2010年04月03日

自信

阿雲の呼吸に「自信」について書きました。

よく自信があるとかないとかいうけれど、つまるところ、「自分に自信がある」なんて状態はなくて、「自分に自信がないのが無くなった」という状態があるだけだと書きました


というのも、ウチの猫を見ていると、自分が猫であることに自信を持っているわけじゃありません。

でも自信のなさがないから、自分にくつろいで、自分をやっています。



とここまで書いて、一夜明けて、

あれ?待てよ。

ところで、この自分ってなんだろう?


そもそも猫は自分を自覚しているんだろうか。

隣の猫と自分を比較したりしているんだろうか。

そんな自分がないから、自信のなさが無いんじゃなかろうか。


僕らが通常、自分に自信があるとか言っている時の「自分」って、普段自覚している「自我」のことで、その自我に対して言っているわけでしょ。

これって変くない?(若者風に)



だって自我って、支離滅裂で、感情の起伏があって、打算的で、自分勝手で、不安定で・・・そんなものに自信を持てるわけないよね。




だから「自分に自信がある」って顔して生きている人は、何かを勘違いしているか、自分に言い聞かせているか、フリをしているんだと思います。


というわけで、やっぱりこのメインブログでも、この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃなくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと思う、という結論になるわけです。


で、さらにここから一言。


自信って、自分を信じるって書くけれど、その「自分」が「大いなる自分」だとしたらどうでしょう。


ここでのポイントは、大いなる自分というのは固定された人格ではなく、流れ続ける命だということです。 


したがって自分を信じるとは、命の流れを信じる、人生の流れを信じる、それを作り出している大いなる源を信じる、早い話が神を信じるってことです。



自信とは神を信じること。




はい、今日の結論でした(^o^)





多くの人に届きますように。

自信   自信



Posted by Toshiro Abe at 09:30│Comments(46)
この記事へのコメント
自信がない人と自信のなさが無くなった人、、、

ほんとですね!すごく納得しました~^^
Posted by 理津子 at 2010年04月03日 09:35
おはようございます^^

はーい(^o^)/よくわかりました☆
信じるものは救われるですね。

☆ きょうも素敵な一日です ☆
Posted by tomatoma at 2010年04月03日 09:39
ありがとうございます。いつも楽しみに読ませていただいています。
私は今、社会人二年目です。新年度になり部署が異動し、人間関係を一から築いていくのに苦労しているところです。1年が経ち仕事が分かってきたと思っていた途端の異動だったためどんどん自信を失っていました。今回のブログを読み心が楽になりました。慣れないことだらけで不安定な状態だから自信がないと感じるのであり、慣れてくればまた大いなる存在を信じることができるでしょう。時が経つのを待ちます。
Posted by もりもり at 2010年04月03日 09:40
信とは任すなり。
Posted by たつろう at 2010年04月03日 09:46
おはようございます(笑)
昨日夜『阿雲の呼吸』を読んで、
『自信がある』なんてない。ってことは『自信』も『思考』だ〜と感じてたところでした。
が、その『自分』が『自我』で・・・という阿部さんの言うところまでは深く気づいてませんでした。
今日記事を読んでなるほど〜となりました(笑)
表面さらっただけで流すところでした。
ありがとうございます(笑)
Posted by うめ at 2010年04月03日 09:47
自信てそういう意味だったんですね。深く考えずに使っていました。
ありがとうございます。
ここにくると色々気づけてうれしいです。
Posted by すみ子 at 2010年04月03日 09:57
阿部さん 皆さんおはようございます。

桜並木・・・満開で~す。

大いなる命の愛 歓喜のメロデイーを感じます。

今日もありがとうございます。
Posted by 珍 at 2010年04月03日 10:04
阿部さん、みなさん

こんにちは。今日の内容も思わずコメントしたくなってしまう内容でした!

