2013年06月09日

感情の選択 3

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この感情シリーズは、特に若い世代に向けて書いています。

最近講演会にチラホラと息子世代の学生を見かけるので、息子に教えてきたように、彼らにも教えたくなってしまうわけです。

もちろん我々大人も、もう一度自分のパターンを見直すうえで役に立つと思います。


それでは昨日の続きです。


多くの人が、「嫌な感情を持てば見返りが期待できる」と考えてしまうのは、このような観念を作るのが、赤ん坊のころだからです。

生まれたばかりの頃は、お腹が減れば泣くし、おむつが汚れれば泣きます。

そのうち、泣くとあの人(母親?)がやってきて、おむつは変えてくれるし、抱っこはしてくれるし、たくさんいいことあるなって気がつきだします。

そのうち、悲しくもないのに「フギャ、フギャー」って(笑)


するとお約束のあの人が来ます。

「おーヨシヨシ、いないいないバー」

その瞬間、赤ちゃんの心の中で「やっぱり」という思いが生まれ、それが観念になっていきます。

もちろん100%の保証はないけれど、得られる可能性は高かったんです。


そのうち物心ついて、デパートのおもちゃ売り場なんかで

「これ欲しい~!!」

とか泣いている子は、まさにこのパターンです。


あまり大声で泣かれると、周囲の目も気になるし、言うこと聞かなくて面倒だから、親の方もつい、

「そんなに泣かないで!わかったよ、今日だけだよ」

な~んて言ってもらえて、観念が強化されていきます。

もちろん、そんなことにはお構いなしで、泣いている子を引きずっていく剛の者もいますから、やっぱり保証はない。

でも得られる可能性が高まることを学んでいったのです。


「嫌な感情を持てば見返りが期待できる」

この観念を自覚すれば、自分がまたお得意の感情に浸ってしまったとき、内心で何を求めているのだろうと問いかけることができます。


落ち込むことで、励ましや同情を求めているのかもしれません。


あるいは周囲からの注目や承認が欲しいのかもしれません。


不満な気持ちを発揮するのは、自分をわかって欲しいからかもしれません。


そんなに怒っているのは、自分の方が正しいと証明したいのかもしれません。


あるいは、自分のプライドが傷つくことを恐れて、怒ることで防衛線を張っているのかもしれません。



ここで伝えたいのは、そのような嫌な感情を持つべきではないということではありません。

いいとか悪いとかいう話を、ここでする気はありません。

そうではなく、もし内心求めているものを満たしたくて、無意識に嫌な感情を味わっているのだとしたら、知恵も経験もある一人の人間として、感情ではない他のやり方で、内側の欲求を満たしていく方法を用いることもできるという話です。


嫌な感情を使って、周囲の気持ちをコントロールしようというのは、とても幼いやり方です。

なぜなら、その結果は、求めていたものとは違うからです。

コントロールされた側は、そのことを忘れませんし、あなたをそのような人として認識します。



「嫌な感情を持てば見返りが期待できる」というやり方は、上手くいかないことが多いということを知っておくのは有意義です。



若者よ!これからは君たちの時代だ!!








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Posted by Toshiro Abe at 09:59│Comments(57)
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。

私も同じですね。

ありがとうございます。
Posted by ほったん at 2013年06月09日 10:05
「周りの状況を自分の思う通りにコントロールしたい」という欲望が原点にあるのでしょうね。
まさにこれは「我がまま」という幼い心理でしょう。
そういう失敗(状況は自分の思うようにはならない」を重ねて、人は大人になって行くんでしょう。

「状況は自分でコントロールできない」から・・・「状況は既に自分の思う通りになっている」という真実に目覚めるまでね!^^
Posted by 近藤 at 2013年06月09日 10:08
今日もありがとうございます。

応援ボタン、上のほうもあったほうがうれしいです~。

ボタンおして、ランキングからまたいまここに戻ってくると、2ポイントはいる⁈ときいたことがあるので。
(INのポイント、OUTのポイントがある?!
ちがっていたらごめんなさい!!!!)

