2012年02月17日

福音

今朝早く、昨日頂いたコメントを読んていて、とても力強く感じた文章があったので、携帯電話から読んでいる人のためにも、こちらに掲載させてもらいます。


・・・・・・・・


わたしはかつて、浄土真宗はなんて自分に都合のいい身勝手な考え方をしているんだろうって思っていました。

他力?あなたまかせでいいの?人生は自分で切り開いていくものじゃないのか?って。

ましてや、悪人でも救われる?そんなのありか? みたいな。

でも
それは全く全く正しかった。


一年前、わたしの身に起こったこと。

認知症の母が寝たきりになり、施設に入れたくても空きがなく、空きがあっても重度であるため入所費用も半端なく、手段がないため仕事を辞め自宅介護にふみきりました。

そんな折かみさんが鬱になり、リストカット。

長期の入院を余儀なくされました。


収入は完全に断たれ、かみさんの医療費も高額で、途方に暮れました。

今まででも経済的な困窮はありましたが、こんなに前途が真っ暗な状態になった事はありませんでした。

行政の支援もお願いしましたが、まず資産を処分してから来なさいと断られました。

処分するにも、なんせ、ど田舎の地所ですので土地も家も買い手などつきません。


困り果てたわたしは、来る日も来る日も思案に明け暮れました。

そして、あきらめたのです。

もう起こる事と戦うのをやめよう。自分はもう死ななければならないなら死のう。

いや、積極的に死を選択するのではなく、そうなるのであれば受け入れよう。

世界が有るなら、それを現している元の、なにか偉大な力が存在するはずだ。

それに自分の全てをまかせよう。生きようと必死になるサバイバルを捨てよう。


そうして、その偉大な力、いわば源泉に、または神に。

わたしはわたしの人生だろうが、身体だろうが、命だろうが、魂だろうが、ありとあらゆる自分に関わる一切を差し出したのです。


そうするとどうでしょう!なんと。

自分の苦悩から解き放されたような解放感に浸れたのです。

そして、ここに!

この胸の、ここに!

説明のつかない、ふくらみのある何かが現れたのです。


それは今まで味わったことのない幸せ、喜び、条件を必要としない愛と共に現れました。

わたしはその至福の故に喜び、その感謝の故に泣き、溢れ出るその愛の故に、酔いました。

それは今でも、ここに。この胸のここから溢れてきます。


それが現れてから数日後、生活も、家のローンも、治療費も出してあげよう。返さなくてもいい。

そんな人が出てきたのです。

まさに神が、わたしの人生の主導権を引き受けた瞬間です。


わたしは自分の内側に、絶対的に信頼できる神を得たのです。

それ以来、わたしは内側に、神の側に向いていて、頭のほうに意識を移動するには若干気力を使わなければなりません。


自分の全てを放棄して、内なる神におまかせし、何であれそのみこころを受け入れる。

全くの他力です。

そして、わかったのです。

だれもが本当は神の要素であることを。

それらは何一つ離れてはいない。

全ては一の中にある数限りない一であって、それらは集まっても全部で一であることを。

だれも生まれたものではない。

だれも死ぬものでもない。

世界は、みこころによって意識に立ち現われた映像にすぎないことを。

この至福の世界こそ、法然の言う浄土であることを。

そしてそれは、あの世にあるのでも、この世にあるものでもなく、ああ、それはほんとうは、全てなんだということを。


しかしながら、ほんとうにこの表現はいいのだろうか?

言葉では言えない。

それは存在しているとしか、これしか言えない。

ただ、他力は、正しかった。

今までほんとうにわかっていなかった。

これは、経験してはじめてわかる事なんだと実感できた。

このことだったんだって、わかったんです。

もう身体を離れるのはいつでもいい。

明日でも、今からでも。

みこころに従います。


花岡修平


・・・・・・・・・・


このエピソードで素晴らしいのは、お金の援助をしてくれる人が現れたということよりも、花岡さん自身に内なる祝福の体験が訪れたことです。

心境の変化があったから現実が変わったという見方もできますが、そのような奇跡以前に、人の心がここまで変わることができるという奇跡に心が打たれます。

心がどんなに長く、深い闇に閉ざされたとしても、部屋の外には太陽が光り輝き、あらゆる存在を照らしてくれています。

それは全ての人に等しく与えられた恩恵であり、この情報こそが、良い知らせ、福音です。


福音が全ての人に訪れますように。


「あなたは宇宙の部外者ではありません」



「天の思し召すままに」



「南無阿弥陀仏」






福音   福音


・・・・・・・


【お知らせ】

皆さんからたくさんのご要望があった、「阿雲の呼吸」の本が完成しました。

詳しくはコチラから。




Posted by Toshiro Abe at 08:46│Comments(177)
この記事へのコメント
ありがとうございます
Posted by Roseblanche at 2012年02月17日 09:02
朝の混雑した電車内で読んで、人前をはばかることなく泣きたいのをこらえてます……。
素晴らしいシェアをありがとうございます!
Posted by Take at 2012年02月17日 09:06
あべっちおはようございまーす

すごーい!

今日もいい日ですね~
Posted by ss at 2012年02月17日 09:07
中途半端に格闘しているうちはまだまだなんですね(*_*)

まるごと自分を預ける、ゆだねる事が必要なんですね。
Posted by 三毛猫 at 2012年02月17日 09:09
阿部さん花岡さんありがとございます。

また朝から泣いちゃいました。(T_T)

私は今まで「おまかせ」というのは、無責任な言葉に響いてました。

でもそれは、私が私自身を愛さず信用せず、神様を信頼しなかったからでした。
ごめんなさい。
Posted by 大阪のおねえさん at 2012年02月17日 09:17
今朝目が覚めて外を見たら

一面雪景色です。


空も太陽もとてもきれいです。


雲の上には


いつも変わらず


空と太陽がありますね^^



どんなに苦しいことがあっても


本当の自分である大いなる存在は


いつも変わらずありますね^^
Posted by 大空 at 2012年02月17日 09:18
私はまさに今、主人の病気の治療と出産が重なるため生活がかなり限界です。
ただまだその事実に対して執着があるため、苦しい心境です。
どうしたら一切の執着から解放されるのでしょうか。

死にたくても産まれてくる命を思うと自分がしっかりしなくては!と気が張り、かといって収入が増えるわけではなく
むしろ、減っていく一方です。

ただ一切を受け入れるとは
どんな心境になったら出来るのか
毎日苦しいです。
Posted by 小波 at 2012年02月17日 09:21
素晴らしいお話ですね。

シェアありがとうございます。

自分も認知症の父と二人で暮らしており、思うところがたくさんありました。涙でました。すっと力がぬけました。

ありがとうございました。
Posted by てくてく at 2012年02月17日 09:22
みんなが福音の中に生きられますように

起ることに囚われることなく、胸の中の幸せを深呼吸できますように



今日のお話を読んで、このスパイラルが広がることを願わずにいられません。

花岡さん、阿部さん、素敵なシェアをありがとうございます♪

くぅぅぅ~幸せだねぇ^.^/

今日も一日安心・笑顔の中にありますように☆
Posted by 美和(南国でQ♪) at 2012年02月17日 09:28
流される。流れる。流されるプール。流れるプール。「さ」とると結構イメージ変わってきますねぇ。 でもドキドキハラハラしたい時は流されプールもおつですね☆ 今年はとしまえんに行ってみよっと♪
Posted by hilo氏 at 2012年02月17日 09:29
小波さんへ

いまあなたにできることは、昨日と明日をたちきって、今日一日という枠の中で生きることです。

いまできることは、誰でも一つだけです。

やれると思った事を、精一杯やってみるのです。

その時、あなたに必要なアイデアや機会がやってきます。

あなたが投げ出さなければ、それは必ずやってきます。

あなたは見捨てられていません。

あなたが生まれてくる子供を愛するように、天はあなたを愛し見守っています。

これは信仰ではなく、事実です。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2012年02月17日 09:29
本当の意味で『覚悟』が決まった、ということなんでしょうね。


『覚悟』というのは、ある意味『開き直り』とも言えるのかも知れません。



自分の人生にどんなことが起ころうと、すべて受け容れよう、
もう、なんでも来てくれればいい、と、すべてを手放してしまう感覚。


自我がいくらあれこれ考えても、自然の摂理、この世界を動かしている
ご縁の力には及ばない、ならそれにすべてを任せてしまおう、

という心境なのかな、と思います。


『諦め』と違うのは、そこに自然の摂理、成り行きに任せればうまくいく、
という、強い『信頼』があるということですね^-^
Posted by YoShi@左脳系スピリチュアリスト at 2012年02月17日 09:31
 
不覚にも泣いてしまった…!
 
Posted by 都忘れ at 2012年02月17日 09:31
ありがとうございます。
言葉にならないハートの奥の奥が喜んで深く振動しています。

花岡さん、ありがとう。
阿部さん、ありがとう。
Posted by まゆ at 2012年02月17日 09:33
おはようございます!

朝から素敵なお話を(出会い)読むことが出来、幸せです。

これだから人生って素敵なんですね・・・・

安部さんや皆さんに感謝です。

読んでいて涙があふれました・・・・ありがとうございます☆


皆さんにとって素晴らしい一日になりますように!
Posted by matsu at 2012年02月17日 09:36
おはようございます^^
とてもとても、胸がふるえました。
感動で、ハートが熱くなります。
ほんと、言葉になりません・・

花岡さん、
素晴らしいお話、ありがとうございました。
Posted by とまとま at 2012年02月17日 09:39
ただただ、感動しました。
自身の内なる魂が揺さぶられたかんじです。
今日もいい日になりそうだぁ~。
Posted by まさやん at 2012年02月17日 09:39
花岡さん、阿部さん。本当にありがとうございます。何だか私も幸せで胸が暖かくなりました。
Posted by なあすけ at 2012年02月17日 09:39
ありがとうございます。「福音」とうタイトルがメールで届いても、「どうせまた・・」という気持ちもありましたが、読んでよかったです。
私も裏切りと借金を背負う、という状況で、子どもも抱えており、「すべて神の御心のままに」とゆだねるのは「逃げではないか。抵抗しないから、こんなことが起きるのではないか」と責める声がして身動き取れないでいました。

天にゆだねる覚悟と、目の前にくる一つを全力ですること
精一杯してみようと思いました。
Posted by ひまわり at 2012年02月17日 09:46
何度も何度も、読み返しています。

わたしは、祝福の体験の入り口に立ち、
ドアに手をかけるだけ。そういう、感覚でいます。

大いなる存在の『道具』として、全ての流れに身をまかせる。
『神の思し召すままに』。

阿部さん、花岡さん、ありがとうございました。
Posted by よね at 2012年02月17日 09:49
阿部さんおはようございます^ー^)人(^ー^
そして素晴らしいお話しをシェアして下さった事に心から感謝します。今の私にとって本当に必要な文章だったので涙が止まりませんでした。私も最高に幸せになりました!
いつも感謝します
Posted by まりや at 2012年02月17日 09:49
今日のお話、涙が出てきます。

私も認知症の父と癌を患っている母と暮らしています。

家のこと、仕事のことと、
一生懸命にまじめにやっていたら、
何か、いつか、必ず道が開けるに違いないと思い、
頑張っていたら、
私まで癌になり、先日手術を受けました。

一時は、いったい私の生き方のどこが間違っていたのだろうと
自分を責める毎日でした。
今も、どうやって生きていったらいいのか
思い煩うことからは開放されていません。

委ねよう、もう委ねた、と思っても、次の瞬間にはまた考えてしまう。
努力してしまう。
結果を求めてしまう。

正直、つらいです。

でも、こんなことを考えていても、幸せだ、平安だと思うこともあるのです。

自分がよくわからなくなっています。
そのとき、そのときの状況に、ただ反応している、
アメーバーのようなもの、
それが自分のような気がすることもあります。

いったい、私は何をしているのでしょう。
Posted by debe at 2012年02月17日 09:51
ありがとうございます。

やっぱり本当だったんですね。

信じますよ。

自分の中にも、そんな力がある気がするので。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

うまくいっても、いかなくても、

大丈夫だあ~?

どこかで聞いた気が•••
Posted by Kenji at 2012年02月17日 09:51
直球!
どストレート!
きましたよー ここに!
身体がふわふわして幸せ!
今日も一日にこにこ過ごしま~す!
Posted by ひろこ at 2012年02月17日 09:53
今、涙が溢れて、溢れて止まりません……

ありがとうございます。
Posted by 智恵 at 2012年02月17日 09:54
おはようございます。

こちらも清々しい朝。

立春ぶりに利尻富士。

おととい風速30mを超えて。

北北西の三寒四温?恐るべし。

白銀の世界にも春の萌しみっけ。

おてての
しわとしわを
あわせて
しあわせ~
南ぁ無ぅ~(ー人ー)
Posted by etsu at 2012年02月17日 09:54
安部さん、花岡さん、シェアをありがとうございました!!


>この至福の世界こそ、法然の言う浄土であることを。

まさに。
意識がどこに在るか、という事で、この世界が浄土になるんですね。


私も、「3次元の(肉体を含めた)全てのモノを手放す」という壮絶な体験があり
それが、大いなる宇宙の根源の、ありえないくらいの深い愛だ、と気付くのに
そんなに時間はかかりませんでした。


…そして、全ての人に、その瞬間は必ずやってくるのだ、と、
全ての人は神なのだ、と、確信できることに、至福を感じます。
Posted by オンプ♪ちゃん at 2012年02月17日 09:54
共鳴し、ふるえました。
花岡さん、阿部さん 、シェアありがとうございます゚+.・゚+。+゚・.+゚
Posted by エゴエゴアザラク at 2012年02月17日 09:57
すばらしい、ありがとう。
Posted by あるがまーま at 2012年02月17日 09:59
阿部さん。花岡さん。ありがとうございます。

心が温かくなりました。
辛い人がいっぱいいると思うんですけど
少しでも届くといいなと思います。
Posted by きしめん at 2012年02月17日 09:59
阿部さん、おはようございます。
初コメです。

花岡さんのお話、とても感動しました。
私も、旦那の出張なのに、子供のひとりは骨折、もう一人は高熱出して寝込んでいて、その上仕事もあり、昨日はパニックでした。

でしたので、今日のブログは大変、心に染みました。

ありがとうございました。
Posted by ゆか at 2012年02月17日 10:15
涙がでました。本当に良かった。
共有してくれてありがとうございます。
Posted by はち at 2012年02月17日 10:20
昨日の記事を読ませて頂き、自分の中でも小さくない心のわだかまりを思い出し昨日はその事ばかりを考えておりました。
自分が大変お世話になった義父は、信心深い浄土真宗の檀家でした。
晩年、その人は自分で自分の命を絶ちました。
あれから数年、自分の中では亡くなれば誰でもが救われるという思いが少しでも最後の心境に影響があったのではないか?
また、どんな想いがあったのだろうか?とずっと心の隅で考えておりました。

何のせい、などと言うつもりは決してありませんが自分がそこに考えを逃がしてきたことは間違いありませんでした。

時間が戻ることもやり直すことも出来ませんが、花岡さんのお話を読んで生きている自分が自分なりの生き方をのんびりと歩き、いつか答えが少しでも見えるときが来れば良いなぁ…とちょっとだけ肩が軽くなりました。
Posted by まきさき at 2012年02月17日 10:21
なぜだか、涙が止まりません。
なので、おもいっきり泣きます。
泣かせてくれて、ありがとうございました!
Posted by 千 at 2012年02月17日 10:23
おはようございます。

花岡さんのお話、凄い説得力です!!

素晴らしい体験ですね。

シャアして頂き本当にありがとうございます!!
Posted by kazuko at 2012年02月17日 10:23
あぁ、気持ちいい~。

読んでいて、またあの至福の体験がやってきたのかと思うくらい胸が膨らみあたたかくなりました。

花岡さん、阿部さん、ありがとうございます。

魂からの言の葉は、ダイレクトに魂に響きますね。
Posted by 和奏 at 2012年02月17日 10:30
こんにちは!
阿部さん。みなさん。

すべてを捨てたときに神にであえたのですね。
よかったですね。
ほっこりしましたよ。
素直な気持ちが一番です・・・・。
Posted by サラ at 2012年02月17日 10:31
阿部さん。
おはようございます。

人生のアイテムに
[戦う][逃げる]しかなかったけど…
[神様にお任せ]が最強アイテムだったなんて。
Posted by てるりん at 2012年02月17日 10:40
ありがとうございます。
わざわざコメントを頂き、本当ありがとうございます。

そうですね。
(今)しかないんだから、今何が出来るか
それだけですね。

まさに分かった気になっていただけで
実践出来てないことを認識しました。

出来ていないということは、信用していなということなのか、、、

自分をもう一度内観してみます。

お忙しいなか、
ありがとうございました。
Posted by 小波 at 2012年02月17日 10:44
涙と鼻水が出ました。
花岡さんがお伝えくださった事、上手く言葉で表せないけど、すごく、うんうんて頷いてます。
これを味わうために、あべっちさんのいまここをふと思い出したのかな。
昨日今日と、なんともくだらない事でやさぐれてたので、リセットさせていただいたようなスッキリ感です。
ありがとう。
Posted by あぱこ at 2012年02月17日 10:50
こんにちは。

今日のお話しは素晴らしいですね。

琴線に触れるお話しです。

きょうもありがとうございます。
Posted by 方位鑑定士 at 2012年02月17日 10:57
mixi経由で来ました(笑)

全ての体験は「大いなる存在」に戻るためのプロセスですね。

そして、そのプロセスは人それぞれ違います。

改めて、自分のプロセスを信じて、身を委ねようと思いました。

アベッチ、花岡さん、始め皆様それぞれのプロセスを祝福します。

おめでとううううううううう・・・・・・・←シャンタンさんの影響(笑)
Posted by ラブ☆マエピ at 2012年02月17日 10:58
どういう訳か『南無阿弥陀仏』と聞くと
個人的には『皆(みな)阿弥陀仏』と頭に響きます。
変でしょうか?(>_<)
Posted by 大地の聖樹 空也 at 2012年02月17日 11:00
花岡修平さん

ありがとうございます。わかちあってくださって。

本当によかったですね。

私も、父の介護と母の入院で疲れ果てていたときがありました。

昨年父が施設に入ることができ、母の健康も少しずつ回復してきたので、すべてに感謝しています。

母は、夢のようだ、って言ってます。不思議なくらいに救いの手が差し伸べられたことを。
Posted by あん at 2012年02月17日 11:20
体験をシェアして下さり

ありがとうございます

もう言うこと無し
Posted by 風 at 2012年02月17日 11:21
花岡さん ありがとうございます

世の中にこんなにも真面目で善良な人たちがつらく苦しい
思いをするのはなんでだろうと思うことがよく有ります。

神も仏も有るものかって・・

でも いましたね

この胸のここに・・

苦しみや困難って

それを教えてくれる神の大いなる愛かもしれませんね
Posted by カズ at 2012年02月17日 11:22
すごい話です本当に泣きそうになりました

私もそうですが、本気で信じようと決心すると

信ずるに値するような出来事が内にも外にも現れてきますね

ありがたいことです、感謝です

(-^〇^-)
Posted by 直弘です at 2012年02月17日 11:22
ありがとうございます♪
私はまだまだ手の中にたっくさん握りしめてます。
それを手放させるために、これでもかと言わんばかりにしんどいことが起こるんだな。

まだ、自分でなんとかしようと思ってる。
何とかできないかもしれないことに怯えてる。

ヽ(´Д`;)ノアゥア...
Posted by Kei at 2012年02月17日 11:27
素晴らしいです。感じたことがとても大きくて、言葉で表現できないです・・・。花岡さん、素晴らしい体験のコメントをありがとうございました。
Posted by chamomile at 2012年02月17日 11:27
>debeさんへ

そのようなつらい状況で、「委ねる」というのは本当に難しいことですよね。
私も同じような心境なので、よくわかります。
Posted by yuri at 2012年02月17日 11:32
ありがとうございます。

ふぅ~ 深呼吸。
Posted by JAC at 2012年02月17日 11:38
「明け渡す」「お任せする」「信頼する」「降参する」「諦める」「信じきる」というようなことばかりに囚われていました。

【差し出す】

これだ!!と思いました。

積極的に差し出してみます。

ありがとうございました。
Posted by marimo at 2012年02月17日 11:48
感動しました
有難うございます!(^O^)
Posted by みきこ at 2012年02月17日 11:49
起こる事と、戦うのは辞めよう。

心にしみます。
身を任せる。任せるって事が、こんなに継続できないとは、、
苦しい最中なので、今日のブログで、少し、いまここに戻ってこれました。ありがとうございます。
Posted by 太陽 at 2012年02月17日 11:49
花岡さん、安部さん、

魂がふるえるような素晴らしいお話をシェアしてくださり、
ありがとうございました。
Posted by モロコ at 2012年02月17日 11:50
感動しました!
何だか、その至福の感覚、気持ちが私にも伝わって流れてくるような、少しそこに触れられたような、幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。
Posted by リラリラ at 2012年02月17日 11:50
親の介護に、子どもの障害とか考えてしまって、いっぱいいっぱい!になったこともあります。
でも、自分のいまできることを精一杯やって、あとは、「おまかせします!」って思ったら、だれかに背中をおされたように心も軽く、事が無事に進んでくれた経験がありました。
だから、大変なときは、あとは、「おまかせします!」って言っちゃいます。「O型は、のーてんきでいいね!」って言われたこともあるけど、やっぱり「これでいいのだ!」と思いました。

いつも、ほんとに ありがとうございます!!
Posted by しまちゃん at 2012年02月17日 11:54
感動して心が静かになりました…。

debeさんにも至福の時が訪れますように…。
Posted by てなんつ at 2012年02月17日 11:55
わたしにも至福の時が訪れますように…。
Posted by てなんつ at 2012年02月17日 11:58
わたしも感動で涙(T_T)
お話、ありがとうございます(^_^)
Posted by タルジャ at 2012年02月17日 12:03
「生活も、家のローンも、治療費も出してあげよう。返さなくてもいい。」と言ってくれた方はどんな人なのですか?
どうしてそこまで大金を?
可能でしたら教えて頂きたいです。
花岡さんの善行がご自身に返っただけなのではないか、と思ってしまうのです。
Posted by こたろう at 2012年02月17日 12:09
やっぱ、そういうこと、あるんですねぇ。

私はまだまだその心境には至っていません。

阿部さんや他の方のブログ読んで、
そうなんだろうな、と思ってはいても、
そしてそれらの言葉を信じるからこそ、毎日頑張っているのですが、
花岡さんのコメントを読んで、
改めて、やっぱりそういう世界があるんだ!と
目を洗われた気分です。

シェア、ありがとうございます。
Posted by まかろん at 2012年02月17日 12:10
深い・・・。ほんとうに深いお話でした。

ありがとうございます。

私も、親鸞さんや法然さんの唱える内容を、

表面的にしか理解できていなかったのだと痛感します。

でも、こりゃ理解出来ないわ。。。すぐには。(笑)

という私も、まだ理解できているわけではないです。

その時がくれば、理解できるのでしょう。

理解しようと努力するのではなく、委ねる・・・ということですかね。
Posted by HinaHaruパパ at 2012年02月17日 12:12
結局、やることは、やってしまうので、

その時、胸が、苦しくなったら、只その状態に抵抗することなく、受け入れて
ください。

あなたのペースで、かまいませんから。

苦しく、辛くなった時、
あなたが、自分の魂に抵抗している時ですから。
Posted by みどり at 2012年02月17日 12:21
泣く!!!!
Posted by 心吾 at 2012年02月17日 12:23
内に向き合う人には気づきが訪れるのですね。
良いお話をありがとうございます。

外は久しぶりに晴れて、気持ちも晴れやかです。
Posted by くり at 2012年02月17日 12:26
阿部さん、花岡さん、ありがとうございます。
全てお任せで本当に大丈夫なんだって、思わせて貰いました。
でも、いまの僕は頑張って頑張って、自分の人生を切り開く必要があると思っています。ねばならないではなく、そうしたいのです。意識の上でも、この世界にいる間の人間としても。
ここ最近、いままでの僕は「自分のものは自分のもの」という心で歩んできたことに気付かされました。上っ面は、「皆のために」なんて顔をしながら…
今日の記事を読んで、少し、その自我の鎖が綻んだ気がします。
いまからその気持ちを携えて「頑張ろう」とおもいます。
ありがとう。ありがとう。
合唱。
Posted by ひのいろ at 2012年02月17日 12:29
素晴らしいです。

今日もありがとうございます (^ー^)
Posted by TOMOKO at 2012年02月17日 12:30
今、涙があふれそうです、やばい。
振り向けない。会社の昼休みです。
Posted by ほよよ at 2012年02月17日 12:33
私も泣きはいりました。
胸に何かがやってきて幸せにつつまれるって
いいですね。すごいです。
とても聞けてよかったです。

あと、以前このコメント欄で瞑想の質問をかいたとき
お答えいただいたかたがた、誠にありがとうございます。
PCを借りられないとコメント書き込みができないもので
お礼すぐいえなくてすみません。
閲覧もなかなか困難だったのですみません。
ありがとうございました。
Posted by kiki at 2012年02月17日 12:34
劇的なサレンダーですな。
私はたぶんゆるやかなサレンダーをしているのかな。
バルセカール風に言うならそのような精神肉体機構に生まれついたとか。
南無(ー人ー)
Posted by 洗剤 at 2012年02月17日 12:40
勇気をありがとうございます。
Posted by KOJI at 2012年02月17日 12:43
感じました。

何を握り締めているのかは、まだわかりませんが、

とにかく自分は何かを握り締めている。執着している。

その事を。


どなたかも書かれてましたが、これは逃げじゃないか?って思いがホントによく出てきます。

それが出ると、そこでグジャグジャさせちゃうんですが、
なんか、そこから先?って言い方が合ってるかわかんないっすけど、ヒントが、チャンスが隠れてるような気もしてます。

逃げって何だ?ん~多分、「立ち向かう事を避ける事」ってイメージ。
んでもって、僕は、立ち向かう事を避けることは、よくないと思ってるなぁ。
ってか、そもそも、立ち向かう事って何だ?
「こいつは、立ち向かう相手だ!」って自分で決めちゃってるのか?
ご飯食べる時、「このご飯は立ち向かう相手だ!よし食べるぞ!頑張れオレ!」なんて事、考えないなぁ。

・・・むー。なんとなく、少しだけ、自分の中の何かが、解体というか、ほぐれたというか、ギュッとしてたものに隙間が出来たような・・・そげな感じ・・・

はい、恒例になりましたが、皆様、ありがとうございます~。
Posted by ジョン・檸檬 at 2012年02月17日 12:45
阿部さん、花岡さん
シェアありがとうございます。

>もう起こる事と戦うのをやめよう。
 
わたしも自分のペースで少しづつ
そういう状態になってきています。

そういう風になる為には

「やる事は全部やった。
 精一杯もがいた。
 たけど、どうにもならない・・・。」

という状態にならないと、
なかなかそういう風になれませんね。


わたしにも、みなさんにも
一日でもはやく福音が訪れますように。
Posted by はな at 2012年02月17日 12:47
今日のブログは読んでいて、胸が熱くなりました。

もう、
言葉が出ない…。


ありがとう。
Posted by オヤちゃん at 2012年02月17日 12:48
自分の中の純粋無垢な魂が打ち

ふるえました。心に染みる深いお話

本当にありがとうございます。

人間の共感力を引き出す、究極の

いまここですね。
Posted by Z at 2012年02月17日 12:49
花岡さん、素晴らしい経験を表現してくださりありがとうございました。

本当にわかると、こんなにもすばらしいのだと思いました。

阿部さん、花岡さんの文章を載せてくださり、本当にありがとうございました。

皆さまのコメントを毎回は読んでいないので、載せてくださらなかったら、知らないままでした。

いつもありがとうございます。
Posted by S at 2012年02月17日 13:07
花岡さんのお話をうかがって

ヨブがあっけなく神様に降参するときの場面と
全財産を投げ打って一粒の真珠を買う男のお話とを
なぜか思い出しました

絶望の淵を覗き込んだことのある身としては
死の恐怖をこえて 信頼の道に進まれたことは
なんと素晴らしいことだろうと思います
Posted by bee at 2012年02月17日 13:09
花岡さん 阿部さんありがとうございます。
言葉に出来ないけど、胸が一杯です。
Posted by ゆた at 2012年02月17日 13:14
花岡さんの文章をしみじみ読み返しつつ、

これって、どこからが結果なんだろうって、ふと思いました。
支援者が現れたのが結果? 考えに考えたところから結果?それとも文章のずっとずっと前から結果?

原因についても同様に。

人間の体と視点でいる以上、誰にも断言できないことでしょうね。
もっと狭い範囲で、それぞれのアドバイザーはいるけど。

でもそれでもうーん?っと思い巡らせていたら、
自分の人生がずーーっと広がって、
全てが結果で、同時に原因であるんだって、感じました。

昨日までの「絶対的信頼がわからーん!」っていうもやもやが晴れて、
結果をじゅうぶん体験し、同時に原因であると意識しながら生活していこうと思いました。 私にはどれがどうだかわかってないんですけど、おまかせで^^
Posted by まだまだ青いJAC at 2012年02月17日 13:15
 唯、唯感激です。(T△T) …

 花岡さん有難うございます。言い知れぬ感動が私を
 包み言葉がありません。って言ってるけど・・・・。

 『盤珪は、「あるゆることは、不生の仏心の中で完全に解決されて
 いる」と宣言しています。あるゆることはいつでも努力なしに、自然
 に解決されているのです。』
 と言う言葉は今読んでいる、セイラー・ボブの〔ただそれだけ〕に
 ありました。第2部の質疑応答の中のボブの言葉です。
 
 そして、この記事・・・あぁそうなんだ!と
 深く、ふか~~く納得したのでした。
 
                               合掌
Posted by ラブ∞マヨ at 2012年02月17日 13:19
花岡さんの体験した素晴しい記事を載せてくださって
ありがとうございます。
すごく深いところで響きました。
手放すってそういうことなんですね。
他力とか言われてもよくわからなかったですが体験された
お話で、ほんとよくわかりました。
人が心の底から覚悟したとき、それが訪れるんだなあって
思いました。
Posted by ジャスミン at 2012年02月17日 13:29
!!!!!!!書かずにはいられません!!!!!!!!
!!!!!!!!有り難うございます!!!!!!!!!
Posted by 椎 at 2012年02月17日 13:34
まさに,「降参」しなくちゃいけないんですよね。
なかなかできない,無意識に戦ってしまう。求めてしまう。
Posted by はす at 2012年02月17日 13:39
阿部さんが小波さんにあてたコメント

>あなたは見捨てられていません
>これは信仰ではなく事実です

今までならスルーしてただろう言葉が
不意にストレートに響きました。

わたしがわたしを見捨て続けていたあいだもずっと
見捨てられていたことは一瞬もなかったんですね。
Posted by みなも at 2012年02月17日 14:00
花岡さんをうらやましいと思った私は、まだどっぷり分離の世界で生きてると改めて気づきました。

でも、大丈夫(^-^)

道は違えど、すべての行き着く先はみな同じ。

自分のペースで自分の旅路を進みます♪
Posted by kao at 2012年02月17日 14:16
花岡さん本当に良かったですね。

文章から、そのときの感動がとても伝わってきました。

そして自分の体験も改めて見直すことが出来ました。

ありがとうございました。
Posted by じゅえるん at 2012年02月17日 14:18
そうか!「福音」だったのですね。
昨夜コメントしたときは、
こみ上げてきて
>皆がよろこんでいます。
と、なんだか昭和天皇のような言葉が出てしまったけど^^
それは「福音」
だったのですね。
*****************************
ミサイルミーさんごめんなさい
。今日になって反省しています。
Posted by  ∑`)))K at 2012年02月17日 14:21
すばらしい体験ですね

ありがとうございます
Posted by くらら at 2012年02月17日 14:52
花岡さん、阿部さん、みなさん、とても素晴らしいお話をありがとうございます。

今朝なぜか私は、今日一日を大事にしたい、

一日を、この瞬間を大事にしたい、

今日一日、尊さを感じて生きていたいと思っていました。

大事にする気持ちとか、尊さとか、それがやってくる感じはとても「何か」に似ていて。

そんな折、花岡さんのお話を聞けて私は幸運です。

花岡さんの話の中に、「それ」はありました。

福音とは、いまこの瞬間にも、誰にでも与えられていますね。

鈴の音が鳴っているのに気付かないのは、聞こうとしないからでしょうか^^

感覚がある、命がある、

そして、私がいる、と錯覚しているということが福音に至るきっかけでしょうか^^

有難い一日です♪
Posted by nori at 2012年02月17日 15:08
いやー、素晴らしい体験をお伝えいただきありがとうございます。


そうですね、皆もともと救われているし、

神のみこころのただ中に生かされてあるのですね。


私にとっても、究極のマントラ(真言)は、

「南無阿弥陀仏」です。

80,90になった末期に坐禅は無理かも知れないし、

延命十句観音経は長くて途中で忘れてしまいそうだし、

やっぱり最後は「南無阿弥陀仏」。
Posted by むかい at 2012年02月17日 15:08
初めてコメントさせていただきます

花岡修平さん、ありがとうございます

本当に良かったですね

小波さん

健康な赤ちゃんを産んでくださいね

貴女の幸せを願っています

阿部さん、いつもいつもありがとうございます

小波さんへのコメントに感動しました

「あなたが生まれてくる子供を愛するように、天はあなたを愛し見守っています。」

涙がでました

南無=頭が下がる
阿弥陀仏=宇宙中の一切の働き(他力)
Posted by 尾崎 at 2012年02月17日 15:21
花岡さん、阿部さん、素晴らしい体験をシェアして頂き、
心から感謝申し上げます。
Posted by 日々草 at 2012年02月17日 15:22
花岡さん

私は、H8.8.8に瞬時に体験しました。
不慮の事故から大量出血で意識が薄れていく中、自動的に思考はできなくなりました。
助けに来ていただいた救急隊員の方がハッキリと天使に見えました。
ちょうど2週間後に知人から1本の電話が入り、それから日本全国中に奇跡が起こりました。

花岡さんや、marimoさんのコメに「差し出す」とありました。
まさに同感です。
内側の大自然に愛を差し出す。
答えなど期待せずに愛をどうぞと差し出し尽くす。
差し出し尽くしきったときに必ず訪れる内なる祝福。
愛溢れる貴重な体験談を文章に書き綴っていただきましてありがとうございます。
福音が全ての人に訪れますように。
Posted by アーサー at 2012年02月17日 15:34
花岡さん、よかった・・・本当によかった。
阿部さん、素敵なお話をありがとうございます。
(毎日コメント欄に目を通すわけではないので)
一人でも多く、花岡さんの体験した至福が訪れますように。

合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年02月17日 15:40
 ∑`)))K さん・・  面白すぎます。。(ミサイルミーさんゴメンナサイ)
 昭和天皇のようなコメ・・ (笑) 
Posted by みなも at 2012年02月17日 16:06
おお、やはりこの様な悟りの具体例が
市井でどんどん増えて行っているのですね!
分かち合ってくださり、どうもありがとうございます。
抱えきれない艱難辛苦の末に選択した本気のサレンダー。
もし絶望の果てに命を断つとしたら、そこにはどこか
「断てば楽になる」的な期待と作為がありますが、そうではなくて
積極的には死を選ばず、そうであるのなら受け入れようという所が
本物だと感じました。そして完璧な前後裁断に入られたのですね。

阿部さんもよくアンサートークで前後裁断をアドバイスされますが、
僕を含めてそれに大真面目に取り組む人は少ない気がします。
不安や悩みはあるにはあるけども、花岡さんや黒斎さんの状況に比べたら
平々凡々で抵抗の余地がまだまだある、まだまだ頑張れるのではないか、
そんな気持ちがしてしまうからです。
そして「物理的な処方箋」を探し、解決の糸口にと求めてしまう。
ですからその様な事態を避けつつ悟るべく、一切の抵抗の余地がない程の
艱難辛苦のお化けを皆で招来しようではありませんか!!
…と言うとまるで講演会定番のギャグの様ですが(笑)

「病める者は幸いなり」が真実である事は最早疑い様もなく、
そういった状況にあった方々はやはり早く、先駆者となっておられますが、
これから指数的にブッダが増えていくに当たって、
それ程病んでいない者達にはどの様な福音の具体例があるのか、
今物凄く気になっています。
ところで書籍版阿雲の表紙の阿部さん、格好良すぎます(笑)

向さん、こんにちは。
瞑想状態から抜け出る時に便利かなとふと感じたので、
コラボ以来、延命十句観音経をラッキー7の7回のまま
愛用させて頂いております!
Posted by 相川 美晴 at 2012年02月17日 16:10
すばらしい‼

きっとこんな体験をするためにこの世界に身体をいただいたのかもしれませんね(^-^)
みーんなが気が付いたら、アミが教えてくれた世界になりますね(^-^)

ありがとうございます(^o^)
Posted by 1045yoko at 2012年02月17日 17:19
ありがとうございます。

うまく言えないですが、

本当に読ませていただきよかったと思います。

ありがとうございます。
Posted by 星華 at 2012年02月17日 17:19
人間、生きていると、困窮してしまうことがありますね。
それでも至福の体験はあるのですねえ。どういう感覚なんだろうな。記事を読めて嬉しかったです。
Posted by たなか at 2012年02月17日 17:20
自分が恥ずかしくてなりません・・・貴重なお話をシェアしていただき、
本当にありがとうございました。
Posted by IV at 2012年02月17日 17:38
>まさに神が、わたしの人生の主導権を引き受けた瞬間です。

神がガッツポーズしてる!w
神というか、それはずっと一緒に歩んできてたんでしょうね、きっと。
Posted by ポト at 2012年02月17日 17:43
勇気をいただきました。
ありがとうございます。
Posted by ポト at 2012年02月17日 17:44
阿部さんこんばんは~

昨夜花岡さんのコメ拝見した時「私なら死んじゃうかも・・・」と考えたり
「いやいや死ぬ度胸もないかも・・・」と考えたり

結局私は心底追い込まれたら相川さんがおっしゃる「断てば楽になる」的な期待と作為で思い余ってしまったりするタイプかもしれない

瞑想

信頼

もう一度心に深く深く刻みます。

花岡さんありがとうございました。
Posted by Jinn at 2012年02月17日 17:50
花岡さんのエピソード、読ませたいただいて良かったです。
本当の意味でのおまかせって、こういうことなんですね。

昨日寝る前に書いた日記には、
思考って、罪悪感、劣等感、批判、不満・・・そんなものが大半を占めてるなぁっ・・・信頼によって得られるリラックス、安らいだり、深い落ち着きのような、ぶれないもの・・・ってどうやったら感じられるだろう・・・って書いてたんです。最近は阿部さんと、向禅師のブログをセットで楽しみに読んでるですが、向禅師のブログに、延命十句観音経を唱えることと在りまして・・・
過去の阿部さんのブログに解説されていたので読ませていただきました。
唱えてみようと思います。
思考まみれでクタクタの心が、落ち着いた状態に成るように唱えてみます。
解りやすい解説をありがとうございます。
Posted by 北陸のりんご at 2012年02月17日 18:19
自分の生死までを神の御心にゆだねる
ところまでくれば
他力も本物だと学ばしていただきました
Posted by 甲賀忍者 at 2012年02月17日 18:23
駄目で良し。
最低で良し。

誰も、一度たりとも、見捨てられた事なんてない。
愛されてない事なんて1秒だってない。

改善しようともがくより、先に自分の苦しみを吐き出そう。



おかえりなさい。



花岡サンの福音と共に、今日は私も喜びと共にありたいと思います。

私はここが好き。大好き。
Posted by とれいん at 2012年02月17日 18:28
「すばらしい!」の一言に尽きます。
Posted by もっち@キャバクラの店長 at 2012年02月17日 18:57
あべっち、花岡さんみなさんこんばんは。
全てをゆだねる。とってもいいおはなしのシェアをありがとうございます。
いいひだな。
Posted by あみ at 2012年02月17日 19:01
あと皮一枚

いけそうでいけない
という日々にきょうのおはなし
すてきです
心いっぱい感謝しております
ありがとうございました
Posted by たこちゃん at 2012年02月17日 19:10
阿部さんありがとう
花岡さんありがとう
みんなありがとう
Posted by カスパロフ at 2012年02月17日 19:17
なんか、胸がいっぱいです。
ありがとうございます。
Posted by ocean at 2012年02月17日 19:21
まさに、全ては完全完璧ですね!

ありがとう!^^
Posted by 近藤 at 2012年02月17日 19:23
もう一度花岡さんの体験を読み直してみました。

「世界が有るなら、それを現している元の、なにか偉大な力が存在するはずだ。
それに自分の全てをまかせよう。生きようと必死になるサバイバルを捨てよう。
そうして、その偉大な力、いわば源泉に、または神に。

わたしはわたしの人生だろうが、身体だろうが、命だろうが、魂だろうが、ありとあらゆる自分に関わる一切を差し出したのです。

そうするとどうでしょう!なんと。

自分の苦悩から解き放されたような解放感に浸れたのです。

そして、ここに!

この胸の、ここに!

説明のつかない、ふくらみのある何かが現れたのです。

それは今まで味わったことのない幸せ、喜び、条件を必要としない愛と共に現れました。

わたしはその至福の故に喜び、その感謝の故に泣き、溢れ出るその愛の故に、酔いました。

それは今でも、ここに。この胸のここから溢れてきます。」



これまで一生懸命握り締めていた自分を手放して

大いなる存在に自分を明け渡したことで

花岡さんのハートが
花開いたんですね。


ハートが開くことで

大いなる存在を自分として

自分を大いなる存在として

しっかり感じることができるようになりますね^^
Posted by 大空 at 2012年02月17日 19:34
「他力」の理解は全く正しい。素晴らしい念仏者です。
Posted by 真宗の坊さん at 2012年02月17日 19:42
ありがとうございます。
Posted by ヤスミツ at 2012年02月17日 19:47
なんて、なんて素晴らしいんでしょう。感動でいっぱいです。
Posted by m at 2012年02月17日 20:15
初めてコメントします。
読みながら涙が出ました。
私が自我を手放すことができないのはまだそれを楽しんでいる部分があるからだと気づきました。
浄土真宗とても興味深いです。
Posted by もっふる at 2012年02月17日 20:30
阿部さん、花岡さん、素晴らしいメッセージをありがとうございます。

ありがとうの感謝の気持ちでいっぱいです
Posted by mika at 2012年02月17日 20:39
本当に素晴らしいお話ありがとうございました。

何度読んでも感動します。


ところで・・・

阿雲の呼吸の本の表紙 最高~!!

爆笑しました。
Posted by 大空へ at 2012年02月17日 20:40
ありがとうございます

心に触れました。
Posted by aki at 2012年02月17日 20:48
僕は、花岡さんに感謝のコメントをしている大勢の人の心がきれいでいいな、と思います。素直に感動できるなんて。
僕は、嫉妬の気持ちが出てきました。恥ずかしいですが。。そういった体験ができて、いいな、と思ったのです。
悟った人も悟っていない人も、素直な人はいいな、と思う今日この頃です。
Posted by いたる at 2012年02月17日 20:49
不思議です。今朝私も同じことを感じたのです。
他人を傷つけることは即全体を傷つけることでその一部の自
分に直接かかわることだと。
きっかけはつまらないことです。
何十年も前に買った一本のサボテンが今は何十もの同じような塊を
いくつも付けているのが妙に気になってみつめていたのです。
なんだこれってみんな繋がっているんじゃないか。もしそれぞれの塊に自我
があれば自分のことを優先して周りの塊を敵対視して一つの株から生じた全体をだめにしてしまうと。サボテンは繋がっているから分りやすい。キノコも同じみんな同じなんだなって。
人間は勝手に独り歩きできるから個別に見える。でもきっと目に見えない何かで全体と繋がっているに違いないと思います。そう考えないと理解できない
ことばかりです。
これからは絶対に他人を気づ付ける言動は厳につつしもう。自分を大切にいとおしもうと改めて痛感しました。
Posted by 烈舟 at 2012年02月17日 20:52
久しぶりに読みに参りましたら、素晴らしい体験が‥。
グッドタイミングに感謝します。
やはり、それは存在しているとしか言いようがないものなのですね…
Posted by まりこ at 2012年02月17日 20:55
この話を周りの人に知らせて廻りたい衝動にかられました。

私も最近、日常的な事ですが、自分でなんとかしようとして失敗し、自然に任せることに気を向けていたところでした。

生身の人間の現在の本人からの話とは、なんて心強いだろうと思いました。

全てを放棄し、みこころのままにとはこういう事かと感じました。

みんながこんなふうなら、どんなにか素晴らしい世界だろうと思いました。
そんなふうになってゆくんだろうと思いました。


わたしは…おだやかに目覚めたいなぁ…
↑任せてない懲りない人(>_<)
Posted by リシュ at 2012年02月17日 21:06
電波も 目に見えない。
Posted by みどり at 2012年02月17日 21:06
ブログをよんで、みなさんのコメントをよんで、なんでだか涙がぼろぼろと出てきました。

どうやったらすべてを「お任せ」できるのだろう、と思う反面私の中の「自我」くんはまだまだ色んな事をやりたいって言っています。

その中には楽しみもあるし、苦しみもあるし。その苦しみから逃れたいしすべてを手放したいと思っても、まだ「自我」くんが『楽しみ』に固執しているのかな?よくわかんないや。私はどこにいくんだろう。。。

なんか、ふとともこさんとお話したくなっちゃいました。
Posted by 名無し・・・ at 2012年02月17日 21:29
阿部さん花岡さんありがとございます
コメントが多いので、コメント欄は時々しか読んでいないので、阿部さんが、転写してくれて目に留めるこができました、感謝です
私も87歳の母の介護をしていますが、「慈愛」の言葉を忘れず、「笑顔」を忘れず「南無阿弥陀仏」を忘れず、ケアをしようと改めて思いました
本当にありがとうございます
Posted by しの at 2012年02月17日 21:51
真理は、言葉に出来ない。
その真理に反応する私は、言葉が、深さを増していき、言葉の世界が、繋がった。

だから、反論されても、繋がってるから、終わらない延々と。

そして、反論されると、
食い付いたって、嬉しくなる。

だけど、私の知らない情報は、いっぱい、それは、私が、今までの人生以外で、知らない事。

小さな事から、大きなことまで、はてしないく、いっぱい、その中かな、興味が、あることから、やっています。
Posted by みどり at 2012年02月17日 22:06
感動しました。
ただただ嬉しいです。
ありがとうございました!
Posted by tenten at 2012年02月17日 22:19
単純に比較はできませんが、私も私のキャパいっぱいの苦痛が限界に達した時、似たような体験をいたしました。

その至福を、確かに味わった一人だと思います。



・・・なのに、今はあのどうしようもない苦痛の限界には程遠いものの、今度は日々退屈というか、ほどほどのぬるま湯の中で出るに出られないような、変な感覚に襲われております。

あの至福体験をしたという事は、あの苦悩をもう二度と体験しないと確信するのですが、ではあの至福にも二度と出会いないんだろうなと。

何を言いたいのか分からなくなってきましたが、どん底と至福を味わった後しばらくすると今度は、ある意味「本当に何かしたいことが見つからない」と、とてもつまらない毎日になるんじゃないでしょうか、今の私みたいに。

悟後の修行なんですかね、これも。
Posted by わたし at 2012年02月17日 22:23
わたしさんへ。

達成感の後のような感じです。
Posted by みどり at 2012年02月17日 22:28
花岡です。

尊敬する阿部さんに、わざわざコメント欄から記事欄に載せて頂き、心から感謝申し上げます。
また、これほど多くの皆様に感動のコメントを頂き、なんと幸せな事でしょう。
本当にありがとうございます。
皆様のコメントを読みながら、とてもありがたく、涙で文字がかすんで大変でした。

つたない文章ではありますが、皆様とのハートの共振ができて、こんな嬉しいことはありません。
その共振が起こり、なにか感じるものがあったという事は、きっと、きっと、きっと、
準備ができつつあるのだと確信しております。
絶対、そう遠くなく、皆様のハートも開くに違いないのです。

なんて素晴らしいことでしょう。
この至福に皆様が包まれるなんて、なんて素敵なんでしょう。
その日を心待ちにしています。

我々は皆、記憶喪失に陥った迷子です。
我々が帰るべき場所を探すとき、親である神は、
さあ、はやく帰っておいでって、
両手を広げて待ち焦がれているのだと思うのです。

ただいま~っ!って、笑顔で帰りましょう。
神が、いまここで、待っています。

ありがとうございました。
Posted by 花岡修平 at 2012年02月17日 22:48
花岡さん
こちらこそ ありがとう♪
Posted by ナラヤナ at 2012年02月17日 22:53
この人は自分も、奥さんも、母も普通に好きで、悪い人ではない。

だから邪魔するもの、もともと源泉からの救助を阻むようなネガティブな思いは少なかったんじゃないかな~と思ってしまいます。

私は救われないだろうなあ、心汚いもんね。

家族が好きだとは言えない、病気になるような生活の仕方をしてきた
自分や、家族の生き方が悪いのだと思って、自滅だと思ってしまい、そのようになってしまう気がします。

私達のような愚かな家族は要らないのだとおもってしまうだろうな。

自分達に救われる価値があると思うような生き方をすればよかったのになあ。でも、思い返しても人生を変えられた要素が見えない。う~ん
Posted by シア at 2012年02月17日 22:54
泣いてしまいました。

手放すこと、おまかせすること。
今の私にはできてないです。
昨日ツライことがあり、今は思考にとらわれています。

今の私に必要なメッセージでした。ありがとうございます。
そういえば、もうひとつメッセージがありました。
『Be Happy』という文字が目に飛び込んできました。これって、いつも『幸せでありなさい』って意味ですよね。

いまここにいきます。
Posted by みっちゃん at 2012年02月17日 23:09
普通って無いことが、わかった。

ただ、その人数が、多いだけ。

なんかしら、今日は、いっぱい出ちゃう。

んっ、今日も?
Posted by みどり at 2012年02月17日 23:10
既に救われているのだから…。自我はこれが分からないのですね。
Posted by emi at 2012年02月17日 23:11
良い話を有難う御座います。
Posted by やすこやす at 2012年02月17日 23:17
いたる さん

僕は、あなたは 自分に素直だ と思いましたよ。
素直じゃなかったら、自分の中にある「その気持ち」を認める、という事をしなかったと思うので。
コメントを書いてない人の中にも、そう感じた人がいたと思います。
だって、かく言う自分が、そうだったので(^_^;)

いたるの旦那~、多分ですけどね~、何かしらを握り締めてるんですよ~。
そいつばかりに意識が行ってるから、意識の焦点がそこだけに当たる気がするんですよ~。
握ったきっかけがあって、そいつ手放すには、
自分で決めた「条件」、この握ったきっかけと釣り合ってくれるもんじゃなきゃ、
この欠落感を満たしてくんなきゃ、
「あたしゃ絶対放さないよ~!」
って、決めちゃってる気がするんですよ。
でも何で握ったのか、何に決めたのか忘れちゃってると、やっかいですよ。
・・・あれ、言いたいことがズレてしまった。軌道修正します。

自分に置き換えると、僕は誰が何と言おうと(おっと!何を威張っているのでしょうか)悟った経験を持つ人をあがめてます。上に見てます。凄いと思ってます。僕は素直なので、素直に認めちゃいますぞ。
んで、そうじゃない自分を、下に見てます。はよう悟りたいのう、と思ってます。
「悟ったら、何か凄いことが起きるって思ってるでしょ?」って言われても、思っちゃうんだもん。だって、だってなんだもん(使い方違うかー!)

だから、そういう経験をした方を、まず「羨ましい」って思ってしまう。
僕の中の天秤は、そう傾いちゃってる。

なんちゅーか、取引心理、ですかね・・・。
こうしたら、こうなる。こうなれ。こうあれ。
そういうんじゃないって言われて、頭には詰め込まれてても、消化できとらん。自分でもめんどくさい事しとるのぅって思うのだけどなぁ。
自分の中の天秤、取引、これが、今の自分にとって、色々やってくれてる気がするな~。取引中止して天秤取り外したいな・・・
Posted by ジョン・檸檬 at 2012年02月17日 23:37
花岡さんが思い出さしてくれたのです。

そして阿部さんがそれをサポートして

みんなが感じた

まさにワンネス

命はひとつ

ありがとうございました。
Posted by カズ at 2012年02月17日 23:42
花岡修平 さん


種を、頂いた、頂けた、気がします。

触れた人は、触れた瞬間に、みんなそれぞれ受け取ってるんすね。

それは、どんな事にも言えるのかな、とふと思いました。


ありがとうございます。あ、連チャンコメントかな?
Posted by ジョン・檸檬 at 2012年02月17日 23:43
阿部さん、花岡さん、このお話で、手放すと言う意味が改めて解った気がします。

ありがとうございました!!
Posted by 寿 at 2012年02月17日 23:54
阿部さん、花岡さん、シェアしていただいてありがとうございます。

心が動いて、涙がでました。幸せな気持ちになりました。
Posted by haku at 2012年02月17日 23:55
こんばんは。
今回のblogは、まさに私が欲していたものです。
阿部、花岡さん ありがとうございました。
「他力本願」がわかった気がします。
でも、「本願」は自我ですよね。
Posted by yoshirin at 2012年02月18日 00:27
ハートなのか、胃の奥あたりが震えます。
頭じゃない、深いところに響きます。
降参、手放す、ゆだねる…やっと頭からそのあたりに落ちました。
花岡さん、いまここ、ありがとうございます!!
Posted by ちか at 2012年02月18日 00:28
花岡さん、有難うございます。

未熟ながら大いなるものへの確信、そしてそれと共に在る歓びを見たような気がします。

誠に有難うございます。
Posted by アナコン at 2012年02月18日 00:29
すごいあちこちで目覚めの連鎖反応が起きてる。今そういう時代なんですね。苦しみには意味がないけど、苦しみがなかったら誰も夢から目覚めたがらないでしょうね。けど叩き起こされるのは嫌だな。
Posted by やまちゃん at 2012年02月18日 00:38
今日は、朝、晴天だった空がどんどん雪にかわり

吹雪いたと思うと止み、また夕暮れと雪という不思議な日でした

花岡 さん

全てをあるがまま受け入れ、全てを差し出す…

そこに至るまでの花岡さんの並々ならぬ苦悩は、未熟な私には想像すらできませんが

でも、いまここにて、お話し頂いて感謝しております。ありがとうございました

阿部さん 皆さん の 言葉 にも 感動しました
Posted by コネクター223 at 2012年02月18日 00:50
「つたない文章ではありますが、皆様とのハートの共振ができて、こんな嬉しいことはありません。
その共振が起こり、なにか感じるものがあったという事は、きっと、きっと、きっと、
準備ができつつあるのだと確信しております。
絶対、そう遠くなく、皆様のハートも開くに違いないのです。」



花岡さんのハートが
花開いたように\(^o^)/

これまでも多くの人のハートが花開き\(^o^)/

いまも多くの人のハートが花開き\(^o^)/

これからも多くの人のハートが花開くんでしょうね\(^o^)/


\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/


世界中の人たちのハートが

満開に開くといいなあ\(^o^)/
Posted by 大空 at 2012年02月18日 01:01
 阿部さん、花岡さん
シェアして頂いてありがとうございます。
 心が満たされました☆
 
Posted by rina at 2012年02月18日 01:15
花岡さん、阿部さん、みなさん^^

私も、心がホワっとした1人です(*^_^*)。ありがとうございます。

全てを差し出せば・・・な~んだ、そうなのか・・・。

何という福音・・・(@◇@;) あ・・え~っと・・・!!!

何か、すごく分かりそうな気がする!!! さとりまであと1cmって感じ~~!!(笑)

この感覚を・・よく感じながら今日は寝よう♪ よし!


シアさんへ♪

>私達のような愚かな家族は要らないのだとおもってしまうだろうな。

うちの家族も(私も)相当に愚かなもので、よその家族がうらやましく、
シアさんのコメントの中に、何だか自分を見つけてしまい、胸がキュッとなりました(ToT)。

でも、今日の花岡さんのお話や

>「あなたは宇宙の部外者ではありません」

私は、阿部さんのこの言葉に、すごくホッとして、
あぁ、ロクでもないうちの家族も、私も、大丈夫なんだなぁと・・
だから、シアさんも、ご家族の方も見捨てられたりしてないと思います。

うまく言えませんが・・^^;
エラそうにごめんなさい。
思わず、声をかけてしまいました。
Posted by 白うさぎ at 2012年02月18日 02:19
全てを手放した時
この世界は現実から単なる映像へとシフトする
ものなのでしょうね
様々な欲望がこの映像の世界を現実に見せる
ということですね

僕の場合は
存在しているものは自分の思考が創り出しているものですから
存在しているものは全て創造物であり
創造主、神の御心のみが唯一存在ではない存在を超えているものであり
それは全ての思考を手放した時に直接体験するものだ
と理解しています

花岡さんの場合は
自分に関わる一切を差し出し自分の全てを放棄したことにより
神を直接体験された
と思いました
Posted by 甲賀忍者 at 2012年02月18日 02:27
仏のことを如去如来、不去不来と言い、さとりが開くのは、特にその如来の部分だと思います。仏が来たご本人においては見性、われわれにとっては見仏で、それが真実の場合、自他を超えた圧倒的開けになるのだと、花岡さんに教えていただきました。こういうことは初めて経験させていただきました。ありがとうございます。

「まず、縁ある者を度すべし」と『歎異抄』にありますが、このいまここという場がなかったら、花岡さんに縁ある者につらなれなかったのはまちがいなく、阿部さんに感謝します。ありがとうございます。

南無阿弥陀仏
Posted by しくはっく at 2012年02月18日 02:59
阿部さん、花岡さん

素晴らしいお話をありがとうございました。

拝読させていただき、ただただ胸と目頭が熱くなりました。

このお話に出会えて本当に良かったです。
Posted by アマチ at 2012年02月18日 03:27
阿部様
花岡様
花岡様のコメントをある掲示板に貼付させて頂きました。
事後報告で申し訳ありません。m(_ _)m
ありがとうございました!
Posted by W at 2012年02月18日 04:20
阿部さん みなさん おはようございます。(^^)
お休みなのに、今朝は珍しく早起きました。(みなさんのコメントを遅くまで読んでいたので、ちょっとコウフンしていたのかも・・・笑)

花岡さん おはようございます。(^^)
ありがとうございました。ありがとうございます。。。
ここまでのご苦労、ご苦悩、、、思いますと、胸がいっぱいです。。。。

>ただいま~っ!って、笑顔で帰りましょう。
>神が、いまここで、待っています。

昨日は、おとしよりのデイにお伺いして、みなさんとご一緒に歌を歌ってきました。ラストソングは「ふるさと」です。「♪こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおき故郷 水は清き故郷♪」
艱難辛苦を乗り越えて生き抜いてこられた力強い魂の持ち主の、おとしよりのみなさんなればこその優しく&素晴らしい歌声~☆
いつも胸が熱くなります。。。
私も、こころざしをはたして、満面の笑顔で、みなさんと手をつないで、故郷に帰りたい!と決意新たに、思っております。
花岡さん ほんとうに、ありがとうございました。
お母様、奥様のご健康とお幸せをお祈りいたしております。


  夜の終わり朝がくる。しかし、夜明け直前の闇は最も暗い。  -むのたけじ

南東の空が朱く染まり、そろそろ三日月おつきさまとお日さまの交代の時間のようです。(^^)
今日も素敵な一日でありますように~☆
阿部さん みなさま いつもありがとうございます。(^^)
Posted by しいちゃん at 2012年02月18日 06:23
阿部さん、皆さんおはようございます。

今回の花岡さんのお話しで、私も他力本願の意味がわかりました。
素晴らしい体験をシェアしていただき、ありがとうございます。

だけど、やはりこう言う体験をされる方は圧倒的に、もうどうにもならない苦境に立たされた方が、全てを手放した時に訪れる場合が多いですよね。

私のような、特に生活に困窮してはなく、身体もまあまあ健康な人は、なかなかその至福の時が訪れる事はないのでしょうか?

それこそ、天変地異などで自分が生きるか死ぬか?という絶体絶命な状態になった時に、それは訪れるのでしょうか?
Posted by hatoya at 2012年02月18日 08:16
ジョン・檸檬さん コメントありがとうございます。
ジョンさんも、嫉妬を感じていたんですね。
僕も悟った人は偉い人と思っています。そして、自分は悟ってないので、不完全感、羨望の気持ちがあります。
でも、高校生がバスの中で勉強をしているのを見ると、素直さ・ひたむきさが伝わってきて、悟った人よりもこの子たちは輝いているんじゃないか、とも思ったりします。
でも、お互い、アクシデント的に、悟れるといいですね。
コメントありがとうございました。
Posted by いたる at 2012年02月18日 08:43
花岡さん。奇跡的な体験を分かち合っていただき、ありがとうございました。阿部さん、花岡さんの体験を紹介してくださってありがとうございました。
なんと、素晴らしい体験でしょうか。できたら、世界中の人が本来の自分に気がつけるといいですね。もう、苦しみはいりません。
Posted by なんごく at 2012年02月18日 09:17
93で死んだ父は、死の間際まで「が」を失わない人でした。
降参しない、人でした。
その父の意識がほどけ出し、
あちらとこちらを行き来するようなになると
父の目には、さまざまなものが映り込んでいたようで
私に、現実のその部屋にあるものか?と問うのです。
「自分の意識がほぐれ、バラバラになっていく」ことに
とても抵抗があったみたいでした。

それが、人の命の過程らしいよ、大丈夫だよ
と、読んだばかりの小説と重ねて答えたのですが
ゆっくりゆっくりと「が」をほどきながら
父は彼岸に行きました。

おそらくは、人はこうやって「我」の細胞の一つ一つ使い切るまで生きて
「が」を離れたところで、あの世にわたるのだろうな、と
私にとっては、生々しく「生と死の境目」を見たような
自分の人生観が変わる経験でした。

手を合わせて皆に感謝と別れの言葉を言ったあと
「が」を離れて良し、と自分にもゆるし
おそらく「こころのそこから、降参して」 ゆだねることができたのだろうな。

阿部さんのお話、そして花岡さんのお話は
生きて在りながら、「が」を離れることでしたが
死に等しい、深い苦悩がおありだったのだなあと思います。

人が「死を受け入れて」至る境地に、生きながらにして至る。
何事もないのどかな夢の中にいて「すべてを差し出す」は
あるのでしょうか。

全てを失う、その恐れに出合って、いよいよ抵抗せずに「差し出す」
パニックにも陥らずに、「差し出す」という選択が道を開く

そのことを、予習しているような気がするのですが。
Posted by トパーズ at 2012年02月18日 09:30
自我=思考という暴れ馬にまたがって

しっかり手綱を握っている状態は苦しいです。


自我=思考という暴れ馬の手綱を手放し

自我=思考という暴れ馬から降りてしまい

自我=思考という暴れ馬をただ見ているだけなら


本当に楽ですよね。
Posted by 大空 at 2012年02月18日 09:48
サムシンググレートを信じられるかどうかでしょうか!?

苦に打ちひしがれて居なくとも、その大いなるものを心して思う時、ありふれた日常にもそれが感じられるのかも。
当たり前と思っている事が、良く考えて見れば実はそうではなさそうだと・・・。
何か大いなるものに、愛され守られて居るのではなかろうかと、その様な些細な経験を積んで行く事により、序々に信じられる様になって来るのではないでしょうか。
そして、それが百パーセント信じ切れる様になった時(自我がそれを完全に認める時)、初めてそこに明け渡しが訪れるのでしょうか!?

もしもこの様に些細な気付きに歓びを見出して行けるなら、別に焦らなくとも良いのではないでしょうか(汗)
Posted by アナコン太 ~>゜)~~~ at 2012年02月18日 10:10
2度目のコメントですが、
花岡さんのコメントを読んで、
不思議な体験をしたので書かせて貰います。

最初に読んだときは、
ああやっぱりこういう人がいるんだな~とか、
これが委ねるとか帰依すると言うことだな、
と特に感動することもなく普通な感じでした。

ところが、2度目に読み終わったとき、
突然涙があふれてきて、
嗚咽も始まり暫く涙が止まりませんでした。
でも、マインド(思考)はその状態を冷静に見ている感じで、
なに泣いてんの?
感動したふりしてるんじゃないのという感じで、
感情も特に感極まったり感動しているところもありませんでした。
でも、なにか自分の奥の方から溢れてくる涙というか、
何か分からない力というか何かが泣いているようでした。

そして、泣き終わった後何かが自分の中で変わっているのを自覚しました。
何が変わったのかは分からないのですが、
なにかスッキリしたような、
意識が深くなったような、
言葉では表せないのですが、
なにか拘りが無くなったようなそんな感じです。

う~ん、何とも不思議な状態を体験しました。
何だったんだろう?
Posted by KOJI at 2012年02月18日 10:16
花岡様

 感動を喜んでいだだけて、嬉しいです。

 本当に皆が皆、絶対の幸せの境地にいけたらいいですね。

 でも、いけますよね、皆そこから出てきたのだから。

 信じましょう、愛を。

 愛しかないと!

 
Posted by ラブ∞マヨ at 2012年02月18日 10:21
今回の記事を読んで、私は「信頼」ができていないことに気づきました。

他人を信頼していない、自分のことも信頼してない、大いなる力も信頼していない。

だからすぐ不安になって心配になるし、他人の粗が目についてイライラしたり、そんな自分は何者なんだよと思ったり。

私はいい年こいてひとり者なので、先日、結婚している人達が旦那さんに頼ったりしている話を聞いて思ったんです。
「なんつー甘ったれだよ!私なんて頼れる人なんていないのに!」

そうじゃないんだなあ、きっと。
人に頼れるって、人を信頼しているから出来るんだろうなあ。
「こんな事言ったら甘ったれるなと言われるかも。こんなこと人に頼んだら嫌がられるかも、断られるかもしれないから頼むのやめて、自分でやろう」
そんな思考でがんじがらめ。

だけど常に不安で心配でしょうがない。

私、「信頼」できるようになりたいです。。。

自分のことも、他人のことも、この世のことも、大いなる力のことも、神のことも、大丈夫だってことも。

ここのコメント欄に書きこむことすら、いつも躊躇してできなかった。
私のこんな文章じゃ書いてもしょうがない、とか、周りの視線を気にして、でも最後は自分の視線とか体裁を気にして、素直な気持ちを出すことがどんどん出来なくなっている自分に気づきました。

一見、穏やかそうで、周りとも衝突しないように、いつの間にかなってたんですけど、もっと周りと衝突してた時の方が、自分の気持ちを素直に出せていたような気がします。

全てを「信頼」して、素直に生きたいなと思います。
Posted by sunao at 2012年02月18日 10:24
コメント欄の花岡さんのコメントを読んで
また心がじわ~んとまた涙、、感動を頂きました。

神様の胸にダイブ~☆

今日もありがとうございます。
Posted by タルジャ at 2012年02月18日 10:47
阿部さん、花岡さんありがとうございます
私の中ですべてが理解できました。もう迷わずいけます
もう疑いのよちも有りません。この身をゆだねます
なんと慈愛にみちたことか涙が止まりません。
ありがとうございます。
Posted by takako at 2012年02月18日 10:52
いつもありがとうございます。
わたしは 現象に振り回されて悩んだり苦しんだりするゲームに はまっていましが、もう終了することにしました。

最近は、目の前の出来事を全て受け容れて 毎日を送っています。

見えない存在から見守られていると強く感じますし、今は なるようになると自分自身を信頼出来るようになりました。

全ては タイミング通り、起きる時に 事は 起きる、のですね。

ありがとうございます☆彡
Posted by まりん at 2012年02月18日 13:51
花岡さん ありがとう

あべさん シェアありがとう


ひとこと コメント残そうと思ったら
延々スクロールしても
どんどんみなさんのコメントが

今回は拝見することなく(すみません)

そりゃ 琴線にふれます

神から いったん はなれ

いま ほんとうに 再会 回帰の時ですね


しみじみと はればれと


∞ 感謝 ∞
Posted by みとら∞あるけみ 総子(ふさこ) at 2012年02月18日 15:02
花岡さん、ありがとうございました。

素晴らしい気づきを与えてもらいました。

私たちの人生にゴールなどというものはないんですね。

いまこここそが、すべてなんですね。

いま手放すことの大切さを教えてくれてありがとう。
Posted by 由未 at 2012年02月18日 15:51
阿部さん花岡さん皆さん
ありがとうございます

お陰様で

世界のすべてに心を開く
ただそれだけでいい

そしたら
内側から常に愛が流れでてることに気が付きました

世界は常に僕に答えていたんですね

他力と大いなる存在への
絶対的信頼なのですね

外側にした行為はすべて
内側の扉から源からかえってきてる気がします。
Posted by 優。 at 2012年02月18日 16:07
阿部さんこんばんは!
他力…
花岡さんのお話で
理解できた瞬間でした!


感動です♪
阿部さん ありがとうございます☆


すごいなぁ〜
p(^-^)q
Posted by 美子 at 2012年02月18日 19:29
花岡さんに提案があります。

1. カラオケに行く。
2. 「キューティー・ハニー」を歌う。
3. 最後の決め台詞を、「変わったわよ」に変えて言う。

ご興味があれば是非。
Posted by 胡蝶 at 2012年02月19日 11:43
花岡さんの記事。
すばらしいお話をありがとうございました。
感動しました。
Posted by りつこ at 2012年02月19日 12:02
sunao さん

素直、理屈抜きで気持ちいいですよ~!(^_^)
思ってる事、掻き出して書き出してみると、僕は、スカッとしました。

僕は、「こんな事を考えちゃいけない!思っちゃいけない!」って、先にフタしてたから、自分が何を感じたのか、わからんくなって、混乱して、感じる事をやめてしまってました。
感じると、自分が「わしが思う自分でいろ!」って怒ったり、悲しくなったり、落ち込んだりするから、居心地が悪くなるんだもん。

ビクビクしっ放し。何も起きて欲しくない。何も受信したくない。自分の中から自分の望まないものが、湧き上がって欲しくないから。

何となくですが、信頼って、受け入れる事かな、なんて思いました。
ニンジンが嫌いだったら、
ニンジンを好きになろう!という方向より、
「僕は、ニンジンが嫌いなんだな~。」と認めて受け入れる事の方かな、なんて思いました。
まずは、ローラちゃんみたく何事も「オッケー」な感じで(^_^)
Posted by ジョン・檸檬 at 2012年02月20日 01:00
今によって生かされている存在の状態



今しかない

私は存在しない

それとも2つの今があるのだろうか

私は存在しないので何もする必要はありません

今によって生かされている存在の状態
Posted by なう at 2015年06月14日 09:45
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