだしてあげてください
これは実践してみると、思いのほかスッキリしますよ

お試しあれ(っ〃'ω')っ))
Posted by かみゆ at 2016年10月23日 19:15
阿部さーーん、今日も興味深い内容のブログをアップして下さってありがとうございます。
かなり久々にみなさんのコメントもちょっとだけ拝読しました。
ここで色々と議論?
自分の想い?
を書けるのはとっても良いことですね。
色んなストーリーがあっていい場所。


感謝を込めて
Posted by 北の大地の女神 at 2016年10月23日 19:15
やっぱり、そうなんですよね・・・?

だったら、あたかも客観的に共有できるかの書き方は、されない方がいいと思います。

しっかし・・・・・

『全体意識』なのに、『共有』できないとは、これいかに?

『全体意識』、暇を持て余しすぎて遊びすぎなんじゃないですかぁ?????
https://www.youtube.com/watch?v=O-9wygYxIGk

「私だ」「私だったのか」「また騙されたな」「気づかなかった」・・・みたいな(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2016年10月23日 19:40
そういえば・・・

手塚治虫先生作の「ブッダ」の中にも、「全ての生命がつながっている!」
と、釈迦が悟るシーンが描かれています。↓

http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201104/images/sp1/sp1_photo06b.jpg

たかが漫画、されど漫画。漫画で悟りを開いた人もいたかもしれません?

それにしても手塚治虫先生は偉大でした(-人ー)
Posted by さっかん at 2016年10月23日 19:53
2度目ましてこんにちは

ブログタイトル募集の時におじゃましました、行き当たりバッチリです。
ことたび、ハンネを”とバッチリ”に変更いたしました。<(_ _)>

好奇心旺盛の若僧です。(アラフォー男)

唯物論者の私が非二元に興味を持ってしまった事自体、地球規模で何らかの変化が起きてると自分勝手に思ってます。

頭で理論的に非二元を理解しようと頑張りました。まだひと月ちょっとなのですがそれは諦めました。
同時に思考観察や瞑想じみたことも続けてるのですがうまくいきません。

正直真実が知りたいし一瞥体験もしたいし悟りたいです。自分で言うのもなんですが相当欲張りな自我の持ち主です。

阿部さん
一瞥体験を出来る方法を教えてください、よろしくお願いします。
Posted by とバッチリ at 2016年10月23日 19:55
いつもありがとうございます。
 
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年10月23日 21:05
今日の名古屋講演会、駿府から新幹線で伺いました。
阿部さんデビューでしたが行けて良かったです。
こんなに面白くて笑いっぱなしでそして深いお話。たくさんの気づきをいただきました。
リーラと出会って2年以上も様子を見てましたが、このタイミングだったのでしょう。
次回は東京にも伺います。ありがとうございました。
Posted by 良かった at 2016年10月23日 21:06
阿部さん、こんばんは。

解りやすい記事でした。

ちゃんとクリックもしてますよ♪

誰かに答えてほしいというほどのことでもないけど、質問(疑問)です。

ホントはすべて、ホントはひとつである「もの」は、どうして右手と左手にジャンケンさせて、しかも「オレ右手」「オレ左手」…っていう幻想を持ち続けさせるような、まどろっこしいことをしてるんでしょうか。
阿部さんの著作のどこかにあったかもしれないけど、「宇宙のすべて、全部の個性を味わおうとしているのかも」しれないんでしょうか。
Posted by 南部鉄瓶 at 2016年10月23日 21:24
かみゆさん

ありがとうございます。

今は楽になるなら何でも試したい気分です。

頭の悪い私にとって、パラドックスの世界(バラバラなのに一つとか)ついていくのに必死です。
目覚めも、望まなければならないが、追及するとスルリと逃げていく。これなんか特にムカつきます。根が素直なだけに(人からよく言われます)「神さんよー、望んでるんだから、目覚めさせておげろよ」とか思ってしまいます。

神様って、いったい何がしたいんでしょうね。訳わかりません。

何年も前に臨死体験者の体験談を読んで、自殺を否定するキリスト教徒が臨死体験をすると、多くの体験者は「死んであんな素晴らしいところに行けるなら、自殺もありかな?」に変化するそうです。