そのほうがいっぱい応援できるかな~と。
Posted by さとみ at 2013年06月09日 10:16
コメントありがとうございます。

いまチェンマイですが、どこにいるのかよくわからないくらい、いつもと同じように生きています(^o^)

さとみさん、ありがとう。

さっそく対応させてもらいました。


それでは今日も一日、健やかな気持ちでお過ごしください。

僕もそうします。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2013年06月09日 10:25
ん?

ボタンをおして行ったら、そこの定位置に「いまここ」がなかったんですけど?
なにか起きてますか??
Posted by トパーズ at 2013年06月09日 10:28
3度目にして、ちゃんと出会いました。
何も起きてなかったご様子。失礼しました~。
Posted by トパーズ at 2013年06月09日 10:30
今日もぽちっっとしました☆☆
Posted by 鈴 http://mrkblog.seesaa.net/ at 2013年06月09日 10:42
いつからか . . . ははに
Posted by TOMOKO at 2013年06月09日 10:44
トパーズさん

私も、ボタン押しにいったら、「いまここ」が「いまどこ?」になってました(笑)
何か一時的に、そうなったみたいですね。

それにしても、阿部さんのランクやアクセスの数字が上がっているのを見るのは、とてもうれしいものです^^。
私は、日中パソコンでみて、夜、携帯でおさらいのためみるので、そのとき、携帯からもボタンを押すことにしました。


阿部さん

今回のシリーズは、中年の私(苦笑)の心にも響いています。まさに今、しようとしていることの中にも見受けられるパターンで、あ~、と大きな気づき。

このお話を、今、聞けてとても感謝です。いつもありがとうございます。
Posted by メゾぴあの at 2013年06月09日 10:45
ありがとうございます(^_^)

なんか元気が出てきました!

今無性に阿部さんの息子さんと友達になりたい(笑)
Posted by あにま at 2013年06月09日 10:47
すみません . . . 途中で(トホホ)

ははに
Posted by TOMOKO at 2013年06月09日 10:48
阿部さん、ごめんなさい。

とにもかくにも、
今日もありがとうございます (^ー^;)b
Posted by TOMOKO at 2013年06月09日 10:50
現在五里霧中の23歳なのですが、最近阿部さんの言葉がより身体中に染み渡っていくような感覚になります。いつもありがとうございます。
Posted by 9 at 2013年06月09日 10:50
阿部さんいつもありがとうございます
最近小さかった時の感情を解放する体験をしました。

まだ色々あると思うんですが、ロータスとプロスペリテイだと、どちらがより感情の解放が進むとかありますか?
すごいタイミングで阿部さんの感情についてのアドバイスがあって驚いてます。 チェンマイのエネルギーに触れたいです。
Posted by アカーシャ at 2013年06月09日 10:53
と~い昔に若者だった者です。
私にもベストタイミングな話題でした。感謝してます。
ただ『感情ではない他のやり方で、内側の欲求を満たしていく方法を用いる』をどうとらえてよいのやら。
昨夜から、延々と散歩してみたり土いじりしてみたり。一瞬忘れてまた込み上げての繰り返し。感情から抜け出ることがどうにも出来ずに迷走中。
Posted by QuiOra at 2013年06月09日 10:57
そうですよね…

今日もありがとうございます。

違う感情、対応が選択出来るようになりたいです。

ポチっとなしました!
お役にたてたかな…(^.^)
Posted by みわ at 2013年06月09日 11:18
今日もボタン押しました。いつもありがとうございます
Posted by lieca at 2013年06月09日 11:23
感情については起こる事が起きていると思い、起こる事については、不可避な事ではあります。その自然発生的な感情に対し、それは永続するものではないと言う事を常に念頭に置き、いまここを楽しんでいます。
Posted by おきと at 2013年06月09日 12:05
もう決して若者ではありませんが、今日もとてもためになるお話でした。
昨年、周りとの関係で「嫌な感情で人を操る」ということについていろいろ気がつくことがありましたが、今回の連載ですごく納得できました!
なので、少しずつでも自分の嫌な感情に逃げることをやめるようにしたいなあと思いました。
それにはまずその感情がわき起こりそうなことに「気づく」ことを目標にしようと思います。
本当にいいお話をありがとうございます♪ポチっ!
Posted by こうや at 2013年06月09日 12:41
おっしゃる通りです!歳はとってもまだ、子供のままだったんだと気づかされました・・・若い時に聞けていたら人生変わっていたかな〜なんて思いました!
Posted by フミ at 2013年06月09日 13:31
愛と祈りと瞑想によって、

いまここで、

神である真我を悟り、

すべてを神にお任せして、

自然に楽に生きる。
Posted by 光明 at 2013年06月09日 13:44
「応援ボタン」
上にあって嬉しいです。

ポチッ!っとしてから、読ませて頂いてますよ。
早く内容を読みたい私には、この間がなんとも言えないてす。
Posted by ジンライム at 2013年06月09日 14:01
相手をコントロールする自分、手放します。
すっきり生きたいです!
今日もありがとうございます。
Posted by きゃんぱす at 2013年06月09日 14:11
阿部さんいつもありがとうございます!
今日のメッセージはとても大切なことだと思いました。
本当にいろんなものが染み付いていますね。
人間って面白い!
Posted by まりこ at 2013年06月09日 14:59
そういう癖は瞑想していたら自然に消えて行くとかではないんですか?
Posted by pinole at 2013年06月09日 16:22
グサッ!Σ(´ω`;)
Posted by 梅おに at 2013年06月09日 16:52
はじめまして
私はその幼い衝動が抑えきれません。
ひとたびそれに囚われると、それがいつまでも頭に棲みついて結局行動に出てしまうのです。
抑え込もうとしても、脳を灼くような衝動に苦しみます。
抑えなければ、他人に害を及ぼします。
自分のうちに留めようとしても、静観しようとしても、そのあまりの激しさに、
ものすごい苦しみが、日々頭の中を駆け巡ります。
もう、病院に行った方がいいでしょうか・・・
Posted by 鈍宮 at 2013年06月09日 17:15
あ、すみません、若向けの記事と理解はしていたのですが、どうしても聞きたくてしょうがなくなりまして・・・
Posted by 鈍宮 at 2013年06月09日 17:54
歳を重ねた分だけ、嫌なおもいを武器にしてきたので、武器を手放すのに抵抗が大きく、難しく考えすぎるところがあります。

でも、考えないと始まらない・・・・
考えることでしか考えを手放すことはできない。

わかったようで、わからない 
わからないようで わかる瞬間 なんだこりゃ! なんですが
そのあとも、わかったようで わからない でも 知っている
なんだこりゃ! の感覚を 再現したくて焦る日々

武器を捨てたら誰が私を守るのか・・・
また、別の武器を別の名前で探している・・・

この場所をお借りして、私との対話をしっかりと言葉にさせてもらうことで、私が現れます。
見えれば 見えた 追うこともなく、( ̄▽ ̄;)ふーん っと逃がしてあげられます。

ありがとうございます。 
Posted by fuu at 2013年06月09日 18:55
今朝色々あって気分が沈み、励ましや同情を求めて友人に愚痴りました(笑)
起きた事はしょうがないです。リカバリーして今後に活かします。
若者というのはちょっと厳しい年齢ですが、人生で一番いまが若者な気持ちです。何度もトライあるのみ!

いつもありがとうございます。

>鈍宮さん
阿部さんがこうおっしゃっています。
>いいとか悪いとかいう話を、ここでする気はありません。
推測ですが、鈍宮さんは幼い衝動が抑えきれなかった過去の御自身を悪いと捉えているのではないでしょうか。
そのような時であっても鈍宮さんは完全です。
そして幼い衝動を抑え切れなかった鈍宮さんは過去の鈍宮さんであって、いまの鈍宮さんには全く関係ありません。いまの鈍宮さん自身をたくさん愛して欲しいと思います。

今後、そういう鈍宮さんが現れる事を恐れないでください。そして起きてしまった場合も御自身を責めないでください。余裕があれば今日の阿部さんの記事のような対応にチャレンジしたら良いと、私は思います。
Posted by マイペース at 2013年06月09日 19:04
確かに嫌な感情を持ってもうまくいかないことは分かりきっているの

につい意地をはって強がってしまうんですよね。

素直にいい気持ちでいたいだけだって気づければいいんですけどね。


^^
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年06月09日 19:41
訳あって「仏の膝元」にいます。ここで、「人生はほとんど冗談みたいなもの」と言われたことは本当によかったです。少し肩の力を抜いていきたいと思います。いつも心にすっとおちる言葉をありがとうございます。今度講演に行かせてもらいます。よろしくお願いします。今日の記事とは全然関係なくてすいません。
Posted by かつや at 2013年06月09日 20:01
若者じゃないんですが、私にとってとても大事なメッセージでした。
どうもありがとうございました。
Posted by いよ at 2013年06月09日 20:17
解りやすかったです。
スコーンと抜けました。
ありがとうございました!
Posted by 理解! at 2013年06月09日 20:56
>嫌な感情を使って、周囲の気持ちをコントロールしようというのは、とても幼いやり方です。

所謂、パワハラ、と呼ばれているものも、こんなところに、
その原因があるのかもしれませんね。

今日、いつものお決まりコースで、同居人が、怒り出しました^^;
(原因は、些細な、でも、本人にとっては、怒るに値するものなのでしょう^^;)
あ~あ、いつものパターン、と娘と二人で顔を見合わせて、
しばらく、怒りが収まるまで、静かにして、何とか、やり過ごしました。

その間、阿部さんの今日の記事が頭に浮かび、
可笑しくなって、笑い出しそうになってしまいました^^;
(笑うまいとしても、目が笑っていた、と思います)

案の定、怒りのエネルギーが抜けていくと、
後は、何事もなかったかのように、いつもの静けさが戻りました。

あっちもスッキリしたでしょうし、
私も、全く、相手の態度に影響を受けなかったので、
過ぎ去った後は、まるで何も起きなかったかのようでした。
こんな風に、いつも上手く行くといいな、と思いました(笑)。

相手の感情の発生パターンと、その時の対処法、
そして、自分の感情の発生パターンと、その時の対処法、
頭に入れておくと、もっと生きるのが楽になりそうですね^^
Posted by 真理世 at 2013年06月09日 21:01
こんばんは


    先☆


後☆  愛   輩☆


    輩☆


人生の先輩がいてくれるっていいですよね(^o^)/


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2013年06月09日 21:16
沢山の子供達と大人達で過ごした1日でした。
本当に沢山です!

素直に感情を出せている子供達をみて、自分とちっとも変わらないかも…。と思っています。
むしろ、素直な分だけいいですし。
そして、感情のコントロールができる大人もそういないですね。

今日1日、自分の感情に注意を払っていたら、なかなか面白かったです!
Posted by 楽太郎 at 2013年06月09日 21:34
阿部さん みなさん 今晩は、我が息子が生後二カ月になり まさに今こういった状態です。

と、同時に自分にも同じ事が言えると実感しました。

≧ そうではなく、もし内心求めているものを満たしたくて、無意識に嫌な感情を味わっているのだとしたら、知恵も経験もある一人の人間として、感情ではない他のやり方で、内側の欲求を満たしていく方法を用いることもできるという話です。

 勉強させてもらいます。

 (^_^)/~
Posted by NORTH at 2013年06月09日 21:51
いくつになっても、何をしてても、我々はまだ「ダダをこねる」ことで

「見返り」を期待しているんですね。

個人間、宗教間、国家間などあらゆるレベルでも。
Posted by 招待人 at 2013年06月09日 22:15
ありがとうございます。

うん!うん!
わかるけど、やってしまいがちです。
自分の中で、手放していきたいです。
Posted by いちご at 2013年06月09日 23:14
嫌な感情を持って周りをコントロールしてしまった場合、結果として、大半の人は自責の念にかられるんですよね。

それがまた負のスパイラルを生み出したりするわけで...

人間っていうのは、本当マッチポンプで面白い生き物ですね。
Posted by Yacco at 2013年06月09日 23:54
神ing改め(かみをいきる)です。

スマホを持った機会にハンドルネームを変えて見ました。

昨晩は、都留晃一さんのメッセージを拝見しながら歓喜の涙

に溺れて、(上を向いて歩こう)的至高体験の日でした。が、

神は欲張りで、本日は高校三年生の長男を怒らせてしまい

今日のテーマと超シンクロナイズ。

私の父は、兎に角徹底的に悪いとこ探しの達人

私はというと、阿部さん、黒斉さん、テラさんの

ブログの常連さん。

人生迎夢のプレイヤーで、自己チューのノー天気の達人。

随神じゃなくて、随分と起こって来ることをおもしろがって

観察してます。
Posted by 神生粋流 at 2013年06月10日 00:16
結局いつも同じところにいますが
苦しみから逃げたいと思うサイクルを繰り返して
何に執着してるかもよく分からず、
妖怪人間のように「人間になりたい」みたいになってます。

最近苦しみから逃げられずその中にいるので
すると諦めないともたない、みたいな状況で
こうゆう記事をみて例えば今日振り返ったとき

もしかしたら欲しいと思ってるものをもらってるのにもかかわらず
受け取らないで
ただ駄々こねるように苦しみ続けてるのか?とでてきて

自分はいったい何がほしんだろうかと
ふと思ったりしました。
Posted by haru at 2013年06月10日 00:22
なるほど、気づきを頂きました!
突き詰めると、人は自分の思い通りにならないから怒ってますものね。

赤ちゃんがおなかがすいて泣いたり、おむつがぬれて泣いて助けを求めて、親が対応することで信頼関係が築かれる、と聞いたことがあります。赤ちゃんには大切な手段でも、何十年も経って引きずっていたら、幼いオトナなわけですね。

私もこの無意識の刷り込みを手放します!
Posted by AH at 2013年06月10日 01:42
私は50過ぎの

三児の父親で、

子供たちから



もう少し大人に

成ったら。って

言われて喜んでます。
Posted by かみをいきる at 2013年06月10日 04:54
年齢関係なく・・・・・
しっかり ズシンと来ております。

精神年齢だけは若いのかしら??^^;
Posted by Yuka at 2013年06月10日 10:16
マイペースさん
阿部さんはこうもおっしゃってるはずです。
頭だけで宇宙的な愛を分かった気になることは危険であると。
自分が完全であるというのは、宇宙的な愛に通じるものだと思います。
それを体感できていない私は、下手に自分は完全だと思うのは危険な立場にあると思います。
ただ、善き人、誠実な、思いやりを持つよう過ごすこと。
これがこの現実の世界でちゃんと生きて、生きるをしっかり味わえる道に通じると思います。
その上で、自分のコントロールの効かなさ(これは自覚的な時もあり、無自覚の時もあるのですが)は、自他ともに苦しいだけで、何の嬉しさも安らかさももたらしておらず、善悪の問題でなく、生を貫く上で自他ともにとって障害となり得てしまうと私には思えるのです。
極端な話、私のこの性質によって自分が死んでしまう、或いは他人が死んでしまうこともあり得ます。実際、家族内に厄介な人物を抱えたことで、本人が自死、或いは家族が自死という悲劇は今の日本には何件かあるようで。

以前、阿部さんはこのブログで、「とにかく生きろ」と書いてくださったことがありました。
とにかく生きてみました。
それでも、いや、尚更制御の効かなくなった自分は、引きこもって感情を鈍麻させるより他はありませんでした。
それが自分を愛することの真逆らしいことも知識では分かるのですが、じゃあ、自分を愛することはどうすることなのかは、未だ全くわかりません。

今、私は、生きるために、本当にささやかな小さなことを、得体の知れない恐れと緊張に震えながら、踏みとどまってやっています。
それはかろうじて他人と話すことだったり、外に出ることだったり、自分で決めたささやかなルールを守ることだったり。
お腹も空きました。お金もありません。私の周囲の人たちは私のせいで心身共に疲れ、心が穏やかになれず、歩み寄ることが躊躇われます。

今回の記事では、幼い方法ではない方法について、詳しく読み取ることができませんでした。
このブログ、いまここ塾にいらっしゃってる皆さんは、それぞれに生き、洒落にならない問題を抱えたりして、生きておられます。
大きな問題は過ぎ去り、順風に生きておられる方もいらっしゃると思います。
それは決して楽しいだけの毎日でもなく、辛いだけの毎日でもない、きっとそうなんだろうとも思っています。
そうやって人と人同士が磨きあって行く姿、いいなあと思います。

その和に満ちた交流とかけ離れて、自力ではもう選択の余地なく孤独と恐怖と鈍重に満ちた環境にいざるを得ない人たちもいっぱいいるみたいです。
孤独がゆえに助けを求められない。
恐怖ゆえに人に頼れない。

人が人を救うには、その幸せな姿を体現するのが一番だというような考え方があるそうで。不幸を拒否すると意識を集中させるあまり、逆にそちらに引き寄せられていくというような。
結果として、暗い、悪害心や不安に満ちた世界で生きている人たちがいる。これは確かなことです。

今日、ふと、ゴキブリやカビ、蛆虫のことを考えてみました。
彼らは悪臭や不潔に満ちた世界に住んでいますが、彼らなしには回らない世界があります。
特に、生き物の死骸の分解などで、彼らのおかげで食物連鎖のピラミッドの下の方は回っているわけで。もちろんもっと多種多様な生物がピラミッドの下辺を支えてますが。
もしかしたら、彼らはその命のピラミッドを支えさせて頂いてるという感謝の気持ちでいっぱいで、幸せなのかもしれないなあと、勝手に妄想しました。

人間社会ではどうなのでしょうか。
今のこの社会の形で、餓死する人がいる一方で、コンビニで食べ物が大量に破棄される。幸せに思うべきなのでしょうか。
豊かな人たちのいる一方で、彼らはどのようにか役割を果たしているのでしょうか。
感情を鈍麻させて、人に怯えて、明るい日の光が怖くて、周囲も未来も見えない、目指すべきところも恐怖で分からない自分は、この世界のどこにいるのか。世界をジグソーパズルとしたら、このピースは何なのか。

幼い反応をコントロールできず、辛うじてそうでない言動を試みていると、自覚なく知らず知らずに人間関係が断絶し孤立し、人を頼れば依存が暴発し、自力を上げようとすれば結果他人を巻き込んで、自他ともに傷を負う。
他人に迷惑をかけて自分を責めないのはおかしいと思います。他人に迷惑をかけたら心苦しくなるのが当然と信じてます。
マイペースさんがどのような意味で書かれたのか、私はそれすら図るのが不安で難しいのですが、とにかく何事も知らず知らずに極端に陥る自分には、幼い反応をコントロールすることが極めて難しくて、その自分と一生付き合って、他人から遠巻きに気持ち悪がられる異質な存在として、でも、それをOKとして生きる。それぐらいしか思いつかず、そうである自分がいます。
比較じゃない、自分さえOKであればいいんだとは思いますが、自分を愛するって辛いだけです。

若者向けの、鼓舞に満ちた記事にこのような書き込みをしてしまって、すみませんでした。
これほどの長文、久しぶりに書けました。
お返事はいりません。
ただどなたかに読んでもらえたら、たぶん嬉しいです。
Posted by 鈍宮 at 2013年06月10日 13:17
>鈍宮さん

鈍宮さんの書かれた文、読みました。
鈍宮さんを傷つける言葉を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

ですがすみません・・・一点だけ、お伝えさせてください。

>他人に迷惑をかけて自分を責めないのはおかしいと思います。
私もほんのつい最近までそう思っていました。働いている時は会社に役に立っていないと感じ自分を責め、病気で辞めてからは親に、そして社会的に言えば無職であり、そんな自分はダメだと自分を責めていました。正直に言うと、私は生きていても迷惑をかけているだけと考え何度も死のうとしました。

その経験を経て確信した事があります。自分を責めても誰のためにもなりません。
反省しないとか開きなおるではありません。他人に迷惑をかけたら、他人からの対応によって返ってきます。それは仕方がありません。

ですが、それを鈍宮さんがお一人で過ごされている時まで、御自身を責める必要は全くないのです・・・本当にそんな必要はないのです・・・
Posted by マイペース at 2013年06月10日 14:14
鈍宮さんへ。
>比較じゃない、自分さえOKであればいいんだとは思いますが


このさらっと言ってることは、どれくらい素晴らしいことを表現してるか、
お気付きですか?

これまでのあなたの経験に寄って培われた覚悟の言葉です。

私は、生きていればどっかに辿りつくだろう、

だから生きています。

これが今の私の生き方のようですから。

全く先が読めません。

自分を受け入れただけです。
私の意思に関わらず、自分のこの体のすることを。
Posted by みどり at 2013年06月10日 15:30
鈍宮さん
マイペースさんとみどりさんのコメントからは、「かつて自分がそうだったから、実感した事を伝えたい」と言う優しさが伝わってきますよ。

鈍宮さんは想像力が豊かで周りの見えない気持ちをキャッチしてしまうアンテナを持っているから、常に疲れて傷ついてしまうのかな?と勝手に感じました。

確実に存在する「闇」を見ない自分に罪悪感を感じるから、あえて見つめようとしたり…

夜になると勝手に浮かんでくる、身近な人間関係の反省や後悔、遠い世界の闇の部分。私は以前、本当に怖かった。
自分がそうだったので勝手に想像してすみません。

私は昨日も大切な人に対して、幼い反応をしてしまって落ち込んでいます。
だって腹が立つんですもん。
私ってしょうがないなぁ、と思いつつ、自分の心の奥を覗きこんでいます。
でも気付いているだけで確実に冷静に見られます。
こんな自分てしょうがないけど、皆同じ愛すべき魂だと今は自分を少しだけ認められるようになりました。
生きるって本当に大変です。

鈍宮さんがいつしか、ご自分を受け入れて楽になれますように。
いつか色々が解る時が来るまで、お互いにとにかく生きていきましょう。
Posted by 小さな光 at 2013年06月10日 16:35
ありがとうございます
すごくためになります
これからも若者に本物のエールをくださいm(__)mお願いします泣きたい気持ちになります。うれしくて…
Posted by やこ at 2013年06月10日 17:24
鈍宮 さん

>自分が完全であるというのは、宇宙的な愛に通じるものだと思います。
それを体感できていない私は、下手に自分は完全だと思うのは危険な立場にあると思います。

横レス、ご免なさいね。

自分が完全である、世界が完全である、ということを体験する、
その体験とは、どういう体験であるのか、私にはよく分からないのですが、
それはどんな体験を指しているのでしょうか?

あるがまま、今ある状態を、完全とする、だけでは、
十分ではないのでしょうか?
それぞれの個人の見方によるのかもしれませんが、
あるがままの世界を受け入れる、
この世界の全てを肯定すること、は、
それは、そのまま、神(創造者)の世界を100%肯定することで、
この世界の完全さを認めることになりませんか?

ダルマである世界は、全て完璧なる宇宙法則に沿って、流れていきます。
それを認めるだけでは不十分で、何か確固たる体験が必要なのでしょうか?

つまり、体験がないと、あっさりと宇宙の完全さを認めることは、
出来ないし、してはいけない、ということでしょうか?

自分が完全だと思うのは危険、と思っているのは、誰ですか?
完全であるのに、それを認めない、認めたくない、のは、
鈍宮さんがご自分だと思っている「わたし」、つまり、自我意識ではありませんか?
自我意識から生まれる意識の特徴は、不安感や危険だと思う気持ちや、否定する気持ち、です。

その否定する自我意識が、靄のように真理を覆ってしまうと、
自分を含む世界の完全さが、見えなくなってしまう、と思います。

いまある世界が、そのままで100%完全、完璧、とは、
そう思うだけで、実現します。

真理は、とってもシンプルだと思いますよ^^
難しく考えているのは、人間(の自我意識)だけではないでしょうか?^^;^
Posted by 真理世 at 2013年06月10日 18:18
レスいただいた方、ありがとうございます。
頭がもうちょっとゆっくりできた時にお返事できればと思います。

真理世さんにだけ今はお返事を
今、自分は議論できる状態にありません。
ひどい夢、日中の絶え間ない緊張と恐慌と暗さに、物事の順番や文章の組み立てにすら苦労し、時には自分のいるところがどこなんだか分からなくなったりもします。
そんな時に、スピリチュアル系の知識がひょいと顔を出し、「この世界は幻影なんだよ」と囁くのですが、それはとても不快で、不気味な感覚があります。

自分や宇宙が完全であるという体験がどういうものかは分かりません。
ただ、そんな風に知識や言葉で完全を掴もうとする自分の傾向が、とても危うい状態に連れて行かれてしまう気がして、そのように書きました。

体験なくとも法則を信じて、ちゃんと生きている人はいっぱい居らっしゃると思いますが、私は信じ方が何故か分からないけど自分を苦しめる方向に行くみたいです。
Posted by 鈍宮 at 2013年06月10日 19:27
鈍宮さん

何度もすみません。
以前、私の中にもある心の闇を発見して、自分がされたらどうしよう、からいつしか自分がしてしまったらどうしよう …と怯えて夜中にテレビをつけて落ち着かせていた事を思い出しました。

怖い夢を見るのが嫌で、寝る事が怖かった時が子どもの頃にあります。
色々あがいて今は心の奥は穏やかでいられるようになりました。

ニュースや様々な情報で怖いと感じるものは今は見ないようにしています。幸せを感じるものや楽しいものをなるべく選び。

鈍宮さんの心にも平安が訪れ、少しでも楽に眠れますように。返信は無理してしなくていいですよ。
Posted by 小さな光 at 2013年06月10日 20:31
鈍宮 さん


コメントへのお返事、ありがとうございます。

>ひどい夢、日中の絶え間ない緊張と恐慌と暗さに、物事の順番や文章の組み立てにすら苦労し、時には自分のいるところがどこなんだか分からなくなったりもします。

鈍宮さんの状態、状況も知らず、勝手なことをコメントに書きまして、
申し訳ありませんでした。

実は、私も若かりし頃、完全に自分だけの世界に籠って、
それが、自分にとっての現実世界だと思い込んでいた時期がありました。

「時には自分のいるところがどこなんだか分からなくなったり」する時は、
もし出来ましたら、大自然の中に身を置いて、自然の中で生きている自分を感じたり、
グラウンディングといって(これは、部屋でもできます)、
足の下に、大地を感じ、地球との一体感を感じたりが、
とても、自分のポジショニングを意識するのに、役立つと思います。

頭(思考)だけが、フワフワしている浮遊感は、
このグラウンディングをすることで、かなり改善されると思います。

まずは、大地にしっかりと足をつけて、現実を生きること。
その中で、大自然の中で、生き、生かされている自分を感じること。
まずは、こんなところから、自分を取り戻す練習をされてみては、どうでしょう。
(人工的な環境に染まっていては、宇宙の法則を実感として感じることは出来ません。
夜空に輝く星を見たり、草木を見たり、動物に触れたり、自然と触れ合う機会を持つことは、
人間が、森羅万象の中で生きているという実在感を得るのに、大変重要であり、大切だと思います)

スピ的な知識は、それをしながらでも、得ることは出来ると思いますよ。

鈍宮さんの状況もわからず、勝手なことを書きましたが、
焦らず、マイペースで、まいりましょう^^
Posted by 真理世 at 2013年06月10日 20:53
すごいすっきりした…
すごいすっきりしたーーーー!!
いったいどうしてこれほど苦しい感情がしつこいんだろうと思ってたけど、
今回のブログで超すっきりしたし、一瞬でそれが剥げ落ちました。

こんなにストレートに腑に落ちたのは初めてです。
この解説をしてくれた阿部さんにどうしても感謝したく、空気を読まず書き込みしておきます。
Posted by mimi at 2013年06月12日 01:42
鈍宮さんの文章は
ポーやビアスや太宰の文章を思い出させるものでした。丸谷才一と版画の挿し絵のポーの短編集は大好きだったのです。

(右脳型な私は小説はそんなには読んでいないし、ポーやビアスはたまたま日本語訳が私の好みだった理由があるけれど)

長くとも惹き付けられる文章には魅力があります。
苦しんでいらっしゃるから躊躇しますが…書き込める気分になられたら、又あなたの文章が読みたいと感じました。
気分を害されたらすみませんが。

書く事で発散出きればいいのですが、ストレスになるならスルーして下さい。
私はただそう感じました。
Posted by 小さな光 at 2013年06月12日 22:59
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