私たちの多くは本当の自分「いまここ」に向き合わずに、他者との比較の中で自我に翻弄されているという側面がありますね。自分が他者とすぐれていると思う場合は自信や優越感をもち、自分が他者より劣っていると思う場合は落ち込んだり劣等感をいだいたりする。そこには、自分と他者は別物であるという厳然とした知覚がありますよね。魂のレベルでは私たちはいまここで一つなのですが、日常生活の自我のレベルでは自他は別物。こうした幻想から抜け出したとき、つまり、本当の自分を発見したとき、「自信のなさがなくなった」バランスのとれた状態になるのでしょう。

あと、「自分」という字ですが、確か野口嘉則さんだったか、誰かの言葉を引用して、「自分」という字は「独自の部分」と「他者と分かち合っている部分」からできているというすばらしい定義をされていました。何かとても本質的な定義ですよね。

今日もありがとうございます。
オーストラリアの旅の空より
感謝と愛情をこめて
モナカ寅次郎
Posted by モナカ寅次郎 at 2010年04月03日 10:28
阿部さん、皆さんいつも有り難うございます。

「自信とは神を信じること」

いやぁ~、思いがけない結論にもってかれましたけど・・

う~ん   納得です。
Posted by カズ at 2010年04月03日 10:32
「自分のため」だったらできないことも「他人(親、兄弟、愛する人)のため」だったらできることってありますよね。それって「自分」がなくなったからできるんでしょうね。
Posted by ゆーきー at 2010年04月03日 10:32
自分の自我に自信を持とうとしたって、そりゃ無理ですよねえ。
自分のおバカ加減に気付いて大笑いしてしまいました。
なんかスッキリしました。
明快な答えをありがとうございます。
Posted by hide at 2010年04月03日 10:35
阿部さん、皆さんおはようございます。

あんまり今日の記事とは関係ないけど、昔、子育てやら嫁姑問題やら、旦那の女性問題やら不眠やらで行き詰まっていた時、「あ〜、このまま消えて無くなっちゃいたいな〜」って日々を過ごしてたんです。

面倒なこと、何もかにも放り出して。。。

昨日瞑想をしてて思いました。「あの時、こうなりたかったんだ〜!!」と。

要はただ30〜40分、座っているだけのことなんです。でも、これが、なかなか見つからなくて。いつも口を酸っぱくして「瞑想、瞑想」と言い続けて下さった阿部さんに心から感謝です。

瞑想の中で、自分と出会う感じ、海に潜った時にちょっと似てます。
Posted by nk at 2010年04月03日 10:37
認めてほしいために自分を小包にして・・・・・・・・

はいッ!配りまくってましたねえ、私も。なんだ、阿部さんもそうだったのか(笑
自分の価値・評価を他人に任せてしまうほど、つまんない生き方はないよなあー・・と思いながら阿雲の呼吸を読み、こっちに来たら。

あぁ そういうことでしたか。

私は私の人生を信じます。信じますとも♪

いつもありがとう。
Posted by ラベンダー at 2010年04月03日 10:46
>自信とは神を信じること。

この記事を読むと凄くしっくりきますネこれ。

この感覚が意識出来てよかった! 

説明つきで誰かに話してあげたくなりました。
Posted by 古古米 at 2010年04月03日 10:53
おはようございます。

東京は、ちょっと花曇りの天気で肌寒いですが、風もなく、まあまあのお花見日和ですね。

今朝、遊歩道を散歩していまして、ピンクがかった白い花と真紅の花が、同じ枝に咲いている樹木を見つけました。

ちょっと不思議で、見とれていました。一本の木に、違う色の花が咲いているわけですから。

それと、その木を挟んで、その木と同じ真紅の花が咲いている木と、満開のソメイヨシノがあるんです。

ピンク色のソメイヨシノと真紅の花の木のにはさまれた木が、2種類の色の花を咲かせている。・・・ちょっと不思議な感じがしませんか?