そんな素晴らしい世界から、みんなはなんでこんな世界に来ちゃったんでしょうね。

ホント人生は苦ですね。wwww

阿部さん、このスレ削除でもかまいません。
かみゆさんへのお礼だけでもお願いします。
Posted by ミッキー・もも at 2016年10月23日 21:32
一瞥した人にききたいです。
結婚相手も、他人も、みんな同じにみえますか?
一瞥後には、すべてが一つだったことが、分かるらしいので、特に好きな異性ができることもなくなり結婚願望も消えて、特別な相手など いなくなり、誰と一緒にいても同じである。という感覚になれるのでしょうか?根底ではみんな繋がってるから、相性の合う合わないは多少違っても あまり気にすることもなく、さらりと暮らせるようになるんでしょうか?
Posted by アネモネ at 2016年10月23日 21:48
いつもブログを楽しく読ませていただいています。ひとつ質問させて下さい。
「なぜヒマは苦しいのでしょうか?」

私は今年の4月に会社をやめて無職になりました。
それまで忙しかったこともあり、最初のうちは、何もするべきことがない状況を楽しめていました。
しかし3ヶ月もすると、やるべきことのない状態に苦しみを覚えるようになりました。

何もしていない状態、という点では、瞑想とヒマも同じなのに、なぜこんなに違うんでしょうか?
人は「何もしていない状態」が続くことに耐えられず、ずっと何かをし続けないと苦しみが紛れないのでしょうか?
Posted by しばた at 2016年10月23日 23:21
体験している、と思っているのは、"わたし"であって、
"大いなるひとつ"は、体験するというような存在ではありません。

すべての現象である宇宙は、大いなるひとつ
(という別の存在が在るわけでは在りませんが、話をわかりやすくするために、ここでは、そう書かせてもらいます)の表現、顕れなのです。

ですから、大いなるひとつ、だけが実在で、
その顕れとしての存在は、夢であり、幻想だということになります。

わかりやすく書くなら、
ひとつなるエネルギーが、いろいろな形となって顕れている。
この"わたし"も、そのひとつの顕れであり、
その顕れとしての形は消滅しますが、
顕れの元である大いなるひとつは、永遠に存在し続けます。

それが、私たちを含む顕れては消えていくすべての非実在の幻の源であり、
本質であり、真の本性なのです。

つまり、私たちは、非実在の幻であると同時に、
真の実在であり、永遠の存在ということになります。

この宇宙は、多層構造なのです。

この次元の存在である物質(顕れとしての肉体)としての個は無くなりますが、
次元が異なるエネルギー次元においては、全体が無くなることはありません。

個々の肉体は滅びても、全体でひとつのエネルギーは永遠なのです。
Posted by 個と全体***** at 2016年10月24日 00:42
興奮してこんな時間に起きてしまいました。
昨日のインパクトの余韻がいまもなお残ってます。

阿部さんは何をお話になるか以上にその存在感に圧倒的なものを感じました。
オーラというかやはり一般の人とは違い悟るとはこういうことかという説得力と
言葉の前に場を癒してしまう力。それはどこから出てくるのでしょう。

いつもなら悩みが頭の中の8割を占めているのに、今朝は見当たりません。
受け止め方が体験を作るというお話のせいなのか、急に視野が広がった気がします。同じことは本で読んで知っていたはずが阿部さんの存在の力なのか心の奥に響きました。
昨日までと違う自分がいて新鮮な気分でいます。

次回はぜひとも同僚を連れていくぞと
またいらっしゃる日をお待ちしています。
Posted by 早起き at 2016年10月24日 05:20
人間は働かなくてはならない生き物だ、何もしていないのはズルいこと悪いこと、役立たずのろくでなしなど、動かない自分を悪とする概念。周りや自身に対する罪悪感が根底にあるから。
働くことはよいことで、役にたっている、周りに必要とされてる感が味わえる。何かしていることで初めて周りと調和して全体の仲間入りができているなど、分離意識が薄まる感からの満足感や安心感。
確かに現実は、すべてのものが何かしらの動きを持つことで、全体がうまく循環し調和が成されているようにみえるし、実際そうしてまわってもいますね。でも、もっと深いところでは何もしないでいる或いは出来ない(ようにみえてる人やモノ)も、そう在ることが必要とされてるなかで既に調和もしています。なにもしたくないなら、しなきゃいいだけの話です。したくなったらすればいい。人との比較や在るべき姿、、自分が自分を責め始めるから苦しいよ~ってなるんです。
Posted by アネモネ at 2016年10月24日 06:48
「私は暇な時には暇をしています。
 暇をもてあましているわけではありません。
 暇を味わうわけです」