もっとも、樹の種類としては、ソメイヨシノではありません。
花の形が似ていましたから、真紅の花の方だと思います。

それで、ここからなのですが・・・。

「なんと言う名前の木だろう?」 と思ったら、

「なんで、名前を知りたがるんだろう。」と、思っている自分に気がつきました。

っていうか、その木に、そう聞かれているような気がしました。

そうなんですよねぇ。

ただ単に、「美しい花が咲いている木」で好いはずなんです。(笑)


今日は、今ここ塾東京・瞑想会の、メンバーと、井の頭公園で花見です。
・・・午後一時からです。良ければ、ご参加を (笑)

皆様も、良い週末を!
Posted by ASLAN at 2010年04月03日 10:54
おはようございます。

最近の阿部さんのメッセージには胸に響いてくるものが多いなぁって思ってました。
今日のメッセージですが、昨日『阿雲の呼吸』を読んで「そうか~、自信のなさをなくすか・・・でもそれってどうやったらいいんだろ?」と思っていたところにタイムリーなメッセージだったのです。
そのせいか、胸というよりお腹にずしーんと響いてきた気がしました(笑)。
自信の概念が見事にひっくり返りました。

>大いなる自分というのは固定された物体ではなく、流れ続ける命

これも、最近ハートで感じることが少しずつ増えてきた気がします。

毎日、素敵なメッセージをありがとうございます。
これからも楽しみにしています♪
Posted by ぴよきち at 2010年04月03日 10:58
大いなる自分というのは固定された物体ではなく、
流れ続ける命だということです。 

それと自信と自信の無さ・・・

常に自信のある人は活気溢れているけど、

自信の無い人は消極的で後ろ向きかなあ・・。
自信の無さはともすれば人生にも反映して

いるかもしれない?

大いなる自分をどうやってつくりあげていくのか・・・
流れ続ける命と自分を自信に・・・
Posted by himeru at 2010年04月03日 12:06
こんにちは(^-^)

自分を信じるとは、
>命の流れを信じる、人生の流れを信じる、
それを作り出している大いなる源を信じる、早い話が神を信じるってこと

・・はい!♪(^0^)

そして、自分を信じること=「自信」・・とすれば、

自信とは、
>命の流れを信じる、人生の流れを信じる、
それを作り出している大いなる源を信じる、早い話が神を信じるってこと

・・になりますよね^^

分かりました♪
自分に自信をつけるのではなく、自分を信じていればよいのですね♪

ありがとうございます(^-^)
Posted by のの(野のすみれ) at 2010年04月03日 12:12
今日も為になるお話ありがとうございます☆
神という言葉があまり好きでない私的には
自信=大いなる自分を信じる
としておきます(^o^)/
Posted by picolu at 2010年04月03日 12:21
にょほほ。

「信頼する」

ってことですね?
じゃあ流れを信頼して、きょうもあるがままに。
Posted by SS at 2010年04月03日 12:40
ブラボーーーーーーー!!!!!

感謝の気持ちです。

数日前から「自信が持てない現状の打破」に思考をはりめぐらせ
もういっぱいいっぱいになって、今日にもコメント欄で泣きつこうと思っていました(苦笑)

自信の無さから、人とのコミュニケーションにまで支障をきたすようになり
ささいな「嫌味」までいちいち反応してしまい、ダメージを受ける始末。。。
自分を傷つける人からも遠ざかることで、自信のない自分を守ろうとしていました。

「自信が無いという思考を無くす」

新しい感覚です。張り詰めた心に隙間ができました。

阿部さん今日も更新をありがとうございます。
Posted by ぽんぽこ at 2010年04月03日 12:54
自分に自信が「ある」とか「ない」とか、そもそも考えたコトがなかったなぁ…
なんてことを、思いました。
人から「自分に自信あるでしょ?」と言われても、よくわからなかったのは、阿部さんがおっしゃるように、「自信のなさが無い」状態だったのかもしれません。