「怠けるだけ怠けたら、やる気になりますよ。
 人間なんてそんなもんですよ」


あちき(だれ?)が申されております。




よ。
Posted by 日和る at 2016年10月24日 06:59
「全体意識」は本当に難しい。
自分は「自分と自分以外」で分けているのに「自分ではない」と決めつけたモノが「自分である」という事にならなければならないから。
「自分」というものが「自覚できない」とわかるまで これは続く。
どうしたって「自覚出来てるつもりの自分」は「他」とは違うものであると錯覚が収まらないから。
「他」こそが「自分の様子である」とわかれば目の前の世界は「自分の様子」そのものだ。
世界から「わが身を引いた残りの全て」が全体意識である。
その時に一斉が目覚めてしまっているのだ。
自分が目覚めるとは「全てが目覚めている」と知る事だ。
「自分」だけが目覚められないという事でもある、と思う。
Posted by まるまる at 2016年10月24日 09:01
おはようございます。

名古屋から東京に帰ってきて、昨夜は爆睡。

生まれ変わったくらいにリフレッシュしています。

良かったさん、早起きさん、昨日は来てくれてありがとう。

そろそろ講演もリタイアしようなんて思いながら、やらせてもらうと楽しい。

これもみんな、来てくれる人がいてこそだと思います。

ありがとうございました。


しばたさん

あなたの気持ちわかります。

僕も今日のブログに何か書いてみますね。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年10月24日 09:14
自分はかつて、『目覚め』というもの(?)に、憧れていました。

目覚めれば、何か今とは違った、安穏とした境地で人生を生きられるのではないか?
自分の人間としての価値が高まるのではないか?

そんな事を考えていました。

しかしだんだんとその考えも変わってきて、

今は『目覚めなくていい』、『目覚めたくない』とさえ思います。

人間として、せっかく『分離』というものを体験しにこの地球に生まれてきたのだから、同じ時を生きるまわりのみんなと、笑ったり泣いたり怒ったり、いろいろしながら、この『分離』を目一杯体験すれば、それでいいんじゃないかと。

それが幻だ、幻想だ、と言われたとしても、その幻想を味わいに来てるのだから、もう自分の好きな事をして、楽しく味わえばいいんじゃないかと。

どうせ、一つに帰るのだから。

ただ、阿部さんの、「真実をみんなに語りかける事で、気持ちを楽になってもらいたい」という想いは、阿部さんの優しさというか、愛というか、大好きです。
Posted by 近藤 at 2016年10月24日 09:26
近藤さんは、常連さんでいらしたあの近藤さんですか?
近藤さんは、今はそういうお考えでいらっしゃるのですね。
自分の人生観や世界観は、自分が決めればいいのですから、
ご自分が納得されているのであれば、
きっとそれがプロセスということなのでしょう。

私自身のことを少し書かせて頂くと、
目覚めに興味を持ったことも、目覚めたいと思ったこともありません。

ある日突然、不思議なことが次々と起きて、世界が一変してしまいました。
誰に言っても理解されず、長い間、現実世界とのギャップに苦しみ、悩みましたが、
みんなが理解できないことも認めていました。
そして、時が経ち、何十年も経ってからですが、
私に起きたことは、クンダリニーの目覚めだったことがわかりました。
何年も修行をしたヨーガ行者にでさえ、クンダリニーの目覚めは、なかなか起きないと知ったとき、
自分に起きた体験から知り得た智慧を自分だけのモノに留めておくことは、
非常に利己的な考えなのではないか?という想いが湧きました。

個人的な体験を通して知り得たことを、何かの形で誰かに伝えることも、
この肉体の在る間だけの体験だと思っています。

そして、個人はなく、全体だけが在る、のですから、
体験が誰に起きても、そこに特別はありませんし、
また、真理は万人のものですから、誰が伝えてもいいのだと思っています。

目覚めても、プロセスは続きます。

目覚めた存在は、少し先を歩いているに過ぎなく、
やがては、万人が辿るプロセスだと思っています。

源に還る、とはそういうことではないでしょうか?
肉体を離れたら源に還る、というのでは、肉体を持つ意味はないように感じます。

むしろそうではなく、
肉体がある間にしか、源には還れない、からこそ、
人間は、生と死を繰り返すという考えもあります。

もし、そうなら、人生の目的は、ひとつしかありません。

生きている間に、全体を識ること。

個の経験を通して、個はなく、全体が在るのみ、と識るまで、
肉体を通して、個の経験は続く、ということになります。

その観点からすると、
この世という夢の世界は、そこに至るまでの、個のための経験の場と言えます。

リーラは、人間の頭の中にしかありません。

そのことに、気付くまで、
リーラは顕れ続けるでしょう。
Posted by この世はリーラ***** at 2016年10月24日 12:51
この世はリーラ*****さん

> 目覚めに興味を持ったことも、目覚めたいと思ったこともありません。
>
> ある日突然、不思議なことが次々と起きて、世界が一変してしまいました。

意外でした。
そうであれば、目覚めるためには
ヨガなどの修行も必須ってわけじゃないのですね。
「求めよさらば与えられん」
という言葉もあるから、
目覚めたいなら求めなくちゃいけない
とも思ってたのですが、そうでもないっぽいですね。

私は、目覚めが訪れるのを
気長に待っているんですが、
来るかもしれません、突然。
Posted by rakuni... at 2016年10月24日 20:28
・・・・・私の考察・・・・・・

何々が良くて、

何々がいけない

と、感じるのは、目覚めではないと思いますよー

ただの個人的な感想や価値観のお披露目ですよねーー

また、

~しなければいけないー!

~するためだー!

との「決め付け」も、たとえ、何かの力に成りたい、支えたい、救いたいとの思いにしましても、

ただの個人的な視野の、感想ですよねーー

更に、

「全体意識」って・・?

各々の、それぞれの、無数、無限の表れや意識体験などのことで・・

その~、それぞれ、各々、無数、無限の表れや意識体験などを、

全部?・把握?している〈意識〉ってのがーー?

あるものなのでしょうかーー?

そして、

海のうねりや、波は、確かに、表れては消え、消えては表れ・・・

また、消えたのでは無く、別の形に成った、変化したり、うねりや、波が無くなって、静かの海に成ったとも、観えますが・・・

「海」を、宇宙中の、そして、あらゆる次元?に充満している〈エネルギー〉?〈エーテル〉?〈プラーナ〉?と喩えたならば・・・

うねりだろうが、波形だろうが、海は海で、その瞬間的な、型どりは〈幻想〉だということですがーー?

うねりの成分も、波の成分も、「海」なのですから、

★その~「海」さん?自体も、同じく、「幻想」では無いのですかー?

「現象」が「まぼろし」という概念を行使して、それを「常識や真理」と、するなら・・・

★その・あまたの「現象」の「材料&原料」もまた、「まぼろし」なのではないのですかー?(形になってないだけでは?)

そして、「海」(エネルギー、エーテル、プラーナなどなど)を

“現した”「海」以前の「無・虚空」が、本当の我々の「本地」なのではないのですか?

タイミングを外しまして、独り言となってしまいましたが・・

どうで、ごさいましょうかーー?

☆ありがとうございます。<(_ _)>
Posted by y-be~? at 2016年10月25日 00:23
rakuni…さん

誰が、いつ目覚めるかは、誰にもわかりません。
それが、人生の面白さとも言えますね。

同じクンダリニー覚醒した方ともよく話すのですが、
やはり、基本は、ヤマ、ニヤマの実践ではないか?という結論に至っています。

人間として当然習得すべきことは、人種を越えて、時代を越えて、同じなのだと思います。

そして、どんなことがあっても、死なないという固い決意。
クンダリニーが目覚めた体験について、
ゴービ・クリシュナもその著書の中で書いていますが、
精神的、肉体的な変化に苦しんだようです。
特に、前例を知らない場合は、病気とも見間違える程、心身ともに変化するので、
それに慣れるのがかなり大変です。
これは、個人差があるかもしれませんが。。
一瞥体験は、それほど、心身の変化を伴わないので、これには当てはまらないと思いますが、
クンダリニー覚醒よりも意識の変化も小さいので、
エゴに戻りやすいと言えます。

いずれにしろ、かなり強い精神力は必要だと思います。
ネガティブだったり、利己的な心とは、真我は相容れません。
また、どんなことがあっても、神を信じる心は、必須です。
そして、純粋な心を保つことは、何よりも大切です。

そのために、エゴを落とすことが求められます。
ヨーガや瞑想は、エゴを落とすための修行としては、とても有効だと思います。

純粋な心であることは、人間側の努力でできる準備だと思います。

この世で、自分の想いを実現しようというエゴで生きている限りは、
その時は、けっしてやって来ないでしょう。
Posted by 目覚めのとき***** at 2016年10月25日 01:22
目覚めのとき*****さん

返信ありがとうございます。
*****さんとは考えが違うかもしれませんが
私は、人は清濁合わせ持つ、
エゴがあるのは当然って考えていて、
あまりエゴを薄くしようとは考えていません。

ただ、苦しくなったり、平常心からかけ離れた状態に
陥りそうなときは、その心の状態と私が
どうか同化しないようにと心がけています。

自分の理想の目覚めは、
無努力で運だけで目覚める、
そんなんがいいなあと思っています。
まあ、そんな考えだから
また何回も人生やらないといけないかもしれないけど、
前世を覚えてなければ、そこで生きるのは私ではない、
そう思うと、今回限りで私は終わりと思っちゃいますね
取り留めのないコメントですいません。
Posted by rakuni... at 2016年10月25日 21:28
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