大いなる存在を信頼して、流れに身をゆだねること。
自分を信じること。

この出会いに、感謝しています
Posted by ヒロミ at 2010年04月03日 13:00
自信のない人⇒自我の通常状態。

自信がある人⇒自信という名の「蓋」で自我のネガティヴな部分を隠し、逃避している人。どこか不自然。

自信のなさがない人⇒自我のネガティヴな部分を完全に認めることができた人。自然体。
Posted by たくっぱ at 2010年04月03日 13:00
阿雲の呼吸の
ダウンロードして子供のお年玉に~ウケました(笑)
ランキングポチっとな!
Posted by モクレン at 2010年04月03日 13:00
阿部さん お元気ですか?

今日は、またまた自分の報告と阿部さんに確認したくてメールしました。

最近の私は「目覚め・魂の覚醒」の夢ばかり見ます。

昨日(今朝の夢)は平凡な夢のワンシーンに、いきなり違う感覚に変わり
「なんだ今ここに生きているだけで、ほんとはとっても凄いことだったんだ〜」って体全身で感じた夢でした。

なんとゆう心地よさと安堵感!!生まれてよかった〜〜〜。

これって めざめの感じなんですかね??

いつも当日のブログと感想がズレていて申し訳ありません。

そして いつもありがとうございます( ^^)Y☆Y(^^ )
Posted by ちびた at 2010年04月03日 13:30
前記事で質問させて頂いた事なんですが、過去記事を読んでいたらコメント欄にその答えらしきものを発見しました。

ですが、今の私にはやっぱり理解できず…。

もう少し勉強したいと思いました。

それから、私には子供が3人いるのですが、当然ながら3人共自分の命よりも大切な存在です。
昨夜、瞑想にチャレンジしてみようと試みるも、やはりなかなかうまくいきませんでした。
その時に限って、お気に入りの歌がこれでもかというくらい何度も何度も頭の中をリピート。
ダメだ〜と、子の心音にまずは意識を集中させようと、末っ子の胸に耳を当てました。

すると、何かおかしい。
心音のリズムが不規則。

え!?なにこれ!?
不整脈!?
末っ子病気なの!?

と一気にパニックなり、瞑想どころか、真理なんてどうだっていい!
末っ子!末っ子!

となってしまい、瞑想へのチャレンジは撃沈と相成りました…。

その時に思ったのですが、もし目覚めたら、この我が子への愛情は形を変えるのでしょうか?
全てはひとつ、を感じたら、この我が子への泣きたくなるほどの愛しさは、形を変えるのでしょうか?

もし変わってしまうのなら、私は自我に支配されたままでいいかも、と、ふとそんな事を思ってしまいました。

なんだか意味不明なコメントでごめんなさい…。

今日もありがとうございます!
Posted by モニ at 2010年04月03日 14:02
私の家には猫が二匹います。一匹は何年も前から家で飼っていて家と外を行き来しています。もう一匹は去年フラっとウチにやって来て、家の外で居候しています(サッシを開けて入ろうとしたりたまに入ってきてこたつで寝ていたりしますが‥)。

猫に自信があるのかないのか…ということをふと考えて…ずっと飼っている猫は居候の猫に力で負けるのか、追いかけられるとおなかを出して降参します。あれは「君には体の大きさも力も勝てないよー」と勝てる自信がない状態かな、とも思いましたが、勝てないということを受け入れてるのかなと思いました。

私はちょうど自信がなくて落ち込んで居たときで…無意味だったなぁと笑ってしまいました…(笑)
Posted by みほ。 at 2010年04月03日 14:15
すっごく納得しました!!!
ありがとうございました。
Posted by ak at 2010年04月03日 14:59
さっき、お昼寝をしていた時、夢を見たよ。
ずっと、欲しいと思っていたものが、本当は欲くないって急にわかったので、いらないよって言ったら、その欲しいと思っていたものが、びゅーっと、はるか遠くに、退いて言ったよ。 
そしたら、今まで、欲しいと思っていたものが占領していた場所に空間ができて、しかもその空間が、白く輝いてて、とってもすがすがしい気分になったよ。
すがすがしかったので、同様に、他のものにも、いらないって、いったら、やっぱりびゅーってはるかかなたに、退いていって、すがすがしい空間がますますふえて、ますますすがすがしくなったよ。
あ~あ、簡単だなあって、思ったよ。
3個くらいに、いらないって言ったところで、目が覚めちゃったよ。
今は、目が覚めたばかりだから、覚えているけど、すぐに忘れちゃいそうな夢だから、忘れないうちに、書いておくよ。

気持ちよかったから、目がさめているときも、本当はいらないものに、いらないって、いうんだあ☆ 
Posted by Fish at 2010年04月03日 16:35
本当の「自分」とは、自分の中に存在する「神の意識」に気づく事。神の意識は、常に“今ここ”に存在していますね^^
Posted by 近藤 at 2010年04月03日 17:38
ありがとうございます

阿部さん
本当にありがとう
Posted by 愛すブルー at 2010年04月03日 18:18
子供の頃から自信のないことが悩みでした。
自信がないことで、口数も少なくいつも隅っこにいました。

自信を持って堂々と生きたいと思っていました。


この記事を読んで、私はこれでよかったんだと思いました。自我の自信なんて持てるはずなかった。

そして、子供の頃から神を信じていました。一つの神があることを信じていました。

このままの私でよかったんだ、このまま、今に在ればいいんだと気づかされました。

阿部さん、ありがとうございます
感謝しています
Posted by マリア at 2010年04月03日 18:34
こんばんは。

阿部さんの自信についてを今読みましたが、今朝、あるメーリングリストに生まれてはじめて、「私の自信になりました」と書いたところでした。

私はもともと「自信がない」人なので、自信があるなんて口が裂けても言えず…

その私が、初めて自分に自信がついた、と思えたのは、周りの人の応援と支えをはっきりと感じたからです。

それはあたたかくて大きな安堵感でもありました。

自信は自分から沸いてくるのかと思ってた。

でも与えられるものかもしれない。

大いなるものに抱かれていると思えることなのかもしれない。

神さまを信じることなのかも、しれない。

ありがとうございます。
Posted by えり at 2010年04月03日 18:43
敏郎さん、みなさん、こんにちわ

敏郎さんのお話を聞いて、
「私」って奴は「壁」なんだなーと思いました^^

普段、散歩したり、音楽聴いたり、ご飯食べたり、
遊んでるときは「私」なんて自覚していないのに、
言葉を扱うと、とたんに顔を出す(笑)
私の考え、私の悩み、私の意見…私私私…orz

逆に言えば、1日24時間(便宜上)のうち、
私は、考えているときだけ「私」なんですね。
考えてないときは誰でもない。カラッポさん。生命さん。
「私」ってグリコのオマケみたいです^^

でもすごいのですね。
そんなちっぽけな「私」が深刻に悩んだり、
自立しようとして勝手に孤立したりする。
生命から自立なんてできっこないのに私はアホだな(笑)
Posted by ごん at 2010年04月03日 18:59
阿雲の呼吸 行って来ました。

いつもは挨拶もなく


いきなり、ぶっ飛んだ話題に突入する


ラン入社という

「最悪の評価をしていらっしゃる皆様の

ご期待にお応えして、一言」

<群集>  わ~パチパチ

「いまにとどまり、」「過去を創造する」という仕組み


体は成長し、老いて死ぬ様に見えますが、

例えば、50年に1度しか花が咲かない植物がいますが、

彼らの住む宇宙の住人も「この星の人目の付かぬ場所」で

50×90で4500年生き続けているから

その花も生存し得るのだと思う。


50年サイクルの持ち主と
1年サイクルの持ち主は


同じ3次元空間に(地球に)同居できます。


例えば例えば・・・










50年サイクルの人が2歳の誕生日を迎える時に

1年サイクルの人類は「すでに存在しない訳です。



アセンションという言葉が独り歩きしていますが、



「長生きな次代」

タイムウエーブゼロという名前の理論が

あると聞きます。少しだけほんを読みましたが


振り子が棒に巻きつき切る瞬間


ヨーヨーの最下至点で

跳ね返ったときに選別すれば

短命な部族に選別された人も幸せ

長生きの部族の人も幸せ

みんな幸せ



折り返し地点からのスピードがゼロに出来たら



何も始まっていない計画の為のシュミレーション。


マサシク「人生ゲーム」ですね。


過去にいただいた

未完成こそが究極の目的であり、成果でもある・・・・





心に響きすぎますね。



ところで、私は今


介護ヘルパーステーションの管理者ですので

社員研修を一般にも公開して開催したいので


スケジュールを何らかの方法で教えてください


だれでも結構です
Posted by 神ng at 2010年04月03日 19:14
人間関係における

「無償の愛」を

多く行うという

私服の喜びを

永遠に生き続けると

副題は相当嵩むだろうな~っつてな琴を

考えていたら、

3枚100えんなんですけど

買ってくださいって声をかけられた。


時間は流れていないし、

     重力こそが 地球の

         いのちに対する「愛」
        
           いのちを助ける適度な運動さえ


していれば、そのいのちに生かされる

地球から大切な子供として扱ってもらえる

品格と人格と適度なユーモアとスケベごころ


さえあれば、極   めて  楽     しい

暮らしでしょうね。


だと思います。
Posted by 神 at 2010年04月03日 19:33
阿部さま みなさま きょうもありがとうございます。

「自信がない、自信を持ちたい。」と、

ずっと思っていました。

自信の自は、自我の自、自我を満足させる事が自信になる、と。

それが自分の生きがいなのだと、頑張っていたような気がします。

でもそれは、勘違いなものだとようやく解かりかけています。

>人に認めてもらうために何かをするんじゃなくて、自分が何かをした結果、もし認めてくれたらそれもよし、そうでなければよれもよしという生き方に変わった。<

「阿雲の呼吸」より の阿部さんの文章ですが、

見習わせていただきます。
Posted by hiro-k at 2010年04月03日 21:03
阿部さん、こんばんは!

今日の結論は「自信とは神を信じること」。
え~!そうなんですか~!?SHUN(..)。

私は最近「信じる」って何!?と思っていたところだったのです。
「信じる」ことに何の意味があるのだろうか。
自我の単なる思い込み?
「信じてしたもの」が「信じられなく」なったりして。なんじゃそりゃ!?
そういう私は、ゴーマンな自信過剰のこんこんちき@なんですけれど(^^;)
阿部さんは、何か信じているものはあるのでしょうか~?と思ったりして。

事は起きている。・・・し、・・・!?

私にとって「神様」は「信じる」ものではなく「ある」ものなのです。
よって、「信じる」という言葉がしっくりこなかったのです。
「信じる」という言葉の捉え方が、みなさんと違うだけでしょうか~?

っと思っていたところ、たつろうさんのコメントがきらり☆☆☆
「信とは任すなり」
これで、しっくりきました。

「自信とは、神にお任せすること」
ゴーマンな私にはこちらの方が合っているようです♪

阿部さん、たつろうさん、ありがとうございました(^^)
 
Posted by さくら at 2010年04月03日 21:19
>この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃ
>なくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと
>思う
 ↑
なるほどっ!!

僕は、以前から「自信がない」タイプでした。
自信のなさは、不安やおそれを伴うことが多いのですが、しかしそれでも、なぜか、なにかとっても安らいで、満たされている感覚のときがあります。

そんなときは、「自信がない」状態ではなく、かといって、「自信がある」状態でもなく、やはり自分は自信を持てないんんだなぁ~と想ったりしてました。

「自信満々」の友人と比較して、自分の自信のなさがコンプレックスでした。

ず~っと、引っかかっていたことがスッキリしました♪
ありがとう~♪
Posted by クシティ at 2010年04月03日 23:37
こんばんは
chikaというハンドルネームでコメントを書かせてもらっていましたが、
ミクシィでは、「大好きな子どもたち」がハンドルネームなので、統一してこれからは、「大好きな子どもたち」で投稿します。

ところで、ところで・・・。
私は自分の価値を下げて生きてきてまして、自分に自信なんてまったくない人間だったんです
自分を信じようと思っても、なかなか出来ない

でも、「なんだ、自分って神なの?大いなる一つなの?それはすげ~~!」
ってなってからは、価値を下げて生きてきたことも、自分に自信がもてなかった自分にも、ばっかだ~~ってわっはっはって笑ってしまいました。

だって、神なのに?おおいなる一つなのに?すんごいのに~~?

じゃあさ、もうそのすんごい神である自分に、任せて生きていけばいいんじゃないの?だって、それが本当の自分なんだし、今まで自分だと思ってた自分は自我なんだし・・・。幻想なんだし・・・。

うん、じゃ、流れに全部まかせちゃえ~~!!
って楽になったんですよね

自分に自信がないから出来ないわ~~とかじゃなく
自信も何もそんなのいらない、流れに任せていたら平気だよ・・って。

だから今日の阿部さんの日記を読んで、うんうん!それそれ~~!
それだ~~!って思っちゃいました。はい^^
Posted by 大好きな子どもたち at 2010年04月04日 00:07
なるほど。。。。。

今まで自分自身に「自信が無い」ことに悩んだり、能力があっても二の足踏んでいる若い人に「自信を持てばいいのに」などと思ったりしてましたが。。。

少々勘違いしていたようです。大いなる存在の一部としての「自我」、自分で意識できる部分である「自我」に対して、自信を持とうとするとどうしても無理が出てしまうんですね。そっか、そうでなくて「大いなる自分」、言い方は難しいけど「神」というか、自我や自己の意識がつながるもっと大きなもの、真実の自分に対しての信頼と置きかえれば、自信の無さからも開放される気がしてきました。どうもありがとうございました。
Posted by mathew at 2010年04月04日 00:44
自信とは神を信じること。

ですね(^ム^)



そして自分を愛することです。


どんなバカな自分も、賢い自分も、丸ごと愛せる人が


自信の表れになります。



この自分を愛せる事が大切です。



信念=自信に繋がる。


自信とは神を信じること。


そして自分は神で在ったと


気づくこと。
Posted by 53歳の変なおじさん at 2010年04月04日 05:30
自信とは神を信じること。

ですね(^ム^)



そして自分を愛することです。


どんなバカな自分も、賢い自分も、丸ごと愛せる人が


自信の表れになります。



この自分を愛せる事が大切です。



信念=自信に繋がる。


自信とは神を信じること。


そして自分は神で在ったと


気づくこと。
Posted by 53歳の変なおじさん at 2010年04月04日 05:30
境遇に恵まれてるとは言い難いけど、それでもずっと
「私は強運。運だけはいい。最悪の事態だけは
いつでも避けられた。だからこれからも大丈夫。」
それだけには自信がありました。何の根拠もないのに。
今日の記事でとってもとっても納得がいきました!!
世に言う信仰心なんて無いけれど、私は神を信じてたんだ。
ありがとうございます。
Posted by ゆきちゃりん at 2010年04月04日 05:37
おはようございまず!

自信について・・・
そのとうりですね。
大いなる方を信じることだと思います。
自分の中のそういうものの声をよくきいてつみかさねていくことだとおもいます。
よくわかります!
Posted by ゆり at 2010年04月04日 07:20
自信も幻想で手放しましょうってことかぁ
Posted by fujikokoni at 2010年04月04日 08:53